第8話「王子様の決意と守るべき人」

 リオネスに支えられたまま、リナはしばらく呆然としていた。

 カイがもたらした情報は、あまりにも衝撃的で、彼女の頭は処理が追いつかなかった。


 私の力は、呪いじゃなかった? セレーネに、騙されていた……?


 今まで自分を縛り付けていた絶望が、偽りだったかもしれない。

 その事実は、リナに安堵よりも大きな混乱をもたらした。


「……信じられない」


 かろうじて絞り出した声は、自分のものではないように掠れていた。


「半年も……ずっと、私は自分のことを……」


 自分は呪われていると信じ、人を避け、幸せになることを諦めて生きてきた。

 その日々は、一体何だったのだろう。

 リナの肩が、小刻みに震え始める。


「リナ、しっかりしろ」


 リオネスの力強い声が、彼女を現実に引き戻した。

 彼はリナの肩を掴むと、その瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。


「カイの言うことが、まだ信じられないか? だったら、思い出してみろ。僕と一緒にいたこの一ヶ月、君のせいで誰か不幸になったか? 僕が派手に転んだり、雨漏りがしたりはしたけど、誰も傷ついてはいない。むしろ、君のおかげで助かったことばかりだ」


 彼の言葉に、リナははっとした。

 祭りの夜、女の子を助けたこと。

 蜂の巣が見つかったこと。

 言われてみれば、彼の言う通りだった。


「それは……」


「僕は、最初から分かっていたよ。君が幸運の女神様だってことはな」


 ニッと笑うリオネス。

 その笑顔は、いつもと変わらない太陽のような明るさで、リナの混乱した心を少しだけ照らしてくれた。


「殿下……」


 カイが、神妙な面持ちで口を挟んだ。


「王都の状況は、深刻です。凶作と疫病は、日を追うごとに拡大しています。このままでは、国が滅びかねません」


 その言葉に、リオネスの表情が険しくなる。


「セレーネは何をしている」


「祈りの儀式を繰り返していますが、効果はありません。いえ、むしろ逆効果です。民衆の不安と不満は、すでに限界に達しています」


「……そうか」


 リオネスは短く答えると、リナから視線を外し、窓の外に広がるミモザ村の穏やかな風景を眺めた。

 彼は今、一人の男としてではなく、この国の王子として、決断を迫られていた。

 しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。


「カイ、王都に戻る準備をしろ。僕も行く」


「殿下!?」


「兄上や父上が、この事実をすんなり信じるとは思えない。僕が直接、説得する」


 その決意に満ちた声には、普段の彼からは想像もできないような、王族としての威厳が宿っていた。

 カイは、そんな主君の姿に一瞬目を見張ったが、すぐに深く頷いた。


「承知いたしました。すぐさま、準備を」


 カイが部屋を出て行くと、室内にはリナとリオネスの二人だけが残された。

 リナは、不安な気持ちでリオネスを見つめた。


「王子様……王都に、戻ってしまうのですか?」


「ああ。王子として、やらなければならないことがある」


 彼はそう言うと、リナに向き直り、その両手を取った。

 今度はもう、躊躇いはなかった。


「リナ。君は、どうしたい?」


「え……?」


「無理にとは言わない。王都に戻るのは、君にとって辛い記憶を思い出すことになるだろう。もし、君がこのままこの村で静かに暮らしたいと望むなら、僕はそれを尊重する。僕が、君の平穏を守ってみせる」


 彼の温かい手が、リナの手を優しく包み込む。


「でも、もし。君が、自分の力を信じて、国を救いたいと思うなら……僕と一緒に、王都へ来てほしい。僕が、君の隣で戦う。君を一人にはしない」


 真っ直ぐな青い瞳が、リナに選択を委ねている。

 リナの心は、激しく揺れていた。

 王都は、彼女にとって悪夢の場所だ。

 石を投げられ、罵声を浴びせられたあの広場。

 冷たく突き放した父の顔。

 そして、自分を陥れたセレーネがいる場所。

 怖い。

 戻りたくない。

 でも。


 私が……国を救える……?


 カイの言葉が蘇る。

『貴女様の力は、唯一の希望なのです』

 今まで、自分の力は人を不幸にする呪いだと思っていた。

 けれど、もし、それが間違いで、人を救うための力なのだとしたら。

 苦しんでいる人たちがいる。

 私が何もしなければ、国が滅んでしまうかもしれない。

 何より。


 この人の、隣で……。


 リナは、自分の手を握るリオネスの顔を見上げた。

 彼は、私のことを信じてくれている。

 呪われた存在だと、誰もが罵った私を、「幸運の女神だ」と言ってくれた。

 この人の隣に、立ちたい。

 リナの中で、今まで感じたことのない、熱い感情が込み上げてきた。

 それは、恐怖を乗り越える、小さな勇気の炎だった。

 リナは、握られたリオネスの手に、そっと力を込めた。


「……行きます」


「リナ……?」


「私も、王都へ行きます。聖女ルナとして」


 震える声だったが、その瞳には、確かな決意の光が宿っていた。


「私が本当に聖女なら、救うべき人たちがいます。そして……確かめなければならない。セレーネに。どうして、あんなことをしたのか」


 リオネスは、リナの答えを聞くと、嬉しそうに、そして少しだけ切なそうに、微笑んだ。


「……そうか。分かった」


 彼は、リナの手をそっと離すと、今度は彼女の頬に優しく触れた。


「辛い戦いになるだろう。だが、心配するな。僕が必ず、君を守る」


 その言葉は、どんな慰めよりも、リナの心を強くした。

 王子様の決意は、固まった。

 そして、追放された聖女もまた、自らの運命に立ち向かうことを決めた。

 二人の向かう先には、大きな困難が待ち受けているだろう。

 だが、手を取り合った彼らは、もう一人ではなかった。

 ミモザ村の穏やかな時間は、終わりを告げた。

 今、国を救うための戦いが、始まろうとしていた。

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