もう1つの水滸伝-潘姉妹の旅路 

阿月礼

第1部 潘金蓮の日常 第1話 麺屋

 「金蓮、早く麺を運んでちょうだい、お客様がお待ちよ」

 「はい、ただいま」

 いつものごとく、潘金蓮は返答し、この麺屋の主人が作った麺を盆に載せ、卓で待つ客人のところへと運んだ。

 若い20代の女性・潘金蓮は、この麺屋ではちょっとした看板娘のようであり、その美貌に惹かれて、この麺屋に食べに来る男性客も少なくないようであった。

 金蓮には、注文を取り、麺を運ぶのみならず、餃子作り等の仕事もあった。

 朝、昼、晩と、仕事はそれなりに忙しい。

 しかし、忙しくても、自宅にいるよりはマシかもしれなかった。自身で金銭が稼げるので、自身の生活の自信にもなっていた。

 金蓮は、現在の夫・武大と結婚して、1~2年程になるだろうか。しかし、半ば、面白くもない日々である。

 彼女の夫・武大は、

 <大>

という名を持ちながら、うだつの上がらぬ小男であった。餅売りを生業としているものの、あまり、商売にも向いていないらしい。

 市場等に持ち売りに行っても、客に売れない、というよりも、客に都合よく値切られてしまう、ということも少なくない。

 故に、実入りは少ないのである。収入が材料費を下回るということもしばしばであった。

 商売は、支出よりも、収入が上回り、儲けがあってこそ、の話である。

 しばしば、支出が収入を下回っていては、自身の生活を苦しめ、謂わば、

 <首を絞める>

行為に他ならない。

 しかし、武大の日々は、まさに、夫婦2人の生活の

 <首を絞める>

状態に他ならなかった。

 「ならば、一層のこと、他の仕事をしてみれば?」

とも思うものかもしれない。

 しかし、それこそ、うだつの上がらぬ小男たる武大には、他に何かを生業として為すべき能力などあるわけもなかった。他に為すべき仕事もないので、消去法によって、現在の餅売りをしているのが現実であった。

 だが、やはり、商才など、然程無い夫・武大であった。そんな武大による

 <商売>

など、まさに、

 <商売>

の体をなしているとは言えないのではないか。市場で会う客人等から、いいように値切られていることによって、むしろ、

 <収奪>

されていると言えるかもしれない。現に、それ故、家計はしばしば、赤字であった。

 「これじゃ、我々の生活は破綻してしまう」

 これは、妻としての金蓮の胸に重くのしかかる懸念であり、恐怖でもあった。

 金蓮自身も、勿論、この麺屋以外にも、必要とあれば、色々と外出する。市場にも行く。

 <市場>

は、人々の生活のための収入を得るための現場である。多くの場合、市場は賑わっている。生活のためには何かと金銭が要るものである。

 限られた金銭を人々は-普段は穏やかに為されるため、表面上、そのようには見えないものの-奪い合う必要があるのであり、そうした現実に追い回される現場でもあった。

 市場に行けば、様々な声が飛び交っている。金銭という不可欠な

 <生活の糧>

を奪い合うべく、様々な声が高い音量で競い合っているのである。日々の生活は、あるいは、

 <戦争>

と言えるかもしれない。そうした戦争の現場であるとすれば、

 <戦場>

と言えるかもしれない。

 しかし、そもそも、小柄で声も、そう大きくは出せない武大のことである。こうした戦場を、巧みに生き抜くことは難しいのであろう。

 武大の市場という名の戦場での戦いは常に、

 <敗戦>

と言えるかもしれない。そして、武大の敗戦は、家計を赤字にするという経済的苦悩に直結していた。

 金蓮は、日々、そうした現実に追い回されていた。この現実からは逃れられなかった。

 故に、今日の今現在のように、麺屋で働く日々なのである。

 彼女は、主体的に働いている、とも言える。しかし、夫・武大の不甲斐なさという現実に追われているということからすれば、

 「主体的に動いているか」

というと、どうも、疑問が出るようなのである。

 「金連、餃子の出来はどう?」

 「はい、奥様、今、作っています」

 先程、卓上に麺を届けた金蓮は、厨房で小麦粉をこね、小麦粉の塊を作り、さらに、まな板の上で、棒で小麦粉の塊を平らにのしていた。

 「金蓮、この麺、あの卓のお客様のところへ!」

 「はい、只今!」

 金蓮は、すぐに返答すると、指示された卓へと麺を運んだ。今はお昼時なので、しかし、彼女自身も空腹を感じ、麺を口にしたく感じた。

 しかし、働いている時間帯は、客人を優先させ無くてはならない。

 「お待ちどう様」

 金蓮は、麺の碗を指定された客人の卓上に差し出した。

 「お、姉ちゃん、いい女だね」

 その卓の客人の1人が言った。

 「彼女はこの店の看板娘なんだ」

 同じ卓に座していたもう1人の客人が言った。

 厨房から出て来ていたこの店の主人の妻・王婆が自慢げに言った。

 「ええ、この娘は、うちの看板娘なんです。良い娘でしょう」

 「う~む、いい女だ。この女がいるから、俺はこの店に食べに来るんだ」

 「これからも、宜しくお願いいたします」

 王婆は、客人の男性に挨拶した。

 金蓮も微笑し、軽く会釈すると、厨房に戻った。

 無論、さっきの餃子が作りかけだったからである。

 しかし、同時に、嫌らしい笑いを浮かべて、自身を視る男達から逃れたいという気もあった。

 金蓮は、再び厨房にて、餃子の作業に戻った。

 「全く・・・・・」

 先程の嫌らしい態度に苛ついたのか、小麦粉をのす力が強まったようである。そのせいか、平らにした小麦粉の一部がちぎれ飛んだ。

 「あ、いけない」

 金蓮は、自身が、客人に出す料理の作業中であることに改めて気付かされた。

 ここも又、生活のための戦場と言えよう。戦いの資源というべき食材を無駄にしてはならなかった。食材という

 <資源>

を無駄にすれば、王婆は当然のごとく、怒るであろう。

 そして、その怒りは、金蓮自身の生活のための

 <資源>

つまりは、給与に響くかもしれない。

そして、こういう戦いを夫・武大の不甲斐なさ、でもあった。

 それを思えば、彼女の周囲は

 <敵>

だらけ、ということが言えるかもしれない。

 「金蓮、餃子の具合は?」

 「今、作っています」

 金蓮は、自身で平らにのした小麦粉の皮を、手頃な大きさに刻み、そこに肉と野菜の餡を載せ、皮で包み始めた。まだ、昼時なので、忙しい。改めて、それを気づかせるかのように、

 「早く」

という声が、金蓮を急かした。

 「はい、ただいま」

 この台詞をこれまで、何度、口にしただろうか。しかし、これが、忙しい日々を一言

で表現する、定番の言葉である。

 先程まで、

 <ただいま>

茹でていた水餃子が出来上がっていた。

 「金蓮、水餃子は、そこの卓のお客様」

 「はい、ただいま」

 金蓮は、できたての水餃子を皿に載せると、指示された卓へと運んだ。

 「おっ、美味そう!」

 昼時で、その客人も空腹だったのであろう。

 「金蓮、お昼になさい」

 王婆からの休憩の声だった。





















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