草枕

@ich_0227

ハールーン魔術研究王国

1-1 余暇


 ハン=ヤ・ルイゼントークは半月前、はじめて神殿区に足を踏み入れたとき、あんまりに見られたものだから、ドレイクだと勘違いされているのでは、と半ば本気で思っていた。

 のちに顔馴染みとなる神官曰く、額の角の長さに比べて肌の色が健康的過ぎるといった、物珍しさで注目を集めていたのだとか。

 なるほど、確かにハン=ヤの角は長い。幼時からそれは顕著であり、加えて異貌化に伴う筈の肥大が見られない。

 おそらく、常に角だけが異貌を保っている、あるいは変化が生じていない状態なのだろう。

 養母は、そのように云っていた。

 おかげで角を隠すのに、苦心した記憶はない。

 開き直った、と云ってもいい。最たるは、養父母ともに、元冒険者であったことだろう。角を露わにして過ごすことは、ハン=ヤの日常だった。

 冒険者となってから、この国に腰を落ち着けるまで幾つもの街を経由したが、視線があれほどまでに物を云うのかと、ある種の感動すら覚えたものだ。人から伝え聞くのと、実際に経験を重ねるとでは、天と地ほどに隔たりがある。

 ただ、それらがハン=ヤに痛痒をもたらすことはなかった。ハン=ヤ自身も人族の中にあって、耳の長さや体躯に尻尾、鱗や翼の有無に視線がいく。

 角や穢れを有していることもまた、それらと並ぶ特徴の一つに過ぎない。そう、思える程度の愛情を注がれた自覚が、大いにあった。


    †††


 注がれている、角に。視線が。

 視線の主は、学生の装いをした少女だ。


「――やはり、その状態での魔法の行使は、発声や動作が必要なのですね」

「……ああ」


 少女の理知的な眼差しにありありと浮かぶのは、興味だ。

 朝の慌ただしくも徐々に活気づく街の空気を浴びながら、神殿前の掃除に勤しんでいたハン=ヤは、声をかけられていた。

 もはや、慣れ親しんだそれに最初は困惑を覚え、呆れへと転じ、最後には諦めとなった。

 なにせ、このような質疑応答は、少女で五人目になる。


「なるほど……あの、不躾であることは重々承知なのですが」

「わかった。みなまで云うな」


 言葉を遮る。瞬く間に、肌を蒼へと変化させる。体内の魔力がうねり、声なきままに、祈りを紡ぐ。

 再現するは、神から賜った御業が一つ。

 防護の祝福、フィールド・プロテクション。

 ほどなくして、円状に展開された魔力は虚空へと消えていった。

 ハン=ヤはそれを見届け、異貌を解いた。続けて口を開く。


「見過ぎだ。穴が空くかと思ったぞ」


 少女は「本当にそれ以上は大きくならないんですね」と呟き、短く息を吸う。

 そうして、一気呵成に喋り出した。


「はー、ナイトメアの角のサイズなんて、気にしたことありませんでした。盲点です。魔法系統ごとの媒体は必要なれど、発声や動作の省略が可能な優位点ばかり着目していましたが。個体ごとに通常時、異貌時の角のサイズ変動で魔法行使に影響が出るかどうか、研究テーマにしてもいいかも知れませんね――明日から毎朝、此処に来てもいいですか?」

「おれだけじゃ意味ないだろ、それ。あと依頼ならともかく、長期的に無報酬で冒険者を動かすのは、ギルドもいい顔しないぞ。金は用意できるのか?」

「無理ですね。やー、そうなんですよね。そも個体ごとと云っても、ナイトメアの数は多くないですし、あけっぴろげに正体を明かしたりしませんし。サンプル数の確保、もとい知り合う機会を設けるのなら、冒険者になるのが一番ですかねえ」

「止めはしないが、冒険の責任は自分が取ることになる。よくよく考えたほうがいい」

「……わかってますって。冗談ですって、冗談」


 いや、結構本気だったろお前。

 学びに対する姿勢が、前のめりに過ぎる。

 魂に穢れを有する忌み子への嫌悪は二の次、己の知的好奇心を満たすことに余念がない。

 良く云えば、貪欲。悪く云えば、節操なし。

 それがハールーン魔術研究王国の国民性だと理解させられるには、充分なやり取りだった。


「大図書館にナイトメアに関する資料、あるんじゃないか」

「一般に解放されている区画は、内容もそれなりのものしか置かれてないと思うんですよね。ナイトメア自体もそうですけど、角そのものの研究に絡んだときって、穢れの角の話は、切っても切り離せませんから」

「穢れの角……ナイトメアの角の話か?」

「ご存知ないんですか? 穢れの角と云うのはですね――」


 個体だのサンプルだのから続き、倫理を泥に沈めた――ほぼ少女である――会話に、割って入る声があった。


「――神殿の前で、なんて話をしているのですか、貴女たちは」


 朝の清涼な空気に勝るとも劣らないその響きに、眼前の少女が肩を揺らした。


「急用を思い出しました。わたしはこの辺で失礼しますね」


 ひと息に告げると、脱兎の如く駆け出す。

 その背は、あっという間に小さくなってゆく。


「まったく、あの子は」


 少女を見送るハン=ヤの隣に並んだ女性は、ため息を吐いた。柔らかな色合いの髪は陽光を跳ね散らし、目元は柔和に細められている。その首から吊り下げられた聖印が揺れていた。水晶を象ったシンボルが描かれたそれは、賢神キルヒアに仕える証に他ならない。

 去っていった少女もまた、水晶を模した装飾品を身につけていた。


「此処のキルヒアさまの信仰者は、他に類を見ないほど、学ぶことに意欲的ですね」

「……気分を害されたのであれば、当然です。あの子には、こちらから云い聞かせておきますから」

「司祭の知り合いですか――あの?」


 司祭が、腰を折りはじめた。

 拙い。勘違いをされている。

 素直な感想を洩らしただけなのだ、こちらは。

 ハン=ヤは、ただの神官だ。

 彼女につむじが見えるほどに頭を下げられても、困ってしまう。

 先の発言は、決して皮肉ではないのだと、弁明のために頭を働かせようとした矢先。


「――く、ふふ」


 司祭が笑った。笑ったのだろう、きっと。

 まるでマーマンの声を奪ったかのような悪辣さがあった。

 間違っても、司祭を評する表現ではない。


「どうしたんですか」

「ふ、ふふ。いえ、今回ばかりは、わたくしも冷静になろうと、あの子にどんな話をしようかと、考えていたのです」


 頭を下げたまま、言葉を区切らないで欲しい。

 ハン=ヤは及び腰になりながらも、声をかけた。

 お前は喋り過ぎるぐらいが丁度いいと、養母に云われていたことを思い出しながら、言葉を尽くす。


「司祭。さっきの発言は裏もなにもない、素直な賞賛だから、気にしないで貰えると助かる。なりふり構わない姿勢、自身の成したいことのために、彼女を見習わないといけないと思ってたところなんだ。だから――」


 それはそれとして。


「――まあ、ほどほどに頼む」


 ハン=ヤは問題なくとも、他の人にあれは駄目なので、任せることにした。

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