第2話 『罪刑原則 5番』

 ★




 痛みでシャリアの目は覚めた。

 どれくらい意識が途切れていたのか。

 把握しようとあたりを見回すが、そのわずかな動きですらひどく痛んで仕方がなかった。

 腕も足も、ひどく痛む。

 まともに立ってやいられないほどだった。


 ただ。

 ――大きな怪我はない。


 痛む手足を動かして、シャリアは少しずつ確認する。

 奇跡的と言っても言い過ぎではないくらいに、綺麗に落ちることができたようだった。

 落ちた場所は人気のない裏路地。

 もちろん離脱方法も、着地場所も、シャリアが事前に調べていた通りだった。用意していた中では最悪に近い方法だったけれど、蓋を開けてみれば被害は軽微。


 それでも、落ちるということのダメージは計り知れないものがあった。


 ――なによりも、耳にくる。

 風を切る音が、こびりつくように耳に残っていた。


 崖を削るように勢いを殺して、擦り傷まみれで、体勢を立て直して、転がり落ちるように落ちてきた。その最中にも、風を切る音はやむことはなく、終わりまでの時を告げるようで、ひどく冷たく響いていた。

 

 耳から伝わる冷たさを振り払うように、シャリアの顔を上げる。

 目線の先には、落ちてきた山の端がうつった。

 落ちてきた距離は、目算にして身長の数十倍。

 あまり正気でない道で、他の誰もが避ける道。

 道というか、半ば博打に足を滑らせたような選択肢だからこそ、追手の気配はまだなかった。


 それでも、目を凝らせば山の端にかがり火のような何かがうごめいているのがわかる。

 

「そろそろ行かないと」


 言い聞かせるようにして、シャリアは痛む手足を動かした。


 逃げるのではなく、この谷の根幹を揺るがすためいるのだから、シャリアはそこでは止まれなかった。




 ☆




 裏路地を抜ければ幾つかの和やかな気配があった。

 暗闇に慣れきっていた目に、光が刺さる。

 

 足を踏み入れたシャリアに、照らしかけるは数多のランタン。

 光に脳が圧倒されたあとに、一拍遅れて街並みの喧騒が耳を覆った。

 

 谷を削り、地を開いた地底の街並みは、一様に橙色に照らされていた。

 ラテ炭の火はあまり煙が出ないけれど、それでも少しだけ視界が曇る。

 煙った視界に映るすべてが、シャリアにはとてもあたたかいものにみえていた。


「リラの新樹餅~新樹餅!! まいど!! ええ? まけてくれだ? むりだねむり。これっぽっちもまけられるもんかい。隊商がこんだけしか持ってこなかったからよ、これでもうちは大赤字さ!!」


「酒だよ、酒!! ランドンから仕入れたきっつい酒。今なら4ユラの大特価!! 今しか買えないよ!!」


「串刺し肉、まだだよ、まだだ、焼き上がりまで並んで待ちなァ」


 先ほどまでの耳を犯す冷たさがどこかに消えてしまうほどの賑わいがあった。串刺し肉の豊潤な香りも鼻をくすぐる。

 そこかしこに、祭りの雰囲気が漂っていて、シャリアの心も浮足立ちそうになって。


 ――でも、それを求めてここにいるんじゃない。


 シャリアは自分を戒めた。


 ――私が温まりたいだけなら、私は谷の外に出ていけばよかった。

 私が頑張ろうとするのは、わたしと、わたしたちとのためなのだから。


 思うや否や、遠くどこかからか、とおる声がシャリアの耳に届いた。


「選定式、立候補者!! 未登録の方はもういませんか。まもなく締め切りとなります」

 

 ひとごみの中、シャリアは声の主を探す。

 選定式。シャリアの目的。

 谷の根底を揺るがしうる儀式。

 シャリアはその言葉に反応せざるを得なかった。


 シャリアは、選定式に参加するために歯車の塔から転げ落ちてきた。

 選定式――一生に数度の、谷の『罪刑魔法』管理人の選定の争い。

 これは、ひとの犯す罪に対し、定められた刑を強制する大規模恒常魔法『罪刑魔法』の管理人を選び出すための儀式だった。


 その登録とあってはシャリアは反応せざるを得なかったが、ふと立ち止まる。


 ――でも、罠かもしれない。

 

 シャリアは内心いぶかしむ。

 今までに、「登録」というものを聞いた覚えはなかった。


 シャリアなりに事前に情報は集めていた。その情報にもそれなりの自信もある。

 それでも、「登録」なるものがずっとわからなかったことに、違和感を覚えていた。それと同時に、焦りに似た何かも芽生える。


 ――もし、罠でないとしたら、最初から資格を失いうる?


 罠であれば、追手の仕掛けたことかもしれない。

 罠でなく、本当に必要な手続きであれば、仕損じることで目的を果たせなくなるかもしれない。 

 

 悩みは加速する。

 捕まってはならない。

 とはいえ機会を逃してはならない。

 ――どうすべき?

 

 目線は下がる。

 思考は沈殿する。

 

 そして、そう思い悩むシャリアは目の前の男に気づかなかった。


 ぶん、と音がした。

 

 それが男の腕が振るわれた音だとわかったのは、シャリアが回避してからのことだった。

 思考が追いつかぬままに目の前を見れば、粗暴な男がひとり。


 ――追手? にしては、恐ろしくない。

 

 状況を理解しようと男のことを注視する。

 どこか荒くれた雰囲気。

 谷のひととは違う、毛皮のような装い。

 シャリアに殴りかかった男はまるで自分に悪い処なんて何もないかのような振る舞いをしていた。


「なんだァい嬢ちゃん、こんなところに一人かい? それもひとを殴って来るタァ随分いい身分じゃあねぇか」

 

 酔ったような声。支離滅裂な現実認識。

 シャリアはなぐってかかっていないし、口調からどう考えても酔いに負けたひとシャリアは理解した。

 

「なあ、そう思うよなあ?」


 途端、路地裏のような治安の悪い空気が漂う。

 いくつかのごみが散乱して、その散乱具合に似合うようなひと――たち。

 数が正確にはわからないけれど、囲まれているのだけは理解できた。

 

 ――みんな、谷のひととは、雰囲気が違う。


 シャリアには恐れが走る。

 たぶん、この人たちにはこの地の常識というものが伝わらない。

 どんな手に出るか、わかったものじゃない。

 そして、その結果どうなるかだって。

 

「なんだコイツ、よく見りゃぼろぼろじゃあねえか。コイツを狙うでいいのかあ?」

「アニキ、こいつぁひでえですよ、これ以上搾り取れないくらい貧相じゃあないですか」

 

 彼らが話している間にも、シャリアは見定める。

 

「こいつ、奴隷かなんかじゃあないですかね、アニキ」

「まさか、この谷にゃあ、いるわけねえって話だろ。ヤマンサ親方の話を聞いてねぇからお前らはいつまで立ってもそんなんなんだよ」

「ええ、いやだなあ、覚えてますよアニキ、杖っぽいのを持ってるやつを見つけだせ、ですよね」


 アニキと呼ばれるのが最初の男。

 副官のようににやにや話している男と、取り囲むような数人の男たち。

 ――でも、頭を、つぶせば、きっと瓦解する。


「そうだ。そして、見つけ出せってことは、囲んで捕らえろってことだよなあ!!」


 ぎゃはは、と下卑た笑い声が響く。

 隙だらけに見えて、どうにもシャリアに刺さる注目が抜けない。

 何事もなくこの囲みを抜けるには、少し難しい囲みの厚さだった。

 

「へへ、怖いかい、怖かろうなあ。なにせ俺らは泣く子も黙るヤマンサ山賊団さ」

 

 山賊団。山賊団? 谷の中に?

 シャリアは息を深く吸いなおして、思考に潜る。

 ――やはり、余所者だ。谷の騒ぎに寄ってきただけの、良く知らないひと。罪刑原則だってもわかってはいないだろう。

 

「おい、アンちゃんやめとけよ、ここは土地じゃねぇぞ」

 

 ついにみかねて、あたりにいた老人が嗜めるように口をはさんだ。

 ただ、それも一生懸命の言葉ではなかった。

 

 彼もまたのだ。一生懸命になりようもない。

 この土地が何にのかを知っていれば、こんなの危機でもなんでもなかった。

 だからこれを、周りの目線はある種、酒の肴として見ていた。


 シャリアにとっても大体同じ認識で。

 でも、ことを荒立てたくなくて、シャリアはおとなしく逃げ出した。

 

 老人が生んだ、少しの隙にシャリアは駆け出す。

 口を出してきた老人と、治安の悪そうな男の間をすり抜けて、逃げようとする。


「逃がすか!!」

 

 声とともに、アニキと呼ばれたひとは思いの外、俊敏に動いた。

 シャリアはかわしてにげきれると思っていたけれど、それが間に合わないくらいに男は俊敏に見えた。

 

 ――いや、違う。

 シャリアは自身を疑った。

 思う通りに動かない体を疑った。

 崖から落ちた痛みは、確実にシャリアの動きを鈍らせていた。


 そのせいで、万全な状態なら捕まり得ないような手が、かわしきれないほどに近くに迫る。

 

 傍の老人は口すら挟まない。

 呆れたように、ただ見守るだけだった。

 老人は、を生むのかを理解して、その顛末を黙って見届けようとしていた。

 

 ただ、シャリアはそれにあらがった。


 ――こんな目立つこと、やりたくないけれど。


 シャリアは、これから起こりうるであろう、を、受け入れたがらなかった。


 ――捕まってしまうくらいなら、掴まれてしまうくらいなら、よっぽどマシだ。



 男が腕を掴もうとするのに合わせて、シャリアは腕にマントを絡ませた。

 触れるや否や、ぱちりとマントの留め具を外す。

 そして、シャリアは。


 滑らかな生地のマントから、勢いよく腕を引き抜いた。


 結果としてできたのは、男がマントを奪った構図。

 男が、人の所有物を盗むという悪行を為した構図。

 男が、罪を、犯したような構図。


「あぁ? それで逃げたつもりかぁ?」


 男は、マントを放り捨てて、シャリアをさらに追おうとしたとき。


 足元から白い光が走った。

 

 迸る光の奔流。眼を焼くような極光。膨大な魔力の波長。

 

「あ? な、なんだこれ」

 

 男の動揺をよそに、はなおも男を包む。

 包む魔法は、谷全体にかけられた、大規模恒常魔法たる罪刑魔法。


 罪に呼応して強制される刑の魔法。


 その白い光が示す罪刑は、盗みに関する罪刑原則――その5番目。


『他人の所有物を盗んだひとは、盗んだものを手に【歯車の塔】の三の階に赴く』――であった。

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打ち砕け、罪刑 こむぎこ @komugikomugira

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