第5話「いつも微笑んでいる人」
***
神山に昇り、上に行けばいくほど桜の香りが濃くなった。
何度も巡ってようやく姉のもとに行こうと決めた。
ずっと姉の切ない微笑みが忘れられず、心に針が突き刺さったままだった。
全部姉に返す。
きっと彼と出会ったのはこのためだったと、私は笑って隣を歩いてくれる彼に憂いた微笑みを返した。
足元がだんだんと白くなり、足跡がつくほどに雪が積もるようになった。
汚れを知らない真っ白な雪道の先に、狂ったように咲く大きな桜の木があった。
「お姉ちゃん」
桜の枝に腰かけるのは白い羽衣をまとう姉の姿。
「久しぶりね。……久しぶりなのかな?」
「うん。すっごくね」
何度も巡った命の私に対し、姉はあの時のまま変わらない。
艶やかな長い黒髪に、穏やかな一重の目元、少し大きめの丸っこい鼻に薄い唇。
血色は青白く、身体のラインが全体的にがっしりした印象だ。
私はそんな姉が大好きだった。
笑うと小鳥や蝶々が寄ってくるくらいに甘くやわらかい。
誰に罵倒されようとも決して怒らない。
弱さに誰かを傷つけずにはいられないこともあるものだと、姉は和やかに受け止めていた。
「あら、彼も連れてきたの? また会うなんて不思議な縁ねぇ」
「仕方ないよ。この人、ストーカーだから」
「ふふっ。そうだったわね。私には見向きもしない一途な方だった」
何のことか彼にはわからないだろう。
かつての彼の行動は、今の彼にはまったく関係のないことなのだから。
そしてそう思うのに反し、私は彼に選びなおしを要求する。
「仁頼。私はここで死ぬ。どうか変わらない幸せを選んで」
「何を言って……」
「ずっと後悔してた。お姉ちゃんの好きな人を奪ったこと。私は愚かで醜かった」
一番腹が立つことなのに、私は見た目を使って彼を惑わした。
姉を醜いと思ったことがないくせして、まわりが醜いと言うならばと驕り誘惑した。
誰よりも姉を慕い、幸せを願っていたのに山奥のさみしい場所に追いやったのは私だ。
姉がいなくなったことで、永遠は消えた。
限りある儚き者として”死”をもたらしたのが私であり、その業で私は笑顔を失った。
慈悲なく魂を狩る死神としてでしか生きられない恥ずべき存在だ。
「オレが好きなのは琴葉だ! 琴葉のねえさんがいい人だとしても、恋情とは違うんだ!」
「嫌だ! もう嫌なの! 変わらない幸せがあるのならその方がいいわ! 誰も不幸にならない平穏な時間が必要なの!」
たくさんの罪を見てきた。
死が最大の恐れとなり、絶望する声を聞いてきた。
虐げられ、病や飢えに苦しむ人。
死を恐れながらも死を望む残酷な世界。
私の業がそうさせたのだとしたら、願うのは幸せだと思う状況が不変であること。
死を恐れる必要のないやさしい世界が欲しかった。
「琴葉は変わらないことが幸せだと思うの?」
雪景色と混じりあい、桜の花びらが舞い散る幻想的な世界。
変わることのない穏やかな姉が鈴のような音で問う。
「私が残ったから苦しみばかりあふれる。お姉ちゃんが残れば変わらない幸せが訪れ、みんな恐怖から解放されるもの」
「だとしたら私の考えは違う。変わらないということはチャンスのない世界。もっとも望むべき幸せにはたどり着けない世界なの」
変わらないことは心も乱されず、やさしい幸せを維持できるかもしれない。
「幸せを求めるのが人よ。苦しいのは幸せが恋しいから。幸せならもっと幸せを広めたいと思う。どちらも知り、巡り巡って魂は平穏を得るの」
「だったら私はお姉ちゃんに幸せになってほしいの! もう誰にもお姉ちゃんをバカにさせない!」
何より悔しかったのは姉のことを知らずに見た目だけで石を投げられたことだ。
同じように私は死神となり、石を投げられるようになった。
苦しくて痛かった。
だがそれが私への罰なのだと受け入れ、石を投げられるのが当然だと言い聞かせた。
姉は違う。
石を投げられる理由なんて一つもなかった。
本当に醜いのは何も知らずに姉に石を投げた奴らだ。
そんな相手にも姉は怒ることなく、いつでも相手の幸せを願い微笑んでいた。
姉から幸せを奪ったのは私だと悔い、今度こそ幸せになってほしいと願うのは妹として当然だ。
拒絶しても私の前に現れた彼に、姉を選ばせることですべてを丸く収めたかった。
それもまた、私のワガママであり業の深さだった。
姉は変わらず微笑んだまま、枝から飛び降りると裸足のまま私のもとへ駆けよってくる。
「私は琴葉の幸せを願うわ。それにね、私はもう幸せなの。これ以上の幸せを求めていない。変わりたいとも思ってない」
「どうして……」
「幸せも不幸も私にとって違いがない。あるがまま、変わることのないもの。変われば私は生きていけない。……あなたは違う」
やさしいまま、姉は笑っている。
そう、笑っている以外の姉を見たことがない。
悲しいも苦しいも感覚がないのだと、姉は微笑みで語った。
どうしてこうも慈しむ心を持っているのに、幸せになるべき人が幸せを望まないのか。
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