第5話 キャラクター開発部のシルエ

 工房の東棟。

 そこは、夕暮れがいつまでも残っているような色をした細長い部屋だった。


 窓は高く、光が斜めに差し込む。

 机の影は紙束に沿って伸び、壁には人物のラフスケッチが幾重にも貼られていた。

 インク瓶、削れた鉛筆、断ち切られた糸、万年筆のキャップ……

 どれも散らかっているようでいて、誰かが“必要な瞬間”に手を伸ばすためにあえて秩序を壊している。


 その部屋の主は、さほど背の高くない影だった。


 銀のように淡い癖毛が、斜光にゆらゆらと揺れる。

 細い指先が半ば透明なシルエットを紙の上に走らせる。

 彼の名は――シルエ。

 キャラクター開発部きっての、癖のある天才だ。


 といっても、本人にそんな自覚はない。

 彼にとって“キャラを創る”ことは、技術でも仕事でもなく、ただそこにある影に輪郭を与えるような行為なのだ。


 ペン先が止まった。

 シルエは少し浮かせた紙を斜めに傾け、光と影のバランスを吟味する。


「……まだ、生きてない」


 ぽつりと呟いた。


 描いた人物の瞳がどこを見ているか。

 そこに“痛み”が宿っているか。

 何を恐れ、何を諦め、何を求めて歩くのか。

 ――そのひとつでも欠ければ、キャラクターはただの記号になってしまう。


 シルエの世界には、人物が“立ち上がる”瞬間が確かに存在する。

 それは稲妻のような速さで訪れるが、訪れない限りは絶対に生まれない。


「あと一歩なんだけどなぁ……」


 彼はスケッチをくるりと回しながら背伸びをする。

 散乱した紙を踏まないように、つま先立ちで移動した…そのとき。


 部屋の外から、いつもの軽い足音が近づいてくる。


「ねぇシルエ兄さん! 今日のやつ、キャラ決めるの手伝って!」


 案の定、ソウが勢いよく扉を開けた。


 両手に握りしめたアイデアの紙切れをひらひらさせながら、目をキラキラさせて突っ込んでくる。


「ほら見て! 今日のヒーロー、絶対いいキャラになると思うんだよ!」


「んー……いいよ、見せて」


 シルエは紙を受け取り、ちらりと目を走らせた。


 ソウのアイデアはいつもめちゃくちゃだ。

 論理も順番も、読み手への配慮すらない。

 だが、そこには必ず“灯り”がある。


 純粋で、危なっかしくて、でもまっすぐな火花。


 シルエは紙を指先で弾き、静かに言った。


「この子、泣いてるね」


「えっ!? 泣いてないよ!? そんなこと書いてないし!」


「書いてないけど、ここ――行動のところ。これ、傷だよ」


 図を指で示すだけで、ソウの目が丸くなる。


 シルエは続けた。


「たぶん、このキャラは“失うこと”を恐れてる。

 だから強がる。だから軽口を叩く。

 でも……それが弱点にもなる」


「えぇ!? すご……なんで分かるの!?」


「分かるんじゃなくて、見えちゃうの。影がさ」


 ソウはぽかんと口を開けたまま、シルエの背後の壁を見た。


 そこには、スケッチの数々が貼り出されている。

 どのキャラも、まるで本当に生きているように眼に光を宿していた。


 そのとき、部屋の扉の前に別の影が現れた。


「新しい子、見せてもらえる?」


 静かな声。

 世界観設計部のレイナだった。


 インクの匂いを纏い、軽く鉛筆を回しながら部屋に入る。


「ソウがまた面白いやつ持ってきたみたいね。

 で……シルエ、その子の“居場所”はどこ?」


「たぶん……この大陸の南。

 風がよく吹く地方。

 きっとあんまり人に本音を言わない土地」


 レイナは一瞥して頷いた。


「分かるわ。それなら文化的な背景を追加しておく」


 そして、ふとシルエを見る。


「あなたのキャラは、いつも心の奥の部分が鮮明ね。

 どうしてそんなに“痛み”を描けるの?」


 少しの沈黙。

 シルエは、机の上の紙を指先でなぞった。


「……キャラってさ、強さじゃなくて“ここ”が動かすんだよ」


 胸を指差した。


「傷とか、孤独とか、手放せない後悔とか。

 そこが震えないと、キャラクターは動かないし……動けない」


 レイナは静かに笑い、ソウはまた目をきらきらさせる。


「シルエ兄さん、かっけぇ……!」


「かっこよくないよ。ただの癖」


 そう言って、彼はスケッチを手早く清書し始めた。


 ペンが走る。

 影が形になり、線が呼吸を始める。

 ソウの火花は、ここで初めて“人”になる。


 やがて紙の上に、一人のキャラクターが立った。


「――よし。これなら、生きられる」


 シルエがそう呟くと、部屋の空気が少しだけ変わった。

 ソウは歓声を上げ、レイナは満足げに頷く。


「ありがとう、シルエ。今日もいい心臓を作ったわね」


「どういたしまして。

 じゃあ次、この子の“恐怖”と“欲求”を言語化するから」


 工房はお祭りのように騒がしいこともあるが、この部屋だけはいつも静かに人物が生まれてゆく場所だった。


 シルエが紙の束を整え、光の角度を確かめると、

 新しいキャラクターの影がゆっくりと姿を現しはじめる。


 それは、ソウが見つけた火花を、

 レイナが整えた世界の土の上で、

 彼が“生きるための形”に変える魔法の瞬間だった。


 そして今日もまた、シルエは静かに呟く――


「さあ、次の“影”を見つけにいこうか」


 キャラクター開発部の夕暮れ色の部屋で、

 新しい物語の住人が、生まれる音がした。

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