第18話 不幸ノート9




 スーパーに寄って、無事、肉も買えて安心したのか、姫乃は歩きながら、おしゃべりを始めた。


「不方くんにも、お礼が言いたくて」


 彼女は言う。


「不方くんには、兄のことでもお世話になったの。聞いてたよね。彼、話を聞きに家まで来てくれたんだって」

「そうだったんだ」

「でも私、部活を理由に、ちゃんとお礼も言ってなかった。だから今回は、絶対に言わなくちゃって思って」

「不方くん、頑張ってたもんね」

「……昨日、迷惑かけちゃったーって思ってたら、怒られちゃった」

「うん?」

「親に。そういう不安なことがあったなら、もっとちゃんと、早く相談しなさいよって」

「ああ、うん」

「うちの家族はさ、それぞれ自分たちの生活を優先してて、ご飯、一緒に食べることも、たまにしかないし、なんなら一日、顔を合わさないこともあるんだけど……でも、やっぱり困ったことがあったら相談しないとねって、昨日、家族会議したんだ。ほら、兄のこともあったでしょ? やっぱり、それも家族に相談しなかったんだよね。自立しているのも大切だけど、やっぱり家族なんだからって」

「それ、家族の団欒ってやつ?」

「そうなのかも。ホント全員が集まって、あんなに話したの、久々だったよ」


 明るく話す姫乃は、昨日までと打って変わって、にこにこと笑っている。

 未遊のイメージでは、もっと真面目で、厳しい人なのかと思っていたが、とても話しやすかった。


「それに、私、柔道やってるでしょ? 子供の頃からずっと続けてるんだけど」

「うん。昨日、知ったんだよ、私。戸高さん、強かったね」

「最近、部活ばっかりやっててさ。みんな期待してくれるけど……最近、ぜんぜん勝てなくて。自信なくなってたんだ。だって、投げられると痛いし、倒されると怖いし……なんでこんなことやってんだろ? ってずっと考えてた。昨日もあの男の人、最初はマジで怖くて近づきたくもなかったけど……でも、少しは捕まえるのに役に立てたのかなって」

「少しどころじゃなかったよ! すごかったよね」


 柔道をやったことがない未遊は、独特な身振りを加える。

 姫乃はほんの少し照れ臭そうに、頷いた。


「嬉しかったな……」

「そっか」

「私、もっと強くなりたい。だから、これからも部活、頑張るつもりだけど、でも、今日はお休みしたんだ。自主休暇ってやつ? たまには、そういうのもいいかなって」

「うんうん。頑張るためには休むのも大事だよね。私も今日は、休みだよ。オカ研」


 まあ未遊の場合、一人きままに好きなことをしているだけなんだけど。

 一応、ボケたつもりだったので、


「や、一緒にしないで」


 というツッコミがあってもいいな、と思ったけれど、姫乃はそんなこと、思いもしなかったようだ。

 残念。


 そんな話をしているうちに、笑魔から教えてもらった目的地へと到着した。

 というか、気がつけば、少し前から目的地の周りを歩いていたようだ。

 未遊の背の高さより、ちょっと低いほどの塀沿いに。


 そこは姫乃の家から、大きな公園を隔てたところにある、大きな敷地だった。

 さすがに公園ほど広くはないだろうが、どうやらここが、笑魔の家らしい。

 あまりに広そうなので、思わず、


「ひええ」


 と未遊が声を上げた。


「これは、スゴそうだね。門はどこかな?」

「こっちみたい。ストリートビューで見れたよ」

「うわ、助かる。戸高さんは頭もいいんだね。私一人だったら一周回ってただろうな」

「それにしても広そうだね」


 どの駅からも、それなりに距離がある場所とはいえ、大きなマンションが余裕で建てられそうな敷地。

 なにも言われなければ、記念館や閉鎖された公園だと思っていたかもしれない。


 というか、植物が繁殖し過ぎである。

 塀の向こうに見えるのは様々な木々ばかりで、建物らしきものはぜんぜん見えない。


 見上げても、上が見えないほど高い木もある。

 まさしく、鬱蒼。伸び放題。

 手入れなど、長い間、していないのかもしれない。


 ここだけ、外の世界とは切り離されているかのようだ。


「不方くんって、転校生だよね? ここに引っ越してきたのかな……」


 こんな家 (建物はまだ見えないけど!) が賃貸なわけないし、と未遊。


「転校してきただけって可能性も、あるかもね。なにか事情があって、とか」

「前の学校で問題を起こしたり? 確かに、どこから来たか、とか言ってなかったもんね」


 先生からも、その辺りの説明はなかったし、転校初日に女子たちに囲まれ、質問責めにされていた笑魔は、ほとんどそれらに答えていなかったように思う。


「多くを語らないっていうのも、かっこいいよね」

「ミステリアスな雰囲気で」

「おしゃべりな男の子は、ちょっとね」


 なんて、クラスメイトが話しているのを小耳に挟んだ記憶がある。

 イケメンは大抵なんでも許されるもんなんだな、と未遊は思ったはずだ。


 話をしながら歩いていると、やっと、いかにもな黒い格子の、背の高い門が見えた。

 そして、その脇に、ダークブルーっぽいスーツを着た、見たことのない男の人が立っていた。


 近づくと、


「笑魔お坊ちゃまのお友達ですか?」


 声を掛けられ、思わず、未遊は、


「ひえ」


 と声を上げ、彼を見つめて止まってしまった。


「そ、そうです」


 なんとか姫乃がそう言ってくれる。


 男はにこりと笑うと、それはそれは嬉しそうに頷いた。


「どうぞ、中へ。お坊ちゃまがお待ちです」

「おゔぉっちゃま……」


 彼は未遊の反応など歯牙にもかけず、恭しく頭を下げると、門を開いて中へと案内してくれたが、申し訳ないけれど、お世辞にも人相がいいとは思えず、姫乃はちょっとばかり狼狽えた。


 年齢は、四〇そこそこだろうか。

 背が高く痩せ型で、目つきが鋭く、髭があって、にこりと笑っているはずの、その表情が、いかにも斜に構えている感じがして、どうにも信用おけない気がしたのだ。


 気を取り直した未遊が、今度は率先して男へと近づいて行った。


「も、も、もしかして、執事とかの方ですか?」

「ふふふ、そうですよ。このお屋敷にお仕えしております」

「私、はじめて見ました! 漫画とかゲームではよくありますけど……まさか執事さんがホントに実在しているとは!」


 未遊は力を込め、興奮気味に声を上げる。

 どうやら彼女の驚きは、『胡散臭い男』 に対してではなく、『執事』 というものに対してだったらしい。


 男はただでさえ細い目を、さらに細めて笑った。


「可愛らしいお嬢さんですね。……美味しそうです」

「はい?」

「驚きついでに申しますと、ここにはメイドもおりますよ。こっちも、可愛らしいのがね」

「へぇぇ! それは是非、会ってみたいです」

「ふふふ、会えますよ、きっとね」


 未遊はまったく疑いもせず、案内されるがまま、男について歩き始める。

 姫乃は歩く二人の会話を、ちょっと後方から聞きながら、ついて行った。


 姫乃を何より警戒させたのは、見た目ではなく男の気配かもしれない。

 立ちふるまいや身のこなしから、なんとなく、彼は強そうな気がしたのだ。

 姫乃が笑魔からは一度も感じたことがなかった、『スキがない』 というのかな。


「それにしても、広いですね」

「全部バッサリ切ってしまえば、確かに広いかもしれませんねえ」

「ああ、確かに? でも、それは勿体ないかも」

「貴重な木もありますからねえ」

「保存樹木的な?」

「ふふ、どうですかねえ」


 一応、車が通れるほどの幅の、道のようなものがあり、そこを歩いているけれど、舗装されているわけじゃないし、両側には視界を遮るように、もっさりと樹木が覆っている。


(なんだか不穏だ……)


 まだそこまで遅い時間じゃないのに、ここは薄暗くて、外よりも、ずいぶん気温が低く感じられた。


 カラスが木に止まっているのを、よく見かける気がする。

 飛んでいたり、鳴いているわけじゃないカラスには、なんとなく見られている気がして気味が悪い。


 霧でも出ているのか、歩けば歩くほど、周囲の視界はさらに悪くなっていくかのよう。

 雰囲気に飲まれているだけかもしれない。


 未遊が楽しげに話している声が、どこか遠くに聞こえている……



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