不実な花園、信頼の秤——信頼度ゼロの少女が、腐った学園の真相を暴くまで。

@Tuyusaki

第一話「マリーゴールド」


 私は、この学園で最も価値のない人間だ。

 それは比喩じゃない。

 手の中のスマホが、冷たい数字でそれを突きつける。


 横曽根よこぞね和花のどか

 信頼度スコア:0(信頼人数0)

 現在ランク:F


 ゼロ。

 誰も、私に信頼ポイントを送っていない。


 この数字が、私の存在を定義している。



 ◇ ◇ ◇



 階段は湿気で滑り、足音が反響する。一段登るごとに、胸の奥が重くなる。


 薄暗い通路の先に、小さな光。錆びついたドアを押し開けると、湿った土と葉の腐った匂いが鼻を突いた。


 視界いっぱいに広がる緑。森だ。


 ここは私立桜華学園。全寮制の、信頼度ランク制学校。


 Fランク寮は、森の奥にある。正確に言えば——森の奥の、地下だ。


 地上には古びた物置小屋。その床下に隠された階段が、地下の居住区へ続いている。つまり、私たちは「地下の森の奥」に押し込められている。


 振り返ると、暗い階段が口を開けている。あそこに、私の部屋がある。二段ベッドが六つ、壁際にぎゅうぎゅうに押し込まれた狭い空間。空気はカビ臭く、常に湿っている。


 シャワーは一日一回、十五分まで。冷たい水が肌を刺す。


 食事は配給口から、一日二回。昨夜の夕食は、固いパンと薄いジャム。噛むたびに顎が疲れる。


 今朝も、きっと同じだ。


 文句を言う気はない。ゼロの人間に、そんな資格はない。


 ただ、時々思う。この固いパンが、意外と腹にたまるな、と。



 ◇ ◇ ◇



 森を抜けるまで、徒歩十五分。


 枝が顔を叩き、頬に細い傷を作る。足元の根が、何度も踵を引っかけてくる。息が上がり、汗が額を伝った。


 他のランクは、寮の目の前が校舎だというのに。


 この距離が、差別の一部だということは、分かっている。でも、慣れてきた。痛みも、疲れも。



 ◇ ◇ ◇



 ようやく森を抜けると、桜並木が広がっていた。満開の花びらが、風に舞う。


 けれど、誰も空を見上げない。


 生徒たちは皆、スマホの画面に顔を寄せている。


「見て! 私、C! まあまあじゃない?」


「いいなー。私はDだったよ」


「まだ、初日だから、これからだよ!」


 賑やかな声。弾ける笑顔。希望の匂いがする。


 ——私には、縁のないものだ。


 俯いて、人混みを避けるように歩く。胸ポケットのスマホが、鉛のように重い。



 ◇ ◇ ◇



 体育館への道すら、私は迷った。


 正確には、迷ったふりをしていた。早く着きすぎると、居場所がない。遅すぎると、目立つ。


 その中間を狙って、時間を潰していた。


「あの、すみません!」


 突然、後ろから声をかけられた。


 振り向くと、ショートヘアの女子生徒。明るい雰囲気、人懐っこい笑顔がよく似合う。


「入学式の体育館って、どっちですか? 案内図見てもよくわからなくて」


「……ああ、あっちです」


 私は、体育館の方向を指差した。


「ありがとうございます! 助かりました!」


 彼女はにこっと笑うと、走っていった。


「私、朝晩あせびって言います! また後でー!」


 手を振りながら、遠ざかっていく背中。


 ——朝晩。


 変わった名前だな、と思った。それだけだった。


 この時の私は、まだ知らなかった。彼女が数時間後に消えることを。



 ◇ ◇ ◇



 体育館の後方の端、一番目立たない席に座った。


 スマホを見ると、九時三十分。式が始まるまで、あと三十分もある。


 しばらくして、隣に女子が座ってきた。明るい髪色。柔らかい笑顔。誰もが好む、優しげな雰囲気。


「おはよ! 緊張するよね」


「……」


「ねぇ、無視しないでよ!」


 ああ、私に対して言ったのか。


「……おはよう」


 返事が、一拍遅れた。話しかけられるなんて、思ってもいなかった。


 彼女はにこにこしながらスマホを取り出した。そして、画面を一瞬見て——固まった。


 笑顔が、音を立てて崩れていく。目が、氷のように冷たくなる。唇が、わずかに震えた。


「あ、ごめん。ちょっと……荷物置きたくて」


 ぎこちない声でそう言いながら、席を二つ分ずらした。私から、できるだけ遠くへ。


 理由は分かっている。私のランクが見えたんだ。近くにいる人のランクは、自動で表示される。


 Fランクは、関わると損をする。この学園の、暗黙のルール。


 胸は、痛まなかった。どうせこうなるって、分かってたから。


 ただ、彼女の目が怖かった。一瞬で変わった、あの冷たさが。



 ◇ ◇ ◇



 入学式が始まった。


 開会の言葉。校歌。来賓の挨拶。すべて、マニュアル通りに進む。


 壇上に、生徒会長——儚姫はかなき夢玖むくが立った。


 白い髪が、照明を受けて淡く光る。透き通るような声が、静寂を切り裂く。触れたら壊れてしまいそうな、繊細な雰囲気。


 なのに、全員が彼女から目を離せなくなる。


「新入生の皆さん、ようこそ桜華学園へ」


「私は、すべての人を信頼しています」


 一拍の間。


「もちろん——どんな人でも」


 会場がざわめく。


 彼女の視線が、会場を見渡す。


 その目が、私の方を向いた——気がした。


 いや、違う。

 私を見ているんじゃない。

 私「も」見ている。全員を、同時に。


 彼女の視線は、会場を見渡しているようで——誰も見ていなかった。


 まるで、透明な壁越しに観察するみたいに。


 誰も信用していない人間の目だ、と思った。

 なのに、「すべてを信用する」と言う。


 ——この人、何か探している。



 ◇ ◇ ◇



 理事長の挨拶。初老の男。厳格な顔立ち。低く、よく通る声。


「この学園では、信頼こそが皆さんの価値です」


 スクリーンに、図が映る。


「この学園では、毎月、信頼度ポイントが配布されます。誰に送るかは、あなた次第。受け取った合計がスコアとなり、それでランクが決まります」


 ランクは毎週日曜日更新。


ランク分布表

 Sランク:751スコア〜

 Aランク:501〜750

 Bランク:251〜500

 Cランク:126〜250

 Dランク:51〜125

 Eランク:10〜50

 Fランク:0〜9


 三ヶ月前のアンケート用紙を思い出す。


 信頼している人:なし

 信頼されている人:なし


 だから、ゼロ。


「それでは——」


 理事長が壇上を降りようとした、その時。


 司会が慌てたように声を上げた。


「理事長、部活動についてのご説明を——」


「ああ、そうでしたね」


 理事長が、足を止める。


「部活動への加入は義務です。入学式から三日以内に。詳細は掲示板で確認してください」


 指を立てる。


「三日以内に加入しなかった場合——退学です」


 会場が、静まり返る。


「それでは、皆さんの健闘を祈ります」


 理事長は満足そうに、壇上を降りた。



 ◇ ◇ ◇



 式が終わり、解散となった。クラス発表は明日。今は自由時間。


 もう、すっかり正午を過ぎている。


 寮へ戻ろうと渡り廊下を歩いていると、掲示板に人だかりができていた。


 私は、人混みの後ろから覗き込んだ。


部活動規則

 加入義務

 入学式から三日以内に、いずれかの部活動に加入すること。

 未加入の場合、退学処分とする。


 部員数規定

 部員六人未満の部活は、廃部とする。


※廃部となった部活の部員は、全員退学処分とする。


「やばくない? 人気部活はもう争奪戦だよ」


「Fランクとか絶対入れないって」


 周囲の声が、耳に入る。


 Fランクの私を、受け入れてくれる部活なんて——。



 ◇ ◇ ◇



 前方で、誰かが立ち止まった。


 ショートヘアー。活発そうな雰囲気。


 ——あの子だ。さっき、道を尋ねてきた。


 朝晩、と名乗っていた。


 ただ、今は——スマホを握りしめ、肩が震えている。


 背後から、画面が覗けた。


 信頼度スコア:-100

 ランク:表示不可


 マイナス。そんなこと、あり得るのか。しかも、初日に。


「嘘……でしょ」


 小さな声が、震える。


 彼女はスマホを何度も叩く。何度も、何度も。けれど、画面は変わらない。


 突然、画面が大きく震えて赤く光った。


 警告:基準値未達

 即時退学処分となります

 至急学生課へ


 彼女の顔から、血の気が引いていく。


「やだ……やだ!」


 叫びながら、走り出した。廊下の先へ、消えていく。


 私は——一歩、踏み出した。

 追いかけようとして。


 けれど、足が止まる。


 なんて声をかける。

 「大丈夫ですか」大丈夫なわけがない。

 「助けます?」Fランクの私に、何ができる。


 結局、私は何も言わなかった。

 言えなかった。


 ただ、喉の奥が——痛かった。


 関わったら、私も巻き込まれるかも。Fランクの私が。


 胸の奥が、ざわつく。


 入学初日。まだ何もしていないのに、どうしてマイナスになる?

 システムエラー? それとも——。


 分からない。何も分からない。


 でも、一つだけ確かなことがある。


 この学園は——何かがおかしい。



 ◇ ◇ ◇



 寮への途中、別の掲示板に新しい貼り紙が貼られていた。


 本日付け退学者リスト

 葛城かつらぎ朝晩

 一年生クラス未定

 信頼度基準値未達による即時退学


 ——葛城、朝晩。


 さっきの彼女だ。


 「朝晩」という名前は知っていた。でも、苗字は——ここで初めて知った。


 性格も、趣味も、夢も。彼女がどんな人だったのか。何も知らないまま、消えた。


「ひどいよね」


 突然、横から同情するような声。


 振り向くと、センターパートの男子。整った顔立ち。笑っているのに、目が笑っていない。


「底辺の扱いって、まるで人間じゃないみたいだよ」


「……」


「あ、ごめん。君もFだね」


 私のスマホを一瞥。


「俺も、元Fだったんだ」


 彼が、自分の画面を見せる。


 現在ランク:C


「今は、まあ……こんな感じ」


 肩をすくめる。


「初めまして。俺の名前は小月おづき桂樹けいじゅ


 急に表情を変えた。


「部活、決めた?」


「……まだ」


「そっか。じゃあ、ちょうどいい」


 手首を掴まれた。温かいのに、どこか冷たい感触。


「真相研究部に来て」


「え?」


「あと一人、必要なんだ。選択肢はないよ」


 抵抗する暇もなく、そのまま引っ張られていく。



 ◇ ◇ ◇



 部活棟三階。薄暗い廊下の奥にその扉はあった。


 真相研究部。


 小月はノックもせず入り、私も続く。


「部長! 連れてきましたよ!」


「感心しないわね。初対面の相手を引っ張るなんて」


 大人びていて、落ち着きのある声。髪を後ろで束ねて椅子に座っている女性が、こちらを見た。


「ようこそ。私は、部長のひいらぎ文乃ふみのと申します」


「……横曽根和花です」


「よろしく。ちなみに、俺は副部長な」


 小月が、悪びれもせずに言った。


「大丈夫、です」


 柊の影から、ひょいっと小さな誰かが出てくる。前髪に隠れた女の子。私よりも、人を拒絶している印象を受ける。


「……翠雨すいう水茜すいせん


 ほとんど聞こえない声。彼女は一瞬だけ私を見て、すぐに目を逸らした。その目には、同情とも、軽蔑とも違う——何か別の感情があった。


 これ以上、この小さな部室には生徒はいないようだ。三人?


「あれ? 真相研究部って、もっと人数いるんじゃないんですか?」


「ああ、確かにね。でも今ここにいるのは、この三人だけだよ」


 小月が肩をすくめる。


「お聞きしても?」


 私がそう言うと、柊が席を立った。そして、奥から椅子を取り出して私の近くに置いた。


「話が長くなるかもしれないので、お座りください」


「お言葉に甘えて」


 みんなも席に座り、部活について話す空間が整った。


「二人がいない理由は単純。一人は、サボり。もう一人は、兼部しているからです」


「そうだよな。入学式の日くらい顔を出せばいいのに」


 小月が肩をすくめる。


「部長は三年、俺は二年。俺と水茜は……まあ、色々あってさ」


 小月が言葉を濁す。


「ところで、横曽根さんはこの部活についてどこまで知っていますか」


 話題を変えるように、柊は言った。


「小月先輩から……廃部危機って」


「その通りです。今は五人。あと一人いなければ廃部。そして退学」


 彼女がスマホの画面を見せてきた。


 真相研究部

 部員数:五人

 月次信頼度評価:D

 警告:次回未達で廃部


「来月も最低評価なら、再来月全員退学。あなたを引き込んだところで、状況はあまり変わりません」


「でもいないより、マシ。少しは俺たちに貢献してくれるかもだし」


 小月が横から割り込むように言った。


「あなた、廊下で立ち止まりましたね。あのマイナススコアの子のために」


「……」


「誰も足を止めなかったのに、あなただけ」


 その言葉に、小月が口角を上げた。


「あんたは好奇心あるやつだよ。俺みたいに、勝てるタイプかも」


 勝てる? 何に勝つと言うのだろうか?


「私たちは、この学園の異常を調べているんです」


 柊の声が、低くなる。


「スコアの急変。異常なマイナス値。その真相を」


「あなたはどうする? 一緒に真相を追うか。それとも、三日後に消えるか」


 私は、黙った。


 中学のとき、私は逃げた。透明人間になって、やり過ごした。誰にも関わらず、誰にも傷つけられず。


 でも、それで何が残った?


 何もない。


 誰かが私の机に教科書を置き忘れた。一週間、誰も気づかなかった。私の机は、もう「誰のものでもない空間」だった。


 そんな日々。


「……今日は、考えさせてください」


 柊は、少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「明日の朝、ここで待ってますよ」



 ◇ ◇ ◇



 夜の寮は、本当に暗い。


 配給口に、固いパン二枚。小さなジャム。冷めたコーヒー。


 食事を終えて、ベッドに横になる。隣のベッドには、誰もいない。Fランク寮は定員の半分も埋まっていない。


 みんな、どこへ消えたんだろう。


 スマホを開く。学園のSNSでは、新入生たちが賑やかに交流している。


 #桜華学園 #新入生 #よろしく


 笑顔の写真。楽しそうな会話。そこに、私の居場所はない。


 タイムラインを流していると、ある投稿が目に入った。


『初日でマイナスとか草』

『前の学校でやらかしたんだろ』

『自業自得』


 葛城朝晩への、嘲笑の言葉。


 私は、スマホを閉じた。


 三日間。この学園で生き延びるには、部活に入るしかない。


 でも、どこが受け入れてくれる? Fランクを。ゼロの人間を。


 選択肢は、実質ない。


 真相研究部。小月桂樹の不自然な笑顔。柊文乃の真剣な眼差し。翠雨水茜の拒絶。


 何か、裏がある気がする。でも——。


 天井のシミを見つめながら、私は思い出していた。


 中学二年の冬。誰にも声をかけられなくなった日。透明人間になった日。


 あの時、私は何もしなかった。ただ、耐えて、やり過ごした。


 今も、同じことをする?


 固いパンの味が、喉の奥に残っている。この味に、あと何日耐えられる?


 いや、違う。


 問題は、「耐える」ことじゃない。「このまま」でいいのか、ということだ。


 窓の外、タワーマンションの明かりが輝いている。あそこに行きたいわけじゃない。


 ただ、知りたい。


 この学園で何が起きているのか。葛城朝晩に何があったのか。小月桂樹が何に「勝利」したのか。


 そして——スコア0の私に、何かできることがあるのか。


 スマホの画面を見る。


 横曽根和花

 信頼度スコア:0(信頼人数0)


 ゼロ。


 でも、ゼロは——マイナスじゃない。


 まだ、下がりようがないなら。失うものは、もうないなら。


 賭けてみてもいいんじゃないか。


 この選択で、私は何を失い、何を得るのか。まだ分からない。


 でも——立ち止まるよりはマシだ。



 ◇ ◇ ◇



 翌朝。

 部活棟三階。真相研究部の扉の前。


 手を上げて、ノックしようとして——止まる。


 本当に、これでいいのか。裏切られるんじゃないか。利用されるだけなんじゃないか。


 でも、立ち止まっていても、何も変わらない。


 コツコツ、と扉を叩く。手が、わずかに震えた。


 開いたのは、小月だった。


「来ると思ってたよ」


 屈託のない笑顔。けれど、その瞳の奥に何があるのか、私にはまだ分からない。


「ようこそ、勝利の仲間へ」


 私は、一歩、踏み込んだ。


 背後で扉が閉まる音。


 この選択が、正しいのか。裏切られるのか。まだ、分からない。でも、止まるのは、もう嫌だった。


 スマホの画面が、薄暗い部室の中で静かに光る。


 横曽根和花

 信頼度スコア:0(信頼人数0)

 現在ランク:F


 いつ見ても、ゼロのまま。


 これから、どう変わるか。


 この時の私は、まだ知らなかった。真相研究部という名の、もう一つの檻の存在を。


 窓の外、満開の桜が風に舞っていた。


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