彗星の如く現れた小説家
沢 一人
「新人賞を逃した? それはきっと、ゴミ出しのせいだ。」
薄暗い部屋の中、沢は原稿用紙に向かって座っていた。
さっきまで彼は、どこにでもいる平凡なサラリーマンだった。
しかし、今は違う。
彼は「小説家」なのだ。
少なくとも、そうなることを強く願っている。
最近買ったばかりのアイデア商品、ペン先に小型ライトがついているペンを手に取り、沢は感心した。
「これは便利なものができたものだ」
何かいいアイデアはないものか? 締め切りは迫っている。
「そうだ!」
突如、閃いたアイデアに、彼は夢中になって書き始めた。
その瞬間、彼の頭上――というより、部屋全体が急に明るくなった。
「まっ、眩しいじゃねえか! 何しやがるんだ、おい!」
沢はペンを止め、光源に向かって怒鳴った。
「邪魔するな! 今、いいのが湧き出てきた所なんだ。アイデアがしぼんじゃうじゃねえか。
新人賞が取れなかったら、お前のせいだからな!」
ドヤシたてると、その光源の中心らしき所から声が返ってきた。
「お前は誰だ?」
「誰だって、新人作家の沢ってもんだ。お前こそ何者なんだ」
「私の名前は、こだまです」
沢は顔をしかめた。
「えっ、こだまでしょうか? どこかで聞いたことあるセリフだな。なに、こだまって言うんだ? まさか、金子じゃあるめえな」
「いいえ、ただのこだまです」
「そうか、只野こだまか」
沢は疲れたようにため息をついた。
「おい、只野さんよぉ。俺は今、会社から帰ってきて、やっと小説を書き始めた所なんだ。お願いだから、邪魔しないでくれるか」
「そんなことより、沢。お前はどこからやって来たんだ?」
「だから今、会社から帰ってきた所だと言っているじゃねえか! 話を聞いているのか、
バカ野郎。」
「お前は宇宙人か?」
「えっ、俺は日本人だ。もっとも、宇宙の中で生まれ育ったから宇宙人とも言えるが、普通はそうは言わないだろ。俺は日本人、地球人だ。お前こそ何者なんだ」
「私は、地球からやって来ました。小惑星探査船です。今回、不思議な天体アトラスの調査にやって参りました」
「えっ、アトラスだって?」
沢は慌てて周りを見回した。
すると、そこは薄暗い部屋ではなかった。
窓もないはずなのに、頭上には満天の星空が広がっていた。
彼の足元は、見慣れないゴツゴツとした岩のような地面だ。
「と云うことは、俺は謎の彗星アトラスの上で小説を書いていたのか? そんな馬鹿な!」
突然の信じがたい事態に、沢は頭を抱えた。
その瞬間、フッと光が消えた。
沢はハッと目を開けた。そこはやはり、いつもの自分の部屋だった。薄暗い。
目の前には、懐中電灯で彼を照らす妻の姿があった。妻は不審そうな顔をしている。
「おっ、お前は……何者だ」
妻は怪訝な顔で、手に持った懐中電灯をカチッと消した。
「何者って、あなた。いつまで起きてるの。まさか、また徹夜で小説書いてるんじゃないでしょうね。ねえ、ご飯食べる?」
沢は、疲労困憊した頭で考えた。
小惑星探査船こだま。彗星アトラス。そして、今目の前にいる、懐中電灯を持った妻。
俺は、まだ夢の中にいるのだろうか?
「いや、いい」
沢は、ペン先のライトをつけ、再び原稿用紙に向き直った。
妻は、床に置いたままの懐中電灯を、まるで危険な道具のようにちらりと見てから、ため息をついた。
「また徹夜でしょう。ねえ、いつになったら普通の生活に戻るの?」
「普通の生活だと?」
沢はペンを握ったまま、顔だけを妻に向けた。 その瞳は、まだ宇宙の暗闇を宿しているようだった。
「俺は彗星アトラスの上で小説を書いていたんだ。それを邪魔しに来たのは、お前なんだぞ」
妻は首を傾げた。
「彗星アトラス? 何を言ってるの。頭でも打ったの?」
「こだま!」沢は声を荒げた。
「俺にスポットライトを当ててきたのは、小惑星探査船のこだまだった。お前がそのこだまとそっくりな光を当ててきて、夢から覚まさせた」
妻は、冷めた目で沢を見つめた。
「あのね、あなた。私はただ、懐中電灯であなたを起こしただけよ。あなたは暗い部屋で、会社の書類の裏に何やら書きつけながら、奇妙なうめき声を上げていたのよ。それで、起こしたの」
「奇妙なうめき声だと? あれは、歴史に残る大傑作の産声だったんだ!」
沢は立ち上がった。
「俺は今、宇宙で、誰も到達したことのない彗星の上で、歴史に残る大傑作を書き始めていたんだ。なのに、お前ときたら!」
妻は鼻で笑った。
「歴史に残るのは、明日の朝、遅刻して会社で叱られるサラリーマンの記録よ」
その一言に、沢はぐっと黙り込んだ。
そうだ。彼は小説家ではなく、ただのサラリーマンなのだ。あの彗星の上の輝かしい自分は、一瞬の夢にすぎない。
「こだまは言った。『お前は誰だ』と。俺は言った。『新人作家の沢ってもんだ』と。そしてこだまは言った、『お前はどこからやって来たんだ』と」
「それで?」妻が促した。
「俺は、『会社から帰ってきた所だ』と答えたんだ」
沢は急に、全ての気力を失ったように、椅子に座り込んだ。
妻は再び懐中電灯を手に取り、部屋の隅の壁を照らした。
「ねえ、あなた。これを見て」
壁には、沢が気づかなかった小さな紙切れが貼ってあった。それは妻の達筆な字で書かれていた。
『明日は火曜。ゴミ出しの日。プラスチックゴミを忘れないこと』
「これを見ても、あなたはまだ彗星の上で小説が書けると思う?」
沢は何も言えなかった。彼の頭の中で、只野こだまと名乗った探査船の言葉がリフレインした。
「お前はどこからやって来たんだ?」
会社。ゴミ出し。妻の目。
沢は、暗闇の中でペンを握りしめた。次のアイデアが湧き出てくるのを待った。
しかし、頭に浮かんだのは、ただのプラスチックゴミの形だった。
それでも、彼はペン先に付いた小さなライトを頼りに、原稿用紙の白い空間を凝視し続けた。
そして、その小さな光が、まるで遠い星のように、暗闇の中でチカチカと点滅した。
The End
彗星の如く現れた小説家 沢 一人 @s-hitori
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