第3話 聖男、少年を保護する

 翌日、スマホに児童相談所から留守番電話が入っていた。

 どうやらこの後、自宅訪問をするらしい。

 朝からルシアンのためにホットケーキを焼いて食べさせていると、インターフォンの音が聞こえてきた。

 きっと児童相談所の職員がやってきたのだろう。


「橘さん、朝早くにすみません」

「いえ、こちらこそ昨日連絡できずにすみません」


 実は昨日の夜に電話があったが、疲れて寝ていたから電話に出られなかった。

 すぐに部屋の中に入ると、ルシアンは僕の膝の上に座った。


「ふふふ、懐かれてますね」

「そうみたいです」


 なぜ、こんなに懐かれているのか僕にもわからない。

 児童相談所の担当者は書類を手渡しながら、慎重に言葉を選びながら今後のことについて教えてくれた。


「現在、近くの施設では今すぐの受け入れが難しく、他にも緊急なケースが重なっています」


 実際に家庭内暴力に巻き込まれていたり、虐待されている子どもは少なくない。

 病院にいてそういう子を目にすることもある。

 国が介入できるのも限度があるし、児童相談所も大変なんだろう。


「さらに言葉が通じず、体に傷もあるため、環境が急に変わるとパニックになる可能性もあるかと……」

「……僕に預かれってことですか?」

「看護師の橘さんなら、もし体調や精神的な不調が出てもすぐ対応できると思いまして……。医療従事者として、そして信頼できる大人として、お願いできませんか?」


 突然、人が来たことでルシアンはまた僕から離れなくなってしまった。

 あれだけニコニコして食べていたホットケーキすらも途中から手をつけていない。

 それを見ていたら、短期間でも一時的に保護してもらうのも可哀想な気がしてきた。


「身元の調査や通訳の手配、医療チェックが完了するまで、数日間、一時的に付き添っていただけませんか?」


 今のルシアンの状態を見ていたら仕方ないだろう。

 昨日が夜勤明けなのもあり、しばらくは連休だから今のところは僕の予定も問題はない。


「わかりました。責任を持って面倒を見ます」


 僕の言葉に担当者はほっと息をつき、書類を整理して何度も頭を下げて帰って行った。

 施設が決まるまでは定期的に連絡や面談をしてくれるらしい。

 書類には連絡先や緊急時の対応についても丁寧に書いてあった。


「しばらくは一緒に凄そうか」

「いっ……しょ?」

「ああ、一緒だね」


 言葉の意味が理解できているのかはわからない。

 ただ、ギュッと抱きしめるルシアンを僕は抱きしめ返した。


「そういえば、数日預かるなら着替えも欲しいよね」


 夜は僕の服を着させて寝かしつけたが、今着ている服だけだと洗濯するのに時間がかかってしまう。

 予備で数枚着替えがあれば問題はないだろう。

 それにせっかくの休みだから、外に出かけて楽しい思い出を作った方がルシアンにとっても良さそうな気がする。


「よし、ショッピングモールに行くよ!」

「しょ……しょしゃぴんぎゅ……もーるぅ?」


 急な長い単語にルシアンはあたふたとしていた。

 ついでに日本語の単語帳やドリルを買ってあげると喜びそうだね。



「みにゃと! これ!」

「ああ、これは電車だよ」

「でんちゃ!」


 電車を見たことないのか、目の前に止まった時は泣きながら抱きついてきた。

 その姿に僕よりも周囲の人がほっこりとしていた。

 そんなルシアンも今は窓の外から景色を眺めて楽しんでいる。


「ルシアン、降りるよ!」

「うん!」


 椅子から飛び降りると、僕にくっついて歩いていく。

 ショッピングモールに行くときっと驚くだろう。

 子どもの遊び場もあるからね。


「わぁ……!!」


 ショッピングモールに着くと、ルシアンの目がきらきらと輝いた。

 子どもの遊び場や大きな窓、色とりどりの看板に驚き、僕の手をギュッと握った。


「みにゃ……と!」


 勝手に歩き出したが、僕が後ろにいることに気づいて走って戻ってきた。


「うん、僕も一緒に行くからね」


 さすがに一人で行くのが怖いのか、僕の手を掴み引っ張りながら歩いていく。

 ルシアンは周りをキョロキョロと見回して忙しそうだ。



「みにゃと……」

「あれ……眠たくなったのかな?」


 小さな声で僕の名前を呼び、手をギュッと握る。

 目を擦っているから眠たいのだろう。

 ショッピングモールで遊んだり、買い物をしているうちに、ルシアンの小さな体は少しずつ疲れてきたようだ。


「抱っこする?」

「うん……」


 ルシアンは目を半分閉じながら抱きついてきた。

 仕方なく僕はそっと抱き上げる。

 ルシアンの体は思ったより軽かったが、それでも一日中の興奮と遊びで疲れているのが伝わってくる。

 それにしても子どもの体温って高いんだね。

 中々小さい子を抱き上げることはなかったから、新鮮な気持ちだ。


「よし、帰ろうか」


 ルシアンは僕の胸に顔をうずめ、静かに呼吸を整え始めた。

 帰り道、ルシアンの手はしっかり僕の首に回され、安心したように小さな頭を僕の肩に預けている。

 僕もそっと手を背中に回し、まるで子どもを守るように歩いた。

 家に着くと、ルシアンをソファーに座らせ軽く水分を取らせる。

 額には汗がびっしょりだった。


「先に寝かせた方がいいのかな……?」


 子育てをしたことがないため、どうすればいいのか悩んでしまう。

 こんな小さな体でも、一人で面倒を見るのは大変なんだ。

 ワンオペのお母さんとかはどうやって過ごしているのだろうか。


「とりあえず……ルシアン、着替えるよ」

「うん……」


 ルシアンは少しぼんやりした目で僕を見上げ、素直に僕の動きに合わせて手を上げる。

 言われるがままにやられているルシアンに思わず笑みがこぼれる。

 洗濯するために予備の服を着せ、ベッドに寝かせると、ルシアンは小さく丸くなった。


「おやすみ、ルシアン」


 僕はその場から離れようとしたら、そのまま服を引っ張られた。


「にゃめ……」


 寝ぼけながらも僕がどこかに行かないように服を握っている。

 僕も仕方なく一緒にベッドで横になることにした。

 僕はそっと毛布をかけ、背中をリズム良く優しく撫でる。

 しばらくすると、ルシアンの小さな寝息が聞こえてきた。

 今日一日、少しずつだけどルシアンは日本語を覚えたり、新しい環境に慣れたりと変化があった。

 これから数日間、こうして一緒に過ごしながら、ルシアンとどうするかを考えないといけない。

 さすがにずっと面倒を見ることはできないもんね。

 そんなことを考えていると、僕も疲れていたのか、いつのまにか静かに眠っていた。

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