開花自新

小狸

短編

 *


 かいか・じしん【改過自新】

 ▼自分のあやまちを改めて、新たに再出発すること。過ちを改めて心を入れかえること。


 *


 本屋に行くっつうことは、俺にとってとても意味がある行為だ。


 図書館に行くとか、そこで本を借りるとか、そういうものとは違う――自分の本を、自分で購入する、その特別感は何にも代えがたいし、かけがえのないものだと、俺は思う。


 購入するっつうことは、要するに、そこで金銭のやり取り――契約が成立するってこった。所有権が、本屋から俺、自分に移る。


 金銭を代価に、小説が俺の物になる。


 そして、買う小説は、自分で選ぶことができる――ってえのが、一番の価値だと、俺は思っている。


 話は変わるが、俺の親は、この前離婚した。


 母親は過干渉に過干渉を上塗りしたような人間で、俺のやることなすこと気に食わなかったらしい。


 結局その元母親が不倫して離婚が成立、今は父親と生活しているってわけだ。


 過干渉な元母親は、言わずもがな、小説にも干渉してきた。


 本屋に行くと言えば必ずついてきて、元母親にとって余計な、不必要な、学習に役に立つとは思えない、例えばライトノベルや漫画の類を、絶対に選ぶことは許されなかったんだ。


 ひでえ親だったな、と思う。


 親の才能がない奴が親になると、こういう風になるんだろうな、と思うぜマジで。


 全国のこれから親になるであろう奴らは気を付けろよ。


 親になるには、資格もセンスもいらねえ。


 その代わりに責任だけが伴うんだからな。


 俺にゃ一生、できるとも、なれるとも思えねえな。


 結局離婚こそしたものの、元母親が俺に与えた影響は計り知れねえ。


 自己肯定感とかな。


 標準装備できている奴が羨ましいぜ。心配した父が、俺をメンタルクリニックに連れていったりして、学校の奴らには内緒で、土曜日に通っている最中だぜ。


 全く、自分の弱さに腹が立つ。


 あんな奴の言葉に、いつまでも引きずられているなんてな。


 中学も休みがちになっちまったし、皆勤賞はもう取れないだろう。


 あーあ、俺の人生って失敗だな、と、思っちまう。


 まあ、あんな母親から産まれた時点で、人生半分詰んでいるようなものだろうが。


 それでも俺は、死にたいと思ったことはない。


 死ぬってことは、不可逆だ。


 一度死ねば、もう戻って来ることはできない。


 よしんば自殺して、奇跡的に生還を果たせたとしても、重度の障害を負う可能性があるというリスクがある。


 そんなんだったら、生きた方がマシだろう。


 これ以上辛い思いをしながら生きるなんて滅法御免だ。


 辛い思いをしないために、生きる。


 それじゃ本末転倒なんじゃねえか――生きることはそもそも辛いことの集積じゃねえかと指摘する奴もいるだろうけれど、残念ながら俺はまだお子様だ。


 世の辛さも厳しさも、虚構の中だけしか知らず、実際大変なのは父親を見て知ってはいるけれど、それでも体験した奴には敵わねえ。


 せいぜい中学生っつう身分で安住しながら、少しずつ理解していこうと思うぜ。


 お前ら大人の言う「厳しい現実」って奴をな。


 俺にとっての居場所は、図書室や本屋だった。


 いつも本を読んでいた。


 学校では流石に親の干渉はなかったので、好きに小説を読むことができたぜ。まあ結局、乱歩や太宰、芥川を読む時が一番楽しかったなと思う。あいつらが「文豪」なんて呼ばれて今の時代も持て囃されている理由も、分かろうってもんだ。


 これは後で医者から聞いたんだが、居場所がある、ってことは、かなり良いことらしいな。


 まあ、そのせいで教師の連中には色々と迷惑をかけたもんだ。共調する時は共調するし、必要であれば友達の輪に入る。しかしそれ以上は絶対に干渉しない――教室で本を読んでいる。この辺りの生き方の塩梅は、元母親の生き汚さを参考にさせてもらった。


 あの元母親野郎は、俺や父親の生き方を制限しつつ、借金をもしながら、自分の欲しい物、好きなものを買いまくっていた。


!」


 ってのが。


 弁護士に引きずられて事務所から強制退室させられる元母親の、最後に記憶している台詞セリフだな。


 それを聞いて、父親も呆れてたよ。


 自由に生きてえなら、子どもなんて作るなよって話だ。


 どいつもこいつも覚悟が足りねえんだよな。


 子どもなんて、作ろうと思わなければ作れないわけなんだから――それこそ、学校の保健体育の授業で習う、学校の勉強が生きる瞬間だ。


 国語の授業だって小説を読む時の参考になるし、数学や理科だって、未知の知識の補填にもなる。この落ちこぼれの俺が分かるんだから、よくよく考えれば理解できることだろうに、「学校の勉強が何の役に立つんですか」とか「こんなこと出来て何になるんですか」とかほざく莫迦が、なかなかどうして俺と同じクラスに存在しやがることが、ムカついて仕方ないぜ。


 そんなことも分からねえお前が世の中の何の役に立つんだよって話だ。自分がやっていることが何の役に立つかくらい、自分でちょっとは考えてみろってんだ。莫迦が。


 とまあ、俺の下らねえ人生については、どうでも良いよな。


 自分語りほどに、つまらねえ「かたり」はないと俺は思ってるぜ。


 本題に入ろう、本屋だけに。


 その本屋は、例えば都内の主要駅に敷設してあるようにだだっ広いわけじゃねえが、市内唯一にして一番大きな本屋として、長い間人々に本を提供してきた場所だ。最近改装工事があって少々規模が広くなった。俺も、元母親がいた頃から、本屋といえばこの場所だった。


 店に入って、文芸雑誌のコーナーを一通り眺める。


 どうやら俺の好きな作家は、今月号は寄稿してないようだ。ったく、あの先生、単行本化しないでシリーズを途中で止めやがるから、フルコンプするには、こういうところにも目を向けてなきゃいけねえんだよな。


 さっさと単行本化しやがれと思う気持ちもないでもねえが、本を出版するのは相当数の人数が関係してくる。ただ寄稿するだけじゃ留まらねえ。


 まあ、待つしかねえなあ、なんて思いつつ、文芸誌のコーナーを離れて、ノベルス本のコーナーに入った。


 最近減ったよな、ノベルスの刊行。


 俺は、最初に読んだミステリの形態がノベルス――それこそ二段組のやつだったから、何となく愛着があるんだよな。


 ノベルス本とハードカバー本が同時刊行された場合なんかは、ノベルスの方を買っちまうくらいだ。


 読みやすいとか読みにくいとかそれ以前の、まあ好き不好きの問題だな。


 全盛期だったゼロ年代ほどじゃあねえが、まだまだ火の消えないレーベルだと、俺は踏んでるんだが、はてさてどうなることやら、だぜ。


 電子書籍は、元になるタブレットやらを持っていないので良く分からないけれど、二段組表記されるのかね?


 まあ良いや。


 俺が出版業界の将来を憂いたところで、何かがどうにかなるってわけでもないんだからな。


 そんな風に斜に構えつつ(斜に構えている自覚くらいはあるつもりだ)、次のコーナーに向かった。


 ライトノベルのコーナーである。


 なかなかどうして、ライトノベルを退廃文学扱いして来る輩っていうのは一定数いるが、俺はそんなことは関係なく、ライトノベルは好きだと断言できる。まあ、そういう奴っていうのは大概、「ラノベとか読んでるんだ」と莫迦にされたことのある奴だろうけどな。莫迦にするってのは、その人のその意思を奪うってことにも等しいんだ。


 簡単にやってくれるなよと思うが、まあ、そんな気持ちも、誰にもどこにも届かないんだろうぜ。


 虚しいねえ、ったく。


 ただ。


 このコーナーに関しては、俺は言いたいことが一つだけある。


 帯には、「アニメ化!」「アニメ化二期放映中!」「アニメ化決定」という文字が掲げられている。


 なるほどアニメ化ねえ。


 俺の部屋にテレビはねえし、何なら俺の部屋自体がない、だからアニメの方はあまり詳しくはないが、別段俺はアニメ化を全否定しているわけじゃねえんだ。


 むしろすげえことだと思っている。


 多くの人間が関わって、その作品を人口に膾炙させようとする――素晴らしい試みだな。


 ただ、どうだろうな。


 最近のライトノベルは――なんて口火を切ると、俺がただラノベを批判したいだけの、どうしようもない純文学崇拝野郎だと勘違いされることを承知の上で言うけれど、どうも、作品が、多いように感じる。


 中の挿絵やイラスト、キャラの動かし方なんかを見ると特にそう思うんだよな。


 映像になって、読者ではなく視聴者の眼に訴えかけてもらうのが前提の、作品。


 要するに、小説を小説として、書かれていないんだよな。


 小説を、、前座、俺はどうも我慢ならないんだよ。


 小説は小説として、ちゃんと完結させろよ。


 最近はアニメにまで作者が口を出して大失敗、なんて例もあるみたいじゃねえか。


 ふざけんなよ、って思うね。


 小説家なら、映像ではなく、文章で読者に見せろよって、、って。


 俺はずっとそう思ってやまないんだが――まあ、この意見が少数派なんだろうな、ってのは理解できている。最近のアニメのクオリティの高さは、本当、目を見張るどころじゃ視界に収まらないくらい、凄いもんだ。


 しかし。


 すげえクオリティのアニメを見て、興味をもって原作を手に取って見てがっかりする――なんて展開は、本末転倒だと思うんだよ。


 アニメだけ面白くて、原作はそうでもない――とか、作者としては最大限の侮辱じゃねえか?


 そんなに映像化されることが正しいのか? 


 そう思う。


 そりゃ、アニメ化されれば、さっきも言った通り、より多くの人の眼に留まることになるだろうな。作品の知名度も上がる。作品の名がより知れ渡り、知っている人が多くなる。好きな人が多くなる。


 だが、――と、端を発したいわけだよ、俺は。


 手段と目的を履き違えちゃいけねえ。


 アニメ化を目的にして、アニメ化しやすそうな、アニメ映えしそうな描写ばかりを作品に取り入れて、それで作品が多少渾沌カオスになろうとも、アニメになってしまえばこっちの勝ち、それすら計算した上で書かれてやがる。


 なんかそういうの、違うんじゃねえかな、と思っちまう。


 小説なんだから、文字で、言葉で魅せなきゃ、意味ねえだろ。


 磨くべきなのは、言葉、なんじゃねえかな。


 どうも最近のライトノベル、つーか小説の類を見ていると、映像化、アニメ化、劇場映画化したいという作者の願望が裏から見え透いていて。


 ムカつくんだよな。


 よしんばそういう願望を持つのは構わねえけど、それは作者の意図であって、読者に勘繰られちゃ駄目なものだろ。


 俺は、有名なライトノベルがアニメ化決定した、恐らく書店員が作ったであろうポップを、にらんでいた。


 書店員すら、アニメ化、映像化の味方、か。


 お前ら本を売ってんじゃねえのかよ。


 それで良いのかよ。


 なんて、そんな言葉にできない怒気を込めて、ライトノベルコーナーにたたずんでいたせいだろうな。


 俺の隣に、その書店の店員がいたことを、俺はすっかり失念していた。


「あのう」


「!」


 驚いた――驚嘆を抑圧しようとして、それも失敗した、普通に驚いちまった。冷静沈着をモットーにする俺としたことが、失態だぜ。


「……ああ?」


 出来る限りトーンを落として、俺はそいつに向き合った。


 背の高くて細い、目が細い、女だった。


 ボブっつうのか、こういう髪型。


 歳は多分俺より上で、身長も俺より上だった。


 その瞳は俺のことを見ているようで、見ていないような、そんな虚無みたいな目をしていた。


「何だよ」


 躊躇ためらいとか、戸惑いとか、そういうものを見られると思ったんだが、女はそんなものに興味はないとでも言うように、普通に言った。


「いえ、別に。ただ、そのポップ、私が作ったんですよねえ。私が作った物を、そうまじまじと見て――否、睨んで、ですか? されていると、正直あまり嬉しくはないというか、心ここにあらず、な感じなわけです。あ、私、山谷やまたにやわ、といます」


 読点の付け方が独特な女だった、会話のテンポが掴みづらい。


 一方通行の関係というのは気に食わなかったので、一応俺も、名乗った。


 祭田まつりだれいという、俺の嫌いな、母親が付けた、この名前を。


「俺が、小説をどう見ようと、お前には関係ないだろう」


「ええ、関係ありませんね」


 あっさりと、女は言った。


「でも、先程も申し上げた通り、そのポップは私が作ったんですよ。アニメ化が決定した作品の、アニメ化が決定したという告知を、お客様に少しでも知ってほしくて、製作したんですね。アニメ化って、基本良いことじゃないですか。喜ぶか、嬉しいか、楽しみにするか、どうでも良いと言って無視するか、ある程度、そこから発露される感情って限定されると思うんですね。にもかかわらず、あなたの感情は違った。怒り。何に怒ってるんですか? もしかしてライバルの作家さんだったり、あなたも作家か、それに準じる――つまり作家志望の方だったりしますか?」


「いや、違えよ。別に俺は作家なんて目指していないし、実際に作家でもない」


「ならば、どうして?」


「どうしてって言われてもな――俺は、


 この時の俺は、どこかおかしかったように思う。


 普通なら、こんな知らねえ女に話しかけられれば、すぐに逃げていた。


 無視してどこか行くって選択肢もあったはずだ。


 なのに――話を合わせちまった。


 失敗だ。


 そう思ったが、もう遅かった。


 俺は、俺の中に内包していた、ライトノベル――ひいては小説とアニメに関する意見を、この女に吐露してしまっていた。


「――要するに、何でもかんでもアニメアニメって、それを持てはやす風潮が、俺には理解できないってだけの話だよ」


「なるほど、礼くんは原作厨、ということでよろしいでしょうか」


 いきなり下の名前で呼ばれてどきりとした――ことは、ここにのみ記載しておく。


「宜しくねえよ。あんた、俺の話ちゃんと聞いてたか? 別に原作を読めとは一言も物申してねえ。ただ、原作は原作で、アニメはアニメで、完成してあって欲しいと思っているだけの話だ。! って作品が、最近多すぎるんだよ。いい加減に」


「そうですか」


 山谷と名乗った女の反応は、存外あっさりとしたものであった。


「そうですかって、何か反論とかねえのかよ。これでも結構尖ったこと、言ってるつもりだぜ」


「いえ、別に。礼くんがそう思ったという事実は、私が何を言おうと変わらないでしょ?」


「そりゃそうだがよ。あんたも書店員として意見があるんじゃないのか? 俺の見解とぶつかったりして、苛立ったりしないのかよ、生意気なガキ、だとかいってよ」


 俺の母親が、そうだったように。


「いえ、別に」


 山谷柔は、飄々ひょうひょうと続けた。


「それに小説を読むという点においては、全ての人が等しく読者でしょう。そこに上も下もない、老害もガキもないでしょう」


「……それもそうだな」


 意外だったな、これが。


 大人は全員、子どもの考えることなんて全部見下して、底辺扱いしてくるものだとばかり思っていたのに、何だか拍子抜けだった。


「礼くんの言いたいことも、分からないではないですね。アニメ化してやっと一人前、という風潮が、世の中には、ないこともないです。作品の昇華点としては最上位ですからね、アニメ化。それだけ大勢の人間の眼に触れるわけですから。どこかで何かを履き違えてしまって、それが目的になってしまって、原作を、作品そのものの質をおとしめかねない描写を、私も何度か読んだこと、ありますよ、ありますとも」


「……そうなのか」


 同意されるとも、思っていなかったんだ。


 つーか、他人から意見をもらうだとか、他人が俺のことを分かってくれるなんて、ぶっちゃけ生まれて初めてのことだったから、俺は反応に困ってしまった。


 今まで俺の話を、ちゃんと聞いて、ちゃんと受け止めてくれる人なんて。


 一人もいなかった。


 俺は独りだった。


「実際、アニメ化、劇場映画化が総じて成功するというわけでもありませんしね。最近は作画ガチャ、監督ガチャ、配給会社ガチャ、なんてひどい言葉もあるくらいです。視聴者の眼はどんどん肥えていきますし、アニメ化のハードルはどんどん上昇しています。円盤――つまりBlu-rayやDVDの売上だって関係してきます」


「まあ、それには同意だな。行間の描写とか、凝った表現とか、色々と感じ入るものがあるよ。俺も、別にアニメはたくさん見る方じゃねえが、揃えた漫画や小説、ラノベのアニメは見るようにしている。好きな作品が劣悪に表現されりゃ、それもそれでムカつくな」


「アニメ業界も、色々と大変みたいですしね。作画に見合った対価が支払われていないとかいって、この前どこかのアニメ配給会社が、アニメーターから訴えられていた、なんてこともあります。根性論じゃまかり通らなくなってきているんですね、世の中も、何もかも」


「根性論はもう古いだろ――とは言い切れないんだよなあ。高名な監督やアニメーターだって、現場で色々と周囲を振り回しているみてえだし、まあ、確かにそれにも、同意だよ」


「アニメ化のハードル自体は、実際どうなんでしょうね、上がって来ているんでしょうか。アニメにすること自体は、デジタル技術の発展で容易になったとしても、視聴者の期待値という意味では、上がっているんだと思いますよ。あんなすごい作画で、あんなすごい描写で、あんなリアルな表現で、この小説が、この漫画が、このライトノベルを追体験できるんだ、とか」


「追体験、か。確かにそりゃそうだな。アニメ化にしろ何にしろ、原作と同じものを摂取しているに変わりはない――ストーリーを知った上で見ているわけだからな。まあ、それでも、一見の奴にも、原作既読の奴にも、『面白い』と思わせてくれるんだから、アニメ業界も莫迦にはできねえな」


「アニメ化――映像化の全てが悪い、というわけではないと、私は思うんですよね」


「そりゃ俺もそうさ、もし俺が『アニメ化反対』派なら、こんなポップの前で怒り心頭になったりはしてねえ。帯を見た瞬間吐き気を覚えているだろうさ」


「そこまでですか。やや過剰な気もしますが、まあ良いでしょう」


「まあ良いのかよ」


「ただ、アニメにするのも、なるのも、大勢の人が関わってくるということ、最終決定権は、一体どこに、あるんでしょうね? 作者でしょうか」


「作者じゃねえの? 作者がアニメにしたくない、しないといえば、ならない、と思うが。そりゃ、途中出版社の編集なり、アニメ会社の担当なりが中継するんだろうが、作者の決定なしにアニメになるこたぁないだろ、流石に」


「そうですね、それこそ、勝手に作品を流用したとして、訴訟ものです」


「あー、でも、作者がアニメやら映像化の公開を中止させるって例は聞いたことがあるな」


「ほう?」


「ほら、例えば原作が週刊連載だとしたら、アニメに追いつくからって、アニメオリジナルストーリーが挿入されたりするだろ? その出来があまりにも原作とかけ離れ過ぎて、映像作品が中断したって話はあった気がするな。確かそれはドラマだったかな」


「なるほど、原作とはかけ離れ過ぎて――ですか。時に礼くんは、『アニメは原作を忠実になぞるべき』だと思いますか?」


「いや、そうは思わねえな。どちらかっつうと、アニメや映像作品と、原作は、別のものとして捉えたい派だ。小説の映像化の場合なんかは顕著だが、文章を読むのと、アニメやドラマを観るのって――使っている脳の場所が違う、と思うんだよな。だから、人によって合う合わないがある」


 脳については詳しくはないので、適当ぶっこいたぜ。


「映像化、音声化された際、登場人物の名前のイントネーションが、自分が思っていたものと違った、みたいなものですかね」


「そうだな。映像化ってことは、立体化するってことだと、俺は思うんだよな」


「ほう、立体化」

「ああ。これについては俺も上手く言語化できねえんだけど、それまで文章として上から下に読む、だけだった物語が、映像として上下左右にまで拡張されている、っつうかさ。上手いアニメだと、これに奥行きも加わるのかな、紙芝居じゃないアニメな」


「上下左右前後、空間がその場にできる、ということですか」


「ああ。良くも悪くも、元々ある平面の物語から引き延ばされたものが、アニメなんだよ。勿論、さっき言ったみてえに原作からかけ離れていたら、『それじゃあオリジナルアニメを作れ』って話になるぜ? だけど、立体ってことは、高さがある。その高さとか、表面の凹凸とかは、アニメや映像作品にしかできない工夫だ。多少の原作補完だったり、原作にはない描写だったりがあっても良いと、俺は思うぜ」


「意外と寛容なのですね」


「言ったろ? 俺は別に、アニメを毛嫌いしているってわけじゃねえんだよ」


「ふむふむ。それにどちらかというとその知見、アニメを好きなようにも感じますが」


「好き――かどうかは、俺にも分かんねえんだよな。俺は好きという感情を封じられて生きてきた。ああ、中二病的な表現じゃねえぞ。毒親どくおやだったんだよ、俺の母親。だから、自分がこれを『好き』かどうかって、分かんねえんだよ、この歳になっても」


 俺は中学生である。


「あらら、まあ、深くは聞きませんけれど」


「まあ、同情なんて不要だぜ。俺は俺で、こうして確固として生きることができているわけだしな。生きづらい、なんて思っている暇、ねえぜ。そう考えると、増えたよな、最近の物語にゃ、『生きづらい』を標榜ひょうぼうしたものが」


「ええ。それは書店員の私も痛感しているところですね。右を見ても左を見ても、どこかの誰かが『生きづら』くて、その中でどうやって苦悩しつつ、『生きづら』さ、社会における『普通』との差異を埋めてゆくか。それを物語として提示する作品が、増えているように感じます」


「ああ、そして、そういう作品は、映像化、アニメ化しやすいんだ」


「ほう、それはどうしてです」


「主人公の苦悩の描写なんて、いくら盛っても怒られないからだよ。苦労や苦渋の感情、マイナスの感情は、共感されやすいんだよな。辛い中でもがく主人公――負の感情は、時に映像の外にも大きな影響を及ぼす。共感と同情、あるいは、その主人公に自己投影して、って安心感は、何にも代えがたいからな。まあ、そこまで行くとアニメ化映像化の功罪ってよりかは作品論になっちまうから言わねえけど、最近そういう作品が増えてることも否めねえよ」


「皆『生きづらい』ですもんねえ。というか、社会が求める『普通』の基準が、信じられないほどに上がっているように感じます。だからこそ人々は、『生きづら』さに共感して、そういう小説を求めるのでは、ないでしょうか」


「へえ、そうなのか」


「ええ。最近の社会は、マルチタスクができて当たり前、ワンオペができて当たり前、協力が上手くて当たり前、一度で全て覚えられて当たり前、仕事を見て盗めて当たり前、過度な肉体労働ができて当たり前なんですよね。そんな超人なんて、ぽんぽんいるわけないじゃないですか。社会が、より良くなっている証左なんでしょうけれど、私みたいな社会不適合者には、しんどい、以外の何ものでもない世界です」


「『私みたいな』って――あんたは、普通じゃないか」


「私は、普通のフリをしているだけですよ。大学にも入らずにこの本屋に就職して、ポップやデザインを作ったりしている。二十歳はたちはこの前迎えましたけれど、それで大人になったとは言えませんね。むしろ大人のフリが上手くなった、とでも言いましょうか」


「へえ、そりゃ意外だな。二十歳になったら大人になれるもんだと思っていたが」


「そう簡単でもないんですよ。生まれてから20年経った程度で、人間というものは変わりません。いいえ、変われません、という方が正しいでしょうか。礼くんの周りの大人は、ちゃんと大人していますか?」


「…………」


 ちゃんとした大人。


 その定義もなかなか曖昧模糊としたものだったが、父さんくらいか。大人として、ちゃんと尊敬できる人間は。あとの大人は、全員カスみたいな奴だった。どいつもこいつも自分のことしか考えていない。自分が、周りに与える影響になんて、微塵も興味がない。そんな奴らだ。


「確かに、そりゃほとんどいねえな」


「そうなんですよね。大人と子どもって、一応法律で明確に区分されていますけれど、だからといって心も一気に変わる――というわけではないんです。変わってくれないんです。私のように、心が子どものまま、身体だけ大人になってしまった人間がいるようにね」


「あんたは……」


 大人だと思うぜ――と言いかけて、俺は止めた。


 少なくとも、俺みたいな子どもの話をちゃんと聞こうとしてくれている時点で、無碍にせずに受け止めてくれている時点で、十分に大人だ。


 そう思ったけれど、山谷柔には、山谷柔の人生がある。


 俺が俺の人生に対して、負い目や劣等感を抱いているように、彼女なりの人生経験があった上で、そう言っているのだろう。


 それを否定してしまうのは、何だか、違えように思えたんだよな。


「大人と子ども、の話の派生ですが――大人はどちらかというと、アニメの方を規制しがちですよね。『一日何時間まで』とか言って。小説に対する規制は、あまり聞いたことはありません」


「あー、そりゃ多分、将来役に立つか、って部分に係って来るんだろうぜ」


「将来、ですか、なるほど。まあ、子どもは親の庇護下に置かれるものですからね。得てして、親は己の出来不出来を度外視して、子どもには良い人間、勉強のできる人間になってほしいと思うものですからね。勉強しなさい、宿題しなさい、アニメなんか観てないで――と、そうなる心持ちも、少しは分かろうというものです」


「まあ、俺らガキは分かりやすいものに惹かれる傾向にあるからなあ。内容の明瞭さで言うのであれば、アニメは小説より分かりやすい。読めなくとも、見てしまえば、内容を吸収することができる。それに宿題がおろそかになれば、学校に連絡が行く。教育ってのは、学校だけでやるもんじゃねえからな。『ご家庭でどんな教育をされているんですか』なんて教師から言われた日にゃ、親は背筋が凍るだろうよ」


 俺の母親は、教師にも反発していたんだがな。


 本当、どうしようもない親ってのは存在するもんだな。


「大人は、果たして子どもにどうなって欲しいんでしょうね」


「ん、どういうことだ」


「束縛して、拘束して、否定して、制限して――親ってそういう存在でしょう? それは見方によっては、子どもの将来を考えているということなのでしょうが、何というか『なってほしい大人像』が、ある程度固定されているように思うのですよ。公務員だとか、安定した職業に就いて欲しいのでしょうか」


「それは……まあ、親によるんじゃねえのかな。俺の親――っつーか、離婚した母親なんかは、自分の老後は俺に介護させるつもりで、その資金を潤沢に揃える名目でお前を育てているって公言してたぜ」


「ひどい話ですね」


「そうか? 親なんてそんなもんだろ。そうでなくとも、自分の生き写しを作りたい親、自分とは違う人生を歩ませたい親、色々いるんじゃねえの? それこそ一概には言えないが、ただ一つ言えるのは、子どもは親のエゴで生まれてくるし、親のエゴで生きているってことだ。いくら少子高齢化とはいえ、産む自由はあるわけだからな」


「エゴ、ですか。じゃあ、私は、親不孝者ですね」


「なんでだよ」


「私の親って、私が中学の時、死んでるんですよね」


「……へえ」


 平静を、今度は装うことができた――と思う。


「とても仲の良い両親でしたし、今でも私は両親のことを尊敬しています。姉妹兄弟はいません。二人で旅行に行くといって車で出かけて、交通事故に遭って二人共死にました。授業中に先生から呼ばれて私は病院に向かいましたが、もう二人共、息を引き取っていました」


「…………そう、なのか。悪いな、そんな中で、親の話を明け透けにしちまって」


「礼くんは優しいんですね」


「優しくねえ! 俺はただ、自分の言葉で人が傷付くのが我慢ならねえだけだ。今回のアニメ化、映像化の話だって、あんたに話しかけられなきゃ、しなかったぜ。アニメを待望している奴、映像化を待ち望んでいる奴だっている。そういう奴にとって、俺の考え方は反発することになるからな」


「やっぱり、優しいです」


「だから優しくねえって」


 俺はいつの間にか、ポップのコーナーの近くで、山谷柔と、会話をしていた。


 心を、許していた。


 人とのコミュニケーション。


 しかも、趣味の話をした、なんて、本当に久しぶりのことだったな。


 母親(だった奴)は、機嫌が良い時を見計らって話すと「そうなんだあ、すごいねえ」などとしか言わないし、興味がある風を親目線上から目線で装っているだけで会話にならねえ。


 ガキの戯言だと思われてたんだろう。


 つまんなかったからな。


 ただ、山谷柔は違った。


 俺のことを子どもとして莫迦にしているわけでも、虚仮こけにしているわけでもなかった。


 一人の人間として、話してもらえている。


 それが――俺は。


 嬉しい、と思っていたのか? 


 分からない。


 この感情は、俺が今まで体感した中でも、珍しい気持ちだ。


「そうですね、話を戻しますが、そんな中でも私は、アニメ化、映像化は、言祝ことほぐべきことだと思うんですよね」


「へえ、そりゃなんでだい」


「アニメ化、映像化するということは、作者と編集だけでなく、アニメーター、監督、声優をはじめ、多くの人が関わってきます。物語の集大成、と言っても過言ではありません。終わったはずの、止まったはずの物語に、再び命が吹きこまれるのです」


「…………」


「そんな中で、映像の制作者たちが、手を抜いているとはどうしても思えないんですよね。勿論仕事なんですから、対価が支払われること前提で色を塗ったり作業したりしているのでしょうよ? でも、このアニメを、この映像を、この原作を、という思いは、共通だと思うのですよ。その思いだけは、原作者も、アニメ制作者も、一緒だと思うのです」


「なるほど」


「小説は小説として完結している――確かにそれは必要でしょう。しかし今は、小説以外の媒体が大量にある。テレビ、スマホのアプリ、Blu-ray、DVD、劇場、果ては舞台にもなったりもしますよね、今のこの『生きづらい』世の中を生き抜き、『残りづらい』世の中で残るためには、そういうも、必要になってくると思うんです。全てを描かず、行間を敢えて省き、アニメに。キャラ造詣の表現を少なくし、映像に託す。時代の流れに合わせて、これからもより多くの人が、作品を目にする機会というのは増えてゆくと思います。だから、アニメ化まで計算して創作することは、私は、悪いことだとは思いません」


「たとえその原作が未完成だとしても、か?」


「たとえ未完成だとしても、です。結局未完成の場合、読者のヘイトは、原作者が請け負うことになる。その覚悟あってこその未完成だと、私は思うのですよ。敢えて全てを描写せず、次に、。そういう物語の作り方が、あっても良いんじゃないでしょうか」


「…………」


「それに私は、原作者も、アニメ配給会社も、出版社も、アニメーターも、監督も、声優も、一切手を抜いているとは思えません。手を抜いているアニメは、見れば分かります。。その一点をもって、彼らの意思は一つだと、私は思うんです」


「……なるほどな。そういう意味で、奴らは結束しているってことか。俺たちを楽しませるために」


「そうです。何より、読者がいなければ、小説が小説にはなりませんしね。私たちは、もっと楽しんで良いんだと思いますよ。楽しんで、読んで良いんだと思いますよ」


「…………」


 それは、俺の中にはない考え方だった。


 そうだ、元母親は、自分にはない考え方を受け入れられない奴だった。


 嫉み否定し、蔑み莫迦にし、ありえないといって聞く耳も立てなかった。


 自分こそが正解だと、思っていた。


 俺は、どうだ?


 俺は、この女の、新しい見解を、受け止めることができるだろうか。


 自分とは全く違う考え方を――自分には全くなかった、考え方を。


 この女が、結局何を言いたかったのかを。


「そういう考え方も、アリだな」


「でしょ?」


 そう言って、山谷柔は初めて、笑った。


 良い笑顔で笑うじゃねえか。


 歳が近かったら惚れてたところだったぜ。


「あんた――って言い方も失礼か。山谷、さん」


「柔でいいですよ」


「そうかい、柔、さん。あんたのお蔭で、何か晴れた気がするよ。あんたの作ったポップ、睨んで悪かったな。新しい文芸の形に置いて行かれないように、俺も適応していこうと思うぜ」


「私は何もしていませんよ。礼くんが変わったんです。変わった自分を、ぜひ認めてあげてくださいね」


「ああ」


 ――ありがとう。


 誰かに礼を言ったのも、何年ぶりだっただろう。


 その日は結局、小説を買わずに家に帰った。


 

 *



 それから祭田礼は、小説のアニメ化についてを突き詰めることになる。ひたすらに人間の絵から背景の絵までを練習し始める。それは、今まで人生を半ば諦めていた彼にしてみれば驚くべき変化である。


 高校と大学は、美術関係の学科に進んだ。アニメについてを勉強し、将来アニメーターを目指そうと思っていたからである。大学からは親元を離れて一人暮らしをしていたので、しばらくその本屋には訪れなかった。


 久方ぶりに実家に帰省した時、その本屋はなくなって、別の店になっていた。


 父にたずねたところ、経営不振により閉店したらしい。


 諸行無常――何でもかんでも、移り変わる世の中である。


 書店員であった山谷柔のその後は誰も知らないけれど、祭田礼は、今でも、前を向いている。


 彼の物語は、この時から始まったのだ。




(「開花かいか自新じしん」――はじまり

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開花自新 小狸 @segen_gen

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