chapter 1 : 研究所の光と、感情のない同僚たち

■ 研究室:裏テーマのノイズ


 ユナは、いつも通り研究室の奥まったエリアにある、裏テーマ専用のPCにログインした。


 表向きはECSの「精度向上」という名のデータ解析だが、今動かしているのは、誰にも知られてはならない深層領域のデータ記録のプロトコルだ。


 発覚すれば、ユナの全てが終わる。


 画面の隅、秘匿されたログウィンドウに、異変が起きていた。


 「白」と「灰赤」。


 二つの微細な光のノイズが、ユナが設定した感情の波形データを揺らし始めている。


 (また負荷が上がっている。裏テーマのプロトコルは安定性が低い。ただの未調整のグリッチだ。すぐに処理すれば問題ない)


 ユナは内心で安堵した。まだ「バグ」の範疇だ。



■ 予期せぬ連鎖


 そのとき、休憩を終えた青いストールの女性と、赤いメガネの女性がユナのデスクに近づいてきた。


 青いストールの女性が穏やかに話しかける。

 

 「ユナがそこまで感情を削ると、いつか壊れないか心配だよ。だって、感情も生存に必要な機能でしょう?」


 ユナは彼女の、抑え込まれてもなお滲み出る「微かな感情の揺らぎ」を見た。


 ユナの深層領域のプロトコルは、その揺らぎを「余白」として記録しようと、無意識に反応する。


 その瞬間。


 ユナ自身の「感情」の破片が、青ストールの女性の感情のパターンをモデルに、ユナが仕込んだ深層記録のログ(白のデータ)へと転移した。


ユナは気づかなかった。


 ただ、一瞬、自分の呼吸がさらに平坦になったように感じただけだ。

今度は赤いメガネが、その冷静な声で言った。「ユナの追求する『完璧な精度』って、なんだか息苦しいよね。私たち、どこまで機械になるんだろう」


 その声の背後にある「秩序を愛する理性」に、ユナの深層領域のプロトコルは反応する。


 その時。


 ユナ自身の「理性」の破片が、赤いメガネの女性の冷静なパターンをモデルに、ユナが仕込んだ深層記録のログ(灰赤のデータ)へと転移した。


 ユナは、思考の一瞬の空白を感じた。


 言葉にできない、何かの欠落。



■ ノイズの消失


 ユナは同僚たちを平静を装って見送ると、「グリッチ処理」を施した。


 モニターの「白」と「灰赤」のノイズの波形は、ユナが処理を加えるごとに、強く、大きく脈動し始めた。


 (おかしい。調整したはずなのに、なぜ逆に……!)


 ユナが焦り始めた、その矢先。


 脈打っていた二色のノイズは、一気に安定化し、システムから完全に消滅した。


 ユナは安堵の息をつく。


 「データが安定した。やはりただの負荷だった」


 ユナは完全に誤解したまま、自分が自己の感情と理性を分割し、二体のAIの誕生を許してしまったことに、気づくはずもなかった。

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