実の回想 その五
クローン人間――。
法でも、倫理的にも厳しく禁止されている。生命への冒涜とされる、いわば禁忌の研究。
文昭さんは、科学者を志したときからずっと、クローン人間をつくることを強い野望としていたという。生物学の研究をする傍ら、ひっそりと構えた専用の研究所で、ずっと研究を続けてきたそうだ。
「……どうして、クローンをつくろうと……?」
何か大きな目的がなければ、そんな法に触れることはできないはずだ。お金を稼ぐことが目的というのはまずない。文昭さんなら正攻法で十分にやれるからだ。そんな危険を犯す必要はない。
「……僕は、生まれつき身体が弱かったんです。何度も何度も大病をして……四十歳になるまで生きられたら、奇跡だと」
「……そうだったんですか」
「ええ。そこで、それなら悔いのないように生きようって思えるのが、一番いいことだとは知っているんです。でも僕はそうは思えなかった。もっと、もっと生きたかったんです。いや、生きたかったというより僕は、死にたくなかったんですよ。死ぬのが、たまらなく怖かったんです」
何度も大きな病に罹り、生死の境を彷徨ったのならば、常人よりも死に怯えるようになるのは至って普通のことだと思う。誰しもがテレビの美談のように割り切って生きられるわけではないのだ。
「だから僕は、自分のクローン体をつくって、脳を移植して……新しい身体で、もっと生きたいと思っていたんです。僕の病弱な遺伝子を取り除いた、改良された新しい身体で」
それができるなら、永遠の命というのも可能になるだろう。文昭さんほど才能に恵まれた人なら、永遠の命は魅力的に思えるのかもしれない。
ただ、それよりもひとつ、気になることがある。
「あの……さっきから過去形なのが気になるんですけど。今も研究をしているんじゃないんですか?」
「ああ……研究は続けていますよ。ただ、今の僕は、研究をする理由が違うんです。変わったんですよ……幸恵に出会って」
「姉に……?」
「はい。僕と幸恵の出会いについて、詳しくは話していませんでしたね。友人の紹介と言ったけれど……正確に言えば、合コンで出会ったんです。人生で初めての合コンでした。僕は研究一筋で……とりあえず自分の目的を成し遂げるまでは、それ以外のことはどうでもいいと思っていました。これまで恋人なんていたこともありませんでしたし。そもそも僕は後先短いから、結婚なんてできないだろうと思っていましたからね。ただ、当時の研究者仲間――ああ、もちろんクローンじゃないほうです。その仲間にどうしても人数が足りなくなったから、と強く言われましてね」
「そこに、姉もいたというわけですか」
文昭さんは頷く。
「はい。幸恵は当時、風俗店で働いていました」
姉が、風俗。私は息が詰まる思いだった。心が痛むとか、そういうわけではなかった。いや、ある意味ではそうだったのかもしれないが。
姉はやはりそこまで堕ちたのか、という納得にも似た黒い感情だった。
「当時付き合っていた彼氏に、風俗で働くように強要されていたそうです。働いて得たお金もほとんど彼氏に取られていたと。ただ幸恵は行く場所もないし、彼が初めての恋人だったから離れ方が分からなかった。だからずっと我慢をしてきたようです。でも、いつの間にやら彼氏は、他の女性と関係を持ち、子どもをつくり、その子を認知までしてしまったというんです。それで、もう幸恵はいらなくなり、捨てられてしまった。けれども帰る場所もなく、ズルズルと風俗にいたそうです。今回も、風俗仲間に連れられてきた合コンだった、と」
初めての恋人、ということは、姉が中学卒業後すぐに家に転がり込んだという彼氏だ。やはりろくな男ではなかったのだ。
「風俗仲間といっても、あの場所は熾烈な女社会らしいですからね。幸恵は明らかに引き立て役でしたよ。化粧のやり方なんて知らなかったんでしょうね、あどけない顔にけばけばしい化粧がまったく似合っていなかった。合コンに来ていた女性たちは幸恵を明らかに馬鹿にしてました。男側も、つられて笑ったりして。僕は居心地が悪かったですよ。それに幸恵は、すごく寂しそうな顔をしていた。ああ、この人は孤独なんだって、すぐに分かったんです。僕も孤独だったから。だからこそ、僕は幸恵に惹かれたんでしょうね」
胸がちくりと痛むのが分かった。私だって孤独だった。いや、今もそうだ。たとえ引き立て役だとしても、合コンに誘ってくれるような人もいなかった。
それなのに姉には、文昭さんのような素敵な人が現れた。それがたまらなく悔しかった。姉が、憎いと思った。
「それから僕たちは交際しました。幸恵には住むところがなくて、ネットカフェに泊まったり、働いている店のソファで寝たりしていたから、不憫に思ってすぐに同棲を提案し、結婚しました」
「あの、文昭さん」
耐えられなくなって、私は口を挟んでいた。
「姉は、荒んだ環境で育ちました。実の姉だから分かります。姉は文昭さんに似合うような、心の綺麗な人ではありません。付き合っていて分かりませんでしたか」
嫌な女だ、と自分でも思う。けれども止められなかった。
怒られるかと思ったが、意外にも文昭さんは静かに頷いた。
「分かりましたよ。僕が結構、お金を稼いでいましたから、幸恵はそれを鼻にかけるところがありました。街を歩いている人を見ながら、貧乏臭そうな服、って笑ったりね。僕と結婚して、店は辞めて専業主婦になりましたけれど、近所の人との付き合いはなかったようです。そういう性格が影響していたんだろうなあと思いますね」
「だったら、どうして……」
「たぶん僕は、そんな幸恵さえ、寂しそうだと思って放っておけないと思ったんです。ずっと相対的に不幸を感じてきた人なんだと。だから自分の幸福を感じるのも、相対的でないといけないんだと」
分かりそうで、分からない。ただ言葉の端々から、ああ、文昭さんはちゃんと姉を愛していたんだ、という事実だけは分かる。それがまた、私の胸を痛めた。
「姉を……愛していたんですね」
「ええ。でも、僕たちは、すれ違うようになってしまった」
「それは、どうしてですか? 文昭さんの研究のせい?」
「いえ。……子どもが、産まれたからです」
僕ではない僕 @yodaka_yukimichi
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