死体の正体

 今思えば、僕の母である城戸幸恵は、どうして父のような冷静で賢い人がこんな人を選んだのだろうと疑問に思うような人だった。

 母は僕のことも、ノリのことも、あまり好いてはいなかった。虐待するようなことはないが、僕たちが話しかけるといつも鬱陶しそうな顔をした。子どもはそういう大人の表情の変化に敏感だ。いつしか僕もノリも、母親とは必要最低限の話しかしなくなった。あまり家にいない父と、僕たちを好きではない母。家族仲は、はっきり言って良くはなかったと思う。だからこそ僕とノリは、深いつながりを感じるようになったのかもしれないが。

 離婚した理由も、離婚してから母がどこへ行き何をしているのかも、僕は知らなかった。興味もなかった。これからも一生、知らずにいると思っていた。

 それなのに。

 まさかここで、その名前が出ることになるなんて。



「ユキエ……か。イニシャルは一致しているな。離婚したんなら今の名字は違うだろうが、結婚していた時期に買ったものだったとすればおかしくない」

「でも……もし、そうだとしたら……ここで死んでいたのは……」

「……お前の母親だった、ということになるな」

 僕の、母親――。

 僕の人生から存在もほとんど消えかかっていた、幸恵という女性。

「お前は、離婚した母親と会ってたのか?」

「いえ……会ってません。離婚してから一度も。僕もノリも……」

「ノリも、ってことはねえだろう」

 キタガミさんがぴしゃりと言う。

「ノリが殺ったのかどうかは、この際置いとくとしても……お前の母親がこの家で殺されてて、その家からノリが飛び出してきた以上、ノリが母親と会ってたことは間違いねえ。今回が初めてなのか、それとも今までも何度か会っていたのか……それは分からねえが」

「……それは……そうですね」

 昨日の僕なら、ここでキタガミさんに食ってかかっていただろう。しかし一晩眠って――眠りと呼べるものだったかは定かではないが、ともかく時間を置くことで――少しは冷静になれた。ノリが母と会っていたことは間違いない。事実を否定していても仕方がない。そんなことをしていても、真実から遠ざかっていくだけだ。

 僕は真実を突き止めなければならないのだ――なんとしても。

「ともかく、手がかりであることには違いねえ。母親から辿っていきゃあ、ノリに繋がるかもしれねえ」

「それはそうですが、どうやって辿っていけばいいのか……母の実家の場所も分からないし、分かったところで突撃するわけにもいかないし」

「ふむ」

 キタガミさんは頭をぼりぼりと掻いた。

「……そうだな。手が、ないわけじゃねえ」

「と、言いますと……?」

「親父の遺書だ」

「父さんの?」

 どうしてここで父が出てくるのか。

 父の遺書は、キタガミさんに託されていた。内容はすでに教えてもらっている。

 メモに書いて部屋の抽斗にしまってあるが、もう何度も読み返したので諳んじることができる。内容はこうだ――。


 タツ、ノリ、おまえたちの成長を見届けることができないまま虹の橋を渡ることになってしまったこと、父さんはとても悔しく思っている。

 父親らしいことは、何もしてやれなかった。

 でも父さんは、おまえたち二人を心から愛している。

 タツとノリが楽しそうに暮らしてくれているだけで、父さんは幸せだった。


 あまり父との思い出がない僕も、その文面を思い返すだけできゅっと胸が締め付けられる思いがする。とはいえ、これがノリの居場所に繋がるとは思えない。

「あの遺書には続きがある。文昭は――お前の親父は、遺書の最後に研究所の住所を書き記していたんだ。必要ないと思ったから伝えていなかった」

 遺書の内容を隠すなんて、と食ってかかりたい気持ちを抑える。今更言っても詮無いことだ。

「でも、父さんがいなくなったのに、研究所はまだあるんですか?」

「研究が続いているかは定かじゃねえ。だが……あの研究所には確か、文昭の他に一人、研究員がいたはずだ。文昭の助手をやってたらしい。そいつが残っていれば……」

「話を聞きにいく価値がある、ということですね」

「そういうことだな。だがタツ、お前は行かなくていい」

「えっ?」

 何を言うのだ、ここまで話しておいて。

「それは俺がやる。お前は引き続き、ノリを捜せ」

 いくらこれまでたくさん助けてもらったキタガミさんの言うこととはいえ、これは譲れなかった。僕自身、父の研究所を見てみたい、という気持ちもある。

「もう心当たりは捜し尽くしました」

「時間が経てば状況は変わる。近くに来てるかもしれねえ」

「そんな僅かな可能性に賭けるより、僕自身も研究所に赴いたほうが確実に得るものがあります」

 僕はキタガミさんの目をしっかり見つめて言った。キタガミさんは眼力が強いけれど、絶対に逸らさなかった。

 やがて、キタガミさんが諦めたように溜め息をついた。

「……ったく。余計な情報、与えるんじゃなかったぜ」

「じゃあ」

「仕方ねえな。……だが、俺もついていくぞ」

「もちろんです。キタガミさんが持ってた情報ですからね」

 僕はすぐに支度を始めた。今はどんな手がかりでも欲しい。そのために、一秒だって無駄にはできない。

 今も一人で、思い悩んでいるかもしれないノリのためにも。

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