新世界自然記
吾作 次郎坊
第1話 生誕
第1話 生誕
目を覚ます。
葉ずれの音が、私の鼓膜を心地よく震わせている。
……おかしい。何も分からない。わかるのは、「自分はススキと呼ばれる存在である」ということだけ。
ここはどこだろうか。何も分からないこの状態は果たして異常なのだろうか。焦ってどうすれば良いか考えるが、考えようにも判断の足しになるような経験も何も無いので、とりあえず起き上がる。身体を起こすと、木漏れ日によって
「アスファルトって何? 駐車場って何?」
なぜ私は、視界に広がる黒いあれがアスファルトだと、なぜそれを白線でもって仕切ったそれが駐車場だとわかるのだろう?見たことも聞いたこともないのに……それを見た事も、その上にいたこともただの1度だってないのに、分かる。
私はますます混乱した。まるで、自分は世界の
「ぁ痛っ!」
突然、手のひらに激しい痛みを感じ、反射的に開いた手を覗き込むと、手のひらにほぼ垂直に、透明ななにかが、血に濡れて突き立っているのがわかる。
「なにこれ……が、ガラス……?」
そこにあるのは確かにガラスだった。小指ほどの大きさのガラスの破片が私の手のひらの皮を突き破っている。ガラスに映った半透明の……恐らく私だろう女性が、
そして、振り返った私の視界に、小さく
……小さな街だ。空を邪魔しない大きさの建物が並ぶ向こうに、田んぼと畑、そしてさらにその向こうに、青い海が、水平線だけを密かに覗かせている。
しかし何か、違和感がある。私は、自分の背後にある場所が、アスファルトでできた駐車場であることを知っているように、「街」というものの知識をどういう訳か持っている。でも、私の知識の中の街は、もっと……音がする。温度がある。息をしていると言ってもいいかもしれない。まるで死人の血管のように、あるべき何かを失っているような、そんな胸騒ぎを覚えながらも、目の前の街を眺める。少し冷たい風が吹いて、私は足の指を握りこんだ。
そうして、街をぼうっと眺めていた私は目を見開いた。心臓が、凍りつく。
ここからそう遠くない場所に見える一際大きな建物……その屋上に人がいる! 余りに遠くて、その背格好までは分からないが、人が1人、屋上の縁に座っている。
あの人は飛び降りるつもりなのだろうか? どうする、今ならまだ間に合うかもしれない……私に、助けられるかもしれない。ならば、迷っている暇は無い!
私はやけに軽い身体を動かして展望台から飛び降り、
さっきまでジオラマのように小さかった目的地のショッピングモールが、私の火照った身体を影に包んでいる。流石に壁を登っていくことは出来ない。あの人が地面に叩きつけられる様子はまだ見ていない。つまりまだ可能性はある。しかし目の前の自動ドアが開かない。自責の念に駆られながらも自動ドアを蹴破る覚悟を決めたその時、
「――誰?」
……やっぱり自分以外にも人がいた、なんて喜べたらどれほど良かったろう。私の最初の人とのかかわり合いは、ドライバーを首に突きつけられての尋問となってしまった。でもこんなところで時間を食っている場合ではない。今こうしている瞬間に、あの人が宙を落下しているかもしれないと思うと寒気がする。
「屋上に人が! 助け行かないと――」
私の首に後ろからドライバーを突きつけている何某かの顔は見えないが、声からして女性らしい。しかし、そうこうしているうちにあの人が飛び降りるかもしれない。何とかこの場だけでも離して貰いたい。
「……何、言ってんの? あんた、敵?」
敵ってなんだ、そんなことは今はどうでもいい。
「敵じゃないです! とにかく屋上に行かないと!」
「動かないで! あんま動いたら刺すかんね!」
首に当てられたドライバーに力が籠る。自分が現在進行形で生殺与奪権を握られていることを理解し、急に恐怖を感じる。
私は心の中で屋上の人に謝り、ひとまず抵抗をやめた。もしかしたら、あの人にもまだ心の準備が必要かもしれない。ひとまず信用を得ようと両手をあげようとしたその時、
「シルベ、あたし見てたよ。その子、多分起きたばっかり」
「はぁ? そんな訳なくない? 起き抜けのやつが全力疾走してここへ向かってくるなんてさぁ」
何が起こってるんだろう。何やら知らない間に後ろにいる人が1人増えている。そしてどうやら私について話している。1人目は「シルベ」2人目は「モモ」と言うらしい。しかし私の首にはドライバーが突きつけられっぱなしなので、おちおち首を回すことも出来ない。すると、2人目の声……高くてハリのある声だが、静かな話し方のせいでハスキーボイスのようにも聞こえる、そんな声だ。その2人目の声が私に近づき、話しかける。
「あんた、なんでここまで走ってきたの?」
「屋上に人がいて、飛び降りるのかなって……だから助けようと思って走って来たんです」
「それ、多分あたし……この子、屋上にいるあたしを死のうとしてるんだと思ったみたい。それで走って来たらしいね。……ごめんね。あたしただ高いところが好きなだけなんだ。」
身体の力が急速に抜ける。どうやら恐れていたことが起きることは無さそうだ。
しかし首筋に突きつけられた金属が離れて居ないことに気付き、再度体が強ばる。
「あの……それじゃあ、このドライバー離して貰えませんか?」
「そういう訳にもいかないよ。まだあんたが敵じゃないって決まった訳じゃないんだから。んー、うちらじゃらちあかないし、モモ、ごめんけどヤタちゃん呼んできてくれない?」
「いいけど……あの人、ちゃん付けで呼ぶ感じじゃなくない?」
「いいからいいから。話できる人呼んでこないと」
「ん、わかった」
モモ、と呼ばれた方が、どうやら私が屋上に見た人らしい。すると、そのモモが、私の視界を通り過ぎていく。
……私より一回り小さい背丈の女の子だ。少し大きめのオレンジがかったベージュのコートを羽織り、グレーのタイトなズボンを履いている。短いボブの白髪が、末端に行くにつれて黒くなっていって、グレースケールのグラデーションを描いている。1歩を踏む度にどこかから、ちりちりと囁くような金属音がする。彼女は依然ドライバーを突きつけられて動けない私をちらと見ると、柱を挟んで向こうの、ガラスの割れたドアからモール内へ入っていった。
背後のシルベが少し退屈そうにしているのを背中で感じながらしばらく待っていると、モモが戻ってきた。その後ろには、黒い影が1つ。
それは長身の男性だった。黒い衣服、黒い瞳、黒い髪……ただ、前髪の一房の銀髪と、身につけられたキラキラしたアクセサリーだけが彼に色彩を持たせている。彼が「ヤタちゃん」だろうか。確かにちゃん付けするような感じではない。
そんな呑気なことを考えていると、黒い瞳が、私を捉えた。私が誤魔化すように少し笑うと、彼が口を開き、高いのに少し嗄れているせいで低く聞こえる、そんな声で話しかけた。
「ようこそ……突然だが、君は何かな?」
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