集積所②
その墓場は、死者を悼む場所ではなかった。産業廃棄物の集積所と呼ぶ方が近かった。
坂本は苔むした石塔に近づき、スマホのライトを手のひらで覆いながら、最低限の明かりで表面の文字を読んだ。戒名はない。没年も、俗名もない。ただ、粗雑な手彫りで番号が振られているだけだった。
『参拾八番 ・ 損壊 』
『四拾二番 ・ 漏出 』
『五拾五番 ・ 廃棄』
墓石ですらない。管理番号だろうか。ここで眠っているのは、かつてあの「布団の中」で蠢いていた子供たちの成れの果てなのだ。厄を吸いすぎて壊れ、用済みになって捨てられた「器」たちの捨て場。
「ひどい」
坂本は怒りで指先が震えた。村人たちは、彼らを人間として扱ったことが一度もないのだ。生まれてから死ぬまで、ただの備品として消費したのだ。
ガサリ。背後で音がした。田所だ。彼は墓石の一つに這いつくばっていた。
「田所さん。何をしてるんです」坂本が振り返ると、田所は墓前に供えられていた泥だらけのブリキ缶――おそらく、ドロップスの缶だったもの――を拾い上げていた。
「あった」田所がニタリと笑った。月明かりに照らされたその顔は、もはや理性を宿していなかった。「ここにもあったぞ。これも運だ。これも俺のものだ」
「何言ってるんですか!それは供物ですよ!死者のものです!」
「うるせえ!」田所はドロップ缶を振った。カラカラと乾いた音がする。「中身が入ってるかもしれねえ。ああ、あっちにもある。あれもそうだ」
田所は立ち上がり、隣の墓石へ飛びついた。そこには腐りかけた野球のボールが置いてある。彼はそれを掴み、自分のポケットにねじ込んだ。「もったいねえ。こんなに運が落ちてるのに。俺が回収してやる。俺が有効活用してやるんだ」
坂本は言葉を失った。この男は、村人に「不幸を持ち帰れ」と強要された結果、逆に「他人の不幸を自分の幸運に変える」という妄想に取り憑かれてしまったのだ。
供物を奪い、ポケットを膨らませていくその姿は、餓鬼そのものだった。
「やめてください!」坂本が止めようと腕を伸ばした瞬間。
ウゥゥゥゥゥ……!低い唸り声が、闇の向こうから響いた。
坂本と田所は凍りついた。墓場の入り口、杉林の影から、二つの光る目が現れた。 犬だ。痩せこけて肋骨が浮き出し、毛が抜け落ちて皮膚がただれた、大型の猟犬。 首には太い鎖が巻かれ、その先は闇の中へ続いている。
「見つけた」 犬の後ろから、ぬらりと人影が現れた。村の青年団の一人だ。手には鉈を持ち、頭にはヘッドライトを装着している。
「ここか。墓荒らしとは、いい度胸だ」男がライトを向けた。強烈な光が二人を射抜く。
「ひっ!」田所が悲鳴を上げ、拾い集めた遺品を抱えて後ずさる。
「逃げろ!」坂本は叫び、墓場の奥へと駆け出した。田所も慌てて続くが、ポケットの荷物が重いのか、足取りが遅い。
「行けっ! 食い殺せ!」男が鎖を放した。ギャウッ!猟犬が弾丸のように飛び出した。飢えた獣の速度は、人間の足など問題にしない。
坂本は必死に石塔の間を縫って走った。だが、狙われたのは坂本ではなかった。 遅れていた田所だ。
「うわっ!来るな!あっち行け!」
田所が叫び、とっさにポケットから何かを取り出して投げつけた。さっき拾った野球ボールだ。ボールは犬の鼻先をかすめ、墓石に当たって跳ねた。
犬は一瞬反応したが、すぐに標的を田所の肉に戻した。
ガブッ!
鈍い音がした。犬の牙が、田所のふくらはぎに食い込んだのだ。
「ぎゃあああああああ!」絶叫が夜の山に木霊する。田所は転倒し、地面をのたうち回った。犬は離さない。首を激しく振って、肉を引き千切ろうとする。
「田所さん!」
坂本は足を止めた。助けなければ。辺りを見回す。武器になりそうなものは――手近にあった折れた卒塔婆を掴む。
だが、駆け寄ろうとした坂本の目の前で、信じられない光景が展開された。
田所が、泣き叫びながら、懐からあの「錆びたミニカー」を取り出したのだ。 そして、噛みついている犬の頭を、そのミニカーを握った拳で殴りつけた。
ガン!ガン!ガン!「離せ!俺の運だ!俺の足だ!減るじゃねえか!」
痛みへの恐怖ではない。「自分の所有物が損なわれることによる運気の減少」への怒りが、田所を突き動かしていた。犬が怯んだ隙に、田所は自由になった足を引きずり、四つん這いで墓場の斜面を転がり落ちていった。坂本がいる方角ではない。 墓場の裏手、切り立った崖の方へ。
「待て!そっちは!」坂本が叫ぶが、田所は聞く耳を持たない。
青年団の男が追いついてきた。鉈を振り上げている。坂本には、田所を追う余裕はなかった。今は自分が生き延びるしかない。
坂本は卒塔婆を男に向かって投げつけ、反対側の闇へ飛び込んだ。そこには、山肌にぽっかりと開いた、コンクリート製の巨大な排水溝のような穴があった。人間が入る場所ではない。だが、追手のライトが背中を焼く今、選択肢はなかった。
坂本はその黒い口の中へ、滑り込むように身を投じた。
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