第2話 罵倒る! 激辛ドラゴンラーメン (後編)
「ひでぶっ! あべしっ!」
「うわらば! ちにゃ!」
「ぱっぴっぷっぺっ! ぽお!」
「ははしゅ、はしゅしゅ、はしゅ~!」
また一人と、戦士たちが断末魔を上げながら倒れていく。店内はさながら世紀末の様相だ。大丈夫かこの店。
メニュー表を持つ手が震える。私はここにきて迷っていた。
〈辛さは13段階まで調節できます。初めて当店でお食事される方はまず1~3段階でのご注文をおすすめいたします〉
〈体調の優れない方や心臓の弱い方は、10~13段階への注文を控えていただきますようお願いいたします〉
いや、何を迷うことがあるんだ。当然3段階目だ。
当たり前じゃないか。初来店の私のために、店側は優しく案内してくれている。ならそれに従うのみだ。
「すいませーん」
(来るなよ、来るなよ、絶対来るなよ……! うわ、やっぱ来やがった!)
「ご注文おうかがいしまーす」
元カレの今カノがオーダーを取りに来る。だが事を荒立ててはこいつの思うツボだ。私は平静を装って注文する。
「
「はーい、辛さはいかがしますかー」
「3段階で」
「はい、13段階でよろしいですかー?」
「……? 3段階で」
「はい、ですから13段階でいいですかー?」
こいつ、やっぱり仕掛けてきやがった! どうする、
だが答えはもう決まっている。私は言った。
「なめられたもんだね、13だ」
「……13段階ですね、承知しましたー」
「あんた、名前は?」
「
「ろ子ちゃんね、憶えておくよ。そしてこの店を出たら一生忘れておくから」
「……バカな人、あんたも龍の怒りに骨まで焼かれるのよ。あたし、あんたのその醜態を一生憶えててあげる」
「
「ぐぐ……! はーい、少々お待ちくださーい」
ろ子は一旦、龍の巣に引き返した。
「あぐあ! もう舌も喉も胃も限界なのに、あまりの旨味に箸が勝手に!」
隣のおじさんがガタガタ震えながら麺をすすっている。
本当に大丈夫か、この店。
🍚 🍜 🍛 🥪 ☕ 🍗 🌭 🍹 🍡 🥗 🍔 🍣 🥞 🍦 🍮 🍺
「こちら、『13階段らーめん』になりまーす!」
とうとう来やがった。店内がざわめく。
私の前に置かれたラーメンは赤一色で
13段階を頼んだ場合、なんとも物騒な名称に変わるらしい。処刑台への階段を上った先には龍がいて、さしずめ私はその
「それではご・ゆっ・く・り♪ お召し上がりくださーい♪」
ろ子は嬉しそうにそう言って下がった。あとは高みの見物ってわけだ。
だが私はもう下がらない。卓上の箸を取った。
「おい姉ちゃん、大丈夫か……?」
斜め後ろからおじさんたちが声をかける。私は首を横に振る。
「集中します。お静かにお願いします」
「そいつを完食できたやつは一人もいないんだぜ! 今からでも、もう少し辛さ下げた方が……!」
パンと、手を合わせた。おじさんたちが黙った。
───いただきます。今日は
私は辛いものを食べる時、ルールを一つ決めている。
それは、心の中で罵倒しながら食うというものだ。それが激辛へのマナーでありモラルだ。
元カレに眉をひそめられようが、同僚の香里に「バカかお前は」と罵倒されようが、この作法を編み出した高校2年の頃から変わらないマイルールだ。
ちなみに親にも話したら「そこに座れ」と言われ、2時間説教された。あの屈辱の日以来、このルールを人生の鉄の掟にすることに誓った。
何もふざけているわけではない。この方法である程度の辛さを中和できることは実証実験が済んでいる。香里にやらせたところ、「バカかお前は……!」と涙目になっていた。その効果に感動して泣いていたのか、ただ辛くて泣いていたのかは確認が取れなかったが、たぶん前者ということにしている。
さて、そろそろ参ろう。
だがまずはセオリー通り、スープからだろう。れんげでまずは
赤い、ひたすらに。具を少し動かしただけで、そこに封されていた熱々な湯気が香り立つ。辛いと熱いはセットだ、食べる前からこちらの胃も熱を帯びる。
赤黒いスープには粘度があり、舌にまとわりつくタイプと見た。麺は平打ち中太のストレートで、箸で引き上げた際に麺同士が密着して真っすぐになり、それが
具はオーソドックスなところで、チャーシューに煮卵にメンマ。そこに盛られた糸唐辛子に白髪ねぎともやし。あとはにんにくチップがまぶしてある。全貌は把握した。
攻略の鍵となるのはまず煮卵だ。どんな激辛ラーメンにおいても、煮卵のまろやかさは箸休めとして機能する。チャーシューもありがたいことに、脂身がたっぷりの分厚いタイプだ。この脂身の甘みも避難所として活用できる。
だが一も二もなく、まずはスープ! 私はれんげでそれをすくい、手始めに一口すすった。このファーストインパクトで度量を図る。まずは舌を慣れさせることだ。
(ん……? そんなにいうほど辛くな───)
───────────いわけがないだろうっ! ゲホッ、ゴホッ!
「大丈夫か、姉ちゃん!」
辛いものを食う時の鉄則、時間をかけてはならない! 私は箸を取って麺をつかんだ。一気にそれをすする。
「ゴフッ!」
「おいおいおい、やっぱ無茶だろ! 店員さん、止めてやれ!」
外野は黙ってろ! 慌てふためくんじゃあない!
久々で忘れていた、辛い麺をすすってはならない! こんな基本中の基本すら忘れるとは最悪の出だしだ。だが作戦に変更はない、進軍開始だ。食い進め!
「おお、持ち直したか……」
「ふふ、見物ね。果たしてどこまで善戦するか……」
激辛料理とはつまり、辛味の中に隠されている“旨味”の糸を間断なくたどり続けられるかどうかがすべてだ。
辛ければ辛いほどに、人間の舌はその地獄の中から旨味という一条の光を求める。その手綱を死ぬまで離すな! 離せば最後、このスコヴィル値に舌が
旨味はどこだ⁉ 麺とスープを食いながら探す。
まず見つけたのは、圧倒的な豚骨の旨味! この豚野郎、毎度毎度ご苦労さん! 今日もてめぇのツラぁ
そこに相乗効果で香り立つのがスパイスどもの隠れ兵! 唐辛子はもとより、生姜と
熱い! 全身の血液が沸騰してる! 加速してる! これがギア
「おい、もう半分いったぞ……」
「いや、ペースが早すぎる。無茶だ……!」
雑音なんて気にするな! 自分の人生だ、自分のことは自分で決めろ!
次に何を食うか、どこで煮卵を挟むか、麺をすする速度もスープの貯水コントロールもすべては自分で決めろ! それができないやつには何の成功も勝利も得られない! 臆病になるな、今に集中しろ!
明日の会議も忘れろ、何もかもが不透明なこの時代を
───だけど私が今、お前に特別に教えてやる! それは未来も過去も忘れるためだ! この龍の怒りが貴様にわかるか⁉ 今を生きろと言っとるんだ!
全身の毛穴から汗が吹き出し、口内はジンジンと痛み、目玉も鼓膜も水分が蒸発して煙が出るほど熱くなる! 生命が躍動しておる! 忘れてんじゃねぇのか日本人! あんたが最後に“今”を生きたのはいつのことだ⁉ 私は今だ、過去も未来も気にしちゃいられないこの今を生きてるんだ!
美味い! ふざけるな店長呼べ!
辛い! ふざけるな元カレ呼べ!
美味いけどいちいち辛い! あ゛あ゛あ゛辛い辛い
「か……」
「完食した……⁉ スープまで……!」
「そんなバカな……! ありえない!」
「ごぢぞう、ざまでじだ……」
ダンと丼を置き、箸をバシと置く。そんで水をぐぅぅぅっと! ああ、結局これが一番美味いまである……!
申し訳ないが、今一度罵倒したくなった。
🍚 🍜 🍛 🥪 ☕ 🍗 🌭 🍹 🍡 🥗 🍔 🍣 🥞 🍦 🍮 🍺
「ありゃあとやっしたーっ!」
店を出ると、すぐに冷気が身体に染み込む。だがそれも表層だけだ。
今の私はたぶん40度ある。本気で熱が出たかもしれない。美味かったけど疲れた。辛いものを食べた後はいつも後悔する。
だけどきっとまた、
「あの、また来てください美口さん!」
背後からろ子の声がした。ろ子は叫んだ。
「あたしもう、あいつとは別れたんです! あたしもあいつに浮気されて……!」
涙声になっていたが、私は振り向かない。その代わりに答えた。
「いや、もう来ないからねー……」
「そう、ですか……そうですよね……」
「……しばらくはね。じゃあまた、土根房ろ子ちゃん」
「美口さん……! いや、レイさん……!」
これまでにないほどの険しい闘いだったが、私の勝ちだ。
いや、やはりこう言い直そう。
今夜は私の辛勝だった。龍はこの現代社会に怒っていたのだ。私は辛くもそれを受け止めることができたのだ。
しんと冷える冬の夜風が、
「ふっ、べらぼうめ……」
だが今はこの疲労感が、私の明日を妙に元気づけるのだった。
美味レイ賛 ~美口未礼の徒然グルメ~ 浦松夕介 @uramatsu
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