悪役令嬢の凶器はドス黒い鈍器です
月館望男
【第1部】爆誕・悪役令嬢編 ~病弱な前世から転生したので、自由な体で「悪役」を目指します~
第1話 序章の序章:彼女が「悪役」と呼ばれる理由
帝都の貴族院にある、巨大な屋内訓練場。
その中央に設けられた闘技場の、石畳の冷たさを革靴の底越しに感じながら、わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは、ゆっくりと息を吐いた。
肺から押し出された空気が、熱気となって目の前で白く揺らぐ。
わたしは、観客席を見上げた。
吹き抜けになった二階、三階のバルコニーには、この学園の生徒たちが鈴なりになっている。
普段は優雅に紅茶を傾け、詩や芸術について語らっている令嬢たちも、今日ばかりは扇子を畳み、身を乗り出して眼下の「見世物」に熱視線を送っている。
男子生徒たちに至っては、どちらが勝つかで賭けを始めている者さえいるようだ。
彼らの視線に含まれる感情は、大きく分けて二つだ。
一つは、辺境から来た「野蛮な田舎娘」が、身の程知らずにも騒ぎを起こしたことへの侮蔑と嘲笑。
彼らにとって、ヴィータヴェン辺境伯家の人間は、魔物相手に泥臭い戦いをする、洗練されていない存在なのだ。
もう一つは、退屈な学園生活に突如として現れた、刺激的な非日常のイベントに対する、物見高い好奇心。
探せば、ひょっとしたらわたしの味方についてくれる人もいるのかもしれない。
例えば、同じように地方出身で肩身の狭い思いをしている生徒や、わたしの(猫を被った)外面の良さに騙されている一部の同級生たちだとか。
けれど。
「……まぁ、別に」
そんな奇特な存在が今のわたしに必要かと問われれば、答えは否だ。
観客は多ければ多いほどいい。
彼らの向ける感情が、たとえ全員からの敵意であったとしても構わない。
むしろ、その方が燃える。
わたしは視線を戻し、対角線上に立つ人物を見据えた。
燃えるような赤い髪を短く刈り込んだ、伯爵家の令息。
騎士科に所属する彼は、その髪色と同じくらい情熱的で、正義感に溢れている(と本人は信じている)青年だ。
整った顔立ちだが、今は怒りと使命感で歪んでいる。
彼は、我こそは正義だといわんばかりに瞳を燃やし、わたしを睨みつけている。
とはいえ随分と余裕そうだ。
辺境の、それも女相手の決闘など、騎士科のエリートである自分にとっては朝飯前だとでも思っているのだろう。
傲慢な悪役令嬢を、正義の鉄槌で懲らしめてやろうという意志が、その視線から痛いほど伝わってくる。
まったく、傲慢なのはどちらの方なのか。
「……両者、準備は良いか!」
立会人となった教師の声が騒がしげな闘技場に響くと、一瞬にして静寂が訪れた。
さすがに生徒同士の決闘で人死にを出すわけにはいかないということなのだろう、教師が手をかざすと、闘技場の周囲に幾重もの光の層が現れる。
まず、観客席への被害を防ぐための強固な外殻、「守護結界」。
続いて、わたしと赤毛の彼を閉じ込めるように、内側の「防護結界」が低い唸りを上げて起動した。
(……なるほど、多重結界か。用意周到なことね)
この内側の防護結界が機能している限り、命に関わるような致命的なダメージや傷は無効化される仕組みだ。
つまり、この決闘の決着は、相手に自らの口で降参を認めさせるか、明らかに戦意を喪失させるか、あるいは物理的に戦闘続行不可能な状態に追い込むしかない。
「死ぬことはない」という安全装置。
それは、彼らにとっては「安心して全力を出せる」保証だろうが、わたしにとっては別の意味を持つ。
「手加減なしの『本物』で殴っても、『やりすぎ』で失格にはならない」という、最高のルール設定だ。
「来い、我が魂の刃! ――『
結界展開の完了を合図に、赤い髪の令息が叫んだ。
彼の手の中に、炎のように揺らめく赤い魔力の光が集束し、一振りの美しい長剣が顕現する。
柄には精巧な獅子の彫刻が施され、刀身は熱を帯びて赤く輝いている。
この世界には、「
それはいわば、持ち主の魂の形の具現化だ。
自身の魔法属性や魔力、最も得意とする戦闘スタイルに適した、世界で唯一の「もっとも使いやすい武装」として象られることが多い。
例えば、彼のように炎を纏う獅子の魔剣であったり、あるいは光を放つ白銀の聖剣、雷撃を呼ぶ大槌、魔力を増幅させる神樹の杖――そういった、華々しく強力な武器となるのが一般的だ。
観客席から「おお……」と感嘆の声が漏れる。
「あれが炎獅子の命具か」「さすがは騎士科の有望株だ」そんな称賛の声が聞こえてくる。
わたしは、もう一度、小さく息を吐いた。
そして、足元に伸びる自身の影を見つめる。
一般的な「命具」は、魔力によって構成された魂の具現化だ。
けれど、わたしのは違う。
極寒の地で見つけ、ドワーフの秘法とわたしの魂(魔力)を注ぎ込んで焼き直した、世界で唯一の実存する「物質」。
それを、影の亜空間「暗闇の間」から呼び戻す。
(来なさい。わたしの、最高の相棒)
わたしは右手を、足元の影の中へと沈めた。
ズブブ……と、底なし沼のような感触。その奥にある、絶対的な質量と冷たさを鷲掴みにする。
そして、一気に引き抜いた。
ズヌゥッ……。
影からせり上がってきたのは、彼のような華々しい剣でも、優雅な杖でもない。
魔力的な輝きなど微塵もない。むしろ、周囲の光を貪欲に吸い込むような、深淵の黒。
無骨で、冷たく、どこにでもあるようで、しかしこの世界のどこにもない。
ドワーフのロストテクノロジー「
わたしはいつものアレ――わたしが心の中で密かに『漆黒の玉座』と呼んでいる、わたしの「
ガチャリ、と重苦しい駆動音を立てて、その鉄塊が展開し、本来あるべき姿へと組み上がる。
命具の召喚を見届けるべく静まり返っていた闘技場が、先ほどとは違う種類のざわめきに包まれた。
私の命具を初めて見る人達からだろうか、困惑の声が伝わってきた。
「あれは何だ?」「盾か……?」「まさか、あれが武器なのか?」
「いや待て、あの質感……ただの魔力構成体じゃないぞ?」
嘲笑と疑問が入り混じったヒソヒソ声。
無理もない。彼らの常識的な「武装」の範疇に、これは存在しないのだから。
だが、今は気にしている場合ではない。
いや、むしろ好都合だ。
彼らの困惑は、やがて熱狂へと変わる燃料となる。
立会人が結界から出た。あとは開始の合図を待つだけだ。
張り詰めた空気の中、対面の赤毛の令息の息遣いが聞こえる気がする。
彼の視線が、わたしの持つ、得体の知れない金属の塊に釘付けになっている。
わたしは、対面の「正義の味方」に向かって、ニヤリと笑って見せた。
これまで鏡の前で何度も練習してきた、最高の「悪役」の笑みで。
(さぁ、見せてあげるわ。辺境の「作法」を)
開始の合図が鳴る前の、ほんの数秒の静寂。
心臓が高鳴る。血が沸き立つ。
この感覚だ。前世の病室で、画面越しに憧れ続けた、生の躍動。
さぁ、ここからはじめよう。
誰にも縛られない、わたしの「悪役」令嬢人生を――。
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