第58話 違和感

「おかえり。あれ、琴と一緒に出かけたんじゃないの?」


 凛太郎と将大は、桜花殿に戻る。聖の間に入ると、中にいた夕海と涼人が振り返った。

 夕海は布を手にし、涼人は紐で閉じられた書物を読んでいる。

 いつもと変わらない光景だ。


「琴は幼馴染と遊びに行った」

「遊びに? ってか、琴の用って何だったんだ?」

「墓参りだよ」


 凛太郎は、涼人の隣に腰を下ろす。

 垂れてきた前髪を片手で払って、ふぅと息をついた。


「お母さんの命日なんだってさ」


 将大も、夕海の隣に座る。

 夕海が持っている布に触れ、そっと視線を落とす。

 そして、書物を読んでいる涼人に話しかけた。


「ねぇ、涼人。体は弱くないけど、倒れちゃう病みたいなのってある?」

「急にどうした」

「ん、ちょっとね」


 少しはぐらかす。

 彼は鋭い目で将大を見つめると、ふっとその目を光らせた。


「琴か?」

「当たり。よくわかったね」

「え、琴が!?」


 夕海がびっくりして針を落とす。小さな針の行方を目ざとく追った凛太郎は、その針を拾って夕海に渡した。


「さっき聞いたんだ」

「それで、ある? そういう病。原因は分からないって言ってたから、たぶん医術師に 診てもらったんだと思うよ」

「風邪じゃないのか」

「風邪だったら、幼馴染があんなに心配することはないと思う。すごく心配してたんだ」

「……分からないな」


 しばらく考え込んだ涼人は、悔しそうに目を伏せた。

 腕を組み、じっと畳を見つめる。


「琴は祖父が宰相になるほど有力な貴族だろ? 依頼する医術師も有能な人のはずだ。なのに分からないのならば、それは病じゃない」

「病じゃなかったら、何なんだ?」

「それは俺にも分からない。琴自身が一番わかっている気がする」

「そっか」

「まぁ、ここに来てよく飛び跳ねてるからね。体は頑丈な方だと思うよ」

「それより」


 涼人は顔を上げ、将大と凛太郎も順に見た。

 ここで、琴の病らしき話は終了だ。

 誰もそのことについて深掘りはしない。彼女が話すまで待つ。それがこの仲間たちの暗黙の了解だ。


「話を戻す。その幼馴染とどこで会ったんだ?」

「お墓参りに行ったら、琴の幼馴染も来てたんだ。で、その後一緒に新しくできた楽器工房に行ったよ」

「新しくできた?」


 聖薬師は読んでいた書物を積み上げながら、怪訝そうに眉をひそめた。


「都に? だったらもっと噂が立ってるだろ」

「そうなんだよね。僕も知らなかったよ。でも天弓座の人だからこそ、楽器関係の情報は詳しいんじゃないかな」

「天弓座なの、その子」

「そうらしい。でも琴が大丈夫って言ってたから平気だろ」


 凛太朗は、うーんと伸びをして言った。夕海は、涼人の様子を見て不安そうにしている。

 積み上げられた本は、十冊くらい。それを見て、将大はうげっという顔をした。その本の持ち主は、涼やかな目で将大を見た。


「いつ帰って来る?」

「なに、涼人。琴のこと気になるの? 陽が暮れる前には帰って来いって言っといたから大丈夫だよ。秋良が送ってくれるって」


 秋良はその幼馴染の名前だよ、と将大はつけ加える。


「少し気になる。だって」


 涼人は立ち上がると、明かり障子を開けた。

 橙色に染まった空が、京を優しく包み込んでいる。あと数刻もすれば、陽は落ちて夜の世界へと移り変わっていく。


「もうすぐ、陽が暮れるぞ」

「あれ、そうなのか」

「凛太郎が団子をずっと食べてるから、遅くなったんだよ」

「俺のせいかよ!?」

「違うの?」

「うぬ……!」

「私、奈緒さんに聞いてくる」


 静かに皆を見つめていた夕海が、すっくと立ち上がった。

 やり合っていた凛太郎と将大は、手を止めて彼女を見上げる。

 聖衣師の表情は暗く、その目には光がない。


「何を?」

「本当にその楽器工房があるのか」

「大丈夫だろ。秋良がいるんだから」

「でもなんか胸騒ぎがする。奈緒さん、街のことに詳しいから」


 そう言い残した夕海は、焦ったように聖の間から出て行った。

 その後ろ姿を見送った涼人も、その顔は険しいままだ。


「涼人? 何でそんな顔してるの? 大丈夫だって」

「……人は簡単に嘘をつく」

「え?」

「聖職者になるまで、嫌と言うくらい経験した。そのせいか分からないけど、何か引っかかる」


 涼人が暗い目で言う。それは、『陰』というものを知っている瞳。彼もまた、朝陽から掬い上げられた者の一人だった。

 そのとき、バンッ。

 勢いよく襖が開いた。皆がハッと振り返れば、そこには青ざめた夕海が立っていた。


「どうだった?」

「……って」

「ん?」

「だから、ないって」


 夕海が涙目で言った。

 震える声で、涙を零しながら。


「新しい楽器工房はないって。京にあるのは老舗の工房だけしかないって!」


 それを聞いた瞬間、聖職者たちは一斉に桜花殿を飛び出した。

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