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 私が転生した世界は、いわゆるザ・異世界。ほうや魔物が当たり前のように存在している、西洋風の世界である。そして私が住んでいるのは、リーフェンシュタール王国の王都にある、ブルームこうしゃくてい

 そう、侯爵。なんと私ことディアナ・ブルームは、侯爵令嬢である。

 あざやかな金髪と深い海のあおひとみを持つ、自分で言うのもなんだが、ちょっとキツめの美人だ。その上出るところは出て、細いところは折れてしまいそうなくらい細い、素晴らしいスタイルの持ち主だ。

 年は十七歳。今は夏季きゅうちゅうだが、貴族の子息令嬢が集まる学園に通っていて、そこにはなんと、ひとつ年上のこんやくしゃもいる。

 けれど問題は、前世の記憶を取り戻す前の私が、とんでもない『癇癪令嬢』だったことで――。


「おねぇしゃま、できまちた!」


 今の自分が置かれている状況を改めて振り返っていると、じゃな声が上がった。


「はい、お疲れ様! どれどれ~? ……うん、かんぺき! さっすがグエン! かしこい!」


 お皿に配られたクッキーを見てにっこりと笑い、えへへ~とうれしそうな弟をぎゅうっと抱き締める。

 ああ、癒やされる。ぐりぐりとそのかわいらしい頭に頰を寄せると、きゃはは! とくすぐったそうにグエンが笑った。

 グエンダル・ブルーム。かわいいかわいい、天使すぎる我が四歳の弟だ。

 私とよく似たサラサラのきらめく金髪に、明るめの青い瞳。くりくりお目めでうわ遣いをされたら、そりゃあもう、お姉さんメロメロになっちゃいますよ!

 そんなチョロい私は、目が覚めてすぐにこのとしの離れた弟のとりことなり、今世の推しはこの子だわ! とそっけつした。前世ではていまいがいなかったから、初めての弟がかわいくって仕方がない。

 早いものであれから一カ月。すっかりグエンとも仲良くなり、こうして毎日穏やかな日々を過ごしている。

 ただ、ディアナが『癇癪令嬢』になった理由は、ここにある。

 グエンは私の腹違いの弟、つまり私とは母親が違う。

 政略けっこんで父と結ばれた私の産みの母が病死した後、後妻としてれんあい結婚でとついできたのがグエンの母、つまり今のエリーゼ・ブルーム侯爵じんだ。

 お父様は、彼女と五年前にさいこんした。当時の私は多感な十二歳。

 りんではなく、私の母親がくなってからふたりが出会ってこいびとになったとのことなのでまだマシだが、そりゃあ色々と思うことがあったわけで。そう簡単に新しいままははと弟を受け入れることなんて、できなかった。

 それから心のすれ違いが続き、私は気まぐれでわがまま放題、癇癪持ちの問題児となってしまったのだった。

 癇癪な私をどうあつかったらいいのか分からないのだろう、お父様はほとんど関わってくることがなくなった。

 この間の高熱が久しぶりの会話だったが、またあれ以来一言も話していない。

 そもそも騎士団長を務めるお父様はいそがしく、あまり家にいないのだ。

 お義母様は優しく話しかけてくれるものの、私の様子をうかがってごこが悪そうに過ごしている。

 前世の記憶を取り戻す前の私は、散々無視をしていたからね……。気まずい上、大体実の父親と娘の仲が悪いのに、継母である自分が出しゃばるのも……という複雑な立場にいるのかもしれない。

 今はつうに話すようにはなったものの、そういうわけで、きょが近くなったとは思えない状況が続いている。

 自分がやってしまったことは取り戻せない。それは分かっているのだけれども……。

 はぁ、と息をつく。


「おねえしゃま、はやくたべましょぉ?」


 きゅるんとした目で見上げられ、思わず顔をおおってりそうになった。ふぅ、危ない。

 それにしても、国どころか世界が変わっても、子どもとはおやつが好きなものである。

 グエンによって丸、四角、星形のクッキーが同じ数だけ分けられた皿をそれぞれの前に置き、こしけた。


「そうね、せっかくグエンが上手に分けてくれたんだものね。ミラ、お茶をれてくれる?」

「はい、お嬢様。おぼっちゃまにはミルクをたくさん入れますからね」

「うん! みら、ありがとう!」


 上品なロングスカートのじょ服を着ているミラは、私よりも三つ年上の私専属侍女。知的な美人さんで、身の回りの世話をこなしてくれる、とても頼りになる存在だ。

 ミラの淹れてくれたお茶は絶品、そして侯爵家の料理人が作ってくれるおも絶品。毎日のおやつタイムは、ゆうぜいたくなひと時となっている。

 ちなみにさすが高位貴族のお抱え料理人、お菓子だけでなく料理ももちろん絶品である。

 朝・昼・夜と三度の食事では、これまた贅沢な思いをさせてもらっている。しいだけでなく、ゆったりと食事がとれるというのも、大変ありがたいものだ。


 前世では、普通の会社員ならきゅうけいであるお昼ご飯の時間が、保育士にとっては戦場。

 好ききらいする子、ポロポロゆかに零す子、箸が上手く持てない子。色んな子がいる中、はいぜんして、食べさせて、後片付けさせて、みがきさせて、そうして。その合間にかき込むように食べる給食のしるものは、毎日冷たい。

 おやつの時間だって油断はできない。

 お茶ならまだいい、牛乳を零して周りの子にまでがいおよだいさんになった日には……。

「噓でしょーっ!?」とさけびたくなるのを何度まんしたことか。

 服をよごせばえさせなくてはいけないし、牛乳はさっとくだけではにおいが残る。何度も水道と零した場所を往復しなければならない。

 パートのおばちゃんが面倒くさがっておうちゃくした時は大変だったなぁ……。しかも夏場だったからさ……次の日の臭いの残った保育室は、ごくだった。

 あ、なんかそうとうのように思い出したら、頭が痛くなってきた……。


「おねぇしゃま? たべないの?」


 はっと気が付けば、グエンが両手で持ったクッキーをほおりながら、こてんと首を傾げていた。か、かわいい……!


「ううん、食べるわよ。美味しいわね、グエン」


 はぐはぐとしゃくしながらにこにこ顔をするグエンに、私もほほみを返す。

 ああ、歳の離れた弟、最高!

 心の中でかわいいをれんしながら、前世の苦労を頭のすみに追いやり、グエンとの午後のまったりおやつタイムを楽しむのであった。




「はぁ……。今日も楽しかった」

「それはようございました」


 夜、自室に戻って今日の推しグエンの笑顔を思い出しながらしゅうしんの準備をしていると、ミラがそう応えてくれる。

 私の髪をくミラの声は、しかし温度が低い。ちらりと鏡しにその顔を窺うが、全く考えが読めない。だがなんとなく言いたいことは分かる。


「あなたが私をけいかいする気持ちも分かるけれど……。そろそろ信じてくれてもいいんじゃない? 私が、変わったって」

「なんのことでしょうか。警戒などと、お嬢様のかんちがいではありませんか?」


 一ミリも表情を変えずどうようを見せない鉄仮面の侍女に、くそう……と内心で舌を巻く。

 そう、ミラは私を警戒している。記憶を取り戻したあの日をさかいに、私がガラリと変わってしまったから。特に、グエンに対する態度が。

 前までのディアナは、ていのグエンをし、全く相手にしていなかったのだ。

 けれど、記憶を取り戻してからの私は、ディアナの複雑な感情に向き合い理解しつつも、間違った発散の仕方をしていると冷静に考えた。

 そして癇癪はよくないんじゃない? と、自分の過去の行動を恥じたのだ。そんなことをしてもなにより自分のためにならないから。

 ということで、『癇癪令嬢』、卒業します! と、きっぱり方針を決めたわけなのだ。

 グエンに罪はいっさいないし、なによりめちゃくちゃかわいいし。前世から子ども好きの私としては、このかわいさにはあらがえないっ!


「お嬢様? おたくが済みました」

「あ、ありがとう。じゃあもう下がってもいいわよ。おやすみなさい、ミラ」


 危ない危ない、すっかり意識がミラかられてしまっていたわ。


「……はい、失礼いたします」


 ぺこりと頭を下げて、ミラが私の部屋から出て行った。今はじゃっかんがあった気がするが、大体いつもこんな感じでそっけない。


「もう少し仲良くなれると良いんだけどなぁ」


 ベッドに横たわり、大きなため息をついた。

 この一カ月で、ずいぶんと心の整理はついた。前世に未練なんてありまくりだった。だってそうだろう、よく考えなくてもは幸せだったんだもの。

 家族仲だってよかったし、お父さんもお母さんも、私の話をちゃんと聞いて、意思を尊重してくれた。保育士になりたいって夢もおうえんしてくれたし、ひとり暮らしの私がさびしくないだろうかって、月に二、三回は電話をしてくれた。

 大人としての責任はもちろんあるが、自分のやりたいことをやって、自分を支えてくれる家族や友達がいて、協力し合える仕事仲間がいて。

 それって、ものすごく幸せなことだったんだなって、いまさらながらに実感している。

 ディアナが持っていないものを、たくさん持っていたんだなぁって、思うのだ。

 今でも前世を思うと、泣きたくなる時がある。でも、それだけじゃだめだって、私は前を向くことにした。

 私が、ディアナとして幸せになる、そのために。

 月の記憶を取り戻した今なら、色んな事情があるんだって、大人目線で理解することができる。

 寂しさゆえなおになれなかった気持ちも、わがままや癇癪ではない方法で表現することができる。

 だから心を入れ替えたと分かるように、態度や行動で示しているのだけれど……。


「グエンとは仲良くなれたものの、他のみんながなぁ」


 お父様、お義母様、使用人達とはまだ上手くいっていない。とはいえこういうのは、時間がかかるものだ。

 時間をかけて、『癇癪令嬢』ではなくなったことを分かってもらえるように行動していこう。


「とりあえず、目下の目標は、侯爵家のみんなと仲良くなること! うん、頑張ろう!」


 がばりと起き上がり、えいえいおー! と拳を突き上げる。運動会の時なんかに、子ども達と一緒によくやったなぁとみを零す。

 この世界でも、子ども達と関わる機会が持てるかしら?

 その時は、グエンとそうなれたみたいに、他の子達とも仲良くなれるといいなぁと思いながら、私は眠りについたのだった。

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2025年12月7日 12:00
2025年12月8日 12:00
2025年12月9日 12:00

前世は保育士、今世は悪役令嬢? からの、わがまま姫様の教育係!?(冷徹王子付き) 沙夜/ビーズログ文庫 @bslog

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