その翡翠き彷徨い【第64話 静かな夜に】

七海ポルカ

第1話





 ――本当の闇を見たことがある?








 俺は、ある。


 シンとした深い夜よりももっと深い、くらい、闇の底を。


 本当の闇はとても静かだと思うかもしれないけど、それは違う。

 本当の闇の底では色んなざわめきが聞こえる。

 丁度地上の光の中で、鳥や風が穏やかな声を響かせるように、深い闇の底では地の底から湧き上がる地熱の鼓動、闇の底に生まれ闇の底に沈む運命を背負った者達の一瞬の鳴き声が反響している。

 本当の闇は蠢き、ざわめく。

 小鳥のさえずりなんかじゃない、耳ではなく脳に直接響くような死霊の不気味な息遣いだ。


 俺は長い間、その闇の中に囚われていたらしい。

 

 正直その中での記憶はさほどない。

 昏いざわめきの中にずっと身を横たえている感じだ。

 色々な音や声が聞こえてもそのどれも聞いた事がないものに思えた。

 時々俺を起こそうとする気配を感じたけど、それがあまりにも心地良くないので俺は無視してずっと眠ってやった。

 俺が聞きたいのはこの声じゃない。

 こんな曖昧な、

 不気味なざわめきじゃない。

 次に目を覚ました時、戦乙女はその美しい瞳を細めて、長い間魂が拘束されていたというのに、記憶がこんなにも鮮やかに残っているなんて素晴らしいことだと、やけに優しい声で言ってくれたけど、俺にはそれがそんなにすごいことには思えなかった。

 

 だって、人は多分、記憶を塗り替えて行く生き物だから。

 苦しい記憶よりはより苦しい記憶を。

 美しい記憶よりはもっと美しい記憶を。


 俺が第一の生で覚えているのは国を離れて一年ほど経ってからの景色ばかりだ。



 穏やかな木漏れ日が漏れる山道、

 湖の匂いを含んだ心地良い風、

 砂漠に寝転んで見上げた満天の星……。

 

 昏い闇の底で俺はずっとその景色の夢を見ていた。



『君には帰る場所があるよ――どんなに辛くても』



 そりゃ時々は、変な気味の悪い夢も見た。

 でも嫌で堪らない気持ちで胸がいっぱいになると、決まってどこからかそんな声が脳裏に響いた。

 穏やかな声に、安堵するような笑みを思い出す。


 彼の紡ぐ魔法が放つ眩い光を。

 その光はたちまち心を満たして、俺は人の心に闇があるのと同じくらい、光もそこにあることを知った。


 全ては自分次第。

 闇を望めば闇が訪れるし、

 光を望めばいつだって光の中に目が覚める。






 ――――本当の闇の底にも、光はあるんだ。





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