7日後の約束
南條 綾
7日後の約束
今日も大学の図書館の奥、古い和紙の匂いが漂う書架の前で、いつものように彼女が立ってる。
名前も学年も知らないけど、多分三年生か院生だと思う。
年齢は私とそれほど変わらないはずなのに、なんだか、どうしても近づけない気がしていた。
黒髪を肩の少し下まで伸ばしてて、白いシャツに紺のスカート。
いつも同じ服装で、周りの空気とは違って、なんだか浮世離れした雰囲気をまとってる感じ。
図書館の蛍光灯の下でも、彼女の肌だけが妙に透き通って見えて、何だかそれが不思議なくらい綺麗だなぁって、思わず見惚れちゃった。
それが、私が彼女を見たときに感じた初めての感情だった。
私が探していた『枕草子』の希少本を、彼女が先に手にしていた。
棚に戻すとき、ふと私のほうを見て、かすかに微笑んだ。
その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
心臓が跳ね上がったような気がして、息を呑むことしかできなかった。
理由はわからなかったけれど、その感覚だけはよく覚えている。
それから、毎週水曜日の午後三時半、私は自然とここに足を運ぶようになった。
何かが待っているような気がして、心の中で「今日も会えるかもしれない」と、少しだけ期待していた。
彼女がこちらの方に歩いてきた。
本を探すふりをして、同じ書架の前で時間を潰しているようだった。
話しかけるチャンスだったけれど、どうしてもできなかった。
声をかけたら壊れちゃいそうで、怖かったから。
でも今日は、なんだか違う気がした。
その予感が胸の中で膨らんでいくのを感じて、何かがいつもと違うことに気づいた。
彼女が私のすぐ横に立った。
距離は五十センチもない。彼女の髪から、石けんと古い本の匂いがほんの少しして、思わず息を呑んだ。
「……これ、探してた?」
低くて柔らかな声。
差し出されたのは、私がずっと欲しかった「とりかばや物語」。
指先が触れた。
冷たかったけれど、それがなんだか心地よくて、手を離したくなかった。
「ありがとう……」
思わず声が震えて、手が少しだけ震えていた。
それでも、彼女に返した一言だった。
彼女は小さく笑って、私の手から本をそっと取り、自分の鞄にしまった。
その笑顔に、何か裏があるように感じて、私は胸の奥がざわついた。
「返却期限、来週の月曜日まで。私が借りておくね」
え?意味がわからなくて、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
「代わりに」彼女は私の耳元でささやいてきた。
その息が首筋にかかり、ぞくりと総毛立った。
「水曜日の三時半、今まで通りここに来て。」
「それで、許してあげる」
許すって、何を?
顔が熱くなる。耳まで真っ赤になっているのが自分でも理解していた。
彼女はもう歩き出してた。
背中がどんどん遠くなって行っちゃった。
振り返らず、何事もなかったかのように歩いていく姿を見て、
私はほんの少しだけ、残念だなって思ってしまった。
それでも来週の水曜日、私たちは初めてきちんと出逢う。
本を返すためじゃなくて、彼女が私を待っているから。
胸の奥が、熱くなった。
怖いのに、嬉しくて、涙が出そうで、
でもそれをどうしてもこらえきれない私がいた。
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
怖いのに、嬉しくて、涙が出そうになった。
その声で、私の名前「綾」がどんな風に響くのか、
ただそれを想像するだけで、息が詰まりそうになる。
来週まで、あと七日間。
私は本当に生き延びられるんだろうか。
壊れそうな気持ちを抱えたまま、
約束の日までをどう過ごすべきなのか、今はわからないまま。
それでもその日が来るまで、私はその気持ちを何とか持ち続けるしかないんだろう。
7日後の約束 南條 綾 @Aya_Nanjo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます