第55話 突入、獣王傭兵団
聖女ソルフィーユが、拷問神官ネハル=ロスティアと共に部屋の奥へ消えてから、すでに丸一日経過していた。
扉の向こうで何が行われているのか、異端審問官の三人には知る術がない。
その沈黙に、最も強く不満を滲ませていたのは、セラフィナ=ヴァルクだった。
「……遅いわね。いつまで待たせるつもりなの」
「落ち着いて。儀式なんだ、終わりが決まっているとは限らない」
エルディオは宥めるように言う。
「もしかしたら、何日もかかるかもしれない」
「それは分かってる。でも――」
セラフィナは言葉を切り、苛立ちを隠そうともせずに続けた。
「あの聖女、何かがおかしいのよ。数年前に一度だけ見たことがあるけど……表情も雰囲気も、まるで別人。違和感を感じない?」
「僕は彼女のことをよく知らないから、なんとも言えないな」
エルディオは少し考え込み、隣に視線を向ける。
「グレオンはどう思う?」
「……興味ない」
「はあ……」
セラフィナは深く息を吐いた。
「こんな場所、一秒でも早く出たいのに」
「ここにいるだけで、殺気が飛んでくるからね」
「牢の外に出てきたら、全部解体できるのに」
物騒な一言に、エルディオは肩をすくめる。
「……上が、少し騒がしいな」
「何かあったのかしら?」
「様子を見てくるよ」
「……俺も行く」
「はぁ? 私を一人置いていくつもり? 私も行くわ」
どうやら、監獄塔の上部で何かが起きているらしい。
異端審問官の三人は、いつ終わるとも知れない儀式を待ち続けるよりも、まず状況を確認すべく、階段を上がり始めた。
――異端審問官が姿が見えなくなると、一際殺気を放つ牢獄の中から大きな影が揺らりと動く。
「……やっと来たか。待ちわびたぜ」
▽
監獄塔の城門と防壁は無残にも破壊され、数百――いや、千を超える武装集団がなだれ込んでいた。
外壁の外には破城槌、カタパルト、梯子が並び、攻城戦を前提とした編成であることは一目で分かる。
防壁が無効化された今、突破されたことは誰の目にも明らかだった。
「抵抗する奴は皆殺しだ! 牢にいる連中は解き放て! 戦力として使え!」
怒号が戦場を走る。
「この戦で武功を立てた者は、百人隊でも千人隊でも昇格させてやる! 気張っていけ!」
「「おおっ!」」
指揮を執るのは、獣王傭兵団団長――ベルク=ドレッドノート。
(ちっ……ナスターの野郎は行方不明のままか。計画は狂ったが、やることは同じだ。このまま『お頭』を救い出す)
傭兵団は獣人や人族の混合で構成され、複数の傭兵団組み合わさり、一つの軍として機能している。
今回の戦場、身体能力で劣る人族兵では、正面から抗うのは難しい。実際、監獄塔を守る兵士の多くは人族であり、力押しに押し込まれ始めていた。
だが、監獄塔側も黙ってはいない。
ここには血の気の多い重犯罪者が数多く収容されている。
それを抑え込むため、守備側も精鋭を配置していた。
「傭兵風情が、聖庁直下の監獄塔に手を出すとは……」
低く響く声。
「貴様ら全員、絞首刑か火炙りだ! 覚悟しろ!」
全身をフルプレートアーマーで覆った大男が、戦鎚を掲げて獣王傭兵団の前に立ちはだかる。
「囲め! 一気にやっちまえ!」
「オラァッ!」
「死ねぇ!」
次の瞬間、轟音。
振り下ろされた戦鎚が直撃した傭兵は、まるでボロ布のように砕け散り、血肉と臓物を撒き散らした。
「ひっ……ば、化物だ……!」
戦場の空気が、一気に冷える。
――その流れを、地鳴りのような雄叫びが引き裂いた。
「オオオオォォォォォンンンッッッッ!」
獣王傭兵団団長、ベルク=ドレッドノートの咆哮だった。
灰色の毛並みを持つ狼獣人。
継ぎ接ぎの金属鎧を身に纏い、ベルクは部下たちをかき分け、フルプレートの男の前へ進み出る。
「ったくよ……腰抜け共め」
獰猛な笑みを浮かべる。
「このベルク様が相手になってやる」
「貴様……その名、知っているぞ」
大男が一歩踏み出す。
「獣王傭兵団の切り込み隊長――“裂陣ベルク”だな! 我が名は、元聖騎士、現・監獄騎士!ダリタリアン=マグリアスだ!」
戦鎚を構え、名乗りを上げた。
「相手に不足なし! 一騎打ちを望む!」
「俺の昔の通名を知ってるとはな。どこかの戦場にいたのか?」
ベルクは肩をすくめる。
「いいだろう。相手になってやる」
互いに名を名乗った瞬間、戦場の喧騒が嘘のように遠のいた。
ダリタリアン=マグリアスは、戦鎚を正面に構える。その姿勢に隙はない。長年、監獄塔を守り続けてきた者の重みがあった。
ベルクは、低く笑った。
「いい構えだ。だが――」
次の瞬間、地面が爆ぜた。
ベルクの脚力は、人族のそれを完全に超えていた。
距離など存在しない。踏み込んだ一歩で、すでに懐。
「――遅い」
ガキィィンッ!!
戦鎚と、ベルクの大剣が正面からぶつかる。
だが拮抗は一瞬だった。
金属が悲鳴を上げ、ダリタリアンの腕が弾かれ、踏ん張った足元の石畳が砕け、身体が半歩沈む。
「ぬっ……!」
反撃のために戦鎚を引き戻そうとした、その瞬間。ベルクの膝が、腹部に突き刺さった。
「がっ……!」
フルプレートの内側で、空気が潰れる音がした。
ダリタリアンの身体が宙を舞い、数メートル先に叩きつけられる。
だが、彼は立ち上がった。
「まだだ……!」
血を吐きながら、戦鎚を握り直す。
その姿に、周囲の兵士たちが息を呑む。
「ほう……」
ベルクは感心したように唸る。
「流石は監獄騎士だ。だが――」
次は、容赦がなかった。
正面から、真正面から、叩き潰す。
技巧も駆け引きもない。
ただ、圧倒的な質量と殺意。
剣が振るわれるたび、フルプレートが凹み、骨が砕け、肉が潰れる。
「ぐっ……ぁ……!」
一撃。
二撃。
三撃。
戦鎚が地面に転がり落ちた。
「終わりだ」
ベルクの剣が、肩口から斜めに振り下ろされる。
鈍い音。
フルプレートごと、ダリタリアンの身体が地面に叩き伏せられた。
鎧は裂け、内側から赤黒い血が滲み出る。
ベルクは倒れた男を見下ろす。
「守るだけの力じゃ、戦場じゃ足りねぇ」
そう言い捨てると、剣を引き抜いた。
周囲は静まり返っていた。
つい先ほどまで勢いを取り戻しかけていた監獄塔勢は、言葉を失う。
ベルクが振り返る。
「行くぞ。道は開いた」
その声に獣王傭兵団が再び吼えた。
戦場は完全に傭兵側へと傾き、大勢の傭兵たちが、監獄塔の内部に雪崩込んだ。
「囚人共をどんどん解放しろ! 戦えなくても囮にはなる!」
怒号と共に牢が破壊され、鎖が引き千切られる。看守たちは抵抗する間もなく斬り伏せられ、その場で命を落とした。
殺戮が監獄塔の内側で始まると、血が霧となって舞い、やがて雨のように下層へと降り注ぐ。
鉄と血と悲鳴が混じり合い、塔そのものが呻いているかのようだった。
「……これは」
その光景を目にしたエルディオは、言葉を失う。
監獄塔は、罪を償いきれない者たちを隔離し、時間をかけて裁くための場所だ。救いはなくとも、秩序だけは保たれていた“最後の檻”。
それを土足で踏み荒らし、道具のように命を使い捨てる。
怒りはあった。
だがそれ以上に、胸の奥で何かが冷え切っていく感覚があった。
――理解したのだ。
この者たちは、裁く対象ではない。
存在そのものが、秩序への挑戦だと。
「……セラフィナ、グレオン」
エルディオの声は低く、感情が削ぎ落とされている。
「奴らを下層へ行かせるな」
「了解」
即答したセラフィナの瞳には、もはや苛立ちも疑念もなかった。あるのは、処理対象を見据える冷たい光だけだ。
「了解だ」
グレオンは短く応じ、無言で武器を握り直す。
次の瞬間、巨体が前へと踏み出した。
三人の間に、言葉は必要なかった。
これは戦闘ではない。
断罪だ。
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