境界のまなざし -6-
男は私と姉を集めて言う。
「武術を教えてやる。」
嫌そうな顔をする姉。構わず男は続ける。
「お姉ちゃんは今後、必要なときもあるだろうから護身術は出来るようになっておくべきだ。」
「…お前は論外。弱すぎる。ほんとに俺の子か?」
私を蔑んだ眼で見る。『お前の子じゃなかったら誰の子なんだよ』と心の中で悪態を付きながら耐える。
とりあえず「何をするにしても基本は身体作りだ」、と思ってたよりもしっかりした理論からまずは、数キロのランニングから始まり
10回✕3セットの腕立て、腹筋、背筋、スクワット、懸垂、
逆立ち数分
そして柔軟。
そういうところから始まった。
こう書くと案外普通だなと思うかもしれない。しかし思い出して欲しい。私はその当時5歳、姉は7歳、更に私はロクにご飯食べれていないガリヒョロ。
そんなオーバーワークについていける身体など無いのだ。
ランニングは姉と一緒にスタートするが当然の如く置いていかれる。
ペースを合わせてくれるような姉でもなくどんどん差は開いていく。
もちろん完走できる体力なんて無く途中で力尽きるがそれでも走らないと終わらない。歩くような速度でやっと帰って来ると、先に着いた姉が涼しい顔で私を見てくる。
「どんだけ時間掛かってるんだ!おまえは!お姉ちゃんはとっくの昔に着いてるぞ!」
飛ぶ怒号と殴られる私。踏ん張る体力も無いのでそのまま殴り飛ばされながら『誰と比べてるんだよ、当たり前だろ』と思いつつ流れに身を任す。
男は私の胸ぐらを掴みそのまま引き起こして、
「そんな強くしてないやろ、ほら立て!」
と強要してくる。立てなきゃ蹴られるだけなのでフラフラになりながらも立つ。
腹筋や腕立ても結局出来ない。出来ないとまた蹴られ、怒鳴られる。
出来なきゃ終わらないので歯を食いしばりそれでもやる。
ここまではまだ良かった。柔軟、これが何よりの鬼門だった。
例えば座ったまま足を前に揃えて伸ばしてそのまま身体を倒す長座前屈。
曲がらない私の背に男は座るのである。男の体重に軋む身体と強烈な痛みを伝える膝裏の筋と尻の靭帯と背骨、あまりの痛みに私が藻掻こうが悲鳴を上げようがお構いなしに座り続ける男。
例えば180度開脚、からの前屈。やはり男は私の背に座るのである。
メリメリと言う限界を感じる股関節、軋む身体。悲鳴を上げる私。
「いちいちうるさいわ、死にゃせんて」
といい平気な顔して座り続ける男。
腹筋とか背筋とかは数さえこなせば終わりがあった。しかし柔軟は違う。何処で終わらせるかは男のさじ加減なのだ。もはややられた側は拷問であった。
男曰く、
「柔軟は大事で怪我をしないように柔らかい身体を作ることは大事」
とのことだが、よく思い出して欲しい。
柔軟する前から男のせいで既に身体はボロボロなのだ。『お前、ふざけるなよ、現状見ろよ!』と言いたいのを心に秘め、柔軟の時間を毎回泣きわめいていた。
当然一通り終わる頃には私はボロボロ、しばらく起き上がることすらままならなかった。
姉はというと、多少苦痛の表情を浮かべることはあるが、何をやらせても卒なくこなしていた。
男が私に掛かりきりだったので姉の被害は少なく済んだとも言えるが…
とはいえ姉のほうが柔軟ですら私よりは柔らかった。結局男の矛先は私に向かう。
ある時、男の見てない時に姉は一言、ぼそっと呟いた。
「ほんと鈍臭いやつ。」
あの時の、殺したくなるような衝動というか同じ苦しみを分かち合え無い絶望というか、どう表現したら良いかわからない胸をかきむしるような苦さは今でも忘れない。
あの時、姉とは決定的な溝が出来た。
そういう日々を数日送っていると、ある日男は竹刀を買ってきた。
「体幹を鍛えるにはこれだ」
と私達二人にひたすら素振りをさせた。姉は相変わらず卒なくこなすが、私は何が違うのか理解できないが
「振りが遅い」
「剣先がぶれてる」
「刃筋が立ってない」
「握り込みが甘い」
そんな言葉をいつも暴力付きで浴びせられてた。
そのうち私と姉の分だった2本の竹刀はいつの間にか3本に増えてた。
…そう1本は男の分である。だが手本を見せる用ではない。
男も私を殴ったり蹴ったりするのは疲れたのだろう。疲れたら止めたら良いのに、私に暴力を振るうのはどうしても止めたくなかったのだろう。
事あるごとに竹刀で私をシバく様になった。
シバくのは大体背中か尻。基本見えない所なのが男の嫌らしさを物語っている。
お陰で私はいつも背中から尻にかけて内出血を起こして腫れていた。皮膚が破れていることもあり、お風呂はしみるし、背中は洗えない。
トイレに行っても座れないし、椅子にも座れない。
身体は熱持つし、仰向けに寝れない。
入院してないだけの入院患者のような状態だった。
とにかくなにかと日常生活で苦労した。
それでもそんな馬鹿の手本のような身体作りをしていていい事が3つだけあった。
ひとつ、
これさえしていれば毎日ご飯が食べれて、お風呂に入れて、布団に寝れる。所謂、人間らしい生活ができた。
ふたつ、
肉体的に鍛えることで、男の暴力に耐性ができた。最初は骨まで来るボロボロ具合だったが段々と内出血や擦り傷、切り傷なんかの表面上のダメージが多くなった。ヒビくらいは入ったが骨折まではいくことは無くなった。
みっつ、
『いつかこの男を殺してやる』という
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