第25話 見えないナイフ

「あのグループは、テニス部を辞めたよ。……ううん。辞めたというか、実質的には除名処分だね」


 恵美ちゃんが、衝撃の事実を告げる。

 

 え?

 てっきり、私が抜けただけでそれ以外は元通りに戻ったのかと思っていた。

 遠目に見た限り、二年生も揃っているように見えたけど。

 

「なんで? 二年生は戻ってきたんだよね?」

 

「うん。二年生はほとんど残ることになったんじゃないかな。中心にいた何人かは辞めてるはずだけど」


 少なくとも何人も実質的には辞めさせられているということ。


「それって、私に付いていけない、って言ったから除名ってこと? それは厳しすぎない?」


 あまり強くあたって、今度は恵美ちゃんに矛先が向かわないといいのだけれど。

 

「んー。不満を言ったからじゃないよ。自分たちの鬱憤を晴らすために、部長である凜ちゃんへ組織的な嫌がらせをしたから」


 膝の上で、恵美ちゃんの拳が白くなるほど強く握りしめられている。

 普段は冷静な彼女の声が、怒りを押し殺すようにわずかに震えていた。

 

「特に、何も知らない下級生を弾除けみたいに使って追い詰めた点がね、……極めて悪質だって判断されたの」


 一呼吸おいて、彼女は私をまっすぐに見据えた。


「いまは嫌がらせって言ったけど、やってることはれっきとした『いじめ』だからね」

 

「当事者の凜ちゃんは、自分のせいだと思い込んでるかもしれないけど……。たとえ本人が気づいていなくても、集団で一人を追い詰めた事実は変わらない。それは、れっきとしたいじめだよ」


 そうなんだろうか。私の運営の仕方に不満があるという話だと思ったのだけれど……。


「確かに二年生にみんな揃って辞められると困るのは事実だけど、『私たち辞めます』って言われただけだよ?」

 

「んー。そもそもの話としてだけど、問題が起き始めたのは今年度の初期レギュラー決めがあった春休みあたりからだよね」


 そう。確かその頃から歯車が狂い始めた。


「聞いてみたら、凜ちゃんが立ち会った最後の瞬間だけの話じゃ無いみたいなんだよ。ずっと続いてた一連の嫌がらせの最後が一昨日だったってこと」


 それにしたって、誰でも不満を抱いたりため込んだりはするんじゃないかな。

 私がそう思うのと裏腹に、恵美ちゃんは淡々と続ける。


 机の上では、三人分の飲みかけのお茶が既に冷めていた。

 

「まず、レギュラー落ちした小田さんや梅田さんたちが、グループで固まり始めたでしょ?」


「そうだったね。何人も一緒の日に休みがちになった」


 それで、恵美ちゃんにも相談して、対応してたんだっけ。

 

 ここで一度顔を起こし、私の顔をじっと見る。

 なんだろうと首をかしげると、綾音と視線を交わしてからこちらへ向き直る。


 あ、私の心配をしてくれたのか。


「ありがとう。恵美ちゃん、私はもう大丈夫だよ。一昨日はちょっときつかったけど、二人のおかげで、もうすっかり落ち着いたし続けてくれていいよ」


「そう? じゃあ、続けるね。いつでもストップかけてくれていいんだよ」

 

 改めてそう告げた後、恵美ちゃんが話を続ける。


 綾音は、テニス部の話だからか、口を挟まず聞き役に徹しているようだ。

 

「だんだん、新二年生の控え選手あたりを中心に、そのグループに加わる人数が増えてきてたからさ、なるべく二年生とコミュニケーションをとる機会を増やしていたんだ」


「その頃、凜ちゃんも気にして声をかけたりしてくれてたよね」

 

「うん。あまり効果が無かったけど」

 時間と共に坂道を転げ落ちるように悪化してきたと思う。


「凜ちゃんが休みがちな子に声をかけてくれていたから、逆に私は練習に来てくれている部員との接点を増やしていたのね」


 そう。二年生に限らず、テニス部内の人間関係を円滑にしてくれていたのは、ずっと恵美ちゃんだった。

 

「感覚が合って話しやすい子がいたからさ、そのあたりを中心にね。部員の間でも次期部長候補としてよく名前が挙がっていた子なんだけど」


「あー。佐伯ちゃんかな? 恵美ちゃんのことを慕っていた」


「うん、そう。佐伯さん。慕われていたというか、そういうわけで意識してコミュニケーションを増やしていたのよ」


 後輩との関係をきちんと築いていたから、私が辞めたあとみんな恵美ちゃんの元に戻ってくれたんだろうね。

 

「それがさ、一昨日の朝学習の時間に佐伯さんが急に訪ねてきたんだよね。泣きじゃくりながら」


「私たちのせいで、広瀬部長が辞めさせられる、って」


 つまりあの場にいたのか。

 ぱっと見で二年生がほとんどいるとは思ったけど、恵美ちゃんと親しい佐伯さんまでいたのなら、本当に全員いたのかもしれない。

 

「とにかく、取り乱し方が凄くて。泣き止ませるまで大変だったんだから」


 困り果てている恵美ちゃんの姿が目に浮かぶよう。ごめんね。


「朝学習の時は、質問対応や監督のために、専科の先生たちが教室を回ってるでしょ?」


「廊下で佐伯さんをなんとか泣き止ませて話を聞こうと四苦八苦していたら、ちょうど美術の後藤先生がいらして」


「その時点で凜ちゃん絡みの部活トラブルだということはわかっていたから、田辺先生を呼んできてくれたのよ」


「えー。廊下でそんな騒ぎになっていたなんて、全然気づかなかったよ。隣のクラスなのに……あ。」


「いや……違う。一昨日の朝学習に私はいなかったんだよ。その時点ではまだ部長だったし、一応泣き顔を誰にも見られないように、部室棟のトイレにずっと隠れて泣いてたから。もうすっかり忘れていたけど」

 

 言葉にした途端、肌があの狭い個室の冷たさを思い出した。


 鼻をつく人工的な芳香剤の匂い。

 押し殺した嗚咽の熱さ。


 遠くで響くチャイムの音が、世界から私だけを切り離していくような、絶対的な疎外感。


 学食の喧騒が遠のき、惨めな記憶だけが鮮明にフラッシュバックする。

 視界が滲み、目の前の恵美ちゃんの顔が歪んだ。


 こぼれ落ちそうになるものを留めるように、私は慌てて視線を天井へ逃がした。


 私が自分のことだけで手一杯になって、トイレで泣いていた間に。

 恵美ちゃんはたった一人で、あんな泥沼の最前線に立って、私を守り続けてくれていたんだ。


 ……目の前にいる彼女は、いつもと変わらず華奢で、少し呆れたように笑っているだけなのに。


 その背中のどこに、これほど大きな強さを隠し持っていたのだろう。

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