第3話 八割不法侵入


「……ネロのやつ…どうせ親父やお袋に言われて来たんじゃろなぁ………」


ホスロは槍の上にあぐらを掻きながら空を飛んでいる。


(不快だ)


脳みそが、そう叫んだ。

誰にも知られず、見られず、ストレスからも解放され、呑気に暮らしていたと言うのに…


(あの女は、また、俺に)


ネロの事を、少し恨む。

大空を飛べば、涼しい風が前方からピューと吹きつけ、前髪がパサパサと揺れてしまう。


だが、それにしても…あの武道服に真っ直ぐな黒髪


(半年ぐらいじゃ、変わらんか……)


少しだけ、ほんの少しだけ懐かしい匂いが肺を貫いて行った。

トラウマになったとは言え、友は、友である。

大切にせねば。



だが___


「なんか…怖かったなぁ……」


急にブツブツ「解釈違い」だかなんだか言っていたのが気に掛かった……が、忘れよう。今は、忘れた方が良い。


槍の制御に集中し、速度を上げると……ホスロはそのまま飛び続けて一旦自宅へと戻った。

少年の自宅は、村の端の方、守備隊長であるカンウ邸の、目の前に位置している。


別に、大層な造りをしている訳ではない。魔術師様、先生、と慕われていると言っても、たかが一村人。

これくらいが、精一杯だろう。

尖った茅葺き屋根に、木でできた土台。ふっつうの家。


シュタッ…と大槍から飛び降り、土を払い落としていると、バシャ…バシャっ、と井戸から水を汲んでいたカンウが話しかけて来た。


「おぉ魔術師殿、どうであったご客人は」


「あぁ……まぁ、その……いや、人違いだったみたいじゃわ」


「そうか…遠路はるばるお越しくださったろうに…可哀想にのぅ………」


カンウは、寂し気に眉を落とすと、また井戸水汲みの作業に戻りつつ、呟く様に


「そう言えば魔術師殿…儂の孫を貰う話___」


「じゃあなカンウさん」


あの老人は、会う度にあの話をしてくるのだ。全く面倒くさい。

聞けば、孫はもう二十歳を超えているのだと。

マラレルの風習的に、武人は、武人と結ばれるべきである…という考えが根強い。故に、ホスロに勧めるのだ。


(馬鹿な、俺はそもそも、まだ十七だぞ……)


頭をポリポリと掻きながら、拭えぬ不安を払おうとしつつ、自宅のドアへと向かう。


ジャリジャリ、ジャリ……ピタッ。


だが、ドアノブに手をかけた瞬間。何か変な感じがした。毒を素手で触るような、悪い…一度は感じる様な、悪い直感が全身を駆け巡る。


「……なんで……なんで魔力が…あるん?」


何故かドアの向こう側に、とてつもない量の魔力が感じられた。

総量だけは、恐らく、宮廷魔術師の上位連中にさえ届くだろう。


(…んな訳ないか、俺の魔力探知の勘も鈍って来たなぁ……)


何か、探知を行う段階で、ミスがあったに違いない。魔法の誤作動である。そう、思いながら…信じつつ、ガチャリと開ける。


すると……入った瞬間、ホスロの目がとてつもなく大きく、丸くなった。


「は?」


家の中に居たのは……他でもない。ネロだった。

ニタニタと微笑み、椅子に座り、茶を啜っている。上品な手つきで。


「あらホスロ…中々いい家に住んでますねぇ……」


「あぁ…ん?」


何故、この女が居るのだろう。考えねば。何か、理由を…策を。分析せねば。


(新しい魔法か…?)


考えた末に、出た感情は、恐怖である。

限りなく、怖い。


数秒間、ホスロはネロと目を合わせると、ガタンッ、と…豹のような速さで振り返り、家から逃げようとした。

異常事態である。誰か、応援を呼ばねば。


「カンウさん、誰かっ_」


そして助けを求めようとした、が。ネロに瞬時に距離を詰められて、手で口を塞がれる。

後から聞いたのだが、ネロは元々、体術のみで騎士候補になっていたらしい。

フィジカルなど、ホスロよりも高いのだろう。


「そんなに家から出たいのですねぇ…ホスロ、ならそのままマラレルに帰りましょうっ」


「む゛む゛む゛ッ」


と、叫び、少年は、ひどく焦る。


(何が目的だ、いや、それよりも…)


必死に脳みそを回転させる。


…すると、ネロが、そのまま耳元で何か囁く。


「本当に良かったぁ、貴方が突如として逃げ出した日からずぅぅっと…魔力の残りを追い続けて来た」


恍惚とした表情で…吐息が、荒い。


「ニヶ月前、ここを特定した時は天にも昇る思いでしたよ」


「む゛?」


(ニヶ月前……ということは、コイツ……結構前からこの場所を知ってたのか)


「バレにくい天井裏にポータルを設置して夜な夜な……」


ダッダッダッ……バーン

けたたましい音と共に、会話の途中で、急にドアが開かれる。


「魔術師殿、大丈夫かっ」


流石に、王国の兵士に見られる訳には行かないのだろう、直ちにホスロの拘束は解かれて、自由となる。


「カンウさん……」


多少、目に涙を貯めつつ、ホスロは老人に感謝を伝える。


そして


「こ、この女にさっき連れて行かれそうに……」


言いかけたが、はっ…と、口を閉じる。

恐ろしい事に、ネロの姿はすでに無くなっていた。ゴキブリの様に、いつの間にか姿を消している。


「魔術師殿……その…大丈夫か……?」


「えっ、あっ……さっきまで……」


「全く……人騒がせな方じゃわい」


家は嫌という程静かになっている。

物音一つしない。不気味な部屋。


(化け物めが…)


「……まぁ良いわい、とにかくもう儂は出るぞ」


「そうそう、明日は孫が一週間ぶりに帰ってくる、会ってやってくれ」


そう言い残して、腰を痛そうにさすりつつ、老人はトコトコと出ていった。

更に…家は静かになる。心労故だろうか、幻聴まで、現れ始めたのか…心無しか、カタカタと食器も揺れている気がする。


「…………」


「……住めたモノか、こんな家ッ」


その後ホスロが家中に魔法封じの粉(ポータル等の設置式の魔法を無効化する粉)を振りまくったのは、言うに及ばない。

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