第45話 支配と拒絶の夜

 最初に動いたのは、ドラゴニュートだった。


 床を蹴る音が爆ぜ、巨体が弾丸のように突進してくる。


「――来ます!」


 リュミエルは叫ぶより早く、前に踏み出していた。


 手にあるのは細身の装飾剣は、本来は舞踏会で帯びる護身用の剣だ。受け止めるための武器ではない。


 だが、今はそれしかない。


 ドラゴニュートの拳が振り抜かれる。

 刃を振るうでも、構えるでもない。


 ただ殴る。


「っ――!」


 剣で受けるという選択肢はなかった。

 刃ごと折られる。


 リュミエルは身体を捻り、衝撃を流す。

 それでも、拳の余波だけで胸が潰される。


 息が詰まり、肺の空気が一気に吐き出された。


 床を滑り、数歩下がる。

 それでも剣は下げない。


 ドラゴニュートは止まらない。

 次の一歩で距離を詰め、今度は肘を叩き込むと空気が鳴る。


 リュミエルは両腕で受ける。

 衝撃が全身を貫き、膝が砕けそうになる。


「……っ、重い……」


 装飾剣が震える。

 この剣で斬れる相手ではない。


 だが――


 後ろには、ソルフィーユがいる。

 退けるつもりはない。


 ドラゴニュートの蹴りが容赦なく放たれる。

 回避は間に合わないと、咄嗟に判断したリュミエルは前に出た。


 肩で受けてダメージを軽減させるが、鈍い音が肩から頭に響く。

 それでもリュミエルは歯を食いしばり、立っていた。


「あなたは……兵器じゃない」


 届かないと分かっている言葉を口にする。


 ドラゴニュートの瞳は虚ろだ。

 怒りも誇りもない。


 首元に刻まれた魔法陣だけが淡く脈打っており、命令がある限り止まらない。


 このままでは、押し切られる。

 それでも――。


 リュミエルは剣を握り直した。


 飾りだけの細い剣。頼りない刃。


 勝つための武器ではない。

 この剣に込められたものは、時間を稼ぐための意志だ。


 ドラゴニュートの猛攻は止まらない。

 拳、肘、蹴り。

 ひとつひとつが、命を奪うための打撃だった。


 だが、リュミエルはもう押されてはいなかった。


 踏み込みの瞬間を読む。

 床が鳴る前、鱗が軋む前。


 一瞬の呼吸だ。


 ドラゴニュートが息を吸うその刹那。

 リュミエルは半歩だけ前に出た。


 剣を振るわない。その代わりに刃を相手の関節の可動域に差し込む。


 拳がわずかに逸れる。


 それだけでいい。


 衝撃は来る。だが、致命ではない。


「……!」


 ドラゴニュートが初めて、わずかに体勢を崩した。


 リュミエルは追わない。

 代わりに、床を蹴って位置を変える。


 檻。

 柱。

 観客席へと続く通路。


 ――私だけを見ろ。


 聖騎士は、前に出て敵を斬る者ではない。

 守るべき線を引き、越えさせない者だ。


 ドラゴニュートが唸り声を上げる。

 命令に逆らえない身体が、苛立ちを発散するように地面を叩く。


 その腕にリュミエルは一瞬だけ刃を走らせた。


 浅い。だが、確かに届いた。


 鱗の隙間。

 筋肉の流れ。


「……あなたはこんなにも強い」


 息を整えながら、リュミエルは告げる。


「だからこそ……操られるべきじゃない」


 ドラゴニュートの瞳が、わずかに揺れた。


 ほんの一瞬。命令とは違う“何か”が、そこに浮かぶ。

 次の瞬間、首元の魔法陣が強く光り、理性を塗り潰す。


 咆哮。

 床が割れるほどの踏み込み。


 それでも、リュミエルは退かなかった。


 剣は細い。鎧もない。


 それでも彼女は立っている。


 これが聖騎士の戦い方だ。


 倒すためではない。

 守り切るための戦い。


 だが――

 その均衡を、外側から壊す者がいる。


 別の足音が戦場に重なった。


 鎖を引きちぎり、ぶら下げたまま割って入って来たのは、雷光のバルバトス=ジークフリードだった。


 金属が床を叩く重い音。

 それだけで空気が変わる。


「トカゲ野郎、どけ」


 低く、苛立ちを含んだ声。

 一撃でドラゴニュートを突き飛ばす。


「……お前じゃ、相手にならん」


 次の瞬間、バルバトスの腕が伸びた。


 殴る――

 その一言で片付けていい動きではない。


 踏み込み、体重移動、肩の回転。

 戦場で磨かれた、無駄のない一撃。


 リュミエルは咄嗟に身を引いた。


 拳は顔をかすめ、代わりにドレスの裾を裂く。

 布が破け、その下に仕込まれていた鎖帷子が鈍く光を反射した。


「……っ!」


 隙は一瞬。


 リュミエルは即座に踏み込み、剣を振り下ろす。


「ハッ!」


 刃は、確かに当たった。

 バルバトスの胸元を切り裂く。


 だが――浅い。


 皮膚を割っただけで、筋肉に届いていない。


「……今のは良い判断だ」


 バルバトスはそう呟き、次の瞬間にはもう拳が来ている。


 速い。ドラゴニュートとは質が違う。


 リュミエルは剣で逸らそうとしたが、力の方向が違った。拳は刃を弾き、肩に叩き込まれる。


 衝撃。


 視界が揺れ、足が浮く。


「――っ!」


 だが、致命の一撃ではない。


 バルバトスは追撃せず、体勢を崩したリュミエルの肩口を掴むと、そのまま投げた。


 力任せではない。戦場で何度も使われた、確実に“排除する”投げだ。


 身体が宙を舞い、壁を突き破る。

 石材が砕け、観客席側へと吹き飛ばされる。

 床を転がり、数回跳ねて、ようやく止まる。


 呼吸が荒い。

 痛みが遅れてやって来る。


 それでも生きている。

 剣も手放していない。


 バルバトスは、こちらをじっと見ている。


 興味を失ったようにため息を吐くと、次の“脅威”へと意識を向けている。


 それが、何を意味するのか。

 リュミエルには、はっきりと分かった。


 ――私は、戦線から外された。


 殺す価値はない。だが、放置するほど甘くもない。それが、元Aランク冒険者の判断。


 リュミエルは、歯を食いしばり、立ち上がろうとした。


 まだ、終わっていない。終わらせない。リュミエルは咆哮をあげ、装飾剣を構えた。


 ▽


 背後で、金属と肉がぶつかる鈍い音が響いている。

 ドラゴニュートの咆哮。

 バルバトスの重い足音。


 だが、私の意識はそこに向かなかった。


「……お見事ねぇ」


 ナスター=ヘスペリアは、血と悲鳴の中で、場違いなほど穏やかに言った。


「聖騎士に、あの怪物を引き受けさせる判断。感情ではなく、最適解で動いているって素晴らしいわ。あの駒、欲しくなるわぁ」


 私は歩みを止め、ナスターと向き合う。

 距離は、数歩。互いに刃を届かせられる距離だ。


「褒め言葉として受け取っておきましょう」


「そうしてくださいね。事実だから」


 ナスターは視線を外し、檻の中のハイエルフの子供へ向けた。


「君は、すでに理解しているはず。この子は“完成形”だと」


 胸の奥が、冷える。


「長命種。高い魔力適性。そして、まだ何も知らない」


 その言葉に、私は一歩だけ前に出た。


「それ以上、近づかないでください」


 ナスターはこちらを見て、薄く笑った。


「命令? それともお願いかしら?」


 答えずに私は言葉を重ねる。


「あなたは契約を“力”だと思っている。縛り、歪め、作り変える力だと」


「違うの?」


「ええ。契約は“合意”です。少なくとも、そうでなければならない」


 ナスターの口元が、僅かに歪む。


「理想論ね。世界は、そんなに優しくないの」


「だから、壊れている」


 その一言に、空気が張り詰めた。


 ナスターの背後で、アルシェが微かに身じろぐ。 


 精霊の気配が乱れる。


「……君は危険。でもやっぱり欲しくなるな〜」


 ナスターは、低く言った。


「私は、あなたの支配を受けない。これ以上、理不尽な支配は許されない。――すべての奴隷は、自由であるべきだ」


 ナスターの表情に変化が起きる。


「解放の聖女の言葉と同じね……。それは滅亡への道だと知ってて言ってるのかな?」


「その聖女について詳しくは知らないが、同じようにはならない」


 視線を逸らさない。


「ナスター、お前は道具として“支配”を選んだ」


 ナスターは何も言わなかった。

 だが、その沈黙が肯定だった。


 背後で、壁が砕ける音がする。

 リュミエルが、戦線から弾き出されたのだと、理解する。


 ――時間は、使い切った。


 私は、深く息を吸った。


「ナスター=ヘスペリア」


 名をはっきり呼ぶ。


「この場で、その契約は結ばせない」


 ナスターは、ゆっくりと手を広げた。


「では止めてみせてくださいな。聖女ソルフィーユ」


 その瞬間、アルシェの指先が、ソルフィーユに向けられた。

 

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