退屈少女の憂鬱
トマホーク32型
退屈少女の憂鬱
人生とは長い暇つぶしだ by昔の誰か
それは私の意見と、見事なまでのシンクロ率を記録する。
私は何よりも退屈を恐れていたが、同時に退屈に愛されていて、つまりは見事なまでに呪われていた。
私は田んぼに囲まれた辺鄙な田舎町に生まれた。
公務員の父に専業主婦の母、5つ上の優しい兄と、一般的な愛を受けて育った。
そんな私の初めての狂気は幼稚園の頃まで遡る。
手始めに家のありとあらゆるもの。おもちゃ箱に机、椅子にテレビ、父の盆栽に母の裁縫道具、目に付く全てを逆さまにして、ようやく私は満足した。
そして疲れた顔の母が帰ってきて、私を怒鳴りつけた。幼い私は少ない語彙で必死に説明したが、説明するほどに母は怒り、涙を流した。私は理解されないことが悔しくて、その日は眠るまで泣き続けた。
それでも懲りずに、ある時は2階の窓から飛び降り、またある時は住宅街を目を瞑って全力疾走し、鼻血を盛大に吹き飛ばした。
そうやって私は、退屈と言う強敵に勇敢に立ち向かっていた。私としては表彰物の大活躍であったが、相変わらず両親には理解されなかった。
「どうしてママとパパは分かってくれないのかな」小学校の下校時、裸足で田んぼを歩きながら、前を歩く兄に聞いてみた。
「2人は大人だから、大人は子供の心を忘れちゃうんだよ」
そう言いながら兄は控えめに笑う。その笑顔が、私は好きだった。
秋の西日が、私たちを懸命に照らしている。
「私も、いつか大人になるのかな?」
大人の自分なんて全く想像できなくて、一生子供のような気さえする。
「大丈夫、アカリは大人になるよ。そうしたら、ママとパパの気持ちも分かるんじゃないかな」
兄の口調はいつも優しくて、私は安心して甘えたくなる。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ」
私は、大きな笑い声を上げた。
田んぼの柔らかい土の感触が、足裏をくすぐったから。それが可笑しくって、何故か少し悲しいから、大きな声で笑う。
兄が振り返り、私を見て優しく微笑んだ。
やっぱり、ちょっと悲しいや。
「ただいまー!」
「おかえ…」玄関でママはそこまで言うと、大袈裟に溜息をついた。
「アカリ!そんなに泥だらけになって!また田んぼの中を通ってきたの!?」
私は黙って頷き、泥だらけの足を見下ろした。
「もう!いいからお風呂入ってきなさい!」
私と兄はなるべく床を汚さないように、大股で風呂場に向かった。
「何でママは私ばっかり怒るんだろう。おかしいよ!不公平だ!」
湯船に浸かりながら、私は唇を尖らせた。
「うーん。手のかかる子ほど可愛いって言うでしょ?きっとママはアカリのことが好きなんだよ」
「違うよ、ママは私のことが嫌いなんだ。同じことしてもお兄ちゃんのことは全然怒んないもん!」
兄は眉を反らせて、困ったように笑みを浮かべる。
私は口元まで湯船に浸からせて、ブクブクと泡を立てた。
「いただきまーす!」
ご飯はいつもパパが帰ってきてから、家族みんなで食べる。
今日は私の好きなハンバーグだった。
「アカリ、そんなにがっつかないでゆっくり食べなさい、もう5年生なんだから、いつまでも子供じゃないのよ」
私はママの小言が嫌いだ。
いつも私に文句言うくせに悲しい顔をするのが、余計に腹がたつ。
パパは黙って味噌汁を啜り、兄は不機嫌な私を見て、なだめるように軽く微笑んだ。
「別に、まだ子供だもん」
私はママを挑発するように言って、ハンバーグを大口で食べた。
「アカリ、学校はどうだ?」
空気を和らげるように、パパが口を開いた。
「普通。お兄ちゃんと歩くのが好き」
「...そうか」
パパは一言だけ返事をすると、目線を逸らして会話が途切れた。
黙々と進む食事にやっぱり、ママは悲しそうな顔をしていた。
「じゃあ、ママとパパは行くから。夜には帰るから良い子にしててね」
「うん、気を付けてね」
ソファーにだらしなく腰掛ける私は、お兄ちゃんとママの会話を聞き流しながら、目の前のTVに夢中になっていた。
「アカリ、聞いてるの?」
その言葉に苛立ちながら返した。
「聞いてるよ!お兄ちゃんが返事したんだから良いじゃん!」
目線を動かさずに言うと、横から溜息が聞こえてきた。
「外に出ちゃダメだからね」
ママは私に大人になれって言うけど、こう言う時は子供扱いしてくる。だから私も、都合よく返す。
「もう大人だから大丈夫!」
「やったー!また私の勝ち!お兄ちゃん弱すぎ!」
私たちはソファーに並んで座って、TVゲームをしていた。
時刻は20時を回っていて、窓には絶え間なく、激しい雨が打ち付けていた。
少し前に帰りが遅れるとママから連絡があったが、私は兄と長くゲームを出来ることが、純粋に嬉しかった。
「アカリは強いね。ゲームじゃもう敵わないよ」
私は、兄がわざと負けているんじゃないかと思ったが、口には出さずに話題を変えた。
「ねぇ、外で遊ぼ!」
大雨の中外で遊ぶ、それはママが1番許さない行為なので、今は千載一遇のチャンスだ。
「ママが外に出るなって言ってたでしょ?危ないからやめよう」
私は声を荒げた。
「なんで!危なくない!」
兄は困ったように笑みを浮かべて、さらに続けた。
「アカリも大人にならないと、いつまでもママとパパを困らせてたらダメだよ」
いつも隣にいた兄が、急に遠くに離れてしまったような気がした。
「意味わかんない!なんでそんなこと言うの!?嫌い!」
その時の兄の表情が、私の胸を強く締め付けた。
私は後ろから聞こえる兄の制止を振り切って、外に飛び出した。
激しく雨が降り注ぐ暗い道を、がむしゃらに走って叫んだ。
何度も叫んだが、私の声は雨音にかき消されて、誰にも届かない。
どれくらいの時間走ったか分からないが、お腹の減った私は渋々家へと歩いていた。体に激しく打ち付ける雨が、体温を奪って震えた。
大人になんかなりたくなかった。物凄く、退屈なものに思えたから。
しばらく歩いていると、前方で1つの光が揺れているのが見えた。
初めは遠くに見えたその光は徐々に速度を増して、私の方に近付いてきた。
「アカリ!」
ママがすごい勢いで、私を思い切り抱きしめた。
「馬鹿!どれだけ心配したと思ってるの!」
涙を流しながら言うママに釣られて、私も涙が流れた。
「ごめんなさい」
「アカリが居なくなったら、ママは生きていけないの」
そう言って鼻を啜るママと手を繋いで、同じ傘の下、ゆっくり歩いた。
久しぶりに握るママの手は柔らかくて、私は少し、安心した。
「ほら、先にお風呂入っちゃいなさい」
家に着くと、ママがカッパを脱ぎながら言った。
私は黙って頷いて、風呂場に向かった。
冷えた体に温かいお湯が流れて、体温が芯から温まる。
体を洗いながら、私はお兄ちゃんになんて謝ろうかと考えていた。
今まで、一回も喧嘩したことなかった。だからこそ、お兄ちゃんに嫌われるのが、何よりも怖かった。
体の泡を洗い流していると、床に血が滴っているのに気づいた。血の流れを辿ると、それは私の股から流れていた。
私は驚いてしばらく固まった後、いきなり涙が溢れて止まらなくなった。
息が詰まるほどの号泣で、その場にしゃがんで泣きじゃくった。
ただただ、悲しかった。
リビングに行くと既に料理が並べられていて、温かい湯気を出していた。
俯いて立ち尽くす私に、ママが心配した様子で声をかけてきた。
私は一言だけ「血が出た」と言うと、ママは優しく微笑んで「大丈夫、とりあえず、ご飯食べよう」と言った。
私は席について、お兄ちゃんの姿が見当たらない事に内心ホッとした。
色々な事が重なって、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
すると、ママとパパが手を合わせて言った。
「いただきます」
「...え?」
驚いて、思わず声が漏れた。
「まだ、お兄ちゃんがいないよ」
食卓の空気が、張り詰めたのが分かった。
少しの沈黙の後、パパが小さく「そうか」とだけ言った。
ママは口元を押さえて、肩を震わせて涙を流した。
異様な空気が支配する中、困惑する私に、パパが緊張しながら言った。
「アカリ、お前に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
時計の針の音が、うるさいほどによく聞こえた。
「ついてきなさい」
パパはそう言って、おもむろに立ち上がった。
私は緊張しながらもパパの動きに釘付けになって、一切目線をそらす事ができなかった。鼓動は高鳴り、ママの啜り泣く声が、不安を煽る。
パパがリビングから繋がっている引き戸に、手を掛けた。
一瞬、私の心臓が跳ねた。
...知ってる。
その部屋を見るのを、私はずっと本能的に恐れている。
いやだ!見たくない!
呼吸が荒くなる。
パパがゆっくりと、引き戸を引いた。
中には黒い仏壇。
そして、兄の写真が飾ってあった。
お兄ちゃんは、私のヒーローだった。
昔からなんでも出来て優しくて、いつもお兄ちゃんの考えたゲームで一緒に遊んでいた。その遊びは今考えると危なっかしいものが多くて、お兄ちゃんはいつもママに怒られていた。
その日も、激しく雨が降っていた。
お兄ちゃんは学校から帰ってくると、幼い私の手を引いて一緒に外で遊んだ。
雨の中、両手を広げて兄は言った。
「アカリ!一度限りの人生楽しんだ方がいい!人生なんて、長い暇つぶしなんだ!」
私は雨の中を踊るように回っていると、不意に手を引かれて、田んぼの中に落っこちた。訳が分からずに困惑していると、大きな衝撃音と、遅れて急ブレーキの嫌な音が響いた。
その後のことは今でもよく思い出せないけど、1人で留守番しているとお兄ちゃんが現れて私に言ったんだ。
「アカリ、どっちが家のものを多くひっくり返せるか、勝負しよう!」
私は、笑顔で頷いた。
「ほらアカリ、早くご飯食べなさいよ!学校に遅刻するわよ」
口うるさく言うママに私は呆れながらも頷いて、制服が汚れないように気をつけながらトーストを齧った。
「アカリ、学校に行くときは車には十分注意するのよ」
今まで何百回と聞いたその言葉に、私は苦笑いを浮かべて返した。
「私もう高校生だよ?いつまでも子供じゃないんだから大丈夫!」
パパは薄く微笑みながら、コーヒーを啜った。
「いってきます」
私は立ち上がりながらママとパパに言うと、仏間のお兄ちゃんに挨拶をした。
「お兄ちゃん、いってきます」
畑の畦道を、靴を履いてしっかりと歩いた。
照りつける太陽の下、気持ちのいい風が吹き抜けて、私は1人頷いた。
「うん、今日も楽しもう!」
退屈少女の憂鬱 トマホーク32型 @KTT320
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