死ぬ前に助けた好きな子が、ヤンデレ化して私を探してます。

よま氏

プロローグ

 ――—眩しいライトが迫っていた。


 このままでは彼女が――。

 瞬間、身体が勝手に動いた。

 考えるより先に、私は彼女を突き飛ばしていた。


「え……?」


 驚いたように振り返った彼女の瞳が、こちらに伸ばされた右手が、歪んで見える。


 次の刹那、耳をつんざくような轟音が辺りに鳴り響く。それと同時に激しい痛みが襲ってくる。

 

「いやぁぁぁ!!!しっかりして!!!」

 

 消えゆく視界の中に、泣きながら私の名を叫ぶ彼女の姿があった。

 よかった……怪我はなさそうだ……。

 

 「なんで……なんで……!どうして……」


 ずっとあなたが好きだったから――

 なんて、言えるわけがない。それを言ったとして、彼女の負担にしかならない。

 この気持ちは墓場まで持っていこうと思っていたけど、まさかこんなに早いとは思わなかったな。


「お願い……死なないで……!」

 

 これでよかったのだ。私じゃ彼女を幸せにできない。彼女には幸せな人生を送ってほしい。彼女さえ幸せならそれでいい。

 ――だから。

 

「……ごめ……んね……」

 

 ああ——最後に見た顔が彼女で良かった、なんて。

 そんなことを思いながら、私の意識は落ちていくのだった。






















――――――――――――――――――――――


 カーテンから差し込む光と鳥達の鳴き声が私に朝を知らせてくる。

 目覚めは……決して良いものでなかった。


 胸の奥が、まだズキズキと痛む。

 息を吸うたび、さっきの“光景”が蘇る気がした。


「……夢、だよね」


 ぼんやりと天井を見つめながら呟く。

 知らない道。知らない制服。けれど、確かに“誰か”を庇って死んだ感覚だけが焼き付いている。

 夢にしては、あまりにも鮮明だった。


 ——あの子を守らなきゃ。

 ——あの子が無事ならそれでいい。


 そんな想いが胸の奥に残っている。

 だけど誰なのかは分からない。

 名前も、顔も、声すら思い出せない。


 ただ、“好き”という感情が、妙にリアルだった。


「……変な夢」


 そう誤魔化すように呟いて、私、白石柚希(しらいし ゆずき)は身支度を済ませ、学校に向かった。



 学校に着くと、日常の空気が夢の残滓を少しずつ押し流していく。


「あ、柚希。おはよう」


 凛とした声が背中からかかった。

 振り返ると、篠宮玲(しのみや れい)が立っていた。


 整った顔立ち。落ち着いた佇まい。誰もが振り向く“高嶺の花”。

 でも私には、ただの親しみやすい幼馴染だ。


「おはよう、玲」


 いつも通りの微笑みを返す。

 ……そのはずなのに、心臓が一瞬だけ跳ねた。


(……なんで?)


 彼女の瞳を見た瞬間、胸が締めつけられた。

 理由はわからない。

 まるで“何か”が疼くような、じわりとした痛み。

 今朝の夢のせいだろうか。


 「柚希?朝から元気ないけど、どうかした?」

 

 玲は少しだけ歩みを緩め、私の横顔を覗き込んでくる。


「え、あ……なんでもないよ」


 本当は胸がざわざわして仕方ない。

 でも理由なんて説明できるはずがなかった。


 長い授業が終わり、放課後になった。

 部活動に向かう人、自習室で勉強する人、教室でゲームをする人などみんな楽しそうだ。

 私も部活に入っているものの、今日は活動がないので、すぐ帰ることにした。


「柚希!一緒に帰らない?」

 

 どこに寄り道しちゃおっかなーなんて考えていたところ、玲が話しかけてきた。

 どうやら玲も今日は早く帰れるらしい。


「うん、もちろんいいよ!」


 こうして玲と一緒に帰るのも久しぶりだ。

 玲は人気者だから、部活がない日でも遊びに誘われたりで私達が一緒に帰れる日はほとんどない。

 玲も毎日疲れているだろうから、今日は寄り道しないでまっすぐ帰ろうかな。


「柚希!帰りに喫茶店でも寄ってかない?」


 ――そうでもないらしい。

 というわけで私達は玲の提案で喫茶店に向かうこととなった。


 喫茶店に着き、私は紅茶とガトーショコラを、玲はコーヒーとショートケーキを注文した。


「なんか、玲と話すの久々かも」

「そうだね〜、最近は予定がぎっしり詰まってたからなかなかお話できなかったからね〜」

「流石だね〜」


 そうして私達はお互いの近況などを話した。

 玲との時間は結構好きだ。昔から一緒にいるからか、心が落ち着く。

 ずっとこんな関係でいれたらいいなと思った。


「柚希……実は一つ相談があるの」


 玲はカップを置いたまま動かなくなった。

 その沈黙が、やけに長く感じた。


「……玲が相談なんて珍しいね。どうかしたの?」


 玲はめったに相談をしない。

 大抵のことは一人でどうにかなるし、あっても話してくれない。

 誰に対してもそうだから、ちょっと心配。

 そんな玲が相談なんてよっぽどのことがあったんじゃないだろうか。


「……柚希。突然で、本当に信じてもらえないと思うんだけど」


 喫茶店のざわめきが遠ざかる。

 私は息を呑んで次の言葉を待った。


「私、前世の記憶があるの」


 息が止まった。


「ずっと、大切な人を……"あの子"を探してる」


 朝の夢が、全身の血を逆流させるように蘇る。

 私の中で、誰かが叫ぶ。思い出せと強く叫ぶ。

 何を?誰?どういうこと?

 しばらく言葉が出なかった。

 けれど、玲はゆっくり息を吸って、話を続けた。


「おかしいって思うよね。でも……本当なの」


 玲は震える手で私の手を握りしめていた。

 彼女がこんなふうに震えるのを、私は今まで一度も見たことがない。


「小さい頃から、”記憶”があったの。知らない場所、知らない制服、知らない私。でも……一つだけ、ハッキリわかるものがある」


 玲はそう言いながら胸に手を当て、まっすぐ私を見る。


「“あの子”のことだけは、全部、覚えてるの」


 心臓が跳ねる。


(……あの子?)


 朝見た夢の声が、わずかに重なる気がした。


「あの子はね、私のことを……最後の最後まで守ってくれた。私のせいで、死んじゃったの」


(死んだ……?)


 胸の奥が鋭く疼いた。

 さっきまで意味がわからなかった痛みが、形を持つ。


「ずっと探してるの。その子の……転生した姿を」

「…………」

「会って謝りたい。そして、ちゃんと伝えたいの」

「伝えたい、って……なにを?」


 その瞬間、玲の雰囲気が変わる。

 その目はまるで底が見えない闇のようで。


「“愛してる”。……って」


 玲は、まるで天気の話でもするかのように微笑んだ。


 ガタンッ——。

 テーブルの下で、私の足が勝手に震えた拍子に椅子の脚がぶつかった。

 玲が驚いて私を見つめる。


「柚希……?」

「あ、あの……ごめん、ちょっと……」


 ひどく喉が乾く。

 呼吸の仕方がわからなくなる。


(愛してた……?誰を?まさか……)


「ねえ、柚希」

 

 玲は静かに身を乗り出した。


「探すの……手伝ってくれない?」

「えっ……私が?」

「うん。私ひとりじゃ限界がある。柚希は……その……人を見る目があるし、信頼できるから」


(どうして私……?)


 けれど、頭のどこかが叫んでいた。


 ——やめて。聞かないで。

 ——思い出したら、戻れなくなる。


 なのに。


「お願い。私は……もう一度あの子に会いたいの」


 玲の瞳が、その瞬間だけ、泣き出しそうに揺れた。

 “高嶺の花”なんて呼ばれる完璧な彼女の隙。

 私は、その弱さに息を呑んだ。


(……どうして、そんな顔するの)

 

 胸の奥が大きく疼き、世界がぐらりと傾いた。


 ——その瞬間。


 血の匂い。

 伸ばされた右手。

 彼女の泣き声。


 全部が、一度に押し寄せた。


「っ……!」


 紅茶のカップがカタリと揺れる。


「柚希!? だ、大丈夫!?」


 玲の声が、痛いほど近い。

 手が伸びてくる——その仕草が、夢の中の“彼女”と完全に重なった。


(あ……そうか……)


 名前も、顔も、声も。

 全部——思い出した。


 私が庇って死んだ“あの子”は。


 ずっと、好きだったあの子は。


 今、目の前で心配そうに覗き込んでいる——

 篠宮玲だった。


「れ……い……?」


 無意識に、その名を呼んでいた。


「柚希……?」

 

 私は息を吸い、吐いた。


(言えない。絶対に……正体は言っちゃだめだ)


 私が"あの子"だと言ったら、玲はもっと壊れる。

 ……そんな未来、絶対に見たくなかった。


「ううん……なんでもない。ただ、ちょっと……思い出しただけ」

「思い出した……?」


 玲の瞳が、じわりと細くなる。

 捕食者みたいに、静かに。

 ぞくり、と背筋が冷えた。


(やば……気づかれた……?)


 でも、今の私は笑うしかできない。


「……協力するよ。玲の人探し」


 その瞬間、玲は安心したような表情を見せる。

 ――そして。


「……ありがとう。柚希」


 玲は再び深い闇のような目を見せる。


(……ああ、これは……)


 胸の奥が、再びズキリと痛んだ。

 やっと蘇った記憶が囁く。


 この子は、“私”のために壊れたんだ。

 “私”を見つけたら、今以上に歪んでしまう。


 私は、そんな玲の手をぎゅっと握った。


 ——あの日と同じ。

 彼女の手に触れた瞬間、私は逃げられない未来に捕まったような、そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る