第20話 決意は、静かに

 部屋の外で、控えめなノック音がした。


 一度きり。

 強くもなく、急かすでもない。

 だが、その音は妙に重く、室内の空気をわずかに震わせた。


 カレンが先に反応し、扉へ視線を向ける。

 敵意はない。

 足音は三人分。

 ミレイユとヘルマン。


 そして、あと一人。


 クラリスが小さく息を吸った。


「……どうぞ」

 

 扉が静かに開いた。


 そこに立っていたのは、見覚えのある男だった。

 肩幅が広く、年季の入った外套を羽織り、白髪の混じった頭を少しだけ下げている。

 その後ろに、ミレイユの顔が見える。


 数秒の沈黙が流れた。

 誰も、その間を埋めようとはしなかった。


 男は、ゆっくりと顔を上げた。


「……お嬢様」


 低く、落ち着いた声。

 そこには微かな不安と安堵が混じっていた。


「ご無事で……本当によかった」


 クラリスは大きく目を見開いたまま、言葉を失った。


 視線が揺れ、唇がわずかに開く。

 次の瞬間、深く息を吐き出した。


「……バルト」


 それだけで、十分だった。


 アストレア家専属工房、ホワイトワークスの技師長。

 長年、アストレア家が信頼を置いていた男。


「生きていてくださったのですね」


 声は震えていなかった。

 だが、その言葉には、長く張り詰めていたものが滲んでいた。


 バルトは帽子を外し、胸の前で抱えるように持った。


「ええ。どうにか……」


 視線が、室内を一巡する。

 壁、窓、床。

 そして最後に、カレンで止まった。


 一瞬だけ、目が細められる。

 計測するような、技師の視線。


 バルトはすぐにそれを引っ込め、クラリスへ向き直った。

 視線を一度だけ伏せ、静かに続けた。


「屋敷が襲撃され……アルブス脱出後、行く当ては多くありませんでした。黒系の手配網は、ワークス関係者も洗っていたようで」


 ミレイユが、壁際で鼻を鳴らす。


「“ようで”じゃない。完全に狙われてたんだよ。アストレア家の専属技師なんて、連中からすれば宝の山だ」


 バルトは気まずそうに笑った。


「命を繋ぐために、工房を捨てました。部下たちには散開を指示し、私は……彼女を頼った」


 ミレイユは肩をすくめる。


「昔のツテってやつさ。ホワイトワークスとは長い付き合いなんだ。部品と情報を回してた仲だよ」


 ヘルマンが、低く口笛を吹いた。


「なるほどな。白家の専属工房と、境界の闇技術屋。ずいぶんと“白と灰色”な組み合わせだ」


 ミレイユは横目で睨む。


「生き残るには、色なんて選んでられないのさ」


 バルトは小さく頷いた。


「彼女の工房は、連邦の監視網の外にある……それだけで、ここに身を寄せる理由としては十分でした」


「バルト」


 クラリスが静かに呼ぶ。


「あなたが、ここにいる。生きている。それで十分ですわ」


 バルトは一度、目を伏せた。


「……そう言っていただけるのは、ありがたい。ですが――」


 視線が、床に置かれた武器ケースへ向く。


「何も守ることも残すこともできなかった。それが……技師として、何よりも責任が重い……」


 室内に、短い沈黙が落ちた。

 バルトが一歩前に出た。


「お願いがあります、お嬢様」


 クラリスは顔を上げて、バルトを見る。


「ブレイカーⅡ型。W44。それから……お嬢様の拳銃」


 一つずつ、名前を呼ぶ。


「すべて、もう一度、この手で見させてください――技術屋として最後の仕事をさせていただきたいのです」


 ヘルマンが、壁際から低く息を吐いた。


「……相変わらずだな、あんた」


 バルトはわずかに口角を動かした。


「俺には仕事これしか、残っていないからな」


 カレンは何も言わず、バルトにブレイカーⅡ型とW44を差し出す。

 ヘルマンは、バルトの背中を眺めながら呟いた。


「それにしてもよ。あの時の自由連合からも、連邦軍からも、よくまあ両方きっちり逃げ切れたもんだ」


 バルトは淡々と返す。


「お前ほど派手には動いていないさ。技術屋は、目立たない方が生き残れる」


「違ぇねぇ。だが――」


 ヘルマンは口の端を歪めた。


「それでも、しぶとい。そのしぶとさは軍仕込みなのか?」


 バルトは小さく息を吐いた。


「お前のしたたかさには負けるよ」


「……言ってくれるじゃねぇか」


 ヘルマンは肩をすくめる。


「ま、あんたに比べりゃ、俺はただの逃げ足の速い臆病者だ」


 一瞬の沈黙。


 バルトはそこでようやくヘルマンの方を向いた。

 そして、ゆっくりと姿勢を正す。


「――ヘルマン・クリューガー」


 低く太い声。


「お嬢様を、クラリス様を守ってくださったこと……技師としてではなく、一人の人間として礼を言う」


 そう言って、深く頭を下げた。

 ヘルマンは目を見開き、思わず一歩引いた。


「……おいおい。やめろ。そんな改まられると、調子が狂っちまう」


 バルトは顔を上げ、わずかに微笑んだ。


「素直に受け取れ」


「ったく……」


 ヘルマンは視線を逸らし、後頭部を掻いた。


「俺はただ、死に急ぎのお嬢とトチ狂ったメイドを拾っただけだ。礼を言われる筋合いじゃねぇ」


 その声音には、照れと、否定しきれない温度が混じっていた。



 バルトが武器を手に取る。

 その手は迷うことなく各部の状態を確かめる。


 ブレイカーⅡ型。

 銃身。

 フォアエンド。


 W44。

 グリップ。

 トリガー。


 そして、小型拳銃。


 どの動きにも、躊躇がない。

 それは長年積み重ねた技術。


 (ブレイカーⅡ型……旧世代のM870型ショットガンを軽量化、連射化、火力増幅させたF01専用武器……これを“作った”のは、あの頃自由連合の俺たちだ)


 バルトの胸の奥で、言葉にならない感情が渦を巻く。

 だが、それを表に出すことはなかった。


「一週間ほど、時間をください」


 クラリスはすぐに頷いた。


「お願いいたします」


 バルトは深く一礼し、静かに部屋を後にした。

 ヘルマンとミレイユも後に続いた。

 


 扉が閉まる。


 室内には、わずかな静けさが戻った。


 その静けさの中で、クラリスは立ったまま動かなかった。

 肩が、ほんの少しだけ落ちている。


 カレンは、その背中を見ていた。


 クラリスは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 両手を膝の上に置く。

 力を入れすぎないように、意識して指を緩める。


「……カレン」


 小さな呼びかけ。


「わたくし……少しだけ、話してもよろしいですか」


 カレンは一息置いて頷く。


「……はい」


 クラリスは、窓の外を見た。

 境界線都市の空。

 無関心な色。


「怖いのです」


 その言葉には、飾り気がなかった。

 声を強めることも、取り繕うこともなく、ただ事実として、静かに零れ落ちた本心。


「父上とお母さま、お姉さまを失いました。家も、名前も……すべてが崩れました」


 静かに続ける。


「黒系会派が、何を考えているのか。わたくしたちが、正しい道を歩いているのか……」


 一度、言葉が途切れる。


「――分からなくなる時があります」


 その瞬間、涙が一粒、膝に落ちた。


 音はしない。

 ただ、落ちる。


 カレンは動けなかった。

 反応できない。

 命令ではない。

 任務でもない。


 だが。


 その涙を見た瞬間――


 カレンの指先が、ごく僅かに揺れた。


 本人にも分からないほどの、微細な動き。

 制御不能な反応。


 クラリスは気づかなかったが、その揺れは、確かに存在した。


「……それでも」


 クラリスは顔を上げる。


「あなたが、そばにいてくださる。それだけで……前を向けるのです」


 ゆっくりと言葉を選び、やわらかい笑みをカレンに向けた。

 今にも崩れそうなその瞳で、気丈に続ける。


「あなたがわたくしを守ってくださるのは嬉しいのです。しかしその度に、ファントム・ワンと呼ばれ、戦場を恐怖に陥れたDOLLに戻ってしまうのではないかと思うと……」


 その言葉の途中で、涙が溢れた。


「……情けないですね」


 自嘲するように呟き、首を振る。


「それでも、言わせてください」


 一拍。


 クラリスは顔を上げ、まっすぐに告げる。


「あなたは、わたくしの“カレン”です」


 カレンは、真正面からクラリスを見た。

 

 逃げない。

 視線を逸らさない。


 胸の奥で、何かがゆっくりと定まっていく。


「……はい、お嬢様。わたしは、DOLLではありません。クラリスお嬢様のメイドです」


 短く、静かな声。


 それは、初めて自分の意思で選んだ言葉だった。


 

 その日から、一週間が過ぎた。

 

 ミレイユはこの間、宿を閉め、ヘルマンとともに情報収集に奔走した。

 宿からは、工具の音だけが響いていた。


 バルトからの報告は簡潔で、余計な言葉はなかった。


「すべて、最高の状態です」


 外装を磨き上げられた武器が机の上に並べられている。


 ミレイユは腕を組み、低い声で告げる。


「あんたら、国家への反逆者として手配されてるよ。この街を出たら……ただの逃亡犯だ。ホントにいくのかい?」


 クラリスは頷いた。


「承知しております」


 迷いはない。


 夜。


 クラリスは窓辺に立ち、遠くを見つめた。


 窓の外では、メル・シェードの夜が静かに息をしていた。

 蒸気の音と、人の気配。

 それらが混ざり合い、遠くでひとつの街を形づくっている。


 クラリスは、しばらくその光景を見つめていた。

 もはや祈りでも、誓いでもない。

 ただ、受け入れるように。


「……準備をしましょう、カレン」


 カレンは一拍置いてから、はっきりと頷いた。


「はい。お嬢様」


 その返答には、もう迷いはなかった。


 この街を出れば、待っているのは“選択”ではなく“対峙”。



 夜の静けさの中で、互いの存在を確かめ合う。

 言葉を交わさずとも、視線を向けずとも、二人の意思がそこにあった。



第2章 了


(第3章 第21話へつづく)

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