第24話 ただでは済まない学園生活
――気まずい。気まずすぎる。
教室に入ると、騒然としていたクラスメイトたちが一斉に押し黙った。
視線が俺たちへと注がれ、一挙手一投足を見逃さないように監視されているようだ。
そんな異様な視線に気まずさを感じていると、小さな囁きが広がっていった。
注目されている理由は分かる。
昨日、公爵令嬢と二人揃って学園を休み、その翌朝、当然のように二人で登校してきたのだ。興味を持たれないわけがなかった。
「ねぇ、あれってさ……」
「まさか同棲してるとか?」
「結婚じゃね?」
「昨日どっちも休んでたし、ありえる!」
「でも婚約破棄したんじゃなかったっけ?」
教室の隅々からひそひそとした声が飛び交っている。
刺すような視線、あらぬ噂、面白おかしく茶化した発言。
その全てが否応にも耳に入ってきて、居心地が悪くて仕方がなかった。
――何もやましいことはしてないのに。
監禁されて脱出して、そのあと勝手に部屋に侵入されて、同棲することになっただけだ。
やましいとか以前の問題である。
「アスクくん、早く座ろ!」
動揺する俺に対して、サフィラはまるで気にしていないようで、いつも通り微笑みながら自然に身体を寄せてくる。
「なあサフィラ」
「どうしたの?」
「流石に距離が近すぎないか?」
「護衛中だから」
「えっ?」
「護衛中だから離れられないの」
「……あ、そう」
真顔でそう言われて、俺は何も言えなかった。
これはダメなやつだ。何を言っても通じないやつ。
「……………………」
それにしてもクラス中の視線が痛い。
これが世に言う公開処刑ってやつか。
監禁されるのも大概だったが、これはこれで別の意味で厳しかった。
「アスクくん、危ないから他のクラスメイトに視線を向けちゃダメだよ?」
しかしサフィラはそんな状況をまるで楽しむかのように微笑んでいた。
――ああ、ぶどう畑に飛び込みたい。
※
授業は基本的にずっと同じ教室で行われる。
例外があるとすれば魔力操作の実技くらいだろう。
つまりサフィラの目を盗んで悪巧みをするような隙は全くなかった。
いや、全然悪巧みじゃないんだけどさ。ちょっと国外逃亡の計画を練るだけなんだけどさ。
とはいえ、このままサフィラの半径一メートル以内で生活し続けるなんて耐えきれるはずがない。
俺にだって、一人でゆっくりぶどうを眺める時間が必要なのである。
だから放課後になると、一目散に図書館へと足を運んだ。
「何の本読んでるの?」
しかしこの程度で振り切ることなどできるはずもなく、当然のように俺の正面で頬杖をついているサフィラ。
彼女は俺が読んでいる本の表紙を見て尋ねてくる。
「外国の本」
具体的には他国のぶどう品種が網羅されている本である。品種の特徴や栽培されている産地等、大雑把ではあるが丁寧にまとめられていた。
国外逃亡を志す俺としては非常に重要な内容である。
できれば興味のあるぶどう品種が栽培されている国に行きたいけど。
麦芽狂信者が覇権を握っている隣国を除いて、現実的に逃亡できる国は二国ある。
一つがファルブラヴ王国。ここでは南北に長い地形を活かして、地域によって様々なぶどうを栽培している。
北部ではネッピオーロやコルヴィーナ、南部ではフィアーノが代表的なぶどう品種らしい。まるでイタリアである。
そしてもう一つがアルビーニョ共和国。
ここはワイン用ぶどうの生産量がとにかく多い。世界一の栽培面積と称されるほどだ。
代表的なぶどう品種はテンプラリーニョ。
タンニンも酸も豊かで、非常に味わいのあるしっかりとしたぶどうである。黒ぶどうの栽培のほとんどがテンプラリーニョらしく、まるでスペインのようだった。
「どっちもありだな」
どちらもこの国にはない品種だ。未知なるぶどうに遭遇できるという意味では非常に魅力的だった。
というかぶどう品種の名前は現実と同じなんだな。ゲームの世界を元にしているので当然といえば当然だが、個人的には非常に有り難かった。
名前が違うだけで同じ品種というパターンは大変だからな。飲んだだけでぶどう品種を見分けられるほど繊細な舌は持っていないのだ。
「ファルブラヴ王国とアルビーニョ共和国か……」
非常に悩ましい。
とぶどうのことを頭に浮かべながら口角を上げていると、
「どうしたの?」
サフィラが首を傾げたままじっと俺を見ていた。
「他の国にはさ、珍しいぶどうが多いなぁって」
「………………」
返事がない。
それどころか瞬きすらしていなかった。
――まずいな。
確実に何かを疑われている。
このままだと国外逃亡することがバレて、事前に阻止されかねない。
そう思った俺は慌てて口を開いた。
「俺には夢があるんだよ」
誰かを説得する経験などしたことがないので、どうすればいいのか分からない。
でもどこかのワインインフルエンサーが言っていた気がする。
――男は夢を語れ、と。
――夢追う男に女はついてくる、と。
ってあれ? ついてきたら意味なくない?
若干疑問に思いつつも、後戻りはできない。
俺は困惑する彼女に自分の夢を語り始めた。
「俺の夢はさ、ぶどう畑に囲まれてスローライフを送ることなんだ」
「……スローライフ?」
「そう。ぶどう農家になりたいんだよ」
この世界に来てから何度夢見たか分からない。
ぶどうに囲まれて、ぶどうのことだけを考えて、ぶどうとともに一生を終える。
想像するだけで胸が高鳴ってきた。
「でもそのためには他の国を訪れて、色々なぶどう品種を知らないといけない。本の中だけじゃなくて実際にこの目で見て、手で触れて、経験しなきゃいけないんだ。いや、経験したいんだ」
そこまで言ってから俺は彼女の瞳を見た。
「だからさ、サフィラ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
真剣な眼差しで『国外逃亡します』と宣言しようとしたところで、彼女の瞳にハイライトがないことに気づいた。
――あ、これはやばいやつだ。
俺の勘が全力でまずいと警鐘を鳴らしている。もし素直に国外逃亡を宣言したら、監禁どころでは済まないだろう。
場合によっては二度とぶどうを拝めなくなってしまうかもしれない。
そんな最悪の想定をしたところで、咄嗟に俺は軌道修正をする。なるべく彼女を刺激しないように、マイルドな言葉で包み込むのだ。
「――留学したいなって」
「留学?」
「ほら、貴族だとよくあるじゃん。他国に留学してその国の文化を学ぶ……みたいな」
「確かにあるけど……」
「つまり俺もそんな感じで留学したいんだよ」
入学して一ヶ月も経たずに留学なんて、冷静に考えたらあり得ないが、サフィラは冷静な人間ではないので問題ないだろう。
「――留学したいんだ!」
真剣な眼差しで再度呟く。
言葉にも表情にも熱を込めて、全力で意思を示した。
そんな俺の熱い思いが伝わったのだろう。
サフィラは先ほどの疑り深い表情から一転。ニヤリと笑みを浮かべて、嬉しそうに言った。
「もしかしてアスクくん、私と旅行に行きたいの?」
――ダメだった。
全然伝わってないどころか、あらぬ方向に勘違いをしている。
「旅行じゃなくて留学――」
「旅行かぁ……。確かにそれは妙案だね。公爵領から離れれば追っ手は来ないだろうし、もし私たちの身に危険があっても、その土地の領主の責任にできる。まさに一石二鳥だね」
なぜか同行前提のサフィラ。
留学って普通一人で行くものだよね?
二人で行ったら本当にただの海外旅行だよね?
あと旅行じゃなくて留学だからね?
「……………………留学なのに」
頭を抱える俺の隣で、サフィラはすでにスケジュールを立て始めていた。手帳を取り出して、そこに日程を記載している。
「一ヶ月後⁉︎」
「うん。ごめんね。直近だと少しやることがあるから、最短でもこれくらいになっちゃうの」
なるほど。見かけによらず公爵令嬢は忙しいようだ。
「じゃあ俺は先に行って――」
「日程は決まったことだし、次は場所だね」
俺の言葉を強引に遮って、目的地を決めようとしてくるサフィラ。
そこで俺は一つの疑問を抱いた。
「サフィラってこの国から出てもいいの?」
「ダメではないけど……多分すごく面倒くさい」
なるほど。見かけによらず公爵令嬢にはしがらみが多いようだ。
「じゃあやっぱり俺一人で――」
「大丈夫。国内でも旅行にピッタリな場所があるから。すごく良い場所!」
身を乗り出して目を輝かせるサフィラ。
「……すごく良い?」
何やら嫌な予感がする。
なぜならほんの数日前、良い場所があると誘われて公爵家の敷地に連れて行かれた後、監禁されてしまったのだから。
彼女の言う良い場所は、俺にとっては都合の悪い場所なのである。
「いや、俺は宗教上の理由でぶどう産地以外には行けない縛りが――」
「私が開発してるぶどう農園だよ!」
「――よし、今から行くか」
「アスクくん⁉︎」
立ち上がった俺を必死に静止するサフィラ。
「待って。今じゃなくて一ヶ月後だよ?」
「ぶどう農園だろ? そんなの待てるわけないじゃん」
「アスクくん、目がバキバキだよ!」
「ぶどうが! ぶどうが俺を待ってるんだ!」
もはや留学とかどうでもよかった。
監禁も暗殺組織のことも、ぶどうの前では全て同じなのだ。
ぶどうかぶどう以外か。それだけでしかないのだから。
「ぶどう……ああ、ぶどう」
俺の脳内ではすでに広大なぶどう畑に広がる草木の香りが再生されていた。
――ぶどう。
それはこの世界で唯一俺を幸せにしてくれる存在。人類が生み出した叡智。
だから俺は行くのだ。
たとえそこがぶどう農園という名の監禁部屋だったとしても。再び監禁される運命だとしても。
――立ち止まることなど、できるはずがないのである。
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