仏壇とプロトコル
私は母の死を契機にこの町に来た。
「自分が死んたあともこの仏壇だけは守ってほしい」と最後まで娘の自由より信仰心を優先した母が、どのように末期の肺がんという事実を受け入れてそして死んでいったのか私は知らない。
末期がんの確定診断を受けたあとに、私たちは地元で評判の蕎麦屋に入った。窓の外の散りかけた4月の桜を見ながら「来年も見れるかしらね?」と言いながら山菜蕎麦半分残した。「治療しても良いかしら?」と私に聞く。神様ではなく私に。「当たり前じゃん、止めるのはいつでもできるよ」と返答した。今思えばそれは本音ながら残酷な言葉だったと思う。生きる望みは時に毒だ。止めるという選択肢は家族にも、母にも選ぶことはできなかった。母を母たらしめるものを容赦なく薬が奪っていくとしても。
そこから抗がん剤治療が始まった。強い薬ほど副作用も強い。どんどん母は痩せていった。脳に転移した癌を2度焼いた。その度に身体をいじくり回され、疲弊しそれでも、座れる限りは仏壇にお教を唱えた。
私が見る限り、宗教で母が幸せになったことはない。
友人はいなくなり、お金は目減りして、父と離婚して、さらに病気になった。
私だったら神様に文句の1つでも言いたくなるものだけど、最後まで母は何かを信じていたし、私に同じものを信じさせようとした。バグだらけの宗教に大きくなる肺腫瘍、効果のない抗がん剤治療は薬と治療法を次々と変えて母を痛めつけた。もう、試せる薬がなくなりようやく母は余命宣告された。そして、緩和医療を専門としている病院に転院を勧められた。肺の癌は肥大し助骨飲み込み溶かしていた。恐ろしいまでの痛みと残ったのはもう動くこともままならぬ肉体だけ。
年明け頃から歩けなくなり、そこからはあっという間だった。自分で排便ができなくなり、ものを食べなくなり、人工呼吸になり、意思の疎通ができなくなり、2月の始めに母は死んだ。
家族葬にも関わらず宗教関係の人がたくさんお焼香に訪れた。こんな過疎化が進む田舎に驚くほどたくさん母と同じ宗教を信仰する人がいる。
その事実と監視の目、つまり母と同じようにお前も私たちと同じ宗教を信仰するよね?というコミニュティ機能が怖くなって私は家を処分して引っ越したのだ。
片付けと掃除、ゴミ捨てが終わった家の中、私は最後まで仏壇と睨み合っていた。何かの経典の一文と思われる言葉掛け軸のように垂れ下がっている。母にとってこれはなんだったのか。経典の文字を見つめていると、母がそこに書かれていない名前まで読み上げていたのではないかと思えてくる。去ってしまった友人。離れていった夫。戻らなかった健康。そして、同じものを信じることをしてくれない娘。
仏壇は祈りの場所ではなく、
母が失ったものの“墓標”だったのではないか。
失ったものと見限られたもの全部がここに降り積もっていったのだろう。手を伸ばした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。それは母に対する裏切りなのか、それとも本当の意味で母を埋葬する行為なのかわからなかった。ごめんもありがとうも出てこないまま立ち尽くしていた。どちらにしろ一人暮らしの新居におけるサイズではない。答えはでないまま、時間通りに現れた粗大ゴミ受付センターが無慈悲に回収していった。母が命よりも大切にしていた木製の箱はプレスされて取り返しのつかない彼方へ消えていった。
私は母にとって良い娘ではなかったのではないか?
嘘でも母の望みを叶えて宗教を、せめて仏壇を家の隅にでも置いておけば良かったのではないか?
そんな風に仏壇の前で立ち上った思考のノイズが日々脳裏をかすめるのだ。
新しい街での生活は驚くほど静かだった。
紹介された仕事も向いているように思えた。自動車保険や火災保険の満期連絡をし、更新の有無を確認する。不具合があればただ一人の上司に相談し、金額を見積もり、売り上げをシートに記載していった。数字は嘘をつかないし、書類は祈りを求めない。
1つ変わったのは死という概念が私にまとわりつくようになったことだ。それはこの街の空気のせいかもしれない。海にほど近いこの街は山にぶつかる暖かい空気のせいで雨や曇りが多い。もう少し季節が進めば長い雪の日が続くという。寒さが厳しくなれば外に人は少なくなり、それぞれの孤独をより深くする。
大通りには除雪用に余分にスペースがあり、車は法定速度をはるかに超過し通り過ぎていく。
最初に見つけたのはムクドリの亡骸だった。路地裏で見つけたそれは灰褐色の身体は曇天から千切れて落ちてきたように思えた。くちばしのオレンジだけがプラスチックのように艶めかしい。大群で空を覆う鳥達も死ぬ時は孤独なのだ。胸のあたりを触ってみるがすでに冷たく事切れているのがわかった。手に乗せてみる。ちょうど手のひらで包み込めるサイズだった。
一度持ってしまうと、なぜだかもうどこかに置くことができなくなってしまった。私とは関係のないところに存在していた生が死を伝って私の手元にある。
仲間と空を飛ぶ姿を思い浮かべた。そして、やがて来る寒さや痛み、キュルキュルと濁った声、動かない身体、悲しみと絶望。
これは死骸ではなく、たった今まで生きていたわずかな残りなのだ。
私は、手で包んだままアパートまで持ち帰った。何かの販促品として貰った手ぬぐいの上に乗せる。
台所からスプーンを持ち出すと、アパートの隅の柿の木の根っこのそばを掘り進めた。
小さな穴で良いと思った。しかし、木の根っこが邪魔をしてなかなか上手く行かない。木は思った以上に深く、広く、強く、生きていた。
スプーンを立ててテコのように使うと表面の土がわずかに割れた。それを繰り返し根っこと土を押しのけていく。細かくなった土はすくって捨てる。しゃがみ込み作業を重ねる。長い時間その体勢でいたせいか膝の裏がじんじんと痺れてきた。腰も痛くなってきたころに手首のあたりまで届く穴になった。
「やっと…」そう呟き、手ぬぐいと一緒に穴に置いた。
ムクドリの身体はさらに冷たく硬くなったようだった。世界から切り離された静けさだ。私は息を整えて土を被せていった。均一な層が積もったところでぎゅっと上から押さえて、周りの土との馴染みを良くしようと試みる。柿の木の枝が揺れ乾いた葉がひらりと落ちてきた。私は土の上にそっとそれを置いて背中を向けた。部屋のドアを開け振り返ると柿の木は何事もなかったように立っていた。
ここに1つの死があり、手の中からどこか、それがどこなのかわからないが、新しい場所へ移せたという感覚があった。
汚れたスプーンとカサついた指先。皮膚の裂けた部分がひりついて刺激が身体をのぼってくる。生きている身体とはこんなに敏感なものなのか。
シャワーを浴びて、すぐに布団に入る。胸の内側で生のざらりとした温度と死の冷たい沈黙がまるで同じコップにある水と油のように混ざり合わずに揺れていた。こうして、この街での私の最初の埋葬が終わった。
Mechanism Gray @kamonohashinoopo
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