記憶喪失になった。曇った目をした美少女たちに、「キミは世界を救った勇者なんだよ」と告げられた。

古湊ナゴ

プロローグ 長い旅路の終着点

 あぁ――――長い、本当に長い旅路だった。


 だけど、最高の旅ができたと思う。

 聖剣を引き抜いたあの日に、俺の……いや、俺たちの旅は始まったんだ。

 かけがえのない仲間たちと出会って、世界中の国を巡った。苦しいこともあったけれど、笑顔に満ちた記憶も残せた。どんな困難を前にしても、絆と勇気の力で乗り越えてきた。あらゆる強敵を相手に、俺たちは幾度となく勝利を掴み取ってきたのだ。


 ――フェリナの魔法と優しさが、何度も俺を支えてくれたから。

 ――エルティナの剣術と気高さが、何度も俺を導いてくれたから。

 ――ネクトの弓術と愛嬌が、何度も俺を救ってくれたから。


 ふと目を瞑ると、彼女たちの笑顔が浮かぶ。みんなの存在があったから、俺はここに辿り着けた。何度も折れそうになったけれど、そのたびに立ち上がれた。この瞬間のためだけに、己の命を限界まで燃やし尽くすことができた。

 だからこそ、俺は、


「――――――終わりにしよう、


 剣を、振るう。

 この魔導結界は、あらゆる外部からの干渉を遮断する。

 つまりは、勇者魔王お前の、一騎打ちってわけだ。


 聖剣に、体内の全魔力を――アルジオ=フィルノートの、全てを捧げる。

 文字通りの意味で、全身全霊の一閃を。

 息を、吸って、吐いて。

 繰り出す。


 そして――この物語に、終止符を打ってみせる。


 光が。

 無数の光が、魔王の身体を穿ち貫いて。

 ぼろぼろと崩れ落ち、灰と化していく魔王の遺体に向けて、ざまあ見ろよと言い放って。


 けれど。

 俺の肉体が限界を迎えたのも、同時だった。


(フェリナ……エルティナ……ネクト……勝った、ぞ。俺、たちは――――)


 意識が、だんだんと薄れていく。

 最後に聞こえたのは、少女たちが、誰かの名前を呼ぶ声。



 あぁ……そうだ、そうだった。


 俺は、みんな、と。


 約束、を――――――――、



   × × ×


 

 ――――ふと目を覚ますと、そこには三人の美少女がいた。


 ぼやけていた視界が、だんだんと明白になっていく。ぐるりと周囲の状況を確認してみる――おんぼろな造りの木製の天井に、どちらかといえば硬めな感触のベッド。そして、それの上に横たわっている俺。

 そんな俺の周りを囲うようにして、その少女たちは、ただのひとつの言葉も交わさずに黙って座していた。


 ――誰なのだろう、と思った。

 ゆっくりと、少女たちのほうへと視線を向けて、目を凝らす。


「ぁ……っ、アル、くん……?」


 ぽつり、と。

 桃色の髪をした少女が、かすかに言葉をこぼした。

 彼女の青く澄んだ瞳は、奇跡か何かでも目の当たりにしたかのように大きく見開かれていて。

 その白い頬を、一滴の雫が流れていく。

 

「アル、くん……アルくん、アルくん、アルくん……っ!」


 瞬間。

 俺の右手に、ぎゅっと優しい感触が走った。

 そこで初めて、その少女がずっと俺の手を握りしめていたことに気がついた。彼女は両手にぐっと力を込めると、まっすぐに俺の目を見つめてくる。


「っ、アルくん、アルくん……っ、よかった、目が、覚めたんだ……っ!」


 彼女の瞳からは、ぼろぼろと涙が流れ続けていて。

 ……場違いだとはわかっているけれど、可憐な少女だなと思わずにいられなかった。まだ幼さの色濃く残った容姿に、儚げな雰囲気を纏った華奢な体躯。穢れを知らない純白の肌は、天使のようだという表現がぴったり似合う。

 と――そんな桃髪の少女のすぐ隣には、これまた目を惹く美少女が座っていて、


「……アルジオの、ばか。起きるのが、遅いのよ……っ」


 金色の髪を長く伸ばした、高貴な雰囲気を纏った少女だった。

 長いまつげに縁取られた翠玉色の瞳に、やわらかそうな桜色の薄い唇。その精緻に整った美貌は、ひとつの完成された芸術品にすら思えてくる。


「でも……本当に、よかった。心配、したんだからね……?」


 金髪の少女はそう言うと、そっと優しく微笑んだ。どう見たって作り笑いだったけれど、それでも彼女は、心の底から安堵している様子だった。

 そして。ベッドを挟んだ反対側には、美少女がもうひとり。


「――――……はああぁっ。あー、もうっ! アルっちってば、さすがに寝過ぎだってっ!」


 ぷんぷんと頬を膨らませたのは、とがった耳が特徴的な銀髪の少女だ。

 宝石じみた深紅の瞳には、目を合わせた者の心を問答無用に奪ってくる魔性の魅力が宿っている。彼女はその細長い指で、くるくると横髪をいじくり回しながら、


「一週間だよ、一週間っ! どんだけ寝れば気が済むんだ~って、ボクたち、ずっと、アルっちのこと、を……っ!」

 

 冗談めかした口調を涙で歪ませながら、銀髪の少女は唇を噛んだ。


「そうよ、アルジオ。私たち……ずっとずっと、キミが起きるのを待ってたんだからね……?」


 穏やかだけれど震えた声音で、金髪の少女は囁きかけてきた。


「っ……ねえ、アルくん。どこか、痛むところはない……? 何かあったら、すぐあたしたちに言ってね……?」


 潤んだままの瞳で、桃髪の少女は上目遣いで優しく語った。


 そんな三人の美少女に囲まれて、俺は。

 さて――どうしたものか、と思う。


 とりあえず、改めて状況を整理してみることにする。

 目が覚めたら見知らぬベッドの上にいて、見知らぬ天井を見上げていて。


 そして、たちに囲まれていて。


 彼女たちは涙を流したり、手を握ったり、「心配した」と告げてきたり。……少なくとも、これが穏やかな日常の1ページであるはずはないだろう。俺とこの美少女たちは、まず間違いなく、何らかの非日常的な事態に身を置かれているのだと思う。


 いや、それよりも。

 そもそも、


「あー……えっと、その……」


 ……ダメだ、頭が痛い。考えれば考えるほど、ますます激しく痛んでいく。ぐるぐると回る思考が、ぐちゃぐちゃに壊されていくような感覚。

 どうすることもできない俺の脳みそからやがて繰り出されたのは、至極シンプルな、とある疑問の言葉。

 


「――――君たちは、俺の知り合いなのか……?」



 そう、俺が口にしたときには――もう、

 しまった、と思った。もっと冷静に言葉を選ぶべきだったか、と後悔した。

 だけど、もちろん。

 そんなことを今さら思ったところで、何もかもが手遅れで。

 

「……っ、ねえ、アル、くん――――」


 凍りついた時間を動かしたのは、桃髪の少女の、怯えたような声音。

 それでも彼女の瞳には、たしかに一筋の光が宿っていた――そのとき、までは。


「もしかして……、の……?」


「…………はい。そうみたい、でして……」


 俺のその正直な返答が、彼女たちにトドメを刺す形になった。

 少女たちの瞳からは、ついに、最後の光が去っていく。


 さて――どうしたものかな、と改めて思う。

 ぎしぎしと痛む胃の奥底から、深くて重たい息を吐く。


 きっと、たぶん、おそらく、間違いないのだろう。

 どうやら、俺は。

 ――記憶喪失というやつに、なってしまったらしい。

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