第10話 不幸ノート1
不方笑魔が転校してきて、ひと月が経った頃。
「頼みがある」
放課後の図書館。
そう言って、彼から渡されたのが、そのノートだった。
使い古された、B5サイズの、分厚いノート。
表紙には、子どもが書いたような、ぎこちない字で、
『不幸ノート』
そう書いてある。
『二年三組 不方骨子』
「誰の?」
ノートを渡された未遊のそれは、当然の疑問だっただろう。
「姉貴だ」
笑魔はあっさり、言った。
「お姉ちゃん? 不方くんの?」
「オカルト話が、思ったより集まらないから」
「まあ、体験してる話を直接、聞くってなるとね。ハードル、高いかも」
「俺にはもう、時間がない。だから、いっそ作ることにした」
「オカルト話を? で、不幸ノート?」
「聞いたことないか?」
「うーん……」
「発祥は、その昔、たぶん海外で」
笑魔の話は、こうだ。
とある女性が、自分の身の上が不幸過ぎる、と嘆き、周囲のすべてを妬み、恨んだ。
ずっと塞ぎ込み、外にも出ず、人生を悲しんでばかりいた。
彼女の友人が、その状況を憂えて、新品のノートをプレゼントしてくれた。
「ここに、その日あった、『良かったこと』 だけ書いていってみて!」
ポジティブ日記はいい習慣だ、と知り合いの有識者から話を聞いて、それで、勧めてくれたのだ。
だが女性は、そのノートにネガティブなことを書き綴り始めた。
しかも、自分のことじゃなく、他人のこと。
『〇〇が仕事でやらかした。クビ確定』
『隣の✕✕の娘が熱を出して寝込む。経済的理由から、医者は呼べず。カンパを頼まれたけど、スルーした』
『従兄弟の△△が、捕まった。冤罪を訴えてる。いい気味』
なんて、最初は身近な人に起きた不幸を、一日一行ほど書いていたが、そのうち、ニュースの出来事や、人の集まる市場などに自ら赴き、見知らぬ誰かの不幸情報も収集するようになり、ノートを埋めるようになっていった。
おかげで彼女は率先して外に出て、人と話すようになった。
彼女は不幸を集め、ノートを書くことに、喜びを感じていた。
日記を渡した友人は、それを、『彼女が、日記のお陰で明るく前進したみたい!』 と勘違いし、喜んだ。
数年後のある日、友人は彼女に結婚する、と報告した。
相手は彼女だって長年憧れていた、近隣の男性だった。
『友人が結婚。不幸になればいい。結婚式でとんでもないことが起こる』
その日、彼女はたくさんの不幸を集めた日記に、新しく、こう記した。
友人の式は、二週間後だった。
そしてその式で、日記に書いた通りに、とんでもないことが起きた。
男の元彼女が、
「パパが結婚するんだって」
と、子どもを連れて殴り込みに来たのだ。
それはそれは滑稽な結婚式だった。
結婚は取り止めになり、友人は心を病み、塞ぎ込んだ。
彼女は大いに喜び、それ以降、日記に、本当にあった不幸と、こんな不幸が起きてほしい、という希望を書くようになった。
結婚式以降は、なかなかそれが叶えられることはなかったが、続けていくうちに、何個かは実現した。
偶然かもしれなかったが、そんなのはどうでも良かった。
彼女は長い時間を日記に費やした。
そして少しずつ、その、『不幸な希望』 は精度を上げていった。
彼女の中には、日記との間にルールがある。
自分のことは書いてはいけない。
日記には、不幸なことしか書いてはいけない。
例えば、自分が幸せになりたい、とか、そういうことを書いてはいけない。
逆に、不幸な希望は何度、書いても良いものだ。
書けば書くほど、事実になる確率が上がる。ような気がする。
そして、小さなことの方が事実になりやすい。
誰々が転んで擦り傷、くらいなら、だいたい叶うが、誰々が死んだ、と書いても、それは一度も叶えられることはなかった。
……らしい。
彼女はノートを書くのが楽しくて堪らなかった。
ただ、そんな矢先、ノートはページがなくなり、終わってしまった。
もう一冊……
だがそれは、また、たくさんの不幸を集めることから始めなければならなかった。
でも彼女はそれからも、様々な不幸を探し、人々の声に耳を傾けた。
死ぬまで、それを生き甲斐にした。
「それで、こんな分厚いノートを?」
ガチじゃん、と未遊は顔を歪めた。
彼の話が本当なら、いっぱい書ける分厚いノートを選んだほうが、『不幸の効率』 が良い、と思うのは当たり前の結論だけど、まさか、本当にそれをやるなんて。
中身をぱらりと確認してみると、三分の一くらいが、文字で埋まっていた。
「ああ。そうらしい」
「これ、不方くんのお姉ちゃんが書いたの?」
「小学生の時から、書いてる」
いや、マジでガチじゃん。
未遊はもう一度、ノートを開いて眺めてみた。
表紙もそうだけれど、前半部分は、確かに子供らしい文字が並んでいる。
辞書を引きながら慣れない難しい漢字を書いたのだろう箇所も、ちらほら見えて微笑ましい。
内容と漢字の使い方は、ぜんぜん子供っぽくないけれど。
「不方くんのお姉ちゃんも、面白い人なんだね」
「姉貴は最近じゃもう、このノートを開いてない」
「子供の残酷な興味ってやつだったのかな?」
「そんなに生易しいものじゃない」
「笑魔が怪我をしました! 笑魔が病気で苦しみました! 笑魔が不幸で落ち込んでます!」
未遊が読み上げたのは、本当にそう、書いてあったからだ。
文字のあるページの、最後の方。
最初に比べ、ずいぶん大人っぽく、洗練された字になっている。
笑魔が話してくれた内容と同じ、身近で起きた他人のことや、ニュースで報道されたような様々な不幸の合間に、笑魔のことを書いた記述が目立つ。
笑魔が、笑魔が、笑魔が。
全ページ通して、それは見られるが、特に後半の方は、多い。
これは、日記? それとも、希望?
どちらにしても、不穏だ。
笑魔はそれを聞くと、ちょっと憮然とした表情をした。
「仲、悪いの?」
「いいや、そんなことはない」
「そう、なんだ……」
「その日記の続きを、書いてほしい」
「ならお姉さん、笑魔くんのこと、大好きなんだね。……って、えぇ? 他人の日記の続きを書くの? 私が?」
「俺の名前は何度も出てくるし……続きを書くなら、他人の方がいいかと思って」
「それを、私が?」
未遊は目をパチパチさせた。
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