第56話 檻の中の戦場

 螺旋状の階段を駆け下りてくるのは、獣王傭兵団の団員と、解放された囚人たちだった。

 囚人たちは看守から奪った棒切れや鉄片を振りかざしているが、異端審問官の三人にとっては脅威にもならない。


「――矢の形になりて。飛べ。貫け燃えろ」


 セラフィナの声は冷たく、淡々としていた。


「火の矢『炎貫』」


 幾何学模様の魔法陣が展開され、そこから一本の火の矢が形成される。

 次の瞬間、火の矢は火の粉を散らしながら一直線に放たれた。


 囚人の胸を貫き、そのまま後方にいた傭兵の肩口で止まる。

 刹那、炎が噴き上がった。


「ぎぁあああっ! 熱い! 誰か、誰か助けろ!」


 悲鳴が響く。


「――五人隊!」


 即座に怒号が飛ぶ。


「盾持ち前へ! 陣形を組め! 残りの五人隊は装填開始! 魔法使い、防壁展開!」


 百人隊長の一人が、迷いなく命令を下した。

 単なる賊ではない。


 強敵と判断した瞬間の対応が、明らかに軍のそれだった。


 傭兵団は瞬時に動く。


 一方、取り残された囚人たちは状況を理解できず、異端審問官たちへと雪崩れ込む。


 ――結果は、一方的だった。


 エルディオの剣が閃き、

 グレオンの斧が唸る。


 命は、淡々と刈り取られていく。


「気をつけろ」


 エルディオが低く告げる。


「単なる賊じゃない。……やつら、軍の動きをしている」


「……ああ」


 グレオンは短く応じ、両刃の斧を肩に担いだまま一歩前に出た。


 下層へと続く道は、この階段しかない。

 一直線。

 防御側にとって、これ以上ない地形だ。


「連弩狙えっ、発射っ!」


 盾の上から、無数の矢が放たれる。


 連弩――

 改良された携帯式のボウガンで、連射機構を備えた兵器だ。


 グレオンは斧を大きく振り回す。

 刃が円を描き、飛来する矢を次々と弾き落とした。


 金属音が連なり、火花が散る。


「ウオオオオッ!」


 グレオンが正面の盾兵の集団へと踏み込む。

 一歩。そして、剛力による一撃。


 振り下ろされた両刃の斧が、魔法防壁と五人一組で組まれた盾の陣形に直撃した。


 ――砕けた。


 魔力の膜がひび割れ、次の瞬間、粉々に弾け飛ぶ。

 盾ごと、陣形ごと、まとめて吹き飛ばされ、傭兵たちの身体が宙を舞った。


「ぐあああっ!」


「ぎゃっ……!」


 階段に叩きつけられた者、下へと転げ落ちていく者。


 防御として成立していた“形”が、一撃で消失する。


「突破されたぞ! 防壁はどうした!」


「防壁は――攻撃を受け過ぎています! これ以上、維持できません!」


 叫び終えるより早く、先頭集団を覆っていた防壁は完全に消え失せた。


 その瞬間を逃さず、エルディオが踏み込む。

 剣が閃き、喉を裂き、心臓を貫く。


 グレオンは止まらない。

 斧を振るい、身体ごと押し潰し、階段を血で染めていく。


「増援を呼べ! 何としても下層への活路を開け!」


 傭兵たちは次々と投入され、階段は人で埋まっていく。

 屍を踏み越え、さらに前へ。


 だが、数が違う。押し寄せる波は途切れない。


 いかに異端審問官といえど、斬り伏せ、砕き、焼き払いながら、食い止めるだけで精一杯になり始めていた。


「エルディオ、グレオン、退いて! 一発お見舞いするわ!」


「!? セラフィナ、まさか……ここで使うつもりか!?」


 エルディオは瞬時に察した。


「グレオン、逃げるぞ!」


「……逃げると言っても、降りるしか道はない」


「いいから走れ!」


 セラフィナは、すでに詠唱の終端に入っていた。

 エルディオの目には、床に展開される巨大な魔法陣がはっきりと映る。


(広域殲滅……)


 ここで放てば、敵味方の区別など存在しない。

 巻き込まれれば、生き残る保証はない。


「――渦巻け螺旋、燃やせ空を。炎獄の風『火炎旋風』」


 次の瞬間、炎が吼えた。


 螺旋を描く炎の竜巻が階段を満たし、すべてを引きずり込む。

 獣人傭兵、解放された囚人、瓦礫、武器。存在したものすべてが、炎に呑まれて消えていった。


 数百はいたはずの獣王傭兵団の影が、跡形もなく消失する。


 辛うじて逃れた者も、熱波に焼かれ、悲鳴を上げながら倒れていく。


 エルディオとグレオンは、空いていた牢へ飛び込み、即座に魔法障壁を展開した。

 灼熱が壁を叩き、空気が歪む。


「……無茶苦茶だ」


 エルディオが、息を荒くしながら吐き捨てる。


「これでは、無関係な者まで巻き込まれている」


「……この状況で、無関係かどうかを判断するのは難しい」


 グレオンの声は低く、重かった。

 理屈としては正しい。だが、正しいからこそ、後味が悪い。


 エルディオは歯を食いしばる。


(連発できる魔法じゃない……)


 あの規模の殲滅魔法は切り札だ。

 だが、敵をすべて排除できたわけではない。


 この監獄塔の階段は狭い。

 一度に投入できる人数には限りがある。

 敵の総戦力も把握できていない。


(悪手だ……)


 本来ならここで耐え、時間を稼ぎ、援軍を待つべきだった。

 あるいは――下層にいる拷問神官ネハルの判断を仰ぐべきだった。


 だが、もう後戻りはできない。


 炎が消えた後に残ったのは、静寂と、焦げた匂い、そして、さらに深まった混沌だけだった。


「二人とも無事?」


「見てわかるだろう。死にかけた」


「なら無事ね。敵の増援が来たわ。でも、さっきの魔法で警戒したのか、動きが鈍っている」


「侵攻が少しでも遅れるのは助かる。しかし……これからどうする」


「ネハル拷問神官と合流すべきよ。彼なら、あいつらをどうにかできるわ」


「……簡単じゃない。物量で押されたら、必ずこちらが潰される。そもそもネハル拷問神官は、聖女様と儀式の最中だ。邪魔は許されない」


「今、そんなことを言っている場合じゃ――」


 視界の端で、何かが高速で落下していくのが見えた。

 続けざまに、二つ、三つ。影は次々と下層へ吸い込まれていく。


 最初は、上層で斬り捨てられた死体が転げ落ちたのだと思った。

 だが次の瞬間、それが死体ではないと理解する。


 翼だ。


 鳥だった。正確には、鳥獣人。羽を畳み、重力に身を預けるようにして、一気に下層へと滑り落ちていったのだ。


「くそっ……やられた!」


 エルディオたちは即座に牢から飛び出そうとした。

 だが階段からは既に傭兵たちが押し寄せてきている。


 さらに、中央の吹き抜け空間。

 そこでは鳥獣人たちが空中に布陣し、弓矢や槍を構えていた。


 上下を取られ、退路も射線も封じられる。

 地理的に、圧倒的な不利。


 そして、さらに大きな影が降りてきた。

 鳥……いや、違う。あれは魔物だ。


 怪鳥グリフォン。

 鳥の頭部に、獅子の胴体を持つ凶暴な飛行魔獣。その巨体が羽ばたくたび、空気が重く揺れる。


 その背に跨っているのは、灰色の毛並みを持つ狼獣人だった。

 肩から背にかけて筋肉が盛り上がり、背負った大剣は人の身長を優に超えている。


「……獣人傭兵団の団長、ベルク=ドレッドノート」


 その姿を見たエルディオがベルクの名を漏らす。


「進みが悪いと思えば、炎が噴き出してきやがる。どんな化け物がいるのかと思ったら……異端審問官のトップ三人かよ。なんで監獄塔なんかにいやがる」


 ベルクは愉快そうに牙を見せ、エルディオたちを見下ろした。


「予想はしていたが、貴様らの狙いは下層の元団長、タイガー=ブラッドファングだな」


 エルディオからタイガーの名前が出ると、ベルクはニヤリと笑う。


「うちのお頭はまだ元気か? 本当は内側から崩して、静かに助け出す予定だったんだがよ」


 異端審問官から視線を逸らし、下層を覗き込む。


「まあいい。今はお前らと遊んでる暇はねぇ」


 グリフォンが低く唸り、強く羽ばたくと突然、強風が異端審問官の三人を襲い、三人は壁側に叩きつけられた。


「そこで大人しく、壁に張り付いてろ」


 ベルクはそう言い放つと、グリフォンと共に下層へと降りて行った。


 

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