実の回想 その四
私は文昭さんと、とある個室割烹料理店で久しぶりに会うことになった。
店を提案したのは文昭さんだ。電話を入れ、研究を手伝いたい旨を伝えると、すぐに予定を組んでくれた。
割烹料理店なんて見たこともない。なんとなく、小ぢんまりした建物のイメージだったが、そこはとても広い店だった。完全個室になった座敷席がいくつもある。そのうちのひとつ、二階の端にある部屋に、私は案内された。
部屋に入ると、文昭さんが待っていた。ジーンズにカーキ色のジャケットを合わせたラフな出で立ちだが、どことなく高級感があり店の雰囲気によく馴染んでいる。
「実さん。お久しぶり」
「文昭さん、久しぶりです。すみません。急に会いたいとか言っちゃって」
「いえ、全然。むしろ、僕の研究に興味があると聞いて驚きました。あの、念の為ですが、研究の内容を口外したりはしていませんよね?」
人目を気にするように声を潜めて文昭さんが言った。しかし私は言葉の意味がよく分からなかった。
「あの、研究の内容というのは?」
「あれ? 幸恵から聞いていないですか」
「いえ、詳しいことは。姉からは、文昭さんの研究についていけなくなった……とだけ」
「そう……ですか」
文昭さんは考え込むように俯き、しきりに腕を組み替えている。
文昭さんは悩んでいる。詳しいことは分からないけれど、少なくともそれだけは事実だ。
ならば私が、彼を助けないと。私は強くそう思った。
「文昭さん、教えていただけませんか。文昭さんは行き詰まっていた私に道を示してくれた恩人です。そんな文昭さんの研究を手伝いたいんです。それがどんな研究であっても」
「どんな研究であっても……ですか」
文昭さんの目が、ぎらりと光った。強い決意に満ちているが、仄暗さを孕んでいる。
「それが、法に反していたり、非倫理的なものであったとしても?」
私は姉の言葉を思い出していた。
文昭さんには倫理観がない――。
この先を聞いてしまったら、私はもう、戻ることができない。この人と一生、抜け出せない泥沼の中で暮らすことになる。そんな確信めいた予感があった。
けれども私は、引き返そうとは思わなかった。
「はい。覚悟はできています」
「……そうですか」
文昭さんは、ふぅ、と息を吐いた。それから、しっかりと私の目を見て言った。
「絶対に、人に聞かせたくありません。下調べしたところ、ここの防音はしっかりしていたので、大丈夫だとは思いますが、念の為……。僕の隣に来てくれますか?」
私は頷いて、文昭さんの隣に移動した。爽やかな整髪剤の匂いが鼻腔をくすぐる。彼とこんなに近づいたのは初めてだ。胸が高鳴るのが分かる。
けれども、彼から聞かされた話は、そんな甘い恋のトキメキなど一瞬で消し去ってしまうような、衝撃的なものだった。
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