行き交い

箔塔落 HAKUTOU Ochiru

行き交い

 齢をとるといやおうなしに生き死にの境目があいまいになる。あのひとはいつ死んだんだっけと思ったひとがまだ生きていたり、そういえば長いことたよりがないわと思っていたひとが死んでいたりと、そんなのはまだ序の口で、きのう会ったばかりのひとが一年前に死んでいたりとか、葬儀に出席した記憶のあるひとから突然手紙が来たりだとか、そういう例も枚挙に暇がない。

 ヤドカリのようには肉体という仮住まいを移り歩くことのできないわたしたちは、齢をとるほどに、体の節々が痛んで、強ばって、動かなくなったりそこなわれたりだってするものだ。要するに、生きることの、もっとも俗な意味での窮屈さにも、ほとほと難儀し、呆れかえる頃合いなのだから、ましてや、早い移動は身の丈にあまるお年頃というものである。多少あれやこれやとふりまわされようとも、あれまあといううちに、気がつけばあちらがわにいて、そちらの生活にも馴染んでいるというのが大変結構。つまずくのも、骨を折るのも若い方々の特権というもので、けれども、脆くなった骨の代わりにこの行き交いが頂戴できるのだとしたら、色んな人を見送り迎えてきた甲斐もあるというものだ。

 思えば、実の子、家族の子、友の子、近所の子、いろんな子たちに口を酸っぱくして言ってきたもろもろがあった。年寄りの口の形はそのなれの果てなのだわ、と、若い頃のわたしはひどく「文学的」に満足していた。なるほど、確かにそういう一面はあるものの、口が酸っぱくなるまで言ってきたことばと同じくらいに、必死で呑み込んだことば、むりやり嚙み潰したことばがあることもいまとなっては明白である。けれども、歯が抜けてかつての口の形を維持できなくなるという身も蓋もない理由以外にも、たしかにつきだすとへこむを同時に体現しているような年寄りの口は、おそらく、あちらがわの言語を心も体も知らぬうちに体得しはじめていることのあらわれなのだろう。そう考えて唾液を飲み下そうとすると、まるで唾液ですらもあちらがわに片足を突っ込んだ体は異物と認識するのか、咳き込んだりもする。だいじょうぶかと背をさすってくれる人もみなとうにあちらがわ、あるいはこちらがわにいても都会の荒波に揉まれていて傍にはいない。それでもわたしはさみしいと思うこともない。思えば、さみしいという気持ちも乾ききることを知ったのが、境い目のあちらがわとこちらがわを往還することを知る第一歩だったのかもしれない。

 日に日にこちらがわではできないことが増えてゆく。新しいものははなからわからない。慣れ親しんだ歩くという動作からも、少しずつ少しずつ見放されてきているのを感じる。それでもわたしは微笑することができる。それはきっと、わたしでも気づかないあいだにあちらがわのわたしがやってきて、そういう顔をさせてくれるのだろう。お話の中の科学者は、いつも世界の不思議を解明しようとするけれど、世界に不思議なことなどない。あたりまえのことがある。あたりまえのことがあたりまえに積み重なっていくだけ。もちろん、いい意味でだけでなく、悪い意味でも。とりわけ若いひとは、生という階段の踊り場である死というものに目を奪われがちだけれども、踊り場に近づいたわたしには、その向こうにまだつづいている階段が見える。かといって、わくわくすることもうんざりすることもない。けれども、そんな境地に到るまで長いことこちらがわにいられたことは――ほんのすこしだけわたしを誇らしくさせる。

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