子星の影守り
@shikigoZhen
第1話 序章・連 京護(14)の転換日
山陰地方・某所の病院。
院内でも一番奥の角にある個室にて、一人の少年が入院していた。
うだるような暑さも落ち着いた、夕暮れ。
一つしかないベッドの横に腰かけているのは、伸ばしっぱなしの髪を気にかけない少年が一人。
年は14と、入院時に登録されているものの、年相応より細い。ぶかぶかの病衣から、発育の悪さが如実に見える。
善良な大人が見れば、眉をしかめるだろう。
少年の前に立つ、カルテと録音機器を持った白衣の青年が、正しくそうだ。
痛ましい。故に、話はきっと長くなる。
30代半ばの医者はそう判断し、備え付けの丸椅子に座ったが、武者震いは隠しきれていない。
恐怖と興奮をない交ぜの心臓を抑えるために、咳を一つする。
その音に、俯いていた少年の方が俯いたまま反応する。
医者は目の前の少年に、できるだけ優しく声をかけた。
「では、始めようか。名前を言ってください」
少年と医者の目が合ったのは、この時が初めてだった。
少年は口を開けつつも、なかなか応えようとしなかった。
失語症ではないのを確認済みなので、青年は口角をあげて明るく振舞う。
「僕から名乗ろうか。僕は円花甚八と言います。君の主治医をするようにと本家の指名で受けた、小児科の医師だ」
男は、ジッと観察されているのを実感する。
ヘアバンドらしきもので額をあげているので、男の顔は誰からもよく見えた。若々しくエネルギー溢れる顔だちだというのに、愛嬌のある丸い目に、笑うとふっくらする頬。
小児科として強みとなる愛想は、患者と保護者だけでなく、同僚たちにも好感を持たれている。
けれど、中肉中背ながら鍛えているのが分かる体幹は、ただの医者ではないのを示していた。
少年と男が会うのは、まだ数回だ。そのほとんどが、この個室。
少年に警戒心はない。
警戒心を、諦めているのだ。
躊躇うのは、何をどう話せば良いのか分からないだけ。
男は心得たとばかり、一つ頷く。
「じゃあ、君の名前を教えて」
「むらじ……きょうご……」
「生年月日は言える? 年は」
また口を閉ざした。
躊躇いではなく、自分の正確な年齢を知らないのだ。
男は、カルテを一度見る。
「そうか。君は14際になったばかりなんだよ。落ち着いたらお祝いしよう」
反応は鈍いながらも頷いてくれたので、男は話を続けた。
「連君は中学校に行かせて貰えなかったと聞いたけど、自分の名前の漢字は分かる?」
「昔、お父さんにおしえてもらったけど、わすれた」
これは、PTSDを患っているのが関係していた。
ここも、カルテ通り。
男はポケットから付箋を取り出し、ペンを走らせる。
1枚捲り、少年の前に差し出す。
読めない字ではない。
「これが君の名前だ。連京護。良い名前だね。また後で、書く練習もしよう」
受け取って貰えなかったメモを、枕元に貼り付ける。
男は医者だが、カルテのどこにも書かれていない事を知るために、ここに居る。
「連君。君の、名前を教えたっていうお父さんにも話を伺いたいな」
そう言って男は、少年ではなく、少年の足元に出来ている影を見下ろした。
窓から見えるかわたれ時は、直に覆う夜の狭間だ。
病室の蛍光灯は、それを否定するように明るい。
そんな人工的な明かりから出来たに過ぎない影が、ゆらりと揺らめいた。
少年の、床までは届かない足元だけだ。
影は漆黒のまま、陽炎のように立ち上る。
男が緊張でゴクリと唾を飲み込んだ間に、影は幾重の枝になる。
やがて枝の先にまた枝ができ、また枝が別れていく。
枝だと表現したが、男には、細い細い人の手にも見えた。
影は、みるみる内に少年を覆っていく。
最初は鳥の巣。今は、鳥かごのように見えた。
少年を守る枝の黒から、瞬時に無数の眼球が現れた。
視線は全て、男を向いている。
男は、恐怖する。
少年の足元の影は尚も濃い。人工的に出来た影と手のような枝と鳥かご。全てが、少年の足元と繋がっている。
男は、恐怖する。
少年の足元の影が、パッカリと口を開けたように嗤った。
【おま エ お ドロ かな イ へん ナ やつ】
円花甚八は、恐ろしくてたまらなかった。
そして、興奮もしていた。
知りたくてたまらなかったモノが、目の前にアル。
見たかった、会いたかった、その為に受けた犠牲は、誰も償えない程になった。
男は畏怖を上回る興奮で、一つ息を吐く。
今度こそソレが言うように、落ち着いた。
驚くのは、もう済ませよう。
少年の足元にアル、口らしきモノの口角が、益々上がる。
さて。果たして聞こえる声は、この足元からで間違いないのだろうか。
【へん ヘン おまえ ヘン おもし ロイナ】
無数の枝に出現する、視線が痛い。
甚八は、それらを搔い潜った先の、連京護を凝視する。
最大の犠牲者である京護を前に、大人のしてやれることはなんだろうか。
話を全て聞いた後に、ベストな答えがあれば良いと覚悟を決める。
「変なのも面白いのも仕方ないでしょう。……ああも色々起きた後なんでね、感覚がおかしくなってるんですよ。
ほとんどあなたが元凶なんですけど」
【げん キヨ ?】
「原因」
子供が傷つくと知っていても、言わなければ始まらない。
甚八は努めて軽く、足元だけを見下ろして付け加えた。
「僕や連君が末席に置かれている、本家・分家の家系図で生存していた名前の半分を、あなたが一夜で消したから」
犠牲は本当に、それだけだろうか。
子星の影守り @shikigoZhen
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