第四話:京都の女は強い!? 不死鳥怪獣フェニー!!

青森県、特務機関G・青森支部、地下医療施設


 ジーレックは、人間の姿となったカメコとドラコの言葉に、心底揺れていた。

 人間サイズの二人が豪勢な料理を堪能している。カメコは繊細なタルトの甘みに目を細め、ドラコは海の幸の滋味深さに感嘆の声を上げていた。


「なんでや……なんでなんや……!」


 ジーレックは、誰もいないところで唸った。

 彼が口にできるのは、栄養と量を兼ね備えたダイオウイカくらい。それは「美食」ではなく、例えるなら「燃料」なのだ。


「あんな旨そうに食うとこ見せつけられたら、ダイオウイカも味気ないやん……ワイも、リンゴのタルトをさ、優雅にフォークで食べたいやん……!」


 ジーレックは、その「食欲」という個人的で俗っぽい動機から、人間化に傾き始めていた。

 周囲に誰もいないことを確認してから、声をひそめた。


「なあ、ハヤト……独り言なんやけどな?」

「はい?」

「その……怪獣が人間になるのってな、副作用とか無いんやろか?」


 ハヤトは、複雑そうな表情で唸った。


「どうでしょう、ヴァイスが使用した薬物は怪獣を人間にするだけで、副作用のようなモノはありませんでした。二人は非常に健康ですし……」



「あー、難しい話はええねん!」


ジーレックは焦ったように言葉を遮った。


「要は、人間になった後もや、また怪獣に戻れる可能性があるかどうか、ちゅーことや……アイツらどうせ攻めてくるやろ? 怪獣の状態やないと面倒くさいやん……」


 ハヤトは少し考えて、


「我々の技術力では人になった怪獣を怪獣に戻すような、そんな技術はありませんね……」

「そうよな、怪獣を人間にするなんて常人やったら考えんもん。ヴァイス本当に狂っとるわ……」


 ジーレックは静かに言った。


「カメコさんやドラコさんに誘われてグラついているのは、まあ、わかります。本来、ヴァイスとの戦いは我々人類が解決する問題ですしね……」

「せやな……ワイもお人好しやからな、助けてまうもん……」


 今カノと元カノの誘い、怪獣と人間、色々な要素が絡み合って頭が痛くなる。ジーレックは揺れているが、それでも友が願った平和な世界を作る使命があるのだ。



 その時――緊急警報が響き渡った!


「警報! 東京上空、熱源体を確認! 高度一万メートルを飛行中! 推定体長……100m級怪獣です!?」


 ハヤトの通信機から、別の隊員の叫び声が聞こえてきた。


「炎に包まれた翼! あれは……あれは不死鳥だ! 識別コード『フェニー』!」


「フェニー!?」

「ふぇ、フェニーやと!?」


 ジーレックは、顔面を殴りつけられたかのような錯覚に陥った。それは、彼が最初に交際した怪獣の名前だった。


「フェニーちゅーたら……あの自意識過剰で、すぐに炎上してまう京都出身の火の鳥が!?」


 ハヤトは顔面蒼白で、東京の航空写真をホログラムで投影した。そこには、全身を金色の炎で包み、優雅な弧を描きながら東京上空を旋回する、巨大な火の鳥の姿があった。


「ジーレック様、フェニー様の首にザ・ヴァイスの洗脳装置が! 恐らく、ドラコ様の失敗を受け、彼らが用意した新たな怪獣です!」


 美食に傾いていた心を一瞬で怪獣の心に戻した。


「なんでやねん! なんでこう、最近元カノが頻発すんねん!? 元カノ以外に怪獣おるやろ……」


 警報を聞いてやってきたカメコとドラコが、ジーレックの元カノの出現に静かに微笑んだ。


「ほら、ジーレック。まだ怪獣なんだから頑張りなさい、ご飯食べながら待ってるから」

「んだ! カニ鍋ちゅー美味しいの食べて待っとくちゃ♪」


 二人はジーレックの怪獣としての実力を知っている。理由は簡単、彼女達は彼と恋愛関係だからだ。

 ジーレックは人間になるという甘い誘惑を断ち切り、決意を固めた。


「しゃあない! 人間になるんは一旦保留や!!  ハヤト! ワイは今から東京に向かう! フェニーを説得してダイオウイカでイカ焼きパーティーや!!」


 ジーレックは再び日本の守護神としての使命を背負い、青森の海を割って、炎の不死鳥が待つ大都会東京へと向かうのだった。




青森から東京へ


 ジーレックは、人間の姿になったカメコとドラコを青森支部に託すと、その巨体を海に投じた。彼の進む速度は、焦りと怒り、そして愛が混ざり合い、結構ドロドロしていた。


「ホンマなぁ、地方に転勤なったら終身やないんかい! 東京戻り過ぎや!!」


 彼の心中は不満で爆発寸前だった。


「ワイは大阪出身やし、ほんまは大阪でタコ焼き食うて暮らしたいんや! なんでこう、元カノの尻拭いで、毎回毎回東京出張させられんねん……人が少ない場所から進行してこんかい!」


 自らの愛憎から生まれた怪獣トラブルなのに、全てを組織のせいにして愚痴をこぼすのが、ジーレック流のストレス解消法だった。彼は、今度こそこの問題を永遠に終わらせると固く決意する。




東京都心上空


 ジーレックが東京湾から上陸した時、都心はすでに熱地獄と化していた。


 空を旋回する巨大な不死鳥、フェニーは、全身から金色の炎を噴き上げ、その翼のひと振りでビルを溶かし、アスファルトを蒸発させていた。彼女の熱はドラコの雷撃とは違い、全てを灰にする純粋な高熱だった。


 ジーレックはその優雅ながら、しかし容赦のない姿を見て、過去の記憶を呼び起こした。フェニーは、彼の幼馴染であり最初の彼女。京都の雅と炎の情熱を体現する――誇り高き大怪獣だ。


「フェニー! ワイが来たで! ザ・ヴァイスの洗脳は解いたるからな! 毎回毎回東京燃えとったら首都移転してまうわ!」


 ジーレックはドラコの時と同じく、まず愛の呼びかけで洗脳を解こうと試みた。全身から熱線を放つ代わりに、その巨大な口から、懐かしい名前と京都弁の記憶を叩きつけた。


「お前もドラコと同じなんやろ? 陰気な思想にやられたんやろ!  京都の雅を思い出せ! あの、祇園祭の夜みたいに情熱的やった、お前の心を!」


 しかし、フェニーの反応は、ジーレックの予想を完全に裏切った。


 フェニーは優雅な旋回を止め、その巨大な燃える首を、ゆっくりとジーレックに向けた。彼女の金色の瞳には、洗脳された怪獣特有の虚ろさはなく、深い知性と底意地の悪い皮肉に満ちていた。


 そして、彼女の口から出た言葉は、冷徹な標準語でも、洗脳された機械音でもなかった。それは、洗練された、しかし突き放すような京都弁だった。


「なんや、ウチを捨てた男が来ましたなぁー」


 フェニーの声は、炎の轟音に負けないほど、はっきりと響き渡った。


「捨てたって! 人聞き悪いやろ!?」


 ジーレックは愕然とした。


「ウチ、誰もに洗脳なんかされてへんよ。自分の意志で、この東京を燃やしてまんのや。せやけど、よーこれましたなぁ? 今カノさんと元カノさんが、人間になって仲良くしてはると聞いたさかい、もう守護神は引退したんやと思っとったわぁー?」


 フェニーの言葉は、痛いところを突き刺した。彼女は洗脳どころか、裏事情を全て把握している。

 ――ジーレックの脳内に、衝撃が走った。


「ウソやろ……!? お前、ザ・ヴァイスに協力しとんのか!? なんで……なんでやねん!?」


 組織の洗脳ではなく、自ら望んで敵の手に堕ちた元カノという、どうにも戦いにくい敵の出現に、ジーレックの心は怒りではなく、困惑と混乱に包まれた。




東京都心上空


 炎を纏う不死鳥、フェニーは優雅に翼を広げたまま、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 そして、彼女の口から出た言葉はジーレックの心臓を鷲掴みにする。最も個人的な真実だった。


「あんた……ウチと子供できひんからって別れはったやん?」


 その瞬間、ジーレックの全身から力が抜け、頭の中でカメコがこの話を聞いていないことを神様に願った。

 フェニーの言葉は、彼の恋愛遍歴の中で最も隠したい事実。これが広まればカメコとの甘い生活が吹き飛ぶ可能性がある。


「ウチと一緒やと、どんだけ頑張っても子供が生まれへん。そんなことゆーて、捨てるように逃げたやんか……捨て台詞はなんやったかなぁ? 『ワイには守るべき平和と愛が必要なんや』とか言ってはりましたなぁ……」


 フェニーの瞳は、燃える炎の色をしていたが、その奥には深い憎しみが宿っていた。


「せやけど、あの組織は優しおすなぁー。ウチとあんたを人間にして、子供作れるようにしてくれるねんて。ウチ、アンタんこと忘れとらんからな……」


 彼女の、京都弁特有の柔らかい響きは、その言葉の恐ろしさを際立たせていた。それは狂信的な愛と、捨てられたことへの深い恨みが混ざり合った、女の敵に対する答えであった。


 ジーレックはあまりの衝撃に動くことができなかった。

 ザ・ヴァイスが彼女を利用しているのではなく、彼女がザ・ヴァイスを利用している。それが信じられないのだ。


「あの、いや、えっと……」


 ジーレックは震える声で開き直った!


「ワイがお前と別れたんは、お前が熱くなりすぎるからや! 炎で何でも燃やし尽くそうとする、その破壊的な愛が怖かったんや!」

「愛するより愛されたいゆーとったやんか! ウチあんたんこと愛しとる……あんたがおらんくなって、一人ぼっちで泣いてたんどすえ……! 何が元カノや!? うちは今でも彼女どす!!」


 フェニーは、優雅に宙を舞いながら、宣言した。


「ウチがアンタを倒して人間にする! 人間にした後に彼女はん達を殺して、ウチも人間になって夫婦になるんどす!! 子沢山のハッピーエンドどすえ!!」


 彼女の嫉妬の炎は灼熱に燃え上がり、辺りのビルを黒く焦がしていく。


「ふざけるんやないで!?」


 ジーレックは、怒りで我を忘れ、渾身の熱線をフェニーに向けて放った。


 ――ゴオオオォォォッ!!


 ドラコを救うために使った「愛情の熱線」ではない。これは、守るべき愛と、過去の業を断ち切るための、殺意にも似た怒りの熱線だった。


 しかし、フェニーは不死鳥だ。彼女の全身の炎が、ジーレックの熱線を受け止め、それを自身のエネルギーに変えていく。


「無駄どすえ? ウチは不死鳥。あんたの熱では、ウチを殺せへん。さぁ、ジーレック。愛の勝負をしましょうや。あんたの新しい愛と、ウチの愛。どちらが正しい愛なんか!」


 フェニーは、増幅された炎をジーレックに向けて一斉に放射し始めた。


 ジーレック最大のピンチ! この状況を打開する方法は……。



東京都心上空、


 フェニーの不死鳥の炎は、ジーレックの熱線を吸収し、さらに勢いを増していた。彼女の炎は、ジーレックの全身を焼き、彼の皮膚を焦がしていく。


「あんたの愛なんて、ウチの炎で灰にしてしまえるどす! さあ、ウチの旦那になりなはれ!」


 フェニーは、巨大な炎の塊をジーレックに向けて投擲した。


 ジーレックは、その炎の熱に焼かれながら、痛みよりも、愛するカメコとドラコが殺されてしまうかもしれないという、焦燥感で頭がいっぱいだった。彼の頭脳は、状況を打開するための奇策を必死に探していた。


 そして、ある意味では最強の逃げ道を思いついた。


「フェニー!」


 ジーレックは、渾身の力を込めて叫んだ。


「ワイが人間になったら子供ができるやと? アホなこと言うなや!」


 フェニーは攻撃の手を止め、怪訝そうにジーレックを見下ろした。


「ワイ、本当はメスかもしれへんやろ!?」


 その、あまりに突拍子もない、そして怪獣の性別というタブーに踏み込んだ一言に、東京の空気が一瞬で凍りついた。


 フェニーは、炎を揺らがせながら、絶句した。彼女の愛と憎しみ、そして復讐の動機は、全てジーレックの「オス」としての存在に基づいていたからだ。


「な……な、何を言うてますの、あんた!?」


 フェニーは、数千年の付き合いの中で、ジーレックがそのようなことを口にしたのを一度も聞いたことがなかった。


「真面目な時にボケ倒すのも大概にせーや!!」


 ジーレックは、この一瞬の隙を逃さなかった。彼は、胸を張り、大怪獣らしからぬ関西のノリを全身で表現した。


「ホンマや! ワイのあのデカい熱線はな、オスとしての威嚇やのうて、メスとしての自己防衛本能や! 昔、性別適合手術受けたんや!」

「――そんなわけないやろ!」


 フェニーは、反射的に完璧なツッコミを入れた。


「大怪獣に性別適合手術なんてあるわけないやろ! あんた、ウチの愛と人生をなめてますやんか!」


 フェニーの怒りは頂点に達し、炎は一瞬で白色へと変わった。これは、彼女の持つ最大出力の怒りの炎だ。


「もう、ええわ! あんたの詭弁なんて聞きとうない! あんたは、ウチの旦那様になるしかないんどすえ!!」


 フェニーは、その白い炎を、巨大な火の玉に変え、ジーレックの巨体に叩きつけた。


 ジーレックは、自身のジョークとツッコミの応酬が、逆にフェニーの怒りを増幅させてしまったことに後悔しつつも、炎の直撃を受けた。


「クソォ! ツッコミのキレは昔から変わらへんな!」


ジーレックは爆笑して落ち着いてくれないかと思っていたが、火に油を注ぐ結果になった。少し反省した。




東京都心、炎上の最中、


 ジーレックは、フェニーが放った白い炎の塊を正面から受け、巨大な体勢を崩した。彼の分厚い皮膚すら、その絶対的な熱量には耐えきれず、焼けるような痛みが全身を走る。


「熱い! 熱すぎるわ! ホンマ、お前は昔からな、すぐ感情的にオーバーヒートするんやから!」


 痛みに喘ぎながら、ジーレックはフェニーの瞳の奥にある、狂信的な愛と怒りを見た。その炎は、彼がカメコやドラコと築いた「平凡な平和」という概念そのものを焼き尽くそうとしている。


 ――その瞬間、熱に焼かれる痛みの中で、ジーレックの脳裏に、数千年も前の、鮮明な記憶がフラッシュバックした。それは、彼がフェニーとの関係を終わらせようとしていた頃の、激しい喧嘩の光景だった。


(数千年前の回想)


  ジーレックは、フェニーの止めどない炎から逃れるように、琵琶湖に飛び込もうとしていた。


「あんたぁ! ウチが水苦手なことわかっといて琵琶湖に逃げとるやろ!! 卑怯どすえ!」

「しゃーないやん! フェニーの炎熱いもん!! ワイの皮膚ミディアムレアにされとるやないか! 水で冷やさな死ぬわ!」

「嘘つき!  ウチに冷めとるから逃げとるだけや! どないしてでも追いかけたよ!」

「それが嫌やねん! ワイ、静かに暮らしたいねん!」


(回想終了)


「――これや!」


 ジーレックは、白い炎の熱に耐えながら、戦慄にも似た確信を得た。フェニーは、その不死鳥の特性ゆえに極度の水嫌いだ。

 彼女の炎は水で消えることはないが、水に触れること、特に大量の冷水に晒されることは、打開策になりうる。


「こうなったら水攻め作戦や!」

「ほら! すぐに水んなか逃げる!!」


 ジーレックは、炎の直撃を受けながらも、再び大地に足を強く踏みしめた。彼は東京の地理を思い浮かべた。今いる新宿から、最も大量の水がある場所は――。


「ハヤト! 聞こえとるか!?」


ジーレックは、痛みに耐えながら、特務機関Gに指示を送った。


「もう説得出来ひんし、ワイの熱戦も効かへん! 元カノ殴るんも忍びないしな? 海に行って水際で水攻め作戦や!! 放水車とか用意しといてくれや」

「ジーレックさん! 海までは距離も建物もあります……そこから一番近いのは神田川ですが、フェニーさんを沈静化させるには川幅が……少し先の隅田川なら対処可能です!」

「了解や!」

「逃げるな! この卑怯もんが!!」


 愛する妻と元カノの平和を守るため、「火には水」という、戦いにおける最も単純で、しかし最も有効な戦術を選択した。

 そして、彼はフェニーに向かって、最後の挑発の言葉を投げかけた。


「その根性で追いかけて来てみぃ!!」

「京の女を見くびりなさんな!」


 ジーレックは、燃え盛る不死鳥を挑発しつつ、炎の攻撃を避けながら、水がある場所へと向けて巨体を走らせ始めた。




東京都心、隅田川沿い


 ジーレックは、フェニーの白い炎を避けずに、東京湾へと続く隅田川沿いのルートを猛進していた。フェニーは、ジーレックが水のある場所へ逃げようとしていることに、さらに怒りを増した。


「卑怯どす! あんた、ウチの弱み知って、また逃げとるんやね!」


 フェニーは、ジーレックの進路上に巨大な火柱を立て、逃走を阻止しようとした。


 ジーレックは、その火柱を正面から突破した。全身が焼け焦げるほどの激痛が走るが、彼はひるまなかった。


「逃げてるんとちゃうわ! お前を冷静にさせるためや!」


 ジーレックは、隅田川の巨大な水面が目の前に迫る場所まで辿り着いた。ハヤトからの緊急指令を受けたG特務機関は、消防車、給水車、さらには湾内の船舶まで動員し、川沿いに大量の放水準備を整えていた。


 しかし、ジーレックは放水開始を待たなかった。


 彼は、追いついたフェニーに向かって、両手を広げた。


「潔くやられる気になりましたぁ? これで終いどすえ!!」


 フェニーは、ジーレックに向けて、渾身の炎を浴びせかけた。


「今や!」


 その炎を正面から受け止めたジーレックは、驚くべき行動に出た。彼は攻撃を耐えながら一歩、二歩と彼女の元へ歩み寄り、燃え盛るフェニーの巨体を――両腕で力強く抱きしめた。


「ホンマ、口は冷たいんに、体は熱い女やで!」


 ジーレックの皮膚は、フェニーの白い炎によって激しく焦げ付く。その熱量は、彼の生命力すら奪いかねない。しかし、彼は離さなかった。


 予想外の行動に、フェニーは完全に硬直した。彼女の炎は、熱線のように攻撃的である反面、抱きつかれるという「愛の受け入れ」のような行為に対しては、本能的に制御を失うのだ。


「な、今更抱きついてもあきまへん!」


 フェニーの声は、激しい炎の轟音にかき消されそうになりながらも、動揺していた。彼女は、抱擁の熱と、炎の熱、そして数千年ぶりに触れた愛しい男の体温に混乱していた。


「絶対に人間にして、子供作るんやから!!」


 フェニーは、ジーレックの腕の中で、もがきながら叫んだ。彼女の攻撃の動機は、憎しみではなく、満たされなかった愛の渇望であることを、改めて証明した。


 ジーレックは、耐え難い炎の熱を無視し、フェニーの耳元に、静かだが決意に満ちた声を響かせた。


「残念やけど、それは無理な話や。ワイの生きる道はワイが決めるんや! 束縛嫌やねん!」


 そして、ジーレックは、フェニーを抱きしめたまま、その巨体を隅田川の川面へと、一気に倒れ込ませた。


 ――ドッパァアアアアン!!


 二頭の怪獣が、大量の水を巻き上げ、隅田川の水面を爆発させた。フェニーの炎は、川底の泥水と水蒸気を巻き上げ、東京の空を真っ白な霧で覆い尽くした。


ジーレックの作戦は、抱擁による動きの封殺と、フェニーの弱点である大量の冷水への接触を同時に行うことだった。


 水に触れたフェニーは、一瞬にして力が抜け、その金色の炎は、勢いを失い、弱々しいオレンジ色へと変化した。


「ひゃあ……つ、冷たぁい……!」


 彼女の炎が弱まった今こそ、ジーレックが、この悲しい愛の因縁に、**最終的なケジメ**をつける瞬間だった。



【ザ・ヴァイス秘密基地】


 地球上の秘密要塞。ドクター・ネモは、モニターに映る隅田川の映像を見て、苛立ちを隠せなかった。白い炎は消え、フェニーの活動は弱まっている。


「くそっ! あの水嫌いの京都の鳥**め! ジーレックの奴、元カノ怪獣の個人的な弱点まで把握しとるとは!」


 彼の横で天才科学者ドクター・エリスが冷たく告げた。


「ドクター・ネモ。フェニーはもはや戦闘不能です。作戦目標は『ジーレックの人間化』にあります。弱らせてから人間にする予定でしたが、これまで。フェニーがジーレックに協力する可能性もあります、装置を起動させましょう」


 ネモは、残されたボタンに手をかけた。そのボタンは、フェニーの体内に極秘で埋め込まれた遠隔操作式ヒューマナイズ・ナノポッドの起動スイッチだった。


「……ジーレック。今回のところは私達の負けだ……だが! 次は絶対に勝ってみせるぞ!!」


 ネモは冷酷に呟き、ボタンを強く押した。


 ――ポチッ




東京、隅田川


 隅田川の水中。泥を巻き上げて水面は真っ白な霧に覆われていた。


 ジーレックは、フェニーの眼の前で正座していた。水に濡れたフェニーの炎は消え、弱々しく光る羽が、激しい動揺を示している。


「な、何で正座なんかしてまんのや! あんたの関西人のプライドはどうなってしもうたんどす!」


「うるさいわ! 説得するときは正座やと、昔な? 陛下のおっさんに教えられたんや! ワイ真剣やねん、フェニー」


 ジーレックは、その巨大な顔を、弱々しくなったフェニーの顔に近づけた。


「ええか、フェニー。ワイが昔お前と別れたんは、お前の炎が怖かったのと、ワイが未熟やったんもある。でもな、ワイはお前の情熱が好きやったんや。だから、お前のその愛を、復讐に使うのは、ホンマにアホやで」


 ジーレックは、フェニーの瞳を真っすぐ見つめた。


「お前の愛は、燃やし尽くすもんやない。温めるもんや。ザ・ヴァイスから離れて、お前が幸せになれる道を一緒に探そうや。ワイが守護神として約束したる!」


 フェニーは、ジーレックの真摯な言葉に、涙ぐんだ。彼女の心は、数千年の恨みから解放されかけていた。


「ジーレック……あんた……」


 その時、フェニーの全身の羽が、金色に激しく発光し始めた!


「どすえ……?」


 フェニーの体が、まるで太陽が収縮するように、猛烈な光と共に縮み始めた。翼も、羽も、みるみるうちに小さくなる。


「な、なんや!?」


 ジーレックがパニックに陥る中、フェニーの巨大な怪獣の姿は、ものの数秒で、人間に変貌した。


 彼女のいた場所には、雅な長い赤毛を揺らす、**燃えるような、息をのむほど美人なお姉さんが、ジーレックの手のひらの上で倒れていた。


「う、嘘やろ……?」


 ジーレックは、愛の説得をしようと水中で正座したまま、三人目の人間になった元カノを抱えるという、修羅場の種に直面したのだ。


 ジーレックは、その美しい顔を見て、震え上がった。この人間になったフェニーは、カメコやドラコ以上に「情熱的で面倒くさい」ということを、彼は本能的に理解していた。


「どないすんねん!? カメコに殺されてまうぅぅぅぅ!!」


 ジーレックの悲痛な叫びが木霊した。

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