第3話 配信切り忘れてたってマジですか?

「……ふぅ。とりあえず、素材(データ)のチェックをするか」


 俺は、ついさっきまで人類の敵として君臨していたSランクモンスター、『深淵のドラゴン』の頭頂部によじ登り、どっかりと腰を下ろした。伝説級の怪物の頭など、普通の人間なら恐れ多くて触れることすらできないだろう。だが、今の俺にとってはただの「椅子」だ。黒曜石のような鱗は、座ってみると意外となめらかで、天然の最高級革張りソファのような感触がある。しかも、まだ体温が残っているため、ほんのりと温かい。


「うん、悪くない座り心地だ。深層は冷えるからな」


 俺はそんな感想を漏らしながら、愛機『ヴェリタス・ゼロ』のプレビュー画面をスワイプした。


「このブレスを弾く瞬間の光の粒……シャッタースピード1/8000でも若干流れてるな。まあ、それが逆にスピード感を演出してるから『アリ』か」 「三脚で殴った瞬間のインパクト……これは完璧だ。鱗が砕け散るエフェクト(破片)が、まるでダイヤモンドダストみたいに輝いてる」


 俺はニヤニヤしながら、自分の作品を品評する。カイトたちと組んでいた頃は、こうした「戦闘記録」のチェックすら許されなかった。『俺の髪型が崩れてるからボツ』だの、『エレナの魔法より目立ってるからカット』だの、理不尽な修正指示ばかり。  だが今は、俺が「良い」と思ったものが、そのまま正義になる。


 ピクッ。


 その時、俺の臀部に微かな振動が伝わった。足元で伸びていたドラゴンが、痙攣したように動いたのだ。


《 警告:被写体の意識レベルが上昇中。覚醒まであと5秒 》


 俺の網膜に、カメラのアラートが表示される。Sランクモンスターの生命力は凄まじい。頭蓋骨にヒビが入るほどの衝撃を与えても、数分で意識を取り戻してしまうようだ。


「おっと。まだ撮影後のチェック中だから。動くと写真がブレるだろ?」


 俺はモニターから目を離さず、条件反射で右手に持っていた三脚の石突(いしづき)を持ち上げた。そして、杭打ち機のように垂直に振り下ろす。


 ドスッ。


 鈍い音が響く。手加減はしたが、重量2トンの鉄塊による一点集中打撃だ。


「ギュッ……」


 ドラゴンは短く、どこか情けない悲鳴を上げて、白目を剥いたまま再び深い眠りについた。巨大な体が脱力し、再び静寂なソファに戻る。


「よしよし、いい子だ。撮影が終わるまでは寝ててくれよ」


 俺はドラゴンの頭をペットのように撫でると、再び作業に戻った。……まさか、この光景が。「Sランクドラゴンを座布団にし、起きそうになったらノールックで撲殺して二度寝させるカメラマン」という衝撃映像として、全世界に生配信されているとは露知らず。


 その時だった。ポケットに入れていたスマホが、壊れたような勢いで振動し始めたのは。


 ブブブブブブブブッ!!


「ん? 誰だこんな時に」


 俺は眉をひそめた。ここは地下50階層。通常の電波など届かない。だが、俺のスマホはダンジョン協会仕様の魔導回線に繋がっているため、緊急連絡だけは入るようになっている。


 画面を見ると、表示されている名前は『御手洗(みたらい)編集長』。  かつて『ブレイブ・ストリーム』のプロデュースを担当していた、俺の幼馴染だ。彼もまた、「利益率が悪い」「口うるさい」という理由で、俺より一足先にカイトたちに追放された身だった。


「もしもし、慧(けい)ちゃん? 奇遇だね、俺もちょうどクビになったとこでさ。今から職探ししないと……」


『その話は後だバカ野郎!!』


 スピーカーから、鼓膜が破れそうな怒声が響いた。俺は思わずスマホを耳から離した。普段は冷徹なほど冷静で、感情を表に出さない御手洗が、ここまで取り乱すのは初めてだ。


『いいから今すぐ自分の配信画面を見ろ! まだ繋がってんだよ!』 「は? 配信? いや、まさか。カイトたちはもうゲートの向こうだし、あいつらが切ったはず……」 『あいつらがそんな気の利いたことするわけないだろ! お前のカメラ、性能良すぎて自動再接続(オート・リコネクト)してんだよ! お前の「一人反省会」も「ドラゴン虐待」も、全部世界中に垂れ流しだ!』 「……えっ」


 血の気が引く音がした。俺のカメラ『ヴェリタス・ゼロ』は、確かに高性能だ。  親機(カイトの端末)とのリンクが切れた場合、予備回線を探して自動で配信を継続する「緊急報道モード」が搭載されている。だが、それはあくまで緊急時の機能だ。まさか、カイトたちが「配信終了ボタン」すら押さずに立ち去ったせいで、それが発動しているとは。


 言われるがまま、俺は恐る恐る配信アプリ『TubeD』を起動する。そして、凍りついた。


【LIVE】ブレイブ・ストリーム:Sランク深層攻略(カメラマン視点) 視聴者数:358,200人(急上昇1位!)


「……は?」


 画面には、ドラゴンの頭の上であぐらをかき、間抜け面で電話をしている俺の姿。  そして、画面を埋め尽くすほどに流れる、滝のようなコメントの嵐。


: ドラゴンを椅子にする男 : ピクッて動いた瞬間、ノールックで殴ったぞwww : 「動くとブレるだろ」じゃねーよwww : 物理撮影つよすぎワロタ : 【悲報】カメラマン、自分がバズってることに気づいてない : カイトたちが逃げ出したドラゴンを、ペット扱いかよ……


 35万人?  え、桁2つ間違えてない?  『ブレイブ・ストリーム』の全盛期でも、同時接続数は5万人が限界だったはずだ。それが、ただのおっさんカメラマンがドラゴンと戯れている(一方的な暴力)だけの映像に、その7倍以上の人間が釘付けになっている?


『状況を説明してやる。カイトの馬鹿が、お前を追放した時に配信の切断処理をミスった。おかげで、お前がドラゴンを三脚でフルボッコにする映像が、世界中に生中継されちまったんだよ』 「……マジか。あー、だからカイトたち、あんなに急いで逃げたのか」 『違うわ! あいつらはドラゴンにビビって逃げたんだよ! ……ククッ』


 電話の向こうで、御手洗の喉から、獰猛な笑い声が漏れた。それは、獲物を追い詰めた肉食獣のような響きだった。


『だが、これは好機(チャンス)だ。今、世界中がお前の「狂気」に酔いしれている。お前が撮りたいと言っていた「真実の映像」が、カイトたちのハリボテの虚構を粉砕して、評価されたんだ』 「……」 『レンズ。今すぐ帰還しろ。俺の事務所(スタジオ)に来い。お前のソロチャンネルを開設する。この35万人の視聴者を、一人残らず俺たちの信者にしてやる』


 俺は口元を緩めた。やはり、この男は仕事が早い。俺のミスを、一瞬で「勝機」に変えてみせた。


「了解。……あ、そうだ慧ちゃん」 『なんだ?』 「このドラゴン、まだ生きてるんだけど、持って帰ったら素材になる?」 『……お前なぁ』


 御手洗は少し呆れつつも、楽しそうに言った。


『「討伐証明」代わりに、三脚で踏みつけてる写真でも撮ってこい。サムネにするから』


 ◇


 一方その頃。ダンジョンから地上に戻り、ギルド近くの安宿で祝杯を上げようとしていたカイトたちは、異変に気づいていた。


「おい、なんかさっきからスマホが熱いんだが……通知が止まらねぇぞ?」


 カイトがジョッキを置き、スマホを見る。最初は「新体制おめでとう!」「トオル君かっこいい!」というファンからの称賛メッセージが届いているのだと思っていた。だが、通知欄を埋め尽くしていたのは、目を覆いたくなるような罵倒の嵐だった。


『クズ』 『見損なったわ』 『カメラマン置いて逃げるとか人殺しかよ』 『今までのお前らの強さ、全部カメラマンのおかげじゃねーか』 『お前らの剣、全然当たってなかったぞ』


「な、なんだよこれ……!?」


 カイトの手が震え、スマホを取り落としそうになる。隣で、トオルが青ざめた顔でタブレットを差し出した。


「せ、先輩……これ……!」 「なんだよトオル! 今忙しいんだよ!」 「ち、違います! これを見てください! 俺たちのチャンネルが……!」


 そこに映っていたのは、カイトたちが捨ててきたはずのカメラマン――レンズの配信画面だった。カイトたちのアイコンが表示されたチャンネルで、現在進行形で配信されている映像。そこでは、あの恐怖の象徴である「深淵のドラゴン」が、レンズの足元で大人しく伸びていた。


「は……? ドラゴンを……倒した……? あの三脚男が?」


 カイトの声が裏返る。信じられない。あのドラゴンは、自分たちが一目見ただけで「勝てない」と悟った怪物だ。それを、戦闘スキルも持たないはずのカメラマンが?


 さらに、SNSで拡散されている「切り抜き動画」が自動再生される。そこには、カイトたちがレンズを嘲笑い、罵倒し、置き去りにするシーンが、4K高画質・高音質でバッチリと記録されていた。


『おっさんが汗水垂らして撮る、泥臭くて地味な映像とか、暑苦しくて需要ないんでw』 『負け犬! この深層で野垂れ死にな!』


 自分たちの醜悪な本性が、世界中に晒されている。言い逃れのできない「証拠映像」。


「嘘だろ……!? 消せ! トオル、今すぐ消せ! アーカイブを削除するんだ!」 「む、無理っすよ! 俺に管理者権限ないっすもん! パスワード知ってるの先輩だけでしょ!?」 「くそっ、手が震えて……! エレナ! お前の魔法でサーバー落とせ!」 「できるわけないでしょバカ! 物理的にスマホ壊せばいいの!?」


 パニックになり、仲間割れを始める彼らの元に、一本の電話が鳴り響く。着信画面には、彼らの最大のスポンサーである『ポーション製薬』の広報部長の名前。


 カイトは震える指で通話ボタンを押した。


『……カイト君。今の配信、見せてもらったよ』 「あ、いや、部長! これは誤解で、あれは演出というか……」 『契約は解除だ。違約金については、後ほど弁護士から連絡させる。……君たちには失望したよ』


 プツン。無慈悲な通話終了の音が、彼らの冒険者人生の終了を告げるゴングのように響いた。彼らはまだ知らない。これが「終わり」ではなく、御手洗編集長による「徹底的な社会的制裁」の、ほんの始まりに過ぎないことを。

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