ひつじ雲の向こう側

石田空

新しい職場 新しい秘密基地

 私鉄に揺られて、車窓の窓から景色を眺める。

 この辺りは私が前までいた場所だったら三十年前の景色として紹介されるようなものが、そのまま残されている街だった。

 地方都市と言えば聞こえはいい。実際は車窓から眺められる景色はコンクリートジャングルで、田畑も緑もほとんど見えないのだから。だけれどひと昔前の一軒家、未だに地中に埋められていない電柱柱、張り巡らされた金網などなど。

 日本人の考える平成の街並みがそのまんま残っているのは、どうも鼻の奥がツンとする。勝手にノスタルジーを感じているのだ。

 きっとそれを口にしたら駄目なんだろうなと思いながら、私は窓から視線を離した。

 もうそろそろ、目的の駅に到着する。


****


 公務員はなんだかんだ言って転勤が多い。どこも人手不足で休職が増えている中、淡々と仕事をするために居座り続けている自分は運がいい方なんだろう。

 私は到着した市役所で、引継書をいただいてから、淡々と仕事をはじめた。

 働きはじめた市役所は、なにやら有名な建築家が建てたものらしく、前に働いたなんとなく小汚いところから一転、地方でもかなり綺麗な場所もあるんだなと驚きながら働いている。

 旧式のパソコンと睨めっこして腰がミチミチと音がし、首や肩もずっしりと重い。この近くには弁当屋がないらしく、自然と財布やスマホを携えて、どこかに食べに行かなければならなかった。


「すみません。この辺りに食べられる場所は……」

「あー、すみません。この間まで市役所にも食堂があったんですけど、潰れちゃったんですよ」

「はあ……そうなんですか」

「はい。どうしても公務員関連の福利って、安くあげようって動きが多くって」


 市民だったら誰でも使えるいい食堂だったらしいが、市役所の中にあるのだから安くあげろ安くあげろとしたら、昨今の物価高に耐えきれなくなり、潰れてしまったんだと。世知辛い世の中だ。

 私は弁当を持ってきていた同僚から、食べられそうな場所を聞き、昼休みまでに往復できる場所を選んで出かけることにした。

 幸か不幸か、私が前に住んでいた場所よりも、少しだけ物価は安い。おまけにこの辺りは地元密着型の店が多いのだから、妙なところでない限りはおいしいだろう。そう思って教えられた店を探しはじめた。


「……うん、駄目だ」


 教えられた定食屋は、地元の会社員が押し寄せて、なかなか入れなさそうだった。おまけにテレビか雑誌で特集でもしていたのか、あからさまに地元民ではない人たちも並んでいるものだから、時間内に食べて帰ることも難しいだろう。

 通りを歩くと、どんぶり屋……中をちらりと覗いてみたら、会社員だらけでせわしない。こちらもなかなか食べられなさそうだった。うどん屋……こちらは近場の店舗の人たちが並んでいて、満席だ。そんな調子で、私はなかなか食事を摂ることができずにいた。

 どうしよう。そろそろ食べて帰らないと、午後の仕事ができない。夕方まで延々とモニターと睨めっこすることを思ったら、なんとしても食べないといけなかった。

 そんな中。やけに薄暗い店を見つけた。


「うん?」


 隠れ家的と言えば聞こえはいいが、ガラス張りの壁面にしては、色ガラスは全く透けていない。トタン屋根は古く劣化し、本来だったら青かっただろうに、どことなく煤けた印象を受けた。一応色ガラス越しに店内を見たものの、薄暗いと思ったからなのか、客は誰もいないようだった。

 ……ここだったら、急いで食べて帰るくらいはできるだろう。そう判断して、私は中に入った。

 昔ながらのカランと鐘の鳴るドアだった。


「いらっしゃい」


 この辺りの方言混じりの挨拶に、私は小さく会釈した。

 中は昔ながらの喫茶店とバーと定食屋をごちゃごちゃと混ぜた印象の店だった。昔ながらのアルコールランプで淹れるコーヒーマシンとか、キッチンの天井にぶら下がっているグラス各種とか、流れてくるジャズピアノのメロディーとか。平成の人の考えたシティーポップという印象そのものであった。

 私がしばらく呆気に取られて店内を眺めていたら、店主らしき人がメニューとお冷やの入ったグラス、お手拭きを持ってきてくれた。


「なんになさいますか?」

「ええっと……昼休み中にどれだったら食べ終えられますか?」


 出ているメニューにはランチタイム専門のメニューはなさそうだったので、そろっと尋ねてみると、すぐに笑って教えてくれた。


「サンドイッチセットだったら、すぐお出ししますよ」

「それなら、それでお願いします」

「かしこまりました」


 そういいながら、店主は本当にすぐに出してくれた。

 サンドイッチはシンプルな卵サンドにハムサンド、添えて出してくれたのはミネストローネスープにコールスローサラダだった。ひとまず私はサンドイッチを食べる。


「……あれ、おいしい」


 思わず声に出してしまった。

 多分作り置きだし、可もなく不可もない味なんだろうと高をくくっていたのに、パンがふわっふわだし、それでいてまとまりがない訳ではなく、具の味をしっかりと引き立てている。卵のまろやかさも、ハムの塩気もきっちり受け止めているサンドイッチは、ただただおいしかった。

 そしてミネストローネスープ。ひと口飲んだら「こんなもんかな」という味なのにもかかわらず、気付けば空っぽになるほど、飽きの来ない味だった。コールスローサラダだってもっとパサパサした感じだと思っていたのに、夢中で食べるほどにおいしい。

 店主さんは「ありがとうございます」とだけ言った。

 最後に出されたコーヒーも異様においしく、値段を払ったらこの辺りの値段はかなり安いとは言っても破格の安さで、それでいて店に人がいない。

 大丈夫なんだろうか。私は心配になりながら市役所に戻っていったのだった。


****


 ひつじ雲が漂っている。

 ひつじ雲って雨だって晴れだっけ。昔、雲から見る天気予報の本を読んだと思ったのに、いまいち思い出せない。

 市役所で市民税の問い合わせを受けたり、未払いの話をしたり。そんな問い合わせでくたびれた心身を、あの店はいつもいつも受け取ってくれていた。

 意外だと思ったのは、あの店は元々一番混んでいる時間帯はモーニングだということ。そして更に意外だったのは、ここが元々はコーヒーのおいしい店をしようと思っていたということ。


「まさか一番受けるのがサンドイッチというのは盲点で」

「ものすごくおいしかったんですけど……あのパンはいったい?」

「うちで焼いてます。うちで出すコーヒーに合うパンと思って焼いていたら、まさかそれが一番人気になるとは思わなかったんですよ」

「でもここ、昼間来ないですね?」

「いえ……だいたいの人、うちでモーニングの時間に出してるサンドイッチ買っているんで」

「あー……店に残してるサンドイッチ知らないんですね?」

「さすがに昼の時間になにも出すものないのはちょっと……」


 そう店主さんは困った顔をしていた。

 仕事でくたくたになっている私からしてみれば、この時間、人がほとんどいない店で、暢気にランチを食べ、少し本やスマホを読んでから仕事に戻る時間が気に入っている。

 もっと牧歌的な場所かと思っていたら、市役所なんてどこもかしこも所詮市役所、仕事が終わらない。だから、この時間がずっと続けばいいと思っている。

 ひつじ雲の下、私はこの時間を楽しんでいる。


<了>

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ひつじ雲の向こう側 石田空 @soraisida

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