ぼくのなつやすみ

ばにゃ

ぼくのなつやすみ

​ぼくのなつやすみ


​一. 船上での出会い

​昭和五十年 八月一日。

​真夏の太陽が降り注ぐ海の上には、厚く、そしてまぶしいほどの白い入道雲が浮いていた。その雲の下、マリンランナー号という名の小さな連絡船に、ボクは揺られていた。


​船室には誰もいない。ボクの他には、黄緑のベージュ柄のワンピースを纏った一人の女子高生がいるだけだった。彼女は一冊の本を静かに開いていたが、時折、その視線をそっと空へと投げ上げていた。潮風に遊ばれる前髪を気にすることもなく、女子高生はふいに顔を上げ、船頭に話しかけた。


​「ねぇ船頭のおじさん、私、ホームシックにならなかったんだよ?ウフフ、凄いでしょ。」


​それは、都会の喧騒から解き放たれたような、弾む声だった。彼女は小さな鼻歌を口ずさみながら、ボクの方へと歩み寄り、話しかけてきた。


​「アレ?ボク、見かけない顔だね、どこんちの子かな?小学生がひとりで観光に来るわけは無いし・・・」


​ボクは、その大きく澄んだ瞳を見つめ返し答えた。


​「ボク、お母さんが臨月だから八月の間だけおじちゃんちに預けられることになったんだ。」


​お姉ちゃんは少し驚いたように尋ねた。


​「ひとりでここまで来たの?」


​「ううん、しおだてまではお父さんの車で来たんだ、でもお父さん今日中に東京まで帰らなきゃいけないから、さっきしおだての港でさよならしてきたんだ。」


​語尾が、少しだけ震えた気がした。お姉ちゃんは、その心細さを察したのか、そっとボクの隣に腰を下ろした。


​「1人で船に乗るのはちょっと心細いかもね」


​「うん・・・、ねぇ、お姉ちゃんもひとりでここまで来たの?」


​ボクがそう返すと、彼女は何かを振り払うようにゆっくりと立ち上がり、船の柵にもたれた。強い潮風が彼女のワンピースをはためかせた。そして、乾いた笑みを浮かべながら言った。


​「え?アハハ、私、今年の春から東京の高校に通ってんだ、あっちで下宿してるの、だからもう一人は慣れっこなの」


​その言葉の響きは、どこか遠く、打ち寄せる波の音のように寂しさを湛えているようだった。


​やがて、船内に港の到着を告げる聞き慣れないアナウンスが流れ始めた頃、船頭さんがお姉ちゃんに声をかけた。


​「靖子ちゃん、海の町見えてきたよ」


​ボクたちは反射的に小走りで船首へと向かい、波間に浮かび上がったその景色を固唾を飲んで眺めた。

​お姉ちゃんは、遠い目をして呟いた。


​「お姉ちゃんね、あの町で生まれ育ったんだ」


​眼下には、山々の濃い緑に抱かれるようにして、自然豊かな町がそびえていた。中でもひときわ目を引くのは、鮮やかな赤い屋根を戴いた大きな家が、まるで海に飛び込むのをためらっているかのように岸辺に建っている光景だった。


​お姉ちゃんは、その愛しさに耐えきれないように、船の柵から身を乗り出し、大声で叫んだ。


​「おーい!愛しの富海の町よ!靖子が帰ってきたぞー!」


​二. 港のざわめき

​船が港に着くと、そこには、ボクのおじちゃんとおばちゃん、そして二人の子供たちが暖かく出迎えてくれていた。


​「はい、気をつけて降りてくださいね!」


​港に立ったおばちゃんが、ホッと息をついた。


​「ふ〜ぅ ボクくん、ごくろうさま!やっと着いたね!」


​見知らぬ人々に囲まれ、ボクの胸は緊張で小さく脈打っていた。


​「こんにちは おじちゃん、おばちゃん」


​おじちゃんが、そばに立つ二人の男の子をボクに引き合わせた。


​「これ、うちのタケシとシゲル、もう何年も会ってないから覚えてないだろ」


​ボクはこくりと頷いた。その時、靖子お姉ちゃんの姿を見つけた妹が、人混みをかき分けて駆け寄ってきた。


​「お姉ちゃん!こっちこっち!」


​すぐに、二人の従兄弟のうちの一人、シゲルがボクに話しかけてきた。


​「ねぇ君、何年生なの?」


​「ボクは三年生だけど」


​タケシは胸を張って、少し自慢げに言った。


​「へへ!俺五年生!」


​「な〜んだ、やっぱり僕が一番下か・・・」


​シゲルは残念そうに肩を落とした。おばちゃんは、そんなボクたちの顔を一人ずつ見つめながら、穏やかに微笑んだ。


​「というわけで、三人とも一ヶ月間仲良くするのよ」


​そう締めくくった、その時だった。人集りの奥の方から、潮風にきらめく金髪の外国人が、大きな声で皆に呼びかけた。

​「おーい!みんな〜撮るよ〜!はい!チーズ!」


三. 赤い屋根の家と、ささやかな冒険

​おじちゃんたちと歩く道は、もうすぐ目的地へと続いていた。そして、船上から見えた、あの鮮やかな赤い屋根の家が、今、目の前に大きくそびえ立っていた。潮風に晒された木材の壁には、「茜ハウス」と書かれた木製の看板が控えめに貼られている。

​家の中へ入ると、おばちゃんがボクを案内してくれた。海に面した一室を開きながら、柔らかな声で言う。


​「はい、今日からここがボクくんの部屋よ」


​その部屋は、一つだけ置かれた勉強机と、シンプルなベッド。そして、左手の隅には、色とりどりの布地が山のように積み上げられていた。


​「なんだか不思議なところだね」


​ボクがそう呟くと、おばちゃんはクスッと笑いながら返した。


​「エヘヘ・・・ごめんね、おばちゃんち民宿やってるからいろんなものがおいてあって、でも、ここの部屋はね、一番いい風が入ってくるところなの、食堂でご飯を作ってるとその匂いもね」


​海の匂いに混じって、早くも微かに漂ってくる、香ばしく優しい匂い。


​「なんだかお腹が空きそうだね」


​ボクの言葉におばちゃんは楽しそうに笑った。


​「アハハハハ!じゃ、もうすぐ晩御飯にしてあげるから、ちょっとだけウチのまわりでも探検してきたら?」


​新しい場所に胸が高鳴る。


​「うん!ありがとうおばちゃん!」


​部屋を出る直前、おばちゃんの声が引き留めた。


​「でも、あんまり遅くなってから海で泳いだり山の中へ入っちゃダメよ?おばちゃん、ボクくんのお母さんに危ないことはさせませんって約束したんだから」


​ボクは大きく頷き、おばちゃんが部屋を出るのを見届けた後、そっと自分も部屋を出た。


​館内の他の部屋を覗いてみる。居間らしき部屋のちゃぶ台では、おじちゃんがテレビを見ながらあぐらをかいていた。ふと、ちゃぶ台の上に、掌に乗るほど小さな赤い目覚まし時計が置いてあるのが目に入った。ボクはそれをしばらく借りることにした。


​すると、ゆったりと体を揺らしていたおじちゃんが、気だるげに話しかけてきた。


​「よ!ご苦労さん、ウチのガキンチョ共、最初はちょっと遠慮してて何だかとっつきにくい感じがするかもしれないけど、まぁ、すぐに化けの皮がはがれっから仲良くしてやってくれよ」


​ボクは緊張を隠せず、短い言葉で応えた。


​「うん」


​探検に出ようと家を出ると、すぐ裏手に、風雨に晒された小さなボロい家があった。その家の前を流れる細い川のコンクリートの蓋を、タケシとシゲルが真剣に覗き込んでいる。ボクは照れくささを感じながらも、声をかけた。


​「こんにちは」


​シゲルはすぐに気づき、隣のタケシに知らせた。


​「あれ、お兄ちゃん、ボクくん来たよ!」


​タケシは元気よく振り返った。


​「よ!」


​何をしているのかとボクが問いかけると、タケシは秘密めいた表情で続けた。


​「今日の獲物をチェックしてるのさ」


​ボクが不思議そうな顔をしていると、シゲルが種明かしをしてくれた。


​「コンクリのフタを開けてザリガニを採るんだ」


​タケシは強気に「こうやるのさ!」と言うと、勢いよくコンクリートの蓋を開けた。


​「ちぇ!今日は来てないみたいだな・・・」


​ボクもその遊びに興味が湧いた。


​「いつもここにザリガニがいるの?」


​そう問いただすと、タケシは誇らしげに説明をした。


​「うん!こんなとこでも結構いるんだ、他の場所でもとにかくフタをめくってみることだね」


​ボクは、二人の後ろに佇む古びた家が気になっていた。


​「ねぇ、そこの家って?」


​タケシが続けて教えてくれた。


​「あぁ、それは大人たちがハイオクって言ってるやつなんだ、昔はおばあちゃんが住んでたんだけど、いつの間にか居なくなっちゃったんだよ」


​シゲルは、少し怯えた様子で言葉を継いだ。


​「誰も住んでいないのに毎日新しいネコの餌が置かれてるんだぜ...僕ちょっと怖いよ」


​ボクは茜ハウスに戻り、潮風と調理の匂いが混ざり合う食堂へと向かった。おばちゃんが夕食の支度をしている。ボクに気づいたおばちゃんは、優しい声で話しかけてくれた。


​「ボクくん、今日はたくさん乗り物にのって疲れたでしょ、晩御飯、もうちょっとで出来るからね」


​ボクは、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。


​「ネェおばちゃん、ここって海の上なんだね?」


​「そうよ、びっくりした?」


​「ちょっぴり・・・」


​食事ができるまでの間、ボクはもう一度港に戻ってみることにした。船着き場には、船頭さんが立っていた。ボクに気づくと、太陽のように明るい笑顔で声をかけてきた。


​「やぁ!ようこそ!富海の町へ!」


​船頭のおにいちゃんは、やけに快活だった。


​「おにいちゃん、暑いのにバカみたいに元気だね」


​「コラァ、バカみたいにはちょっと失礼だぞ〜?まぁ俺は健康だけが取り柄だからしょうがないか!あーはははは!...君は茜屋の親戚なのかい?」


​おにいちゃんがそう質問した。


​「うん、そうだけど」


​「そうか!俺、毎日あそこの海の家に昼飯食いに行ってるんだ!よろしくな!」


​「よろしく」


​そんな会話を交わし、ふと山の方に目をやると、ドーム状の不思議な形をした屋根の建物が見えた。好奇心に引かれて、ボクはそこへ行ってみた。


​家の中に入ってみると、奥からおじいさんの声が聞こえた。


​「おやおや、これはこれは、ずいぶんと可愛いお客さんが来たようじゃ」


​「あ、勝手に入っちゃってごめんなさい・・・」


​ボクがそう言って歩み寄ると、おじいさんは穏やかに続けた。


​「ここは田舎なもので玄関を閉めておく習慣などないのじゃよ、この家も、そしてわしの診療所もじゃ、好きな時に勝手に入って、休んで行きなさい」


​ボクは、その珍しさに驚きつつも、安堵した。


​「うん!ありがとうおじいちゃん!・・・ねぇ、おじいちゃんっていくつなの?」


​ふと、その悠然とした姿に年齢が気になり、尋ねてみた。おじいちゃんは優しく答える。


​「え?わしか?わしはおかげさまで今年数えで七十三になるはずじゃ」


​ボクにはあまり耳にしない言葉だった。


​「ねぇ、数えってなに?」


​そんな素朴な質問にも、おじいちゃんは慈しむように教えてくれた。


​「数え年といって、昔の歳の数え方じゃ、昔は生まれた日にすでに一歳として数えたのじゃよ、そしてみんな、正月で年齢が増えたから、大晦日に産まれると次の日にはもう二歳になるのじゃ」


​話を聞き終え、外に出て歩いていると、おじちゃんがやってきた。どうやらボクを探していたらしい。


​「へへ〜、こんなところに居たのかい、もう飯の時間だ!帰るぜ!」


​そう言って、二人で茜屋の食堂へ向かうと、もう皆が席についていた。おばちゃんが、この家の慣習を説明してくれた。


​「食事はいつも、この海の家で食べるのよ」


​おじさんも楽しそうに笑う。


​「いいだろ!冬はちょっくら寒すぎるけどよ」


​シゲルは、荒々しい海の記憶を話す。


​「台風が来た時なんかすごいんだよ、ねぇお兄ちゃん」


​「まぁな」


​するとおじちゃんが、まるで指揮者のように大きく声を張り上げた。


​「よっしゃ!じゃあ、いっただきまーす!」


​それに続いて、皆が声を揃えて「いただきます」と言う。ボクはまだ緊張していて、皆の視線が集中した気がして、小さく呟いた。


​「・・・きます」


​賑やかに皆でご飯を食べ終えた後、おじちゃんがボクに目を向けた。


​「なぁボクちゃん!おじちゃんが一日百円で宿題やってやろうか!」


​おばちゃんは呆れたように肘で小突きながら言う。


​「も〜、また変なこと・・・」


​シゲルは得意げに、その「実力」を暴露した。


​「父ちゃんすごいんだよ、お兄ちゃんの算数のドリル全部間違ってたんだから」


​おじちゃんは親指を立てて、悪びれる様子もない。


​「げへへへへ、朝飯まえよ!」


​タケシは心底悔しそうだった。


​「クソおやじが〜・・・」


​おばちゃんが仕切り直すように、ボクに優しく尋ねた。


​「まぁまぁ、ところでボクくん、夏休みの自由研究、何にするの?」


​ボクは緊張しながらも、都会で考えてきた計画を口にした。


​「え〜と・・・え〜と・・・、うちの前の道路の交通量の調査・・・」


​おばちゃんは心底不思議そうに首をかしげた。


​「は?なにそれ?」


​「毎朝三十分、何台通るか数えるんだ」


​おじちゃん:「おまえインテリだな」


​タケシ:「ここじゃその研究無理だよ・・・」


​ボクは、その理由が分からなかった。


​「なんで?」


​シゲルが、この町の真実をシンプルに答えた。


​「田舎だから」


​おばちゃんも笑う。


​「走ってないよ〜車なんて」


​するとタケシが、この地で可能な研究を教えてくれた。


​「まぁこのへんで簡単にやれるのって言ったら昆虫採集くらいかな?」


​おじちゃんは、冗談めかして言った。


​「交通量なんて嘘書いたってバレねぇだろ!」


​皆が賑やかに笑い、その笑い声は海の家いっぱいに響いた。改めておじさんが「ごちそうさま」と言うと、皆もそれに続いた。


​食事を終え、居間に行くとおばちゃんがテレビを見ていた。


​「ボクくん、疲れてたら今日は早めに、おやすみなさいしましょ、あんまり夜遅くまで起きてると朝のラジオ体操に寝坊しちゃうぞ〜」


​「うん、そうだね」


​おばちゃんが少し疲れているように見えたので、ボクは肩たたきをしてあげることにした。


​「おばちゃん!肩たたきしてあげようか?」


​「あら、ほんとにいいの?じゃあちょっとだけお願いしようかな!」


​ボクはおばちゃんの後ろに回り、交互に、リズム良く肩を叩いた。


​「ふぅー、ありがとう!じゃ、お駄賃あげるね」


​そう言って、おばちゃんは一〇円玉をくれた。


​「わぁ!十円だ!ありがとうおばちゃん!」


​ボクは居間を抜けて奥の部屋へ行ってみると、タケシとシゲルがいた。どうやら、ここが二人の部屋のようだ。シゲルはボクに気づくと、少し厳しい口調で言った。


​「おいお前!人の部屋に勝手に入ってくんなよ〜」


​「え!ごめんなさい・・・」


​タケシは、シゲルとは対照的に緩い口調だった。


​「いいんじゃねぇの?ひと月いるんだろ?バリア貼っても無理無理」


​だがシゲルは、まだ警戒を解かない。


​「でも、あんまりおおきな顔すんじゃないよ」


​「顔が大きいのは生まれつきらしいんだけど・・・」


​そんな会話をしていると、タケシが内緒話をするように切り出した。


​「なぁ、昆虫採集セット、もうみた?」


​「え?なんのこと?」


​タケシは照れくさそうに続けた。


​「ボクちゃんの机の上に昆虫採集セットを置いてきたんだけど、お、俺、もう使ってないから貸してあげるよ」


​「え、ほんと?ありがとう!」


​タケシは更に照れくさそうに、得意げな表情を付け加える。


​「ゲヘヘヘへ、ま、なにか困ったことがあったら、まずは俺に相談しろってことかな?」


​「うん!わかったよ!」


​すると、今度はシゲルが自分たちの自由研究について話してくれた。


​「自由研究、僕たちはアサガオを育ててるんだ」


​タケシもそれに続いて説明する。


​「種を撒いたのはここの窓のすぐ下なんだけど...、そうだ!ボクちゃんも一緒に競争する?」


​「どういうこと?」


​ボクが疑問に思うと、シゲルが丁寧に説明してくれた。


​「お兄ちゃんと僕でどっちが早く咲かせるか競争してるんだ、左側がお兄ちゃんで、真ん中が僕、で、右端がボクくんってのはどう?」


​「毎日水をやればいいってこと?」


​「そ、大正解」


​その時、部屋に一人の外国人が入ってきた。カタコトでありつつも、流暢で分かりやすい口調で話しかけてきた。


​「なんだか、面白そうな話だね」


​するとタケシが、この人物について教えてくれた。


​「おや〜、カメラマンのとうじょうだぜ!この人、サイモンっていうんだ、ずっとうちの二階に泊まってるんだけど」


​サイモンは、その自由研究に彩りを添える提案をした。


​「じゃあ、サイモン、朝顔が咲いてる間だけ毎日一枚朝顔の写真を撮ってあげるよ」


​シゲルが目を輝かせて質問する。


​「大切に育てればそれだけ沢山写真がもらえるってこと?」


​タケシも嬉しそうだ。


​「へへ!それはやりがいがあるじゃん!」


​サイモンは、彼らの熱意に応えるように微笑んだ。


​「楽しみにしててね!」


​サイモンはそう言って部屋を出ていった。


​ボクも部屋を出て二階へ上がってみると、窓際の椅子にサイモンが座っているのが見えた。ボクに気づくと、静かに挨拶してくれた。


​「こんばんは」


​ボクも「こんばんは」と返すと、サイモンが窓の外の闇を見つめながら続けた。


​「ここ、いい風がはいってくるでしょ、特等席だよ」


​「うん!そうだね!」


​「サイモンは、夜、静かにしているのが一番好き」


​「二番目は?」


​「なんだろ、好きな人と話してる時かな、あ、そういえば写真ができてるよ」


​そう言うと、サイモンは一枚の写真をボクに渡してくれた。


​「わぁ!ありがとうサイモン!」


​それは、先ほどの港での集合写真だった。タケシは飛び跳ねるようにピースをしており、ボクは靖子お姉ちゃんの隣で、少し緊張したおすましポーズだった。ボクの顔だけ、心持ち白く写っている気がした。


​ボクは、さっきのサイモンの言葉を詳しく聞きたくて、尋ねた。


​「サイモンって好きな人、いるの?」


​「もちろん!」


​「どんな人?」


​「夜一緒に静かにしててくれそうな人」


​ボクは、一日の疲れと眠気を感じて自分の部屋へ戻った。


​机の上には、見慣れないプラモデルの箱が置かれていた。箱の中身は、タケシ兄ちゃんが貸してくれたという昆虫採集セットだった。

​ボクは、鉛筆を取り、絵日記にこう綴った。



​やーっと到着、おじさんの海の家、太陽さんさん夏休み、夜になったら波の音だけ静かに聞こえてる



​そして、遠い潮騒を聴きながら、ボクは深い眠りについた。


四.洋お兄ちゃんのロケット

​翌朝。潮騒と微かな鳥の声で目が覚めた。ラジオ体操を終え、皆が揃っているであろう食堂へ向かうと、席にタケシとシゲルの姿が見当たらない。


​「あれ?あの二人はどうしたの?」


​朝食の準備をしながら、おじちゃんが答えてくれた。


​「今朝はロケット見に行ってんよ」


​ボクは一瞬、花火のことを言っているのかと思ったが、どうやら違うらしい。


​「近所の子が小さなロケット作って飛ばしてんだ、まだちょっくら危なっかしいからほんとはウチのガキども行かせたくねぇんだけどよ」


​おじちゃんはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。しかし、おばちゃんは少し違う表情で言った。


​「でもおばちゃんはね、洋くんのロケット応援してるんだ」


​ボクは、その人物について尋ねた。


​「ねぇ、洋くんってだれ?」


​おばちゃんは、ボクにおかずを取り分けながら説明してくれた。


​「港の向こう側の家にお父さんと二人で住んでるの、中学生のお兄ちゃんだよ」


​その説明が終わった直後、遠くで「ドン」という小さな爆発音が響いた。おじちゃんたちと顔を見合わせ、席を立って外の方を見てみる。


少し遠い山肌の上空に、小さなロケットが噴煙を上げて昇って行った。まっすぐ飛んでいたのは、本当に一瞬のことで、ロケットはすぐに斜めに傾き、弧を描くように森の中へと墜落した。


​おじちゃんは、まるで他人事のように口を開いた。


​「多分奥沢に落ちたな、ま、ウチのわさび畑には関係ねぇだろ」


​それからしばらくして、汗をかいたタケシとシゲルが帰ってきて食事を終えた頃、おばちゃんが口を開いた。


​「残念、今日のもまっすぐ飛ばなかったね」


​タケシは、ロケットを制作している洋お兄ちゃんから聞いたであろう原因を、そのまま説明した。


​「やっぱ燃料の組み合わせらしいよ、あと補助ロケットのバルブの数がどうしても足りないんだって、買うと高いらしいから今まで墜落したやつのも全部回収したいって」


​その話を聞き終えた頃、食堂に靖子お姉ちゃんが入ってきた。


​「おばちゃん!アイス買いに来たよ!」


​「はーい!はいはい!あ、ごめーん、靖子ちゃんの大好きな氷あずき売り切れ中なんだ」


​「え〜、それは残念だなぁ・・・あれ?やっぱここにいるんだ!」


​5.靖子お姉ちゃんの家

​靖子お姉ちゃんは、ボクに気づくと、パッと顔を輝かせて話しかけてくれた。

​ボクと靖子お姉ちゃんは一緒に外に出て、打ち寄せる波の音を背景に、挨拶を交わした。


​「おはようボクくん!」


​「おはようお姉ちゃん」


​「どう?おばちゃんち、もう慣れた?」


​「わかんない」


​すると靖子お姉ちゃんは、秘密を打ち明けるように、自分の家を教えてくれると言ってくれた。


​「ねぇ!お姉ちゃんち教えてあげるよ!」


​「うん!教えて教えて!お姉ちゃんのお父さんお母さんもおうちにいるの?」


​そう聞くと、彼女は少し寂しさを隠すように、目を伏せて答えた。


​「いやうちは、お父さんお母さんがいないうちなの、今一緒に暮らしてるのはおじいちゃんと妹なんだ。」


​「へぇ、そうなんだ」


​「ウチ、そこの公園のすぐ上なんだけど・・・場所わかるかな?」


​「わかんない!」


​そんな会話を交わし、二人で連れ立ってお姉ちゃんの家に向かうことになった。道中も、彼女は言葉を途切れさせなかった。


​「私さぁ、ここに帰ってきても家族以外の、いわゆる友達ってやつが皆無なんだよね、あ、皆無って意味わかる?」


​「わかんない」


​「ゼロ!ってこと、青春的モノサシで考えるとここって絶望的なところなんだ...だって、中学は船に乗らなきゃ行けない隣町だし、ここの町ってとにかく漁の時以外は人が少なすぎるのよ」


​それを聞いたボクは、ふと、今朝話題になった洋お兄ちゃんのことを思い出した。


​「そうなんだ、あれ?昨日防波堤にいたお兄ちゃんは?知り合いみたいだったけど」

​靖子お姉ちゃんは、なぜかその質問をはぐらかすように笑った。


​「へ?だれのこと?あはは、まぁどうでもいいじゃない!ねぇ、このすぐ上のまあるい屋根が見えるのがお姉ちゃんちだよ」


​それは、昨日ボクが訪れた、おじいちゃんの家だった。昨日入った玄関を無視して奥の方へ進むお姉ちゃんに、ボクは疑問を覚えた。


​「あれ?この家ってこっちが玄関じゃないの?」


​「うん、そうだよ、でも私の部屋、でも私の部屋...元々はお父さんの部屋だったんだけど今はちょっと訳ありで裏庭からじゃないと入れないの」


​「家の中は繋がってないの?」


​「以前は普通に繋がってたんだけどね、お母さんがうちを出てった時にドアの鍵を持ってっちゃったから、えへへ、通れなくなっちゃったんだ」


​そう言って案内された裏庭から見る家は、白く塗装された木で組まれた壁と、斜めの屋根がガラス越しに見えていた。


​「これが当面のウチの懸案事項...我が家のノドに刺さった大きな骨ってわけ」


​「それって痛そうだね」


​「うん、でもこっちの部屋だけまるで秘密の隠し部屋になったみたいでそれはそれで気にいってるんだけどね」


​そう言うお姉ちゃんの横顔は、都会では見せないような、どこか寂しげな陰を宿していた。


​「ここの庭、キレイでしょ、私今年の春から居なくなっちゃったからここも少しは荒れちゃうと思ったんだけど、うちのおじいちゃん、マメな人だから」


​その庭には、色とりどりの種類の花が咲き乱れ、オレンジの木が生えていた。そして、反対側に進んでみると、すぐ下に、異様に大きなカボチャが実っていた。


​「でっかいカボチャ!ねぇ、そこってなんなの?」


​「妹の光がいろんなものの種を適当に撒いてる彼女の濃厚なの、大きなかぼちゃとか、あと野良猫のお墓もあるんだよ」


​そう言って、お姉ちゃんは部屋の中に案内してくれた。

​「今は一応ここが私の部屋なんだ」


​裏庭から家に入ってすぐ正面に、彼女が話していたであろう、閉ざされたドアがあった。


​「これが開かないドア?」


​「うん、そうだよ、それにしてもここって天井高いしなんだか不思議な建物でしょ」


​「うん、そうだね、まるで天文台みたいな形をしてるし」


​「ウフフ、天文台かぁ・・・、ねぇ、お姉ちゃんさぁ、夏休みの間はここにいることが多いと思うから、いつでも勝手に入ってきていいからね、夜でも裏の木戸を開けておいてあげるよ、ここは泥棒さんとかいないから大丈夫なんだ」


​「うん!わかったよお姉ちゃん!」


​五.診療所

​ボクは、お姉ちゃんの家の横の坂を登ったところにある、昨日訪れた診療所に入ってみた。

​診察室に入ると、看護婦さんとおじいちゃんがいた。看護婦さんは、溌剌とした笑顔で話しかけてくれた。


​「こんにちは、君はどこのうちの子?」


​「こんにちは、ボク、夏休み中だけおじちゃんの民宿に来てるんだ」


​「へぇ〜、それはいいわね、お母さんも一緒にきたのかな?」


​「ううん、お母さんは赤ちゃんを産むんだ」


​その事情を話すと、看護婦さんは少し寂しそうな表情になった。


​「そうなの、ちょっと寂しいね、じゃ、お姉さんで良ければいつでも遊んであげるからここにいらっしゃい、私の名前は 凪砂(なぎさ)っていうの、よろしくね」


​「ボクはボクっていうんだ」


​「あれ?面白い名前ね」


​「違う違う!周りの大人の人はボクのことボクって呼ぶんだ。だからボクはボク」


​凪砂お姉さんは納得したように笑った。そして、周りに聞こえないように、小さな声でそっと耳打ちした。


​「ちなみにここの診療所は、い つ も 暇なのよ、だから毎日遊びに来てもいいからね」


​すると、奥からおじいちゃんも優しく話しかけてきた。


​「おやおや、これは可愛いお客さんが来たようじゃ、さて、どこの具合がわるいのかの?」


​「あれ?そうか、ここ病院だから元気な人は来ちゃダメなのか」


​ボクがそう言うと、おじいちゃんは静かに諭すように言った。


​「いやいや、来ちゃダメということではない、しかし、活発な少年の相手がこの老いぼれに務まるかの〜」


​六. 光ちゃん

​診療所を出て、公園に行ってみると、電柱の下にボクより一歳ほど年下の女の子が座っていた。ボクに気づくと、彼女は挑戦的な目つきで話しかけてきた。


​「あれ?さっきお姉ちゃんとあんた一緒に歩いてたよね、お姉ちゃんなんであんたみたいなさえないのと歩いてたんだろ?」


​そう言い終わると、彼女は一転して何かを提案してきた。


​「ところで、あんたが大切な夏休みの時間を無駄なく過ごせるように、光が発明した占いで占ってあげようか?昼や夕方だったら今日なにをすればいいか、夜だったら明日なにをすればいいか占ってあげるのよ」


​どうやら、彼女が靖子お姉ちゃんの妹の光らしい。

​ボクはその占いにあまり乗り気ではなかった。


​「でも、占いなんて...」


​「あれ?あんたまさか私の言う事が信じられないっていうの?」


​「い、そういうわけじゃなくて...ねぇ、じゃあどうすればいいの?」


​乗り気では無いものの、好奇心に負けて少しだけやってみることにした。

​「じゃあね、まず光が一から六までの数字をなんとなく選ぶの、今日は五ね、」


​そう言うと、彼女は何かを取り出し、五つに区切りながら数え出した。


​「いち、にい、さん、しー、ご...」


​ボクはそれに見覚えがあった。


​「あ、それ知ってる。で、次はその見えてるところからボクが数字を選ぶんでしょ」


​光はがっかりしたように言った。


​「なーんだ、知ってるんじゃない」


​七. 秘密基地と、三秒ルール

​ボクが山に入ってみると、大きな木の枝の上に、子供が作ったような小さい秘密基地が組まれていた。

そこに上がってみてみると、下の道からタケシとシゲルがやってきて、シゲルは大きな声で抗議した。


​「こらぁ!うちの秘密基地に勝手に入んなよ!」


​タケシ兄ちゃんは、息を切らした様子で言った。


​「それにしてもよくここがわかったな」


​ボクは素直に思ったことを答えた。


​「え?だってここ外から丸見えだよ」


​そう言いながら上を見上げると、さらに二階らしき空間があった。


​「上の階があるんだね」


​シゲルは厳しい表情で言った。


​「でも登っちゃダメだよ!」


​「何で?」


​するとタケシ兄ちゃんが教えてくれた。


​「上はヒミツの、秘密展望台なんだ」


​「そうなんだ、いつもここでなにしてるの?」


​「虫相撲だよ、クワガタやカブトを採ってきてここで戦わせてるんだ」


​シゲルも熱心に続けた。


​「ボクくんも虫を探してきて相撲をやらせてごらんよ、おもしろいよ〜」


​そんな話を終えて二人が帰っていき、ボクも秘密基地から降りて山の入口まで戻った頃、靖子お姉ちゃんに声をかけられた。


​「はぁ〜、やっぱ森の近くにくると空気がしっとりしてて、おいしいなぁ。ねぇ、お墓の三秒ルールってしってる?」


​「え?どういうこと?」


​「この石段の上にお墓があるの、だからこの広場は息を止めて三秒以内に駆け抜けなくちゃいけないんだ」


​そう言って、ボクが秘密基地から戻ってきた石段を指さした。そしてボクたちは大きく息を吸い込み、石段の横の道を、一気に駆け抜けた。


​8. 幼馴染の家


​息を切らして立ち止まる。


​「フゥ・・・お姉ちゃん本気で走ったの久しぶりだったよ・・・」


​「な〜んだ、今のはかけっこだったんだ、だったらボクだって負けないよ?」


​ボクはそう言って、その道の奥にある家の方まで走った。


​「あ、こらこら!そっちはダメだって!」


​そう言いながら、お姉ちゃんはボクを追いかけて家の方へ向かう。


​「だ、誰もいないのかなぁ」


​お姉ちゃんは心配そうに呟いた。その様子が気になって、ボクは尋ねてみた。


​「どうしたの?」


​「実はね、ここ...私の幼なじみの家なの今はもう全く付き合いがないんだけど私が小学校にあがるまではほとんど毎日いっしょに遊んでたんだ」


​「ここのウチの子は一緒に小学校に上がらなかったの?」


​「うん、学年が一つ違ったの、そのことに入学直前まで誰も気が付かなかったから、わかった時はお互いびっくりしたんだよね、悲しいことに、こっちは一緒に小学生に上がるんだと思っててさ...エヘヘ、あっちは二人とも次の年だと思ってたんだ」


​海を見ながらそう語っていたお姉ちゃんは、後ろで手を組みながらこちらへ歩み寄り、鼻歌を歌い始めた。


​「ちびすけ  三毛猫  泣いた  笑った     ララララ ランラン   ララララ ラ・・・  いつも  1人 


ひだまり  三毛猫  友達  できた  ララララ ランラン  ララララ・・・  たの  しい な!」


​そして、ボクの隣に座ってさらに語り出した。


​「運命のいたずらというか、私たちが男の子と女の子だったからかもしれないけど...私の入学以来、その子とはずいぶん疎遠(そえん)になっちゃったんだ・・・」


​「ふぅーん、そうなんだ、ねぇ、今の歌は何?」


​ふと、先ほどの切ないメロディが気になって聞いてみた。


​「え?これはね 私、中学校で演劇部だったの、今のは、舞台用に私が作ったフランス民謡の替え歌なんだ。一応、部長さんだったんだから・・・」


​「へぇ〜、すごいんだね、お姉ちゃん。ねぇ、続きはあるの?」


​お姉ちゃんは立ち上がり、ゆっくりと歩きながら話す。


​「うーん・・・あるような無いような・・・、この後、夕方になってどんどん暗くなって、気がつくと、もう周りには誰もいなくてさ、結局猫は、またひとりぼっちになっちゃうんだ・・・、という所まで作って・・・えへへ、なんだかドーンと寂しすぎるから作るのやめちゃった、まぁいうなれば、永遠のお蔵入りってわけ」


​「そうなんだ、ちょっと悲しい歌なんだね」


​「さてと、そろそろ戻らないと、洋くん帰ってきちゃうかも・・・」


​「洋くん?」


​お姉ちゃんは、空を見上げて言った。


​「そう、ここの家の、私と一つ違いの中学生の名前なの、それが幼なじみの洋くんってわけ、それにしても...あの子の機械いじりもかなり本格的になってきたな」


​そして、出入口の方へ歩きながら言った。


​「じゃ、お姉ちゃんは話題の主が帰ってくる前に山の入口まで戻ってるからね」


​そう言うお姉ちゃんのあとを小走りで追いかけて山の入口に行くと、サイモンがカメラを持って立っていた。


​「写真撮るよ!いつもより、いい顔してね!」


ボクたち二人は、突然のことに照れくさそうに笑った。


​「ハイ!チーズ!」


​シャッター音が、一瞬の夏の光景を切り取った。


​「写真、楽しみにしててね」


​そう言ってサイモンが去っていく背中を見ながら、お姉ちゃんがボクに尋ねた。


​「ねぇ、今の人、だれ?」


​「民宿のお客さんだよ」


​少し間を置いて、お姉ちゃんがまた質問をした。


​「ところでさ、洋くんちに行った時、オドオドしてたかな」


​「どうしてそんなことをきくの?」


​「いや・・・こういうことって自分ではよくわからないことだからさ・・・」


​九. ロケットと、海岸の蝶


​この町に来て、すでに数日が経った。


​ボクは再び秘密基地に行こうと森に入ると、道中にある小さなお墓場のそばで、オレンジの服を着た青年に声をかけられた。


​「ねぇキミ、この辺でロケットみなかった?」


​「へ?お兄ちゃんってもしかしたらロケット作ってる人?」


​「あれー?なんで知ってるんだろう?」


​「だってお兄ちゃん有名人だよ」


​洋お兄ちゃんは、苦笑いした。


​「そうなの?、でも、肝心のロケットはまだ全然なんだけどね。当面の目標は、とりあえずまっすぐ飛ぶロケットなんだ。僕のは固体燃料のロケットなんだけど、とにかくなんだか難しくて・・・、でもこの前ためしに学校の計算機で推力計算をしてみたら僕のロケットでも宇宙の高さまで上がる可能性があるんだよ」


​そんな夢のある話をした後、彼は自己紹介をしてくれた。


​「僕の名前は洋っていうんだ。いろしくね。あ、僕の名前、普通はヒロシって読むんだろうけど、うちの父ちゃん、筋金入りの変わり者だから・・・」


​そう言い終え、洋お兄ちゃんはロケット探しを再開した。


​その日の夕方、茜屋の海の家の下の柱で、きらりと光るものが見えた。思わず海に飛び込んで手を伸ばしてみると、それは百円玉だった。誰かが落としたものだろうか。

​港から岸へ上がると、公園の土管に凪砂お姉さんが座っていた。


​「ねぇ、なにをしてるの?」


​すると凪砂お姉さんは、どこか寂しそうな口調で答えた。


​「蝶・・・蝶が飛んでるのを見てたのよ、いいなぁ空を飛べるなんて」


​「なんだそりゃ」


​「お姉さん、ここで船が出る時間を待ってるの」


​「じゃあなんで波止場にいかないの?」


​凪砂お姉さんは、遠い目をしながらゆっくりと答えた。


​「大人の事情・・・」


​そう言いながら、体を伸ばして座り直した。


​「さてと、出港の時間まであとどれくらいかな・・・」


​ボクには、その「大人の事情」というものが何なのか、理解できなかった。


​10. 消えた百円玉

​そして晩御飯の時間。皆で食卓を囲んでいた時、おばちゃんが言いにくそうに口を開いた。


​「ねぇ、皆のこと疑ってるわけじゃないけど・・・」


​おじちゃんが、もどかしそうに話を促した。


​「なんだよさっさと言えよ」


​おばちゃんは、声を低くして重い口調で話した。


​「ここの売上が百円だけ合わないの」


​その瞬間、皆の視線が、なぜかおじちゃんへ集中した。


​「なんだ、俺じゃねーぞ、おい!誰が犯人なんだよ!白状しろよ!」


​「お、俺やってない!」


​「僕も違うよ!」


​タケシとシゲルが必死に否定する。


​「じゃあ、誰なんだよ」


​おじちゃんが犯人を探し出そうとしたが、おばちゃんがそれを止めた。


​「まぁまぁ、せっかくのご飯がまずくなるから、あんまり深刻に考えないようにしましょ」


​おばちゃんはそう言ったが、おじちゃんは疑念をタケシに向けた。


​「タケシか?」


​「え?ここのは俺じゃないよ!」


​その言葉を聞いて、おばちゃんもハッと顔色を変え、疑い始めた。


​「こ、ここの?!」


​タケシは、自分の言葉の失態を必死に挽回しようとする。


​「う、うそうそ、ごめん口が滑った!」


​おじちゃんは、犯人が確定したかのように決めつけた。


​「お前、閻魔大王に舌抜かれて火炙りで股裂きの刑だぞ!」


​「ほんとにやってないってば!」


​「じゃ!股裂きの刑だ!」


​「そんなぁ...」


​おばちゃんも続けて、タケシに追い打ちをかけた。


​「でも、タケシ、正直言って母ちゃん今の発言でちょっと、疑惑の眼差しかも・・・」


​「母ちゃんまで・・・」


​その時、ボクはふと、今日の夕方、海の家の下で百円玉を拾ったことを思い出した。


十. 赤いバンダナの訪問者


​次の日の朝、朝食を終えて少ししてから外に出てみると、頭に赤いバンダナを巻いた、ひときわ派手な女の人がギターを持って立っていた。彼女はボクを見つけると、大袈裟なジェスチャーで話しかけてきた。


​「あ!いたいた!誰もいないんじゃないかと思ってドキドキしたよ〜」


​ボクは、その怪しい雰囲気を隠さない女の人に、警戒しつつ尋ねた。


​「あんた、なにもの?」


​彼女は、口角を上げて笑い、ボクに問い返した。


​「自分から名乗りなさいよ 小学生!」


​「お姉ちゃんは、大学生?」


​「え〜!まぁ学生だとしてもおかしくない歳と風貌ではあるけど?で、君の名は?」


​「ボクはボク」


​「は〜?じゃあお前は今日からボクくんだな!」


​「それ正解だってば」


​「変なガキ、ところでこのお姉さん、ここのお客さんだって知ってた?」


​「知らない」


​「さっき正面玄関に荷物を置いて来たんだけど、呼んでも誰も出てこないんだよね」


​「みんなでご飯食べてたんだもん」


​「そうなの〜?じゃあまた玄関にもどればいいんだね、私の名前、佳花(よしか)っていうんだ!よろしくね!」


​そう言って、その女子大生は、鮮やかなバンダナを揺らしながら正面玄関の方へと向かっていった。


​それからしばらくして、茜屋の二階にある一室に行くと、さっきの女子大生がいた。


​「あれー?レディーの部屋にノックもしないで入ってくるわけ?」


​「うん!だって子供だもん!ねぇ、女子大生はいつまでここにいるの?」


​「うーん、それが分かれば楽な仕事なんだけどね〜、ねぇ、ところで私の名前、もう覚えた?」


​「佳花お姉ちゃん」


​「そう!大正解!」


​十一. 百円玉の真実と、夜のブランコ


​そんな会話をしつつ、ボクはふと思い出して、食堂で夕飯を作っているおばちゃんのところへ行き、拾った百円玉を渡した。


​「ねぇおばちゃん、ボク、この海の家の下で百円拾ったんだけど・・・」


​「え?どれどれ・・・、あらやだ〜、この床下に落ちてたんだ・・・へぇ〜、でもタケシが犯人じゃなくて良かったな、ありがとう!ボクくんお手柄だね!」


​そのやり取りを終えて、茜屋の大浴場の縁側に行くと、光ちゃんが座っていた。ボクに気づくと、すぐに話しかけてきた。


​「あんた、もうこの町のいろんなとこに行ったの?あのさ、明日光が秘密の砂浜を教えてあげようか?」


​「え?なにそれ」


​「だから秘密なんだってば、文句ある?」


​「ありません・・・」


​「じゃあ明日の朝、公園のシーソーのところで待ってるからね、忘れないでよ、公園のシーソーだからね!」


​そう約束をして夕飯のため食堂へ向かい、全員が食卓を囲んだ頃、おばちゃんが皆に話をした。


​「かあちゃんね、とっても嬉しいんだ!・・・タケシ、疑ったりしてごめんね。ボクくんがここの真下で百円玉拾ったんだって、母ちゃんに届けてくれたの」


​それを聞いたタケシは、汚名が返上されて心底嬉しそうに言った。


​「え!そうなんだ!」


​シゲルは、ボクに感心したように言った。


​「よくネコババしなかったな〜」


​おじちゃんは、豪快に笑いながら言った。


​「がはははは!でもタケシ、おめぇが盗んだんじゃなかったんだな、さすがうちの子供!悪いことだけはしねぇや!」


​するとタケシが、一転して申し訳なさそうに口を開いた。


​「いや、実はさ、春に遠足のバス代が学校の計算違いで少し戻ってきたんだけど、俺それをネコババしちゃってるんだ」


​それを聞いたおじちゃんは、表情を厳しくして怒鳴った。


​「畜生!お前やっぱりわるいことしてたのか!」


​おばちゃんが慌てて止めに入る。


​「まぁまぁ、こうやって白状したんだし...実はね、母ちゃんそれ知ってたんだ」


​タケシは驚きを隠せない。


​「え!なんで?!」


​「あんた押し入れに隠してたでしょ」


​「じゃ、じゃああの茶封筒は?!」


​「回収させていただきました」


​「えー!なんだよ人が正直に白状したのにぃ・・・」


​それを聞いた一同は、笑い声に包まれた。


​夕食が終わり、空が完全に暗くなった頃、ボクは公園へ行ってみた。ブランコに、靖子お姉ちゃんが座っていた。


​「ボクくん、こんばんは」


​「こんばんはお姉ちゃん」


​「なんでひとりで夜遅くにブランコなんかのってるの?」


​「あのね、昔よくお父さん横の公園に来てふたりで星を見てたんだ。うちのお父さん、筋金入りの天文マニアだったから・・・。こうしてブランコに乗ってると、何だかあのころの事、思い出すなぁ」


​ふと、お姉ちゃんの家の方を見ると、その独特な形状にあることに気づいた。


​「あれ?お姉ちゃんちって天文台みたいな形してるけど?」


​「あれ?今まで気が付かたなかったの?お父さんったら、家族の反対押し切って我が家をやや本格的な天文台に改造しようとたくらんでたの」


​「なるへそ・・・」


​「たしか、ものすご〜く高価な望遠鏡まで買う予定を立ててたのよ、あれ?そういえばあのお金っていったいどこから工面するつもりだったんだろ・・・」


​靖子お姉ちゃんは、ブランコの鎖を握りしめ、少しの間を開けて話を続けた。


​「以前、おじいちゃんに聞いたことがあるんだけど・・・うちのお父さん、なにやらとんでもないものを海で見つけたって、なんども言ってたらしいんだ。でも、誰もそのとんでもないものを見てないんだよね、でね、その頃からなんだ、うちの改造の続きやら、高価な望遠鏡の話やらがはじまったのは・・・お父さん、もう、いないんだしこんなこと考えてもしょうがないのかなぁ」


​十二. 秘密の砂浜と、謎の少女


​そして次の日。

​約束通りボクは公園のシーソーに行った。そこにはすでに光が座っていた。


​「あれ?ちゃんと来てくれたんだ!」


​「うん、まぁ一応約束は約束だからね」


​光は不満そうにこう言った。


​「それじゃあなんだかあんまり嬉しくないみたいだね?」


​「いやそんなことはないけど・・・」


​そんな話をして、光の家の横まで行くと、一匹の大きな犬がいた。


​ワンワン!


​「ケン坊!これはね、うちの大事なケン坊なの、別に泥棒さんを追っ払ったり宝物を見つけてくれたりしないんだけど、光の大事なお友達なんだ。さてと、次はこの坂の上の診療所ね!」


​そう言って二人で坂を駆け上った。


​「ここの診療所はね、うちのおじいちゃんが今までのお医者さんの中でいちばん長く勤めてるんだって、ここの中を通っていくと、あそこの川へ出る近道になるんだ」


​そう言いながら、二人で診療所の中を抜けて川の向こうまで行くと、日の光を浴びた砂浜が見えてきた。


​「さぁ!到着到着!ここが秘密の砂浜なんだ!すっごいでしょ!」


​「なんだ、秘密の砂浜ってここのことなのか・・・、ねぇなんでここが秘密の砂浜なの?」


​「え?それはね・・・光、ここのこと最近まで知らなかったんだ、だから秘密の砂浜なの、あとね、港の外で泳いでると陸に上がれる場所がここくらいしかないのよ」


​「へぇー、そうなんだ」


​そう話していると、木の間からサイモンがカメラを持ってやってきた。


​「写真撮るよ!いつもより、いい顔してね!ハイ、チーズ!」


​シャッター音が鳴り響いた。


​「写真楽しみにしててね」


​「うん!ありがとうサイモン!」


​茜屋に戻ってサイモンの部屋に行くと、先ほどの女子大生が入ってきた。


​「はーい、お元気?ミスターライヒ!あれ?小学生もここにいたんだ!ねぇサイモン、タバコくんな〜い?切らしちゃってさ」


​サイモンは快く承諾した。


​「いいよ、そこにカバンがあるでしょ、そこから勝手に持っていってね」


​「はーい、じゃ、遠慮しませんよっと〜・・・ありがとう!いずれちゃーんとお礼するからね!」


​「うん、楽しみにしてるよ」


​「あばよ!小学生!」


​「さよなら、変なお姉さん」


​女子大生が部屋を出てから、サイモンが口を開いた。


​「彼女には、ちょっと不思議なところがあるね」


​「不思議なことって?」


​「うーん、底が深くて見えないってことかな?」


​十三. 病室の少女


​そしてお盆に入った頃、ボクは診療所の病室に入ってみた。


​病室にはいつのまにか、多分ボクが知らないうちに入院したであろう、高校生くらいの少女が一人、静かに横たわっていた。ボクが少女の名前を聞くと・・・


​「ふふふ、おしえないよ」


​「え?なんで?」


​「・・・君が、驚くから」


​「ねぇ、お姉ちゃんはなんの病気なの?」


​「胸、心臓なの、でも最後までよく分からなかったんだぁ・・・」


​その言葉の意味が、ボクにはよく分からなかった。


​「ねぇ、ボクまたここに来てもいいかな?」


​「うん、いいよ、でも・・・」


​「え?なあに?」


​「いや・・・なんでもないの」


​そんな少女の表情は、どこか悲しげだった。少女がボクに質問をしてきた。


​「ねぇ・・・君は、悲しいこと、平気かな?」


​「え?どういうこと?」


​「いや、やっぱりなんでもない・・・」


​その日の夜、病室の少女のことが気になり、靖子お姉ちゃんの家のおじいちゃんの部屋へと行き、少女について尋ねてみた。


​「ねぇ、そういえば入院しているお姉ちゃんが・・・」


​「へ?何の事じゃ?」


​「診療所の病室にいるお姉ちゃんのことだよ」


​「はて?あそこは長らく昼寝以外では使われていないはずじゃが・・・」


​それを聞いて、ボクは夢だったのかもしれないと思った。


​「あれ〜?夢だったのかなぁ」


​勘違いだったのだと思って、ボクは茜屋に帰った。


​十四. 奥沢への橋と、少女の夢

​そして次の日、朝食を食べ終えたおじちゃんが口を開いた。


​「俺、今日から奥沢に入るわ、先月の嵐で橋が流されてんのよ、あと橋の横に置いてある材木も気になるし」


​ボクは奥沢の方へと行ってみると、おじちゃんがいて、ボクに気づいて話しかけてきた。


​「よ!ご苦労さん」


​「あれ?ここで橋を直してるんだっけ?」


​「そう、でも丸太が短くて向こう岸まで届かねぇでやんの」


​「そうなんだ、この向こうには何があるの?」


​「え?まあここより少し森が深くなって、その向こうはオオカミじじいだ」


​「なんだそれ」


​「行きてぇか?」


​「もちろん!」


​「しょうがねぇなぁ!じゃあちょっくら、スペシャルな橋のかけ方でも披露しちゃおうかね!」


​「スペシャルな橋のかけ方?」


​「そ!ボクちゃん、明日になったら渡れるようにしといてやっから、それまで首を洗って待ってな!」


​「・・・首を長くしてじゃないの?」


​「つべこべ言わないの!」


​行ったことのない向こう岸に渡れるようになるのが楽しみだった。


​そしてボクは、昨日の夢の真相を確かめたくて、もう一度診療所の病室に行ってみた。


​そこには、やはり少女の姿があったので、話しかけてみた。


​「ねぇ、ここのおじいちゃんのお医者さん、最近しんだおばあちゃんの夢を見るんだって」


​少女は少し寂しそうに俯いていた。


​「どうしたの?」


​「いや・・・そういうものなのかって・・・ちょっとおもったの」


​「え?どういう意味?」


​「おじいちゃん、きっと寂しいんだと思うよ。ここのおじいちゃん、とても明るい人だったんだ、でもとても寂しがり屋なの・・・」


​「ねぇ、お姉ちゃんの家族ってどんな人たちなの?」


​「え?家族?まぁ、時代によって色々変わったから・・・」


​「はぁ?」


​「おじいちゃんと、おばあちゃん、お父さんとお母さん。そして可愛い女の子がふたりいるんだ。辛いことも悲しいこともあったけど、でも家族がいたから」


​「どういうこと?」


​「ふふ、教えない、だって、大事な家族の事なんだもん」


​少女は窓の外を見ながら、少し間を開けて続けた。


​「そういえばさっき、木からセミが落ちるのを見たんだ」


​「それで、どうなったの?」


​少女はこちらをゆっくり振り返って答えた。


​「死んじゃった」


​「死んだセミはどうなるの?」


​「土になるの・・・」


​​「・・・ねぇ、お姉ちゃんは夏休み、家に帰らないの?」


​「え?うふふ、こう見えてもちゃーんと帰ってるんだよ」


​「そうなんだ!」


​「そう、夏の今の時期は家に帰ってもいい事になってるの・・・この町、海が近いし、夕日が綺麗だし、ちょっと、いいところでしょ」


​「うん!そうだね」


​「私、この街で生まれ育ったんだ・・・」


​少女は窓の外の光を眺めて、小さな声で子守唄を歌い出した。


​「ねーんねーん...ころりよ...おころりよ〜・・・、

坊やは  良い子だ  ねんね  しな〜・・・」


​少女は軽くほほえんで、こう続けた。


​「私も、みんなみたいに海で泳いだり、坂を走ったりしたいな・・・」


​「さっきの歌」


​「え?」


​「さっきの歌、上手だったよ」


​「えへへ、どうもありがとう」


​十五. 渡れる橋と、奥沢探検

​次の日の朝、食卓でおじちゃんが昨日の奥沢の橋について話し出した。


​「今日、診療所を通り抜けて向こう側、奥沢への橋をもう渡れるようにしておくからみんなで見に来てくれよな」


​おばちゃんが不思議そうに尋ねた。


​「あれ?橋ってどうやってかけるの?材木の長さが足りないって言ってたのに」


​「まぁまぁ、細かい詮索(せんさく)はナーシ!」


​おじちゃんは、何かを隠すようにそう言った。


​タケシは嬉しそうに言った。


​「よし!じゃあ今日はみんな奥沢探検だ!朝飯食ったら新しくできる橋のところに集合ね!」


​そしてボクは朝食を食べ終わり、橋をかけたという場所へ向かった。


​そこにはおじちゃんがいて、その橋は、使われていない木製の電柱をそのまま切り倒し、向こう岸まで渡したものであった。


​「なんだか不思議なマークがはいった丸太橋だね」


​おじちゃんは、得意げにこう返した。


​「へへ、安全第一って意味なわけよ、やっぱひと仕事終えたあとは気持ちいやね〜」


​丸太橋を渡ると、そこにはすでにタケシとシゲルがいた。

​タケシはリーダーのように前に出る。


​「じゃあ今から奥沢探検隊、スタートだ!」


​まずシゲルが見つけたのは、クヌギの木だった。


​「ボクくん、これクヌギだぜ!」


​「へぇ〜!すっごい!なんかいた?」


​そう言うと、ボクの後ろにはもう二人の姿はなく、早々(はやばや)と先へと向かっていた。慌ててボクはそれを追いかける。


​そして次に見つけたのは、洋お兄ちゃんのロケットだった。


​タケシはロケットを見てこう言った。


​「洋兄ちゃんのロケットこんなとこに落ちてたんだ・・・、そうだ、部品を取り出して洋兄ちゃんに持っていかなきゃ、たしかバルブって言ってたな」


​といっても、二人はバルブがどれかわからないようだった。


​「どうするの?」


​「ま、また今度かな?」


​「お兄ちゃん諦めるのずいぶん早いね」


​「えへへ、じゃあ次も頑張って行くぜ!」


​そう言って、二人は先に進んで行った。

​ボクは改めて落ちたロケットを見てみた。そのバルブには、マジックで『バルブ』と書かれていたから、それを回収した。


​そして二人のあとを追って合流すると、随分とボロくて高い木の橋があり、タケシ兄ちゃんはボクに向かって言った。


​「ボクちゃん、この橋ちょっとこわいんだぜ、ビビらないでちゃんと渡ってこいよ!」


​そう言って、二人は軽々と橋を渡っていった。

​ボクも橋を渡って真ん中あたりで下を覗いてみると、足がすくむような怖さを感じ、急いで橋の向こうへ走って二人のところへ行った。


​「うわぁ、ここ怖いよ」


​タケシ兄ちゃんが口を開く。


​「ここを通れば家に帰れるから俺たちは先に帰ってるぜ!」


​十七. 黄昏の波止場と、少女の肩たたき


​夕日が差し掛かる頃、波止場に行くと、船頭さんと凪砂お姉さんが立っており、船頭さんは凪砂お姉さんに話しかけていた。


​「お客さんって、私の事、船長さんっていいますよね」


​「・・・・・・・・・」


​「あれ?なにかいけないこといいましたか?」


​「いいえ・・・」


​「今日、お客さん以外に私の事を船長と呼ぶ人がいたんだけど、昼間少し、その人と揉めたんです。・・・その時なぜか、あ、あなたのことを思い出しました・・・」


​「どういう・・・意味ですの?」


​「いや・・・い、意味なんて、ありません。ただ...あなたのことを思い出した。それだけのことですよ・・・。」


​二人は、ボクには難しい話をしていた。


​その頃、もうすぐ夕飯の時間なので茜屋に戻って食卓を囲っていると、おばちゃんが口を開いた。


​「なんだか、靖子ちゃんのところのおじいちゃん、元気ないのよね」


​おじちゃんがぶっきらぼうに答えた。


​「え?あのじいさんならまだピンピンしてるぞ?」


​おばちゃんは、心配そうに続ける。


​「でも・・・道ですれ違ってもため息ばかりついてるの、靖子ちゃんに聞いたら、家でもそんな感じなんですって」


​シゲルは、事の深刻さがわからず喋る。


​「きっと悩みがあるんだよ」


​夕飯を食べ終わえ、ボクはおじいちゃんのところへ行った。

​おじいちゃんは、軽くため息をついていた。


​「ふぅ・・・なんだか最近、しんだ家内の夢ばかり見るのう・・・」


​「寝不足なの?」


​「いや、むしろぐっすりと眠れるのじゃが、目覚めたあとが悲しいのじゃ...。わしゃ医者じゃ・・・死んだ家内や息子がもう帰ってこないことなど充分に理解しておるのじゃが・・・」


​そう言い終えると、おじいちゃんは、そのまま眠ってしまった。


​次の日、ボクはまた診療所の病室を訪れた。

​少女が、少し寂しそうにしていた。


​「どうしたの?」


​「・・・ちょっとね」


​「もしかしたら、一人でずっとここにいるのが寂しいの?」


​「うん・・・ちょっとね」


​「そうなんだ」


​すると少女は、こちらを見てこう言った。


​「ねぇ、少しだけ君に甘えてもいいかな?」


​「え?なにをすればいいの?・・・でも、ボクなんにもできないかも・・・」


​「ううん、そんなことないよ」


​少女は少し考えて、こう言った。


​「じゃあね、君、肩たたきはできるかな?、昔、よくやってもらったんだ、肩たたき・・・ねぇ、やってくれる?」


​「いいよ!」


​「わぁ、ありがとう、じゃあ遠慮なく」


​そう言って、少女は背中をこちらに向けた。


​ボクは、おばちゃんにやったように、その少女の肩をゆっくりと叩いた。


​「ふぅ〜、ありがと〜、なんだかちょっと幸せだったよ」


​「シアワセ?」

​「うん・・・あ、そうだ、おれいをしなくちゃね。」


​そう言って、少女は懐に手を入れて、五十円玉を渡してくれた。


​その五十円玉は、今ボクが見慣れているものとは少し違っていた。


​「あれ?この五十円玉、ちょっと変だよ」


​「え?そうかな〜」


​それは確か、ボクが産まれる前に使われていた、古い五十円玉だった・・・。


​気になりつつも、ボクは病室をあとにして、波止場へ向かってみた。

​すると、いつもの定位置に船頭さんが座っていたので話しかけた。


​「ねぇ、お兄ちゃんはこの町のこと、詳しい?」


​「まぁね、十四年もこの航路で働いてるんだから、そりゃ詳しくなるさ、茜屋のおじちゃんがこの町に戻ってくる前からこの船に乗ってるんだからね」


​「え?ボクのうちのおじちゃんは昔なにやってたの?」


​「大工さんだよ、しおだてで有名な親方について修行してたんだ。」


​「うちのおじちゃん、昔は大工さんだったんだ、全然知らなかったよ」


​十八. 静江ちゃんの帰郷


​夕飯のため茜屋に戻り、みんなで食卓を囲んだ頃、おばちゃんが口を開いた。


​「明日、静江ちゃんが来るんだけど・・・」


​おじちゃんは聞き返す。


​「うちに泊まるの?」


​「そうよ?」


​「そうか・・・」


​ボクが静江ちゃんが誰なのか気になって尋ねようとすると、タケシ兄ちゃんが答えてくれた。


​「靖子お姉ちゃんのお母さんだよ。昔ここに住んでたんだ」


​おばちゃんは話を続ける。


​「さっきしずえちゃんから電話があって、明日の昼の船で来るって」


​タケシとシゲルは、お土産を期待していたが、おじちゃんに一喝された。


​「コラ!おばちゃんにおねだりするんじゃねぇぞ!」


​「へへ!じゃあ俺また廊下の掃除でもして小遣い貰っちゃおうかな?」


​タケシは楽しそうにそう言うが、おばちゃんにつっこまれた。


​「なーに言ってんの、ここはあんたの家でしょ?」


​食卓は笑いに囲まれた。


​次の日の昼、靖子お姉ちゃんの母親である静江ちゃんが帰ってきていた。


​静江ちゃんはベランダで外を眺めており、ボクに気づいて話しかけてくれた。


​「きみ、ここのおばちゃんの甥っ子なんだってね、いいところに住んでる親戚をもって幸せ者だねー!」


​「おばさんは・・・えーと、しずえちゃん?」


​「あれー?ここのおばちゃんから名前を聞いたのかな?おばちゃんね、お盆が終わったら帰っちゃうけど、それまでは仲良くしてね!」


​「うん!わかったよしずえちゃん!ところでここでなにをしているの?」


​静江ちゃんは、遠い水平線を眺めて言った。


​「海を見ているのよ、」


​「どうして?」


​「好きだから」


​「え?」


​静江ちゃんは、突然、元気に美しい声で叫んだ。


​「海が好きだから!」


​十九. 座敷わらしの夢

​そして夕方、ヒグラシの声が響く頃、今日も診療所の病室へ行くと、変わらず少女の姿があった。


​「お姉ちゃんって変わってるね」


​「え?それってどういう感じ、なのかな・・・。うふふ、たとえば幽霊に見たいに足が透明になってるとか?」


​「座敷わらしみたいに、なんだかボンヤリしてる」


​「かなり失礼かも」


​少女は不満気な顔でそう言った。


​「ごめんなさい・・・。」


​「でも私、座敷わらし見たことあるんだ」


​「え?どこで!どこで!」


​「立て替えられる前の自分の家...、明治元年に建てられた天井の高い大きな家で、庭に夏みかんの木があるの・・・。縁側の突き当たり、暗がりの中にあの子は立ってたんだ・・・」


​少女は少し考えながら続けた。


​「でも、本当に座敷わらしを見たのか、それとも夢だったのか、今となっては、もう分からないんだ・・・それに、今だと、私の方が本物の座敷わらしみたいだし」


​ボクにはよくわからなかったが、二人は静かに笑い合った。


​二十. 馬が合わない親子


​そして夜。ボクが靖子お姉ちゃんの家に行ってみると、お姉ちゃんはいつもの明るさがなく、どこか元気がない様子だった。


​「お姉ちゃんどうしたの?大丈夫?」


​彼女は返事をせず、ただ俯いていた。ボクが重ねて尋ねると、靖子お姉ちゃんは重たそうに口を開き、普段よりも低く元気のない声で話し始めた。


​「うちのお母さん、ボクくんのところに泊まりに来てるんだって・・・」


​「うん、そうだけど」


​「私・・・お母さんと仲...悪いんだ・・・、光には逢いに来てくれるんだけど...私だけ、もう何年も会ってないんだよね・・・。会う度に喧嘩しちゃうしさ・・・」


​彼女の横顔には、言いようのない孤独が浮かんでいた。


​「・・・ねぇ、靖子ちゃんのお母さんてお父さんとリコンしちゃったの?」


​「うん・・・元々馬が微妙にあわなかったの・・・」


​「ウマ?」


​「たとえば、サヤインゲンのへた」


​「へた?」


​「うん・・・サヤインゲンの形状が問題なの、お父さんは茎の方と反対側の方、両方のヘタを取ったのじゃなきゃ嫌なんだけど、お母さんは茎の方と、それに繋がったスジだけを取るんだ・・・」


​ボクは、大人たちが抱える問題の複雑さに、驚きを隠せなかった。


​「大人ってすっごい苦労してるんだね」


​「特に我が家はね・・・。ねぇ・・・そういえばウチのお母さん、ここの鍵の話、なんか言ってなかった?」


「何も言ってなかったよ」


​二十一. 再会への誓い

​翌日の朝、茜屋の二階には、タケシとシゲル、おばちゃん、そして静江ちゃんと光ちゃんが集まっていた。賑やかな声が響く。


​するとタケシが、少し物足りなそうに言った。


​「今日はちょっと賑やかだけどみんな集まってもこの人数じゃ野球もできないよ」


​シゲルが続けて補足する。


​「お兄ちゃん、野球は味方だけじゃなくて相手のチームの人数もいるんだよ」


​すると、静江ちゃんがボクに優しく話しかけてきた。


​「うちの光と一つ違いなんだって?時々一緒に遊んであげてね」


​光が、得意げに静江ちゃんに話しかける。


​「ねぇ、お母さん、私学校の先生に褒められたんだよ」


​「え〜!なんで褒められたの?」


​「給食の牛乳、全部飲めるようになったんだ!」


​「へー!それはすごいねぇ!やったね、光!」


​すると光は、自慢げにボクに言った。


​「うちのお母さん、背が高いし、かっこいいでしょ」


​「うん、そうだね!」


​光は、母親の腕に抱きつきながら、ふと、切ない願いを口にした。


​「・・・光、お母さんのあっちの家族と、一緒に住んでみたいなぁ・・・」


​その時、窓の外からサイモンが写真を撮るよと声をかけてきたので、ボクたちは皆で窓から顔を出した。


​「ハイ、チーズ!」


​写真を撮り終え、ボクは洋お兄ちゃんの家へ向かった。


​「こんにちは!」


​ボクが挨拶をすると、洋お兄ちゃんも元気よく迎えてくれた。


​「おや、お客さんか、こんにちは!」


ボクは拾ったバルブを渡した。


「あんなところに落ちていたんだね!ありがとう!」


​すると洋お兄ちゃんは、ボクの身長と同じくらいの、作りかけのロケットを見せながら、生き生きと話し出した。


​「これ、夏休みのうちにもう一台、打ち上げテストをする予定なんだ。これで成功したら、なんとか本題の三段ロケットにも目処が着くんだけどね」


​「へぇ、すごいね、ねぇ、これって全部一人で組みたてたの?」


​「うん、タケシに手伝ってもらったところもあるけど、まぁほとんど一人かな。そうだ、バルブを見つけてくれたお礼といっちゃなんなんだけど・・・この三段目のロケットにキミのサインをいれてくれないかな?」


そういって組み掛けのロケットの三段目を差し出してきた。


「さいん?」


「でっかく、名前を書くってこと!」


「名前を?」


「うん、燃料の配合バランスや、その他もろもろのコツがわかってきたら、この三段ロケットを打ち上げるんだ」


「これに名前を書いたらぼくのなまえが、宇宙をとんでいくってこと?」


「へへ、ほんとに宇宙まで飛んでいけばいいんだけどね」


ボクは少しドキドキしながら、太い油性ペンで、大きく、しっかりと自分の名前を書いた。



​「ねぇ、洋お兄ちゃんはいつもひとりで寂しくないの?」


​「うん・・・もう、慣れちゃったからね」


​「昔、靖子お姉ちゃんと仲が良かったんでしょ?」


​「え、でもそれって十年くらい前の話だよ?たしかにあっちが小学校に上がるまでは、毎日、二人で遊んでたけどね」


​「今は?」


​「もう、全然だよ」


​「だって、あっちが小学生に入ってから一度も口きいたことがないんだもん」


​「えっ、そうなんだ」


​「当時は寂しかったから、何度か家に行ったりしたんだけど・・・勇気がなくて入っていけなかったんだ」


​「今もそうなの?」


​「そんなことないよ!」


​「じゃあ、一緒に靖子お姉ちゃんちに遊びに行こうよ!」


​「え・・・そ、それはちょっと」


​「勇気がないんだ」


​「くそ〜!腹立つなぁ・・・!よし、行くぞ、行ってやる!じゃあ、晩御飯のあとで、公園の入り口ね!逃げんなよ?」


​「あれ?そこまで勇気がいることなの?」


​「ま、まぁ、とにかく僕は行くと決めたら行くんだ!」


二十二. 十年ぶりの会話

​そして夕食を終えた頃、タケシが何かを確認する。


​「お坊さん明日なんだっけ?」


​おばちゃんはそれに答えた。


​「うん、朝一番で来るって」


​ボクは、お坊さんがなぜ来るのか気になって尋ねた。


​「お坊さん?」


​「そうよ、お経をあげに来てもらうの」


​「お墓に?」


​おじちゃんが否定する。


​「んや、うちは仏壇、相良(靖子お姉ちゃんの苗字)の家はお墓に行ってあげてもらうけど。」


​するとおばちゃんは、何かを思い出したように笑いながら言った。


​「変なお坊さんなの、びっくりしないでね」


​すると一同は、何かの記憶を共有するかのように、一斉に爆笑した。


​そしてボクは、洋お兄ちゃんと約束の公園の入り口まで行った。そこには既に洋お兄ちゃんの姿があった。


「な〜んだ、逃げないでちゃんと来たんだ」


​「なんでボクが・・・?、お兄ちゃんこそ用事もないのにちゃんときてくれたんだね」


​「そ、そりゃあそうだよ、約束したんだもん...、それにしても、これじゃ僕が靖子ちゃんちに、肝試しに行くみたいだね・・・」


​そう言いながら、二人は靖子お姉ちゃんの家に向かった。


​家の前についた頃、洋お兄ちゃんが口を開いた。


​「ここ、昔は太い大黒柱があるような大きな家だったんだって、今はコンクリの家だけど、公園から見えるみかんの木だけは昔のまんまらしいよ」


​そう話す洋お兄ちゃんの手を引いて、ボクは裏庭の靖子お姉ちゃんがいる部屋まで行った。靖子お姉ちゃんは、いつものように階段に座って読書をしていた。


​ボクは靖子お姉ちゃんに挨拶をした。


​「お姉ちゃんこんばんは」


​「こんばんはボクくん、あれ?今日はどうしたの?」


​そう言う靖子お姉ちゃんは、ボクの後ろに立つ洋お兄ちゃんの姿を見て、驚きで目を見開いた。


​「えっ・・・うそ・・・、なんで・・・?ボ、ボクくんとは?」


​洋お兄ちゃんは、気まずさと照れくささで顔を赤らめながら答えた。


​「ちょっとした・・・知り合い・・・」


​「あっ・・・そうなの・・・今日は・・・どうしたの・・・?」


​「い、いや、ボクくんがどうしても連れていくっていうから、僕、やっぱり帰るよ」


​「えっ、せっかく来たのに」


​「い、いや帰る、ごめんなさい!」


​洋お兄ちゃんは逃げるようにその場を去ろうとするが、靖子お姉ちゃんは慌てて声をかける。


​「ちょ、ちょっと待って!あのね、あのね・・・、えーと・・・じ実は私、洋くんにお話したいことがある、もう何年も前からなんだけど・・・」


​洋お兄ちゃんは足を止め、恐る恐る靖子お姉ちゃんの方を振り返る。


​「え・・・それってなに・・・」


​「あ、あのね・・・うーん・・・今度、昼間、家に行くよ。・・・すごい久しぶりだけど、その時話してあげる・・・。おじさん、元気かな」


​「どうだろ・・・最近山から降りてこないんだ。もう五十過ぎだっていうのに」


​「そうなんだ・・・」


​洋お兄ちゃんは、緊張が解けたのか、へへっと笑った。


​「えへ・・・大人になってから初めて靖子ちゃんと口を聞いたよ・・・」


​「あら、大人たって、まだ高校生と中学生のくせに」


​「えへへ!そうだね。じゃあ、先に帰るよ。あのね・・・」


​「なに?」


​「ちょっと、楽しかった・・・」


​「うん、私も・・・。じゃあね、おやすみ!」


​「おやすみなさい!・・・」


​そう言いながら庭から出る洋お兄ちゃんは、何かを思い出したように話し出す。


​「あれ?僕たちたしか、さよならの時に使う決まり文句があったと思うんだけど」


​「え?あはは!もう、わかんないよぉ!じゃあ、おやすみ」


​「うん!じゃあね」


​そう言って靖子お姉ちゃんは洋お兄ちゃんを見送った。


​終始、二人は落ち着きのない様子だった。洋お兄ちゃんの姿が見えなくなると、靖子お姉ちゃんはボクの方へ駆け寄ってきて、詰め寄った。


​「おい!きみはただのいたずらっ子?それとも、人心をかき乱す悪魔みたいな危ないヤツ?」


​「なんだそりゃ」


​「もうちょっと責任感じてよね・・・。これは私にとって、結構、深刻に大事な事だったんだから・・・。ねぇ、いきなり陽くんが登場して、私がどれくらい驚いたか想像つく・・・?」


​「・・・・・・」


​「ま、いっか・・・。あ〜〜!でも今度、洋くんちに行かなきゃならないのかぁ〜」


​二十三. 病室で

​翌朝、皆が朝食を終えた頃、食堂に一人のお坊さんがやってきた。


​「こんにちは〜」


​おばちゃんが口を開く。


​「あら、お坊さんもう来ちゃったわ」


​おばちゃんとおじちゃんが外へ出てお坊さんの方へ行くと、お坊さんは話す。


​「おや、まだ食べていたところでした?」


​「いやいや、今終わったとこ」


​シゲルがひょこっと顔を出した。


​「母ちゃんの朝ごはん、おいしいんだよ」


​「はいはい、チャーミングだし、とっても素敵お母さんですね」


​「え?いやぁそんなもう!」


​おばちゃんは照れた様子で、おじちゃんの肩を叩くと、おじちゃんはつまずいて海に落ちそうになっていた。


​そんなやり取りをしつつ、仏壇の前に一同が揃った。するとタケシがシゲルに言う。


​「シゲル、居眠りして鼻ちょうちんだすんじゃねぇぞ」


​するとおじちゃんが笑いながらこう言った。


​「足がしびれてひっくり返ったやつがいたっけな!」


​するとお坊さんを含め、家族全員が、おじちゃんを見て一斉に言った。


​「それはあなた!」


​そんなこんなもあり、無事にお経をあげ終わり、「チーン」という音が鳴り響いた。


​「さーて、こんなもんかな」


​おじちゃんがお礼を言う。


​「ありがとうございます」


​するとお坊さんは、カバンから花火を取り出した。


​「あーこれ、みなさんで遊んでください、花火です。檀家に花火工場があるんですが、そこから、えー、現物支給というか」


​「いいんですか?こんなに沢山」


​「はい、それに先程しおだて汽船の船頭さんに山ほどあげてきました」


​タケシが口を開く。


​「え?船頭さんって花火が好きなの?」


​「はい、でもあの方にはなにかご計画があるようで」


​シゲルはワクワクしながらこう言った。


​「きっと、看護婦さんだよ、一緒に花火しよ〜って」


​するとおばちゃんに叱られていた。


​「こら、変なこと言うんじゃないの」


​するとお坊さんが、意味深な一言を付け加えた。


​「看護婦さんですか?ぴんぽーん」



​お坊さんが帰り、タケシたちも遊びに行った頃、ボクはまた診療所を訪れた。そして、夕映えの光が溢れる病室に入ると、そこには、おじいちゃんと少女が、まるで恋人のように仲良く並んで座っていた。


​おじいちゃんは、とても優しい声で少女に話しかけた。


​「靖成は元気か?」


​少女もまた、優しい声で、長年の習慣のように返事をする。


​「うん、相変わらず毎晩、星を見てますわ・・・」


​「そうか・・・」


​「ねぇ、おじいちゃん、あんまり悲しまないで・・・。もう、靖子も光も、あんなに大きくなった事だし」


​「うーん・・・」


​「それに二人とも、とッてもいい子でしょ」


​「そうじゃなぁ・・・」


​「本当はいつでも、私がいっしょにいてあげられるといいんだけど・・・」


​少しの間を開けて、おじいちゃんは小さく、感謝の言葉を呟いた。


​「ありがとう・・・」


​「えっ、どうして?」


​「会いに来てくれて、本当にありがとう・・・」


​「ふふっ、どういたしまして」


​「でも、キミにはもうじき会えるから・・・」


​「まぁやだ、そんなこと言わないで・・・。本当にそんな事、言わないでくださいね」


​「・・・ごめん。」


二十四. 家族の線香花火

​その日の夕食後、タケシが嬉しそうに提案した。


​「ねぇ、せっかくもらったんだから花火やろうぜ!」


​シゲルも楽しそうに賛成する。


​「やろうやろう!」


​おじちゃんが、水を張るバケツの当番を選ぼうとする。


​「よっしゃ!じゃあ、誰がバケツ当番?ん・・・」


​みんなの視線が、一斉におじちゃんに集まる。


​「・・・おれ?」


​そして皆で縁側に出て花火をした。


​タケシとおじちゃんが、無造作に火をつけようとするシゲルに注意する。


​「シゲル、おまえ線香花火はちゃんと一本ずつ使えよ!」(タケシ)


​「そうだ!いいか、最後の消えかけがキレイなんだからな!」(おじちゃん)


​「えっ、だってこれ父ちゃんがくれたんだよ、あっ!火の玉落としちゃった!」(シゲル)


​タケシが、シゲルの手に残った花火の束を見て、おじちゃんに確認した。


​「とうちゃんどういうこと?!・・・あ!とうちゃんこれ一本じゃなくて一束だよ!」


​おじちゃんは豪快に笑う。


​「がははは!なんだ、どうりで豪華だと思ったら」


​おばちゃんは、ボクに優しく声をかける。


​「ねぇ、ボクくんそっちの方煙たくない?」


​「うん、大丈夫だよ!」


​そんな温かいやり取りをしつつ、夜も遅くなってきたので、花火はまだ余っていたが、終えることにした。


そして2階へ上がるとサイモンがいつものように座っていたので、声をかけた。


「ねぇ、テレビで見たんだけど、日本の戦争ってサイモンの国とも戦ったの?」


「そうだよ、たくさんの人がしんだよ」


「なんで戦争が起きたの?」


サイモンは少し考えてこたえた


「うーん・・・私は、それをキミに上手く説明できる自信がないなぁ」


「そうなんだぁ・・・」


「うん・・・、これはキミがもう少し大きくなってから、お父さんお母さんとちゃんと話し合った方がいいよ。なんで戦争が起きたか・・・あんなにたくさんの人がしんでどう思ったか、サイモンは戦争が終わった時まだ5歳だったけど、今35歳になっても、世界のどこかで戦争が続いているんだ。これ、みんなが真剣に考えないと、いつまで経っても無くならないからね・・・。」


「・・・・・・」


​二十五. 郷愁の幻

​お盆の終わりが近づく次の日の朝、山の入口に行くと、おばちゃんがいた。


​「あーあ、今年ももう終戦記念日か...。ボクくん、ぼくのなつやすみ、もう半分終わっちゃったね」


​「そうだね・・・、ねぇおばちゃん、お盆と終戦記念日が重なってるのって何か理由があるの?」


​おばちゃんは少し考えた。


​「うーん、どうなんだろう・・・。でも皆でお寺やお墓参りに行ったり、なんとなく特別な時期だよね」


​「うん!」


​「ちなみに、八月のお盆は、『旧盆』って言います。普通に『お盆』といったら七月の中旬のことをさすのよ。明治の最初の頃に、旧暦から新暦に暦(こよみ)が変わって、それで、ひとつきズレちゃったんだって」


​「へぇ、そうなんだ」


​「二月の節分でお豆をまく時、鬼は外、福はうちって言うじゃない?あれは、去年の厄を払って新年の福を招き入れるって意味なの。そう考えると、なんだかお正月の行事みたいでしょ。あれもお盆と同じ理由でお正月が移動しちゃったから、少々不思議なことになっちゃってるのよ」


​「おばちゃんって物知りだね!」


​「うん!役に立たないことばかり知ってるんだけどね」


​おばちゃんは笑いながらそう言った。


​山に入り、小さな墓場に行くと、静江ちゃん(靖子の母)がいた。

​静江ちゃんの前に立つ墓石には『相楽家の墓』と刻まれていた。


​墓石の前で手を合わせている静江ちゃんに、ボクは話しかけた。


​「ねぇおばちゃん、誰のお墓参りをしてるの?」


​静江ちゃんは、いつもの元気な声でありつつも、どこか静かな響きを帯びた声で答えた。


​「離婚した元亭主と、そのお母さんよ・・・。元亭主...靖子や光のパパなんだけど、結構いいヤツなんだ。こんなに早くしんじゃうんだったら、逃げないでもっと本格的にケンカしてあげれば良かった・・・」


​静江ちゃんは、ふと何かを思い出し、ボクに質問をしてきた。


​「ねぇ、靖子さ、何か、家の鍵のこと言ってなかった?」


​「言ってたよ。」


​「おばちゃんさ、あの天文台の家を出ていく時に、亭主の部屋へ繋がるドアの鍵をわざと持ってきちゃったんだよね・・・」


​「なんで?」


​「意地悪だから」


​「ほんとに意地悪で持ってきたの?」


​「ふふ、変なことを訊く子ね」


​その日の晩、診療所のおじいちゃんと少女が病室で話していたことが気になり、おじいちゃんのところへ行ってみた。


​「ねぇ、あの患者さんとなにを話していたの?」


​おじいちゃんは、少し明るい声で答えた。


​「ん?あれはな・・・『郷愁(きょうしゅう)』じゃ」


​「なんだそれ?」


​「あれは、わしの郷愁が見せた幻なのじゃ・・・・・・そう・・・あれは幻なのじゃよ・・・」


​おじいちゃんは少し黙った。


​「なんか・・・わし、変かの?」


​「ううん、そんなことないけど、それより」


​「なんじゃ?」


​「おじいちゃんって、時々小さな子供みたいに見えるね」


​「ほっほっほ、妙なことを言う子じゃの」


​その日以降、ボクが病室を訪れても、少女の姿はなかった。


二十六. 開かれたドア

​次の日、お盆最終日の朝、おばちゃんが食卓を囲むみんなに言った。


​「今日、昼の船でしずえちゃん帰るんだって」


​タケシが聞き返す。


​「おばちゃんって今なにやってんの?」


​「え?仕事のこと?あれ?なんだっけなぁ、でも彼女は和文タイプが打てるから、食べるには困らないみたいだよ」


​「そうなんだぁ、いいねぇ」


​そして昼になる頃、波止場に行ってみると、静江ちゃんが船の前に立っていた。ボクに気づくと声をかけてきた。


​「あれ、キミが見送りに来てくれるとはね」


​ボクは、光の姿がないことに気づいた。


​「あれ?光は?お母さんが帰るのに来てないの?」


​「うん、いつ帰るか教えてないの。変な親子でしょ」


​「悲しすぎるから?」


​「え?どういうこと?」


​「悲しいから、光もおばちゃんも帰る日を言わないし、訊かないのかな?」


​そういった頃、船が出る時間になり、静江ちゃんは船に乗り込み、町を出ていった。

​ボクは、その船を眺めながら大きく手を振っていた。


​茜屋に戻り、ふと、静江ちゃんが泊まっていた部屋が気になり、入ってみた。


​すると、テーブルの上には白いハンカチと、その上には一つの小さな鍵が置かれていた。


​そしてボクは靖子お姉ちゃんの家に行った。靖子お姉ちゃんは、いつもの階段に座って読書をしていた。


​「あれ.、ボクくん、どうしたの?」


​そう言って、靖子お姉ちゃんはボクの方まで歩いてきた。ボクは、静江ちゃんが置いていった鍵のことを知らせた。


​「ねぇ、これ、お姉ちゃんのお母さんが置いていったんだけど、ここの鍵じゃないのかな?」


​「え?どういうこと?」


​靖子お姉ちゃんは驚いた様子だった。


​ボクは鍵を、例の、長年閉ざされていたドアに差し込んでみた。


​カチャカチャっと音が鳴ったあと、歯車が合うように「ガチャ」と、鍵が開く音が響いた。


​靖子お姉ちゃんは、思わず「あ・・・」と声を漏らした。


​ドアを開けると、中には光がアイスを食べており、ドアが開いたことに驚いた様子でこちらを見ていた。


​靖子お姉ちゃんも、空いたドアをくぐって入ってきた。


​「お母さん・・・・・・。お母さん、お母さん!」


​そう言うと、靖子お姉ちゃんは正面玄関から外へ飛び出し、道に座り込んだ。


​「あーあ・・・」


​「どうしたの?」


​ボクがそう問いただすと、靖子お姉ちゃんは、どこか気の抜けた声で言った。


​「おなか・・・おなか、すいたな・・・。夏の、焦げたアスファルトの匂いがする・・・」


​靖子お姉ちゃんは座ったまま空を見上げた。


​「雨・・・降らない、かな?」


​そう言いながら、靖子お姉ちゃんは正面玄関から家へ入っていった。光の隣へ腰を下ろして言った。


​「あーあ、我が家の懸案事項・・・喉に刺さった大きな骨がなくなったらさ、なんだか私まで骨抜きになっちゃったよ。なんでだろ.・・・。私、小さい頃からよく言われてたんだ、お母さんにそっくりな性格だって」


​すると光が口を開いた。


​「この家、ドアが開いてわかったんだけど、意外に広いんだね・・・」



​二十七. 船頭さん

​夕方になり、波止場に行ってみると、船頭さんと凪砂お姉さんがいた。


​船頭さんは、凪砂お姉さんに話しかけていた。


​「先日、お坊さんがこの船に乗ったんですか。お土産に花火を貰いました。」


​「・・・そうなんですか、夏らしくて、いいですね」


​「そうですよね、うん、夏らしい・・・」


​「・・・・・・・・・」


​「お客さん・・・」


​「はい?」


​「いっしょに花火・・・・・・花火を・・・してくれる人がいたらいいですよね」


​船頭さんは、不器用ながらも精一杯の好意を込めてそう言った。


​凪砂お姉さんは、その言葉に黙っていた。その沈黙のあと、船頭さんは笑い出し、タジタジとした。


​「あはははは・・・あのォ・・・」


​それを遮るように、凪砂お姉さんは話した。


​「すいません・・・いつも色々と楽しい話をしてもらって・・・」


​「いえいえ、そんな」


​「でも私・・・船長さんの好意には...なんというか...お応えできないんです」


​「え・・・」


​「ごめんなさい・・・」


​「・・・うん、そ、そうですよね・・・。いや〜、気を遣わせちゃって悪いことしたな〜・・・がははははは・・・」


​「ほんとにごめんなさい・・・」


​「ははは、大丈夫大丈夫、私の事なんかこれっぽっちも気にしなくていいんですよ」


​「・・・」


​船頭さんは、自虐的な言葉で場を和ませようとした。


​「砂漠の・・・サハラ砂漠のラクダのようなやつだと思ってください。頑丈だし、ちょっとのことではへこたれません。・・・でも、ラクダだけに振られたのが夏で良かった」


​「え・・・」


​「冬に振られると・・・冬の海は寒くて苦しいからもっと悲しくなってたかも」


​「そうですね・・・」


​「うん、春に振られると多分酒を飲みたくなるし、秋に振られると・・・お腹がすくとか」


​船頭さんがそう言うと、凪砂お姉さんは初めて笑った。


​「あはは・・・」


​「しかし、ここの夕日って本当にきれいですね」


​船頭さんがそう言って夕日を眺めると、凪砂お姉さんもまた、その美しい光を静かに見つめていた。


​二十八. オオカミじじいと、十年の壁

​晩御飯を食べる時、ふと気になっておじちゃんに尋ねた。


​「ねぇ、ロケットの洋くんのお父さんは何をしてる人なの?」


​「え?何をやってるって聞かれても・・・オオカミじじいかな」


​おばちゃんが口をはさんだ。


​「あら、それは昔のことでしょ?、今は、炭焼に職人さんなのよ」


​タケシとシゲルは、口を揃えて言った。


​「だってみんなオオカミじじいってよんでるぜ?」


​「オオカミじじいはオオカミじじいだよ」


​「もう、ウチのガキんちょたちったら!」


​翌日、洋お兄ちゃんの家へ行ってみると、門の影に靖子お姉ちゃんが立っていた。


​「あれ?お姉ちゃんどうしたの?」


​「えーと・・・、一応、約束だから・・・」


​「あ、そっか!洋お兄ちゃんに用事があるんだね、ボク呼んでこようか?」


​「うーん、どうしようかな、いや、自分でいくよ」


​そう言うと、靖子お姉ちゃんの後ろには、既に洋お兄ちゃんが立っていた。


​振り向いた靖子お姉ちゃんは、洋お兄ちゃんの姿に気づいて驚き、尻もちをついた。


​「キャー!」


​洋お兄ちゃんが声をかける。


​「だ、大丈夫?」


​「い、痛〜い・・・」


​二人は、波の音が聞こえる縁側へ腰を下ろして話し始めた。


​「そういえば、ちっちゃい頃は一年三百六十五日、ずーっと二人で遊んでたよね」


​「そうだね、でも今となってはやっぱり靖子ちゃんの方がかなえいお姉さんかな」


​「一歳しか違わないのに?」


​「うん・・・そっちは高校生だし、もう東京に出て下宿してるんだから、しょうがないんだけど・・・」


​「そうか・・・あの頃はさぁ、同い年だと思ってたのにねぇ」


​「うん、そうだね」


​「私、小学校の入学直前にキミのお母さんから、洋は小学校はまだよ、来年の春よって聞かされた時、ちょっとショックだったんだ」


​「それは僕もおんなじ、靖子ちゃんだけ春から小学校、なんて、なんだか、とにかくびっくりした。」


​「アハ、あの時、キミが驚いて私の顔をじ〜っと見てたの、今でも覚えてるよ、私さ、小学校の入学式の翌日に、もう仲のいい友達ができちゃったんだ。えへ、人生で最初の女の子の友達、クラスで身長順に並ぶと私が三番目、彼女が四番目。ごめん、その日からキミのこと完璧に忘れてたぁ・・・」


​「・・・・・・」


​「というわけで、一年後に妙に無口になったキミが通学船に乗ってくるまで、ほとんど気にもしなかったんだ・・・」


​「・・・多分そういうことだと思ってたよ。僕、なんども自転車に乗って靖子ちゃんちに行ったんだけど、勇気がなくてさ・・・」


​「そうだったの・・・、あーあ、私って残酷なんだぁ。後になって、キミにものすごく悪いことをしたんだなって、気づいたの。でもそれは、なーんと中学に入ってからなんだ・・・」


​「・・・え?」


​「ごめんね、だって・・・」


​「だって?」


​「子供だったんだもん」


​「・・・それにしても、高一と中三のふたりが、今更小学校の入学前の話をしてるなんて、僕たち、随分のんびりやさんだね」


​「うん、そうかもね」


​二十九. オオカミの次元

​ボクは山の奥の方へ入ってみると、小さな炭焼小屋を見つけた。

​そこにいたおじさんに挨拶をしてみた。


​「こんにちは」


​「こりゃ、ダメだな」


​「だめ?なにが?」


​「先月に嵐で窯(かま)の中に水が入りやがった、ちぇっ!もう一度空焼きしなきゃなんねぇよ・・・」


​「ねぇ、おじちゃんは何をしてる人なの?」


​「炭、炭焼いてんだ」


​「おじちゃんって、もしかしたら、狼のじじい?」


​「チッ、ふもとの連中、俺の事そう呼んでんのか?」


​「そうだよ」


​「そうか・・・でも、負け犬みたいな名前じゃねぇし、まぁいっか」


​「狼を探してるの?」


​「いや、それは昔の話。今は炭を焼いてる。朝起きてうんこして、炭焼いて寝る」


​「ねぇ、またここに来てもいいかな?」


​「勝手にしろ」


​その日の夜、眠りについていると、やや大きな地震があった。


​次の日の朝、食卓に行くとおばちゃんが地震について話していた。


​「夜の地震、怖かったね」


​シゲルは強がって言った。


​「僕平気だったよ?」


​タケシはそんなシゲルに言う。


​「お前ちょっと寝ぼけてたぞ?」


​ボクは自分に起きたことを話す。


​「ボク、布団が崩れてくてびっくりしたんだ」


​おじちゃんがまぬけに言った。


​「おい、地震ってなんだ?」


​おばちゃんはそんなおじちゃんに笑いながら言った。


​「グースカ音立てて寝ていた人にはわかりません!」


​そして、その日もオオカミじじいのところへ行った。


​「こんにちは、おじちゃん」


​「よっ、お疲れ」


​「今日も一人?」


​「なにー?ひとりで悪いかよ」


​「奥さんは?」


​「うっ、来たねー、ボディーブローじゃなくて顔面ストレート鼻血まみれだね」


​「聞いちゃまずかった?」


​「いや、そんなことは無いんだよ、五年くらい前に・・・逃げられた。」


​「・・・」


​「でもガキがいるよ、ふもとの方、海の近くの一軒家だ」


​「へぇー!そうなんだ!ねぇ、ボクが行ったら会えるかな?」


​「うん、でもやつはここらじゃ有名な問題児だぜ」


​「え?ロケットつくってる?」


​「そ、ご名答」


​「ロケットのお兄ちゃんが、おじさんの子供なの?」


​「そ、なんか問題ある?」


​「・・・ナマズがドジョウを食べた?」


​「・・・おまえ、頭がいいのか悪いのかはっきりしろよ・・・」


​「そっか、あのお兄ちゃんがおじさんの子供だったのか」


​「そういうこと」


​「ねぇおじちゃんは本当にオオカミを探してたの?」


​「うん、探してたよ?それがどうした?」


​「で、あえたの?」


​「まぁな」


​「え!そうなんだ!」


​「奴らの遠吠え、おめぇ、映画でもテレビでもいいから聞いたことあるか?」


​「うん、あるよ、ワォー ってやつでしょ」


​「そうだ、じゃああの声の意味がわかるか?」


​「ボク、オオカミの言葉はわかんないよ」


​オオカミじじいはボクを連れて、山に囲まれた大きな湖の桟橋まで歩いた。その湖は海にも繋がっていた。


​「ここに立つと、山からいい風が吹いてくる・・・、だからここで考える。ここで考えると色んな物事の意味が少しだけ見えてくるんだ」


​「なんだそりゃ」


​「やつらは、俺たちとは違う次元に生きてるケモノなんだ。だから彼らの次元に侵入してきた者たちに -急いで向こう側の世界に帰りなさい- そう警告してるのさ、おれたちが戻れなくなってしまう前に」


​「どういうこと?」


​「おまえ、オオカミが怖いか?」


​「うん、とても」


​「それは、とても大事な感情なんだ、大切にしろ」


​「ねぇ、オオカミはたくさんいるの?」


​「うん、この山にも、たぶん数え切れないほどたくさんね」


​「じゃあなんで普段は会えないの?」


​「それはやつらとは生まれた世界が違うからさ」


​三十. 洞窟、謎の男


​別の森の方へ行くと、タケシとシゲルがいた。

​その前には洞窟があった。どうやら昨夜の地震で崩れて、洞窟の入口があらわになったようだ。


​「お兄ちゃん!こりゃ大事件だよ!」


​「それにしてもこれは、誰かが掘って作ったもんみたいだな・・・」


​「中ってどうなってるんだろう・・・」


​「うーん、見てぇ!見てぇけど・・・。こえーよ!」


​その日の夕食時、タケシがみんなに洞窟のことを話した。


​「地震のせいだと思うんだけど、裏山の洞窟入口を塞いでた岩が崩れて中に入れるようになってんだ」


​おばちゃんは驚いた様子だった。


​「そうなの?」


​おじちゃんは、厳しい口調で言った。


​「コラおめぇら、危ねぇから入っちゃダメだぞ」


​「ほんとにそうよ?わかった?」


​「チェ〜」


​次の日の朝、食堂の前に初老くらいの謎の男が立っていた。


​ボクに気づいた男は「なんだ子供か」とため息をついた。


​「どうしたの?おじさん」


​「ここ民宿やってたはずなんだけど、宿の玄関出呼んでも誰も出てこないから」


​「なーんだ、芳佳お姉ちゃんと同じか。みんなでご飯食べてたんだ」


​「今、正面玄関に誰か大人の人、いるか?」


​「いると思うよ」


​「そうか」


​「おじちゃん、なんて名前なの?」


​「名乗るほどのもんじゃない」


​「なんで?」


​「おじちゃん、谷口っていうんだ」


​「ねえおじちゃん、おじちゃんはここに何をしにきたの?」


​「・・・・・・坊や・・・ちょっとうるさいぞ」


​そう言って足早に正面玄関の方へ行った。


​ボクは、タケシたちの部屋の前を通りかかると、黒電話で女子大生のお姉ちゃんが話をしていた。


​「いや・・・証拠はありません・・・今のところは私の勘だけです。で、保田さんのファイルから写真を送って欲しいんですよ・・・はい、現場付近で目撃された二人目の男です・・・。いや、偶然、昔知り合いだった男性に似てたから・・・はい、そうです。それで覚えてたんですか。」


​その日の夕飯の時、タケシがこんな話をした。


​「あの横須賀の事件、もう少しで時効だって」


​ボクは、どんな事件なのか聞いた。


​「銀行に輸送車から五千万円分の金塊が盗まれたんだよ」


​おじちゃんはのんきだった。


​「五千万もありゃ、働かなくても毎日ビールが飲めらぁ」


​夕食が終わり、二階の客室へ行くと、谷口のおじさんがいた。


​「おじちゃん、お酒飲んでるの?」


​「ちょっとな」


​「おじちゃんってどこの人なの?」


​「生まれたのは青森、でももうずっと帰ってない」


​「何をやってるの?」


​「仕事か?今はやってないけど、昔は潜水夫をやってた。水中の工事とかパイプラインの点検とか、水の中の仕事をやるんだ。正確には潜水士っていう。潜水夫は大変な仕事なんだ。給料はいいけど、いつも危険と隣り合わせだ。」


​少し黙って、谷口のおじさんは続けた。


​「それより坊や、おまえはここの家の子か?」


​「違うよ、ボクはお母さんが赤ちゃんを産むから、夏休みの間だけここにいるんだ」


​「お母さんが臨月か、それは大変だな・・・。うちの母親は、去年から病気になってるらしい。」


​「大丈夫なの?」


​「まぁほっといてもすぐに死んでしまう訳では無いし、手術したら簡単に治るそうだ。お金はちょっとかかるけど、まぁしょうがない・・・。うちの母親は、もう八十を過ぎたけど、おじちゃん、いつまでも健康で長生きして欲しいと思ってるんだ・・・」


​部屋を出ると、女子大生のお姉ちゃんが小声で話しかけてきた。


​「小学生...あんまり三号室のおじさんのところに行っちゃだめだよ」


​「え?なんで?」


​「どうしても!」


​三十一. 事件

​翌日の昼、食堂で船頭さんがラーメンを食べていた。ボクに気づくと話しかけてくれた。


​「おはようボク!相変わらず元気そうだな。そういえば以前、この付近の海底に銀行から盗まれた金塊が隠されてるって話でさ、テレビの連中なんかがたくさんおしかけてえらい騒ぎになったんだ」


​洗い物をしているおばちゃんも話に入ってきた。


​「そういえばそんなこともあったわねぇ」


​「それにしても金塊なんて、海の底に隠すかな・・・」


​そんな話をしていると、ボクは昨日の洞窟が気になって行ってみることにした。

​洞窟に入ってみると、下に続く直下掘りの深い穴があり、その前にはタケシとシゲルが穴を覗いていた。


​「この穴結構深そうだな・・・」


​シゲルは怖がっていた。


​「怖いよ〜」


​だが、タケシはこういう。


​「でも男は度胸!やってやれないことはないぜ!」


​改めて穴を覗くと、底は真っ暗で何も見えなかった。


​茜屋に帰る途中、港に水着を着た谷口のおじさんを見かけたので、声をかけてみた。


​「おじちゃん、海が好きなの?」


​「なんでそう思うんだ」


​「だって、いつも海にいるから・・・ねぇ、おじちゃんは何をしに来たの?」


​谷口のおじさんは少し黙って、意味深に言った。


​「探しに来たんだよ」


​「何を探しに来たの?」


​「夢だ・・・」


​夕飯時になり、茜屋に帰っておばちゃんたちとタケシとシゲルの帰りを待っていると、シゲルが息を切らしてやってきた。


​「お母ちゃんお母ちゃん!!お兄ちゃんが穴に落ちちゃった!」


​一同は驚愕する。


​「え?!どういうこと?!」


​おじちゃんも慌てて言う。


​「それ、ほんとか!」


​シゲルは泣きながら叫んだ。


​「落ちて上がれなくなっちゃったんだってば!」


​一同はシゲルの案内で例の洞窟に向かう。


​おじちゃんは、天井の木の柱にロープを括りつけて縦穴に垂らすと、タケシを助けに降りていった。


​少しすると、背中にタケシがしがみつかせたおじちゃんが、ロープを登ってきた。


​「よいしょ・・・。ひゃぁ・・・重労働だったぜ.・・・。こいつ、足を捻挫してやがる」


​「バカタレ!」


​おばちゃんはそう叫びながらタケシを抱きしめた。タケシは小さく謝った。


​「ごめん・・・」


​「母ちゃんをこんなに心配させて!どんなに痛い思いをして産んだか、どんだけあんたたちのことを大事に思ってるのか分からないの?!」


​家に帰り夕飯を食べてる間も、みんなは静かで、食べ終わっていつものようにごちそうさまと言っても、一同の声は小さかった。


​そんななか、おじちゃんが口を開く。


​「なぁ、タケシ、シゲル・・・お前たちが生まれてきた時によ、父ちゃん、あんまり可愛いんで神様のとこに行ってお願いしてきたんだぜ、バカでもいいから・・・、とにかく健康に育ちますようにって、そして、正直な人間になりますようにって。たしか、賽銭箱に百円も入れちまったよ」


​タケシは驚いた。


​「百円?!」


​「そうだ。まぁ、母ちゃんだって気持ちは同じだ」


​少しの沈黙のあと、タケシは言った。


​「うん、わかったよ・・・。もう、あんまり危ないことしないよ・・・」


​シゲルも続ける。


​「ごめんなさい・・・」


​おじちゃんは微笑みながら頷き、ボクに声をかけた。


​「ボクちゃん、湿った話になって悪かったな」


​「そんなことはないよ」


​するとおじちゃんはハッと思い出したように話し出した。


​「そういえば、おじちゃん、僕ちゃんは生まれた時も偶然、近くに居たんだぜ」


​「え?どういうこと?」


​「がはは!まぁいずれ話してやるよ。今日はもう、海風が寒くなってきちまった」


​そして花火をした縁側に行くと、おじちゃんが座っていた。ボクは隣に座ると、おじちゃんはあの時のことを話した。


​「俺、高いところがどうしても嫌いで、大工をやめたんだよ・・・。でもさっき、タケシを助けに穴に降りて行ったら、必死だったせいか、全然平気でやんの・・・」


​「ねぇ、この家の渡り廊下は高いところにあるけど、あれは平気なの?」


​「今まではちょっと怖かったんだけど、へへ、さっき通ったらなんともねぇでやんの、この歳でいきなり高所恐怖症が治っても、もう大工の仕事には戻れねぇけどな」


​そう言うおじちゃんの声は、どこか寂しげだった。


​三十二. 写真

​翌日の昼、食堂で女子大生のお姉ちゃん(佳花)がビキニを着て立っていた。ボクに気づくと話しかけてきた。


​「ねぇ、ここの海の底で変なものみなかった?バッグかトランクか分からないんだけど・・・持ち上げると不自然に重いはずなの」


​少し考えて続けた。


​「でも・・・お宝をそのまま海に沈めるわけはないか・・・」


​そう言ってどこかへ歩いていくと、船頭のおじさんが昼飯を食べにやってきて、おばちゃんと昨日の話をしていた。


​「この近くの海に銀行から強奪された金塊が隠されてるって話だけど、あれは事件当時、容疑者に接触のあった仲間のひとりが、ここ近くの海で海底工事の仕事をやっていたかららしいよ」


​「海底工事?」


​「そうそう、港をもう少し沖まで拡張する予定だったんだ、でも工事が始まってから海洋生物の学者がこの海の付近を調査したら、どうやらアオリイカの重要な産卵場所だってことがわかって、急遽工事が中止になったんだ」


​縁側に行くとおじちゃんが座っていたので、昨日の話を聞くことにした。


​「ねぇ、昨日の話だけど、おじちゃんボクが生まれた時に近くにいたの?」


​「うん、そうだよ。臨月で大変だろうって、おじちゃんが手伝いのためにおばあちゃんを家に連れてったのさ、そうしたら、その晩、お母さん破水しちゃった」


​「ハスイ?」


​「ヒヨコがタマゴからかえるのにまず、ちょこっとカラが割れるだろ?あれみたいなもんだ。」


​おじちゃんは懐かしそうに腕を組んで話を続けた。


​「あの夜のことはハッキリ覚えてるぜ、明るい満月が近くの清掃工場の煙突の上に浮かんでた・・・。雲がものすごい勢いで東の空から西の空へすっ飛んで行った。風のある晩だった・・・」


​おじちゃんはこちらを見て言った。


​「ボクちゃんは安産だった・・・、抱かせてもらったらすげぇ力で、俺の指を握ってきた・・・」


​「そうだったんだね。」


​話を聞き終えて波止場に行くと、谷口のおじさんが座っていた。


​「なにしてるの?」


​「さっきまで潜ってたんだ」


​「おじちゃんが探してるもの、見つかった?」


​「ないんだ・・・いくら探しても」


​「どこにあるかわかってるの?」


​「当たり前だ、だって自分で隠したんだから、潮で流されたか、はたまた誰かに持ち去られたか」


​その晩、また女子大生が黒電話で話していた。


​「えーと、多分間違いありません、送ってもらった写真にそっくりですから。いえ、私はまだ大丈夫ですので、最後までいさせてください。えー?!実証がでるまで?!はぁ、そうですか、まぁタイムリミットまでには何とかします」


​翌日の朝、食卓でおばちゃんが口を開く。


​「さっき、男のお客さんが泊めてくださいっげ来たのに、でも満室だから断ったら、じゃあテントを持ってきてるので海岸に張っていいですかって。」


​「海岸?どのあたりだ」


​「公園の下」


​「え?潮が満ちたら危ねぇだろ」


​「でも、もう張っちゃったよあの人」


​その場所に行ってみると、テントが張られており、男が座っていた。


​「あんた、なにもの?」


​ボクがそう聞くと、ゆっくりとした口調で答えた。


​「え?いや、ちょっと秘密・・・。というわけじゃなくて、ただ海が好きで遊びに来てるだけなんだけど」


​「ひとりできたの?」


​「うん、先に知り合いの女性がそこの民宿に泊まってるんだ」


​「お兄さん女子大生が好きで追いかけてきたんでしょ」


​「え?だれ、その女子大生って」


​「ギターのお姉ちゃんだよ」


​「あー、なんだぁ、って、そういう訳じゃなくて」


​お兄さんは困っていた。

​茜屋へ戻って女子大生の部屋に入ってみると、机の上に一枚の写真があった。


​それは確かに、谷口のおじさんの顔を写したものだった。

​そして部屋を出ると、谷口のおじさんに声をかけられた。


​「今日新しいお客がきただろ、」


​「うん、でも満室だから断ったんだって」


​「どんなやつだ」


​「おとこのひと」


​「もしかしたら・・・」


三十三. オオカミじじい


​そんなやり取りをして、ボクはまたオオカミじじいのところへ行った。今日は小屋で座っていた。


​「今日は働かないの?」


​「おいおい、働かないって人聞きの悪いこと言わないでくれよ・・・。今日は炭を冷ます日だから俺もいっしょにやすんでんだよ」


​「そうなんだ」


​「そういうこと!ああ、それにしても、もう夏も終わりだねぇ、なんつったって、秋のトンボが飛んでら」


​「そうだね、ねぇなんでオオカミじじいはオオカミを探すのをやめちゃったの?」


​「そうだな・・・まぁ、たいした理由はねぇんだけどさ、あれは今より、もう少し季節が進んで、なにもかもが秋になった頃のことだったな・・・」



​オオカミじじいは、秋の満月の下の草原でオオカミを追いかけていた。オオカミじじいも、オオカミも必死で走っていた。その時、オオカミは崖に気づかず、崖の下に落ちていった。



​「自分が追い詰めてオオカミらしきものが落ちた崖の下を何週間も血眼(ちまなこ)になって探したよ、でも、やつは見つからなかった」


​「しんじゃったの?」


​「知らねぇよ・・・でも、虚しくなった、だからやめた。奴らに関わっていくことを全てやめた。それだけだ」


​「ふーん、そうなんだ」


​「奴らは今もそこらじゅうにたくさんいるよ、でも、住んでる次元が違うんだ。だから俺たちの目では、永久にみられなくなったんだ」


​「オオカミと住んでる次元が違うっていうのは、どういうこと?」


​「それは、たぶん俺たちの住んでる世界と、俺たち自身が変わりすぎたっちゅうことだ。」


三十三. 最後の花火

​次の日の朝、ボクは、あの時の花火がまだ余っていることを思い出した。今度は靖子お姉ちゃん達を誘おうと思い、洋お兄ちゃんのところへ行った。案の定、そこには二人がいた。


​「ねぇおじちゃんちにまだ花火があるんだけど今晩みんなでやらない?」


​靖子お姉ちゃんと洋お兄ちゃんは大賛成のようだった。


​「わぁそれいいわね!」(靖子お姉ちゃん)


​「ここにはもっとでっかいのがあるけど、たまには大人しいやつを打ち上げるのもいいかもね」(洋お兄ちゃん)


​そう言う洋お兄ちゃんに向かって、靖子お姉ちゃんは訂正する。


​「ロケット花火じゃなくて、夜やる花火だってば!」


​「あれ?そうなの?」


​「じゃ、晩御飯を食べ終わったら公園に集合!でいいかな?諸君」


​「うん!わかったよお姉ちゃん!」


​そして夜もすっかり暗くなった頃、タケシとシゲルと一緒に公園に向かうと、既に靖子お姉ちゃん、洋お兄ちゃん、光の姿があった。


​「やぁ、みんなまった?」


​ボクがこう言うと、靖子お姉ちゃんはにっこり笑った。


​「エヘヘ!ちょうど今来たとこ!」


​光もはしゃいでいる。


​「花火花火ぃ!」


​暗い公園を、色とりどりの線香花火や吹き出し花火が、辺りを小さく照らしながら「パチパチ」と、時に「プシュー」と音をたてる。


​白、緑、赤、オレンジ。皆の顔もそれぞれの色に合わせて照らされていた。その景色は、明るくもあり、儚くもある、夏の夜の思い出のようだった。


​全ての花火を使い終わり、静かになった頃、虫のさえずりの中、一同は解散した。

​ふと港を見ると小さく白い煙があがっていたので、ボクは見に行ってみた。


​三十四. 金塊

​そこには女子大生と、保田のお兄さんがいた。


​「ねぇ、おにいさんはどこから来たの?」


​「横須賀だよ」


​「何をやってる人なの?」


​「えーっと、適切な回答をせねば・・・。うーん、公務員かな?」


​「コームイン?」


​「あれ?わかんないか・・・。えーと、公務員というのは、みんなや社会の役に立つ公共の仕事をしてる人だよ」


​「へ〜、お兄さんってすごいひとなんだ!」


​「うん、社会の役に立ってるということに関しては、おにいさんたち、ちょっとだけ自信があるんだ」



​次の日、ふと洞窟が気になって、おじちゃんが括り付けたロープを伝って降りてみた。


​中は階段や通路があって、ところどころ水たまりがあった。

​奥の方に進んでみると、一つの長方形の缶があった。


​開けてみると—


​それは、金色に輝く金の延べ板だった。


その価値が分からなかった当時のボクは


​それをそこに置いてきた。


​三十五. 打ち上げと告白

​翌朝、タケシはわくわくしていた。


​「へへ!いよいよ今日だぜ!朝メシ食ったら即効ね!」


​そう、洋お兄ちゃんがロケットを上げる日だ。


​朝食を終えた僕たちは、洋お兄ちゃんの家へ向かった。そこには靖子お姉ちゃんと光もいた。


​洋お兄ちゃんは打ち上げる準備を終えて、ボクたちに声をあげる。


​「じゃあ、いくよ」


​「ドンッ」という音を立ててロケットが上空へ上がっていく。この前のものよりは真っ直ぐ飛んだものの、それは途中で進路を斜めにして、徐々に落ちていった。

​洋お兄ちゃんは、その場に座り込んでしまった。


​タケシは残念そうに言った。


​「ちぇっ、山の裏側かよ・・・今度はちょっと探しに行けないかもしれないな」


​洋お兄ちゃんは靖子お姉ちゃんの方を見て言った。


​「うーん・・・なんでまっすぐ飛んでくれないんだろ、ねぇ靖子ちゃんはどう思う?」


​「え?あははは、そんなこと私に聞かれたってわかんないよ」


​「そりゃそうか」


​「一応参考のためにききますけど、もしまっすぐに飛んだとしたらいったいどっちの方向に行く予定なの?」


​「え?真上だよ、まっすぐ宇宙の方向さ。・・・あれ、まてよ、この前のは左に曲がって、今日のは右に上がったでしょ、ということは、その中間の配合を考えればいいのかな」


​上を見ながらそう言う洋お兄ちゃんの顔を覗いて、靖子お姉ちゃんは言った。


​「ねぇ、ハッキリ感想いってもいい?・・・あんた最高ね!私、今までの人生でこんなに面白いものはじめて!ドキドキしてしぬかとおもったよ!」


​そう楽しそうに、靖子お姉ちゃんは続けた。


​「私、成功でも失敗でも、とにかくこの田舎の町の方が東京よりも面白いような気がしてしちゃったよ・・・。えへへ、なんてとんでもない友人をもったのかしら」


​洋お兄ちゃんは顔を上げ、決意を口にした。


​「僕、準備が出来たらすぐにでも、あの三段ロケットをあげてみようかとおもってるんだ!」


​「え?」


​「とにかく、そろそろ打ち上げちゃわないと受験勉強にも身が入らないからね」


​「そうなんだ!やっと本格的に勉強する気になったのかな?」


​「うん!どこの高校を受けるか、もう決めちゃったし!」


​「え?どこ受けるの?」


​「えへへ、教えな〜い」


​「意外にいじわるなんだ・・・」



​三十六. 年貢の納め時

​港にいる保田のお兄さんのところへ行ってみた。


​「お兄さんこんにちは!」


​「はいこんにちは」


​「ねぇずっとここにいて楽しい?今日で来てから何日目だっけ?」


​「うーんと、四日目かな、でもお兄さんそろそろ帰るんだよ。この仕事が終わったらほんとの夏休みを貰える予定なんだ」


​「あれ?ここにいるの仕事なの?」


​保田のお兄さんは都合が悪そうに訂正した。


​「あ、いやいや、ごめん、口が滑った」


​波止場の奥に行くと、また谷口のおじさんが元気のなさそうに座っていたので声をかけた。


​「どうしたの?」


​「・・・おじちゃんが探していたもの、理由は分からないけど、もう見つからないところへ流されちゃったみたいだ」


​「そうなんだ・・・」


​「もしくはだれかが見つけて別な場所へ隠したか...、どちらにしろ、もう、永久に見つからない。多分そうだろう・・・」


​そう言うおじさんは、すごく残念そうだった。


​夜になって家の中を歩いていると、今度は保田のお兄さんが黒電話で話していた。どうやら大人の話をしているようで、ボクには難しい内容だった。


​「はい・・・多分共犯の一人に間違いないと思います。いや物証は上がってません、たぶん、やつも金塊を見つけてないみたいですし、あー、いま外に出てますがもう船が無いので・・・、はい、大丈夫です。・・・・・・明日、押さえます。はい、ありがとうございます。・・・え?いや〜彼女は私より元気ですよ、水着で歩き回ってます。・・・ハハそうです、目のやり場に、さすが戦後世代、昭和二十四年生まれって感じです。・・・いやそれは殴られますよ!パーじゃなくてゲンコツで・・・。はい、とにかく明日ですね、わかってます。」


​難しい話を盗み聞いてしまったので、夜風にあたりに港へ行くと、また谷口のおじさんが立っていた。


​「ねぇ、なにをしているの?」


​「そろそろ帰らなきゃならないようだな・・・」


​不思議そうにしていると、月に照らされた海を見ながら言った。


​「年貢の納め時っていう言葉、知ってるか?」


​「・・・・・・」


​「せっかく時効まで逃げ延びられると思ったのに、ちょっと欲を出したら、このザマだ・・・。あーあーあぁ...悲しい悲しい・・・」


​次の日、走ったあとなのか疲れた様子で保田さんが息を切らしていた。ボクに気付くと尋ねてきた。


​「ねぇ君、民宿の三号室に泊まってるおじちゃん・・・みなかった?」


​「見てないと思うけど・・・」


​「うーん・・・そうかぁ...。あのおじちゃん・・・どこへ行ったんだろうねぇ...」


​森の方へ行くと、今度は女子大生も慌てた様子で息を切らしていた。


​「あ、ねぇ!小学生!三号室の谷口のおじさん見なかったかな?!」


​「うん、見てないよ」


​「そう・・・じゃあ、もし見かけたらお姉さんに教えてくれないかな?・・・」


​「・・・でも女子大生のお姉ちゃん、それじゃあまるでドラマの刑事さんみたいだよ」


​その日の夕方、食堂に行くとおばちゃんが重そうに口を開く。


​「ボクくん・・・あのねぇ・・・」


​するとシゲルが走って帰ってきた。


​「あ、あのおじちゃん!やっぱり捕まっちゃったみたいだよ!」


​その知らせを聞いたおばちゃんは、驚いて口を覆っていた。

​そして、おばちゃんとシゲルとボクは、波止場まで走った。


​そこには、谷口のおじさんの腕を掴んで歩く保田のお兄さんと、その後ろに女子大生がいた。女子大生はおばちゃんにお辞儀をしていた。


​ボクはどういうことなのか全く理解できなくて、歩いていく谷口のおじさんに声をかけた。


​「あれぇ・・・?おじちゃん、どうしたの?」


​谷口のおじさんと保田のお兄さんは、こちらを振り向いて俯いた。

​船が海の向こうへ消えて、ボクたちは茜屋に帰ってきた。


​テレビを見ていたおばちゃんは、ゆっくりと話した。


​「あのお客さん、いい人だったのに・・・、金塊強盗の犯人だったんだって・・・」


​「・・・・・・」


​「あとおばちゃん、芳佳ちゃんにもびっくりしちゃった」


​「あれ?なんで女子大生もおじちゃんと一緒に船に乗って帰っちゃったの?」


​三十七. さよならの言葉

​それから少しして、ボクは洋お兄ちゃんの家に行った。相変わらずロケットをいじっていた。靖子お姉ちゃんもいた。

​洋お兄ちゃんはボクに声をかけてきた。


​「ねぇ、もう帰る日決まってるの?」


​「うん、三十一日だよ」


​「そうなんだ・・・。ねぇ、小さい頃、さよならの時に言ってた決まり文句があったんだよね。僕、その言葉大好きだったんだけど、なんだか思い出せなくて」


​靖子お姉ちゃんも気にしている様子だ。


​「え?どんな言葉だろう」


​「うーん、わかんないや」


​ふと洋お兄ちゃんの横を見ると、ボクの名前が書かれたロケットの先っちょが置いてあった。


​そして、オオカミじじいの家に行くと、おじちゃんは見当たらなかった。


​すると—


​その時だった。


​ワオォーーーーン!ワオォーーーーン!


​オオカミの遠吠えが聞こえてきた。


​「あれ?おじちゃんやっぱりオオカミになっちゃったのかな・・・」


​公園に行ってみると、光が座っていた。


​「あーあ、みんな私を置いてどっかに行っちゃうんだ」


​「そだね」


​「ねぇ、あんたんちって私が遊びに行ったら泊まるとこ、ある?」


​「え?えーと、あると思うけど・・・」


​「なーんだ!心配して損したよ」


​「な、なんだそれ!」


三十八. 弟の誕生

​ふと気になり、診療所の病室を訪れてみると、そこには、また少女の姿があった。


​「あれ?」


​ボクがそう言って近づくと、少女は窓の外をじっと見つめていた。


​「なにを見ているの?」


​ボクがそう聞くと、少女は優しい声で、何かを当てるかのように答えた。


​「ほら、そろそろ降りてくるよ」


​「なにが?」


​「あの世界とこちらが、さっき繋がったの、だからもうそろそろ、降りてくるよ」


​「うーん、なんだかわかんないや・・・」


​少女は優しく微笑んだ。


​「ウフフ、君もお兄ちゃんになるんだね、おめでとう!」


​「へ?」



​そう言うと、病室はゆっくりと真っ白に光って、ボクの視界を純白に覆った。そして光が晴れた頃、その病室から少女の姿は消えていた。



​そしておじいちゃんのところへ行って、明後日に帰ることを告げた。


​「ボク、明後日の朝にうちに帰るんだ」


​「そうかそうか、道中気をつけて帰るんじゃぞ、お父さんお母さんによろしくな・・・」


​「そういえばボク、今晩お兄ちゃんになるらしいよ」


​「なになに、お母さんがもう産気づいてるということか?」


​「いや・・・そうじゃなくて」


​「なんじゃ?」


​「・・・おじいちゃんならわかってくれると思ったんだけど」


​そして夕食の頃、食卓をみんなで囲っていると、サイモンがやってきた。


​「みなさん、ビッグニュースです」


​そう言うと、凪砂お姉さんが入ってきた。


​「私たち、結婚します」(凪砂お姉さん)


​「今まで秘密にしてて、ごめんなさい」(サイモン)


​そして夕食を終えると、電話が鳴った。おばちゃんが取りに行ってしばらくすると、慌ただしい様子でボクを呼んだ。


​「ボクくん!お父さんから電話!ちょっといそいで!」


​おじちゃんは何かを察したようにニヤニヤしていた。


​ボクは急いで電話に出た。


​「もしもし、お父さん? うん、うん、そうなんだ!うん!うん!わかったよお父さん!じゃあねお父さん!」


​受話器を電話に戻して振り返ると、そこにはおばちゃん、おじちゃん、タケシ、シゲルが揃っていた。


​ボクはどっちだったか忘れて慌てた。


​「あれ?おとうとだっけ?いもうとだっけ?」


​おばちゃんが優しく教えてくれた。


​「お父さん、男の子って言ってたよ〜!おめでとうボクくん!」


​茜屋は賑やかな笑いに包まれた。


​二階に行くと、サイモンが座っていた。


​「おめでとう!生まれたんだってね!」


​「うん、でも、なんだか変な気持ちなんだボク」


​「ほら!ビッグプレゼントだ!」


​そう言って、胸のカバンから十数枚の写真を取り出した。


​「朝顔が咲いてた間、毎日、一枚ずつ撮ってたんだ!だから咲いてた日数と同じ枚数の朝顔の写真、あげるよ!」


​「わぁ!ありがとうサイモン!」


​「サイモンもキミの喜んだ顔が見られてうれしいよ!しばらくはお母さんは大変だから、ちゃんと家の手伝いもしてあげなきゃダメだよ?」


​ボクは大きく頷いて、またおじいちゃんのところへ行って、弟のことを知らせた。

​「ねぇ!さっきおとうとが生まれたんだ!」


​「なになに・・・それは本当か!いやはや、なんとめでたいことよ!死に逝く者と、産まれ出るもの・・・うーん・・・」


​「どうしたの?」


​「いやぁ、なにか気の利いた事を言おうとしたが、なにも思い浮かばなかったのじゃ」

​光も声をかけてくれた。


​「弟、できたんだって!?」


​「うん!そうなんだ!」


​「光も弟がほしいなぁ・・・。そうだ!お姉ちゃん産んでくれないかな?」


​「それは弟じゃないってば」


​公園に行くと、靖子お姉ちゃんと洋お兄ちゃんが座っていた。


​「ボクに弟ができたんだって!」


​靖子お姉ちゃんは嬉しそうに言った。


​「えー!ほんと!すごいじゃない!おめでとうボクくん!」


​洋お兄ちゃんも嬉しそうだ。


​「おめでとう!でも一人っ子同盟としてはなんだか寂しいかも」


​「あれ?そんなものがあったんだ」


​「うん、ボクの心の中にだけどね」


​三十九. タケシの思い

​次の日の朝、八月三十日。船頭さんのところへ行ってみた。


​「ボクくん、そろそろ自分のうちに帰るのかい?」


​「うん、明日帰るんだ」


​「そうか、明日か、俺さ、もう君がこの町で生まれ育った子供のように思えてくるよ」

​「うん、だってひと月も居たからね」


​「そうかひと月か、長いような短いような・・・。なぁボク」


​「なあに?」


​「いいヤツになれよ」


​「は?」


​「今は意味がわからないかもしれないけど、とにかくいいヤツだ」


​「うん・・・わかったよ。」


​茜屋に戻って二階へ上がってみると、帰ったはずの女子大生が座っていた。


​「あれ?なんで帰ってきてるの?」


​「あーあ、早々(はやばや)と見つかっちゃったか...。あのさ、色々と騙してて、嘘ついててごめんね・・・」


​「うん、あれ?なにか用事が出来たから帰ったんじゃなかったの?もう戻ってきて大丈夫なの?」


​「まぁ一応ね、だってあとは先輩諸氏がうまくやってくれるし・・・、私バリバリに新前だからさ、それで逆に長い張り込みだって任せて貰えるんだよ。」


​少し俯いてこう続けた。


​「あと・・・実は谷口さんのこと、だんだん悪い人だとは思えなくなってきてて、ちょっと複雑な心境なんだよね」


​「そうなんだ・・・」


​「そんなこんなで、とにかく私だけ三日間お休みを貰ったんだ」


​「そうか、これでやっと謎が解けたよ。いいなぁ女子大生って、休みが長くて」


​女子大生は、いつもの明るい笑顔に戻った。


​「あれ〜?えへへへ!そうだよ、小・学・生!!」


​そして最後の晩御飯。タケシはゆっくりと口を開く。


​「あ、あのさ・・・」


​おばちゃんが返事をした。


​「なあに?」


​「と、父ちゃん本当は大工に戻りたいんだろ・・・」


​少し黙って、おじちゃんが答えた。


​「・・・そうだよ、戻れるなら戻りてぇ、それが本音だ。でもそれが出来るかどうかは話が別だぜ。もういい歳だってことで諦めてるんじゃねぇんだ・・・.駆け出しのやつよりは動ける自信があるし、でも給金も最初は連中と同じになっちゃうだろうから、ここを辞めたら、さすがに食べていけなくなるんからな」


​そうすると、タケシが言った。


​「じゃあ父ちゃん、この民宿俺にくれよ!」


​「え?」(おじちゃん)


​おばちゃんも聞いた。


​「ねぇタケシ、それ、どういうこと?」


​「俺が高校出るまで・・・、あと七年だけここを続けてくれよ、あとは父ちゃんが大工をやろうがなんだろうが関係ねぇよ」


​おじちゃんは黙って目を覆った。


​「・・・・・・・・・」


​食事を終えた頃、食堂に女子大生が入ってきた。

​タケシとシゲルが驚いていた。


​「あれ?!芳佳姉ちゃん、なんでここにいるの?」


​女子大生は照れたように言った。


​「えへへ、みんなでお別れ会するよ!とにかく浜辺に集合してね!・・・おじさん・・・おばさん・・・私、ずっと騙しててごめんなさい・・・」


​そして皆が浜辺へ向かった頃、ボクとタケシはまだ食堂にいた。


​するとタケシが口を開いた。


​「ボクちゃん、今年の夏、楽しかったね」


​「そうだね」


​「俺さ、大人になってから、今年の夏のこと絶対思い出しそうな気がするんだよね」


​「・・・うん、そうだね、ねぇタケシ兄ちゃん」


​「ん?なんだ?」


​「いろいろとありがとう」


​「え?よせよ、礼なんていらねぇよ。まぁ、あっちに帰っても元気でな・・・」



​そして—


​ボクたちは無言で—


​握手をした。


​「さてと、みんな浜辺に行ってるみたいだから、おれも先に行ってるよ」


​四十. 「またあした」

​浜辺に着くと、みんながいた。

​サイモンは寂しそうだ。


​「もう、帰っちゃうんだね、寂しいよ。」


​凪砂お姉さんも言った。


​「都会に戻っても、私たちのこと忘れないでね」


​ボクは二人に尋ねた。


​「うん・・・、ねぇふたりはいつから仲良しになったの?」


​そう聞くと凪砂お姉さんは恥ずかしそうにして、サイモンが答えてくれた。


​「二人とも産まれる前から、色んな色の糸で繋がってたんだよ!」


​凪砂お姉さんは照れ隠しをする。


​「おいおい」


​サイモンは続ける。


​「つまり、こういう運命だったのさ」


​「運命って?」


​「うん!頑張ってご褒美をもらえた時だけ信じればいいものだよ」


​凪砂お姉さんが付け加えた。


​「あとは、失敗を神様のせいにしたい時もね」


​三人で笑いあった。


​「あははははは・・・・・・」


​ボクはおばちゃんに話しかけた。


​「おばちゃん、ボク、いい子だった?」


​おばちゃんはこっちを向いてかがんで言った。


​「うん、とってもいい子でした。おばちゃん、ボクくんがほんとにこの家の子になってもいいよ」


​「ボクもおばちゃんが・・・・・・」


​と、言いかけたところで、なんだか自分の母親に悪いような気がして言葉を止めた。


​「どうしたの?・・・あら、ボクくん、あなたってやっぱり優しい子ね、フフ、自分のお母さん気を使ったんでしょ」


​焚き火の方に行くと、靖子お姉ちゃんと女子大生が座っていた。


​すると靖子お姉ちゃんがこう話した。


​「私さぁ、東京から帰ってきてるすぐに思ったんだけど、以前よりも道も空も、ずいぶん広く感じられるんだよね」


​「そうなんだ」


​「うん!田舎は空も道も広い!こんなことが愛おしく感じられるなんてさ、なんだか私は永久に本当の都会っ子にはなれないかもね。あーあ、東京に戻りたくないなぁ」


​女子大生はいつもの明るい声で言った。


​「へへへ!夏休み最後のスペシャルパーティーへようこそ!」


​「なんだか寂しすぎるパーティーだね」


​「やっぱそう思う?まぁ、夏ももう抜け殻だけだもんね、あのさ!私、明日は見送りに行かないよ!」


​「なんで?」


​「だって、寂しすぎるじゃない」


​「そうだね・・・」


​すると洋お兄ちゃんは遅れてやってきた。


​「ごめん!せっかく電話もらったのに遅れちゃって・・・」


​靖子お姉ちゃんがなにをしてたのか尋ねた。


​「えーと、ちょっと手が話せなくてね」


​「ふーん、ねぇ、私、明日の今頃さぁ、もうこの街にいないんだよ、なんだか信じられない・・・」


​「じゃあ、帰らなきゃいいじゃない」


​「それが出来れば苦労しません!というわけで、こうやってキミと話すのもしばらくお預けってわけ・・・」


​「悲しいね」


​「うん、かなり悲しい・・・でも、しょうがないのである!」


​「・・・そうだね」


​「手紙、あっちに帰ったら、とりあえずすぐに手紙を書くよ」


​「うん、ありがとう」


​「まぁでも、なんだかんだで忙しくて遅くなっちゃうかもしれないけどね」


​「えへ、じゃあ、首を長くして待ってるよ。ねぇ、そういえば、僕、子供の頃の大切なお別れの言葉思い出せなくて困ってたんだけど、昨日やっと思い出したんだ!」


​「え?なあに?」


​「特別な言葉なんかじゃなかった。だから靖子ちゃん、呆れちゃうかもしれないけど」

​「え、なんだろう」


​「靖子ちゃん、いつも夕方家に帰る時、『ま・た・あ・し・た』って言ってくれたんだ。あの言葉...僕がいつも、どんなに嬉しかったことか」


​「・・・・・・・・・」


​「あれ?どうしたの?ほんとに呆れちゃった?」


​「・・・・・・・・・なんでもない」



​すると女子大生がギターを持ってきた。


​「さてと!お姉さんがなんか歌ってあげようか?」


​「え?お姉ちゃん歌えるんだ?」


​「あらぁ、失礼しちゃうわね〜、私はガキんちょに聴かせる歌は持ってないの、だから君がこの夏、少しでも大人になったら、えへ、歌ってあげようと思ってたんだ」

​「え?ボク大人になったの?」


​「うん!せいぜい一ヶ月分だけどね!」


​「がっくし」


​「うそうそ、見違えるほどに、・・・たくましくなったよ」


​そう優しく言うと、ギターをゆっくりと鳴らした。


​「ん!あー あー」



​~♪~~♪~


~~♪~~♪~~♪~~


​そして、お別れ会も終え、茜屋に帰って、最後の夜を眠った



​四十一. 八月三十一日

​翌朝、朝食を終えておばちゃんが声をかけてくれる。


​「じゃあ、そろそろ荷物を持って船着場に行こうか」


​「忘れ物ないか?」


​「うん、大丈夫だとおもうよ」


​船着場には既に靖子お姉ちゃんとおじいちゃん、光がいた。


​おじいちゃんは寂しそうに靖子お姉ちゃんに声をかける。


​「靖子よ、ちょっと寂しいかもしれんが、あちらでも頑張って暮らせよ・・・」


​靖子お姉ちゃんはすすり泣いていた。


​「こらこら・・・まるで赤子のようじゃの・・・」


​ボクと靖子お姉ちゃんは船に乗り込んだ。


​おばちゃん「じゃあ、気をつけてね」


​シゲル「赤ちゃんによろしくね」


​タケシ「お、おれたちのこと忘れんなよ!」


​ボク「うん・・・」


​おじちゃんは終始後ろ向いて目を抑えていた。



​そして船内アナウンスが流れ、船はゆっくりと動き出す。


​ボクと靖子お姉ちゃんは、ゆっくりと動き出す船からゆっくりと手を振っていた。


​靖子お姉ちゃんは、ふと洋お兄ちゃんの家の方を見た。


​すると何かに気づいたように、ボクに声をかけた。



​靖子お姉ちゃん「あ・・・!そんな・・・!ねぇボクくんボクくん!ロケット!ロケット!」


​靖子お姉ちゃんの方を見ると、ロケットが煙を立てて上空にあがっている!


​ボク「洋お兄ちゃんの三段ロケットだ!!」


​船頭さん「ゲー!またどこかに落ちるぞ?!」


​靖子お姉ちゃん「やだ・・・!落ちないで・・・!」


​船頭さん「え?!」



​飛んでいくロケットを見ながら、靖子お姉ちゃんは胸を抑え、声を出して祈る。


​靖子お姉ちゃん「おちない.・・・おちない・・・おちない・・・おちない・・・」


​雲に隠れて見えなくなった。


​ボク・靖子お姉ちゃん「あぁ...」


​ボク「あ!見えた!」


​そのロケットは落ちることなくまっすぐと、宇宙へ向かって飛んでいた!


​靖子お姉ちゃん「ま、まっすぐ飛んでる!!」


​ボク・靖子お姉ちゃん「やったぁ!!!」


​ボクたちは歓喜して手を繋ぎ、ロケットを見上げる。


​その頃、船着場にいたおばちゃんたちも、ロケットを見守っていた。



​タケシは見上げ、シゲルは両手をあげてはしゃぎ、光は少し心配そうに、おばちゃんは手を額にあてて、おじちゃんは腕を組み、サイモンと凪砂お姉さんは抱き合いながら。


​山の方ではオオカミじじいも、息子のロケットを見ており、公園では芳佳お姉ちゃんが拍手をしながら見ていた。



​私は


​あの夏に起こった出来事を


​いつまでも


​決して忘れないだろう



​ーーおわりーー


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ぼくのなつやすみ ばにゃ @bannya

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