⑤
運転席のシートを調整していると隣のヤツが酒とヤニで臭くなった息でキスを迫って来たので押し返した。
ヤツは渋々助手席へ戻り、シートベルトもせずにだらしなくシートを倒し、私に言葉を投げ付ける。
「ちゃんと運転しろよ!」
『少なくともお前の10倍はクルマを転がしているよ!』と心の中で毒づいていると、ヤツはガバッ! と身を起こし、私の前に小さなケースを突き出した。
まだ結納はおろか婚約もしているわけでは無いのに!!
ケースの中身は先日着けさせられた中でヤツの母親が一番気に入っていた元値34万の指輪だった。
私はかなり逡巡して、その指輪に左の薬指を通したのだが、ヤツは私が感極まったと勘違いし、またキスを求めて来て……止む無く私は嫌なニオイで口の中を満たした。
私から鑑定書とケースを回収したオトコは満足げにシートに横たわり、助手席のシートベルト非装着で捕まるのが嫌だった私はヤツのシートベルトの面倒まで見てやって、ようやくエンジンキーを押した。
ハンドルに左手を掛けるとエンゲージリングが目につき、左手そのものが鉛のように重く感じる。
ペーペーの頃の乗り回したあの“15万キロオーバーの古いライトバン”の様に重いステアリングで私はクルマを出した。
助手席のヤツはすぐに寝入ってしまい、大いびきと共にクサイ息を吐き出し始め、私は窓を左右薄く下げ、ようやくと息が付ける状態。
本当に本当にため息しか出ない。
私はダメで贅沢なヤツ??
ナビにクルマを預けながら自問自答する。
こんな風に私の人生の一端をコイツに預けるのが良い事なのか? と……
「ああ! この先にちょっと珍しい焼き肉屋があるんだよな~ 何度か一人っきりの祝勝会をやったっけ……」
ふいにこの言葉が頭に浮かぶ。
そう! この辺りはかつて私のフィールドだったんだ!!
私は反対車線の無人のガソリンスタンドへ右折でクルマを入れ、自分のカードでガソリンを満タンにし、灰皿もキレイにした。
クルマを出すとナビが喚き出したのでうるさいから切ってやった。
そう! “今朝見た夢”と違って……
今の私は駅への道を知っている。
駅前のロータリーにクルマを留めると、私は左薬指の指輪を引き抜き灰皿へ捨て、助手席で爆睡しているオトコごとクルマも乗り捨てた。
そうして電車に揺られながら、ヤツの番号を着拒した。
おしまい
灰皿に捨てたもの 縞間かおる @kurosirokaede
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