Mechanism Gray
@kamonohashinoopo
寒椿と錆びた鉄
彼女は平等を重んじる人だった。
自分の若さと肉体そして容姿の社会的な価値を知っており、僕と寝るのは代償を払うためだった。
「こんなことをしてくれるのはあなたしかいないの」と彼女は言う。それは性的な意味ではなく、代償を負ってくれるのが自分しかいないという意味だ。お金で解決できないこともなかったが、それは嫌がった。「それじゃあ、行政が雇う業者と変わらない」とのことだ。
彼女にとってそれは生と死の境界線を知ることであり、喪失であり、救済であり、依存なのだ。
彼女は自分のことはあまり語らなかった。内面を知る機会は限られていたが、見た目はかなり良いのだと思う。重めの髪で隠しているが一つ一つのパーツがよくまとまっており、主張が控えめ。ただ、黒目が大きい目だけはまるで夜の井戸のようで、見つめられるだけでこちらから話さずにいられなくなる。小柄な身体は軽やかで動けば夏の午前に漂う光の粒のようであり、じっと立っている姿は寒椿のように冬の寒さの中でも色を落とさない凛と咲く花だ。
20代なのは間違いないが、そんな両極端な雰囲気からか正確な年齢を推し量ることはできなかった。
左手で鼻の頭を撫でるくせがあり、それは小さい頃に一輪車で転んで鼻を骨折したせいだと言っていた。
秘書が用意した事務のバイトとして彼女はやってきた。もうすぐ産休に入るのでその娘が代わりにしばらくは僕の面倒をみてくれるそうだ。勘違いして欲しくないが、僕は会社経営をしているが従業員は秘書しかいない。そして、もちろん秘書のお腹の中の子は僕の子ではない。秘書の業務には当然ながら僕の性処理は含まれていない。
引き継ぎを終えひとりで業務をするようになったある日。簡単な備品の買い出しを終え事務所に戻った彼女にお帰りなさいと言いかけ目を丸くした。彼女の腕には袋に入ったコピー用紙とぐったりした猫が横たわっていた。
「どうしたのそれ?」と聞くと「道で死んでいた」と言う。そうなのかもしれないが、持って帰ってくるのはおかしいと伝えたが、「私はいつもこうだし、これからも動物が死んでたら持って帰ってくると思う」と冷静に言った。「そういう主義なの」と純粋で黒い瞳をこちらに向けて言う。
「この町に来たばかりで埋める場所が思いつかなくて」と話したまま彼女はただ黙っていた。事務所には冷たく錆びた鉄を撫でた時のように血の匂いと死の濃密な気配が漂い始めていた。こういう時は先に話し始めた方が負けなのだが、わかっていても勝負に勝てた例がない。
それに、彼女が間違ったことをしてるとは思えなかった。脳裏に小さな頃に飼っていた犬や猫が浮かんできた、幼き心に寄り添ってくれた家族たち。寿命を全うした彼らは母の優しさのもとで眠り、灰になり実家の墓で静かな時を過ごしている。自分と動物を天秤に置いた時にどうも不均衡な気がした。つまり自分は動物に借りがあるのだ。
気づいたら「埋めるなら手伝うけど」と口に出していた。我ながらさえない言い方だなと思った。
寒い冬の夜で18時でもあたりは真っ暗だった。穴を掘る道具も買わなくてはいけないと思い立ちホームセンターによってスコップとタオルを何枚か買った。タオルは猫に被せるためだ。道行く人たちは死骸をみると奇異の目を向ける。「悪いことはしてないのにね」と彼女は言う。現代社会では死は巧妙に隠されている。ほとんどの人が病院で死ぬし、つかの間自宅へ戻ると葬儀場や火葬場へ連れ出される。
セレモニーで死は当たり前でなく異常なものだと処理されるのだ。
「だから、みんな目の前にあるのに無視するのかな?」言葉がなかった僕も普段は無視する側なのだ。
繁華街、住宅街と歩いてみたが猫を埋められそうなところは見つからなかった。そもそも土がない。あっても埋められそうな深さがない。一番有力視された公園の土は硬すぎて掘れなかった。人目も気になる。警察に声をかけられるわけにもいかない。きっと行政での処理を勧められるだろう。それは彼女の本意ではない。都市というのは見事なまでに人に最適化されていて、猫一匹埋める余白さえないのだ。
さて、どうしたものかと歩いていると町同士を隔てる河にぶつかった。確証もないまま土手を降りる。河川敷は広大で一気に草むらが深くなり、そこを抜けると所々がはげて土が軟らかくなっていた。スコップを入れてみると抵抗はあれど掘れないことはなさそうだった。「ここにしよう」と告げると2人の間に少しの安堵感が漂った。彼女には自分のわがままに付き合わせているという思いがあり、僕は上手く適切な場所を見つけることができない情けなさがあった。
悪いことはしているつもりはないが、それでも誰かに見られるわけには行かないという緊張感が背中に張り付いていた。僕らは交代にスコップを土に刺してはあげてを繰り返した。彼女の事務の制服が汚れていく。額には汗が張り付き、頬やあごには次第に泥が舞い、白い肌を汚していった。その主義を証明するかのごとく彼女は嫌な顔せずに淡々と作業をこなしていく。こういう夜を何度も経験してきたのだろう。その時その時で手伝ってくれる人を代えながら。
川の流れがゆっくりとうねり、時折冷たい風に運ばれて水鳥の鳴き声が聞こえる。
途中身体が冷えるの嫌がり僕らは枯れ木を集めて火をつけた。手袋もない僕らの手はがしがしに固く感覚がなくなっていた。休んでるものが手を温め見張りをする。もう1人が掘り進める。僕と彼女の体力の違いから均等に時間を分けるというわけには行かなかったが特に不満はなかった。誰かのためと意識はもはやなくなっていた。
2時間弱かかり、1メートルほどの穴が出来上がるとタオルでくるんだ猫をそっと入れた。土を戻し、上からスコップで叩き固めていく。
途中で、この場所で良かったのかと思わないでもなかったが洪水などで流されてしまったとしてもそれはもう自分の手の届かない話だと割り切ることにした。
最後の土をかぶせ振り向くと泥だらけの彼女が手を合わせていた。
最初の晩にしたセックスはおそらくはお礼だった。または共同体として身体に刻んだ烙印のようなものだ。代償という言葉は思い出している今は使いたくない。
河川敷沿いにあるホテルに行くことを提案したのは彼女だった。家からも事務所からも遠く離れてしまっている。悪くない提案だと思った。とにかく疲れていた。ホテルの一室のやたら広い浴槽に身体を沈めているとごく当然のことのように彼女も浴槽に入ってきた。互いの身体を認め、口づけをしてしまえばあとは自動的に手順をなぞり出す。死を意識すると性の匂いにしがみつきたくなる。
乳房を噛み、彼女の小さな悲鳴を聞いた。彼女の指は背中で立てられ浅くない傷を作った。生と死と痛みが混在する行為だった。彼女の中に慎重に入り、隙間を広げ、そして果てた。これは長い夜の1つにすぎないとは思いもしなかった。
次の日、朝起きるとホテルからいなくなっていた。
しっかりと定時に出社し、事務的にテキパキと服をクリーニングに出した。新しい服を着て仕事を進める彼女からは昨夜の匂いはしない。僕も特にそのことについて触れることはなかった。日常の引力に頼り関係性と心を平衡に戻すのだ。手元のカサカサになった指だけが夢ではないことを静かに証明していた。共犯者としての。共同体としての。
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