キーケース
キタガミさんが我が家のドアをノックしたのは、七時前だった。キタガミさんの家は我が家とそのくらい離れているということなのだろうか、と思ったが、支度をしていたのかもしれないし、昨日は近くに泊まったのかもしれない。実際のところははっきりしなかった。
僕とキタガミさんはキッチンのテーブルに向かい合わせに座った。リビングはまだやはり、芳香剤の匂いがきつい。
「お前に、渡しておくものがある」
キタガミさんは羽織った薄手の上着のポケットから――理由は不明だが、キタガミさんは季節を問わず長袖を着ている――小さな革製のキーケースを取り出した。長年使い込んでいるのか、色がくすんでいる。
「キタガミさんのですか?」
「俺のじゃない。死体が持ってたもんだ」
平然と言ってのけるので、僕は驚いた。
「あ……漁ったんですか」
「人聞きの悪いことを言うな。身元が分かるもんはねえかと思っただけだ。持ってたのはこれだけだったがな。金目のもんも何もなかったよ」
ということは、これが被害者が誰かを突き止める唯一の手がかりなのか。
僕はそれを受け取り、観察した。中には鍵がひとつだけ。何の変哲もない金属製の鍵だ。サイズ、質感、色、どれを取っても特筆すべき点が何もない。どこにでもありそうな鍵だ。
鍵の穴に糸が通され、ふたつ、タグがついていた。ひとつは『203』と書かれた緑色のタグ。アパートの鍵によくついているものだ。これは家の鍵なのだろう。
もうひとつのタグは、キーケースと似た色合いの、同じく革製のものだった。相変わらずくすんでいるが、何か文字が刻まれているのが読み取れる。アルファベットだ。
そこに書かれている文字を見て、僕は血の気が引いた。
Y.KIDO――
キド。
僕の名字も、城戸だ――。
「偶然だと思うか」
キタガミさんに訊ねられても、僕は何も答えることができなかった。でもそれは何よりの証拠だ。偶然ではないと、僕の予感が告げていた。
「……キドって名字は、このあたりに多い名字か。キドウって可能性もあるが、そっちはキドよりはるかに珍しい名字だろうし」
僕はかろうじて首を横に振る。これまで生きてきて、自分と同じキドという名字の人間に会ったことはない。少なくとも、このあたりでよくある名字というわけではないはずだ。
「ノリの持ち物、じゃねえだろう」
「僕が知っている限り……ノリはこんなキーケースは持ってません。そもそもこの鍵はうちの鍵ではないし……イニシャルも違うし」
「これを見て、気になったことがある」
何を言おうというのだ。僕は息を呑み、キタガミさんを見つめた。
キタガミさんの口が動くスピードが、やけに遅く感じられた。
「お前の母親の名前は、なんだ」
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