第09話「氷の悪竜の激昂」
王都からの使者を追い返してから数日が経った。レオニールはアナベルの警護を強化し、片時も側を離れようとしなかった。
「アナベル、今日は外に出るのはよそう。風が強い」
「でも、レオニール様。ずっと部屋にいては、あなたのお仕事の邪魔になってしまいます」
「邪魔なものか。お前が視界にいないと、落ち着かないだけだ」
執務室の椅子に座るレオニールの膝の上に、当然のように座らされているアナベルは、困ったように微笑んだ。彼は片手で書類にサインをし、もう片方の手はアナベルの腰に回されている。
部下の騎士たちが報告に入ってくると、最初はギョッとしていたが、今では「またか」という顔で、見なかったふりをして業務報告をしている。
そんな穏やかな日常を破ったのは、再びの侵入者の報せだった。今度は使者などという生温かいものではない。武装した騎士団の一隊が、強引に国境を越え、砦に迫っているというのだ。
率いているのは、なんとラインハルト王子本人だった。
「たかが辺境伯風情が、王命に背くとはいい度胸だ! 反逆者レオニールを討ち、魔女アナベルを捕らえよ!」
砦の前の雪原に、王家の紋章を掲げた軍勢が展開する。その数はおよそ三百。対する辺境伯軍は少数精鋭だが、数では圧倒的に不利だ。
城壁の上に立ったレオニールは、眼下の軍勢を冷ややかな目で見下ろした。隣には、制止を振り切ってついてきたアナベルがいる。
「レオニール様……私のせいで、あなたが反逆者になってしまいます。私が行けば、戦いは避けられるのでは……」
「馬鹿を言うな。あいつらに渡せば、お前は殺される。俺は、自分の命より大切なものを守るためなら、反逆者の汚名など喜んで被る」
レオニールは腰の剣を抜き放った。その刀身は、氷のように透き通った青銀色に輝いている。
「それに、奴らは思い違いをしている。ここは俺の庭だ。そして、俺には最強の相棒がいる」
レオニールが空に向かって指笛を鳴らす。
直後、雲を裂いて、巨大な影が舞い降りた。
白銀の鱗を持つ、巨大な竜だ。ヴァルグレイブ家が契約する氷雪竜、フェンリル。
『グオオオオオオッ!』
竜の咆哮が大気を震わせ、雪崩のような突風が王家騎士団を襲う。馬たちは恐怖に嘶き、騎士たちは隊列を乱した。
レオニールはアナベルを抱きかかえ、軽々と城壁から飛び降り、竜の背に着地した。
「いくぞ!」
竜が翼を広げ、滑空する。レオニールは剣を振るい、氷の礫を放った。それは正確に敵の武器だけを弾き飛ばし、戦意を喪失させていく。
ラインハルトは腰を抜かし、泥にまみれて叫んでいる。
「ひ、ひいいっ! 化け物だ! 悪竜だ! 誰か、私を守れ!」
その無様な姿に、レオニールは空から冷酷に告げた。
「ラインハルト。次に我が領土に足を踏み入れれば、その首はないと思え。アナベルは俺の妻だ。指一本でも触れようものなら、王都ごと氷漬けにしてくれる」
圧倒的な力の差。それは暴力ではなく、守るべきもののために振るわれる高潔な力だった。
アナベルはレオニールの背中にしがみつきながら、彼が見せる本当の強さに心を震わせていた。悪竜などではない。彼は、誰よりも気高く、優しい守護者なのだ。
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