第3話 はじめて過去に行った感想を述べよ!

 本を入れすぎてたわんでいる本棚。観る時間がなくてテレビ台の上に放置している映画のパッケージ。朝使って洗っていないフライパン。見慣れたボロアパートの一室だ。


「初めての《メモリーダイブ》の感想は?」

 ノルンが意地の悪い笑みでそう問いかける。


「《メモリーダイブ》? タイムスリップの事か?」

「うん。《鯨》にダイブして過去に行くことを《メモリーダイブ》っていうんだよ」

「へえ。時間旅行をした実感が湧かないな。どちらかというと海外旅行した気分だ」

「まあ十年前だし、その感想は正しいかも」


 ぐ~。

 それは唐突な腹の音だった。僕ではない。犯人はノルンだ。


「なんだかついさっきも聞いた覚えのある音だなあ」

「気のせいじゃない?」


 気のせいなわけあるかい。澄まし顔で言えばなんでも誤魔化せると思ったら大間違いだ。


「お腹すいた」

「最初からそう言えってんだ」


 昼時だし、そうめんでも茹でるか。

 恐らくだが、ノルンは幼少期の経験から食が太いはずだ。以前何かの書籍で、幼少期に満足いく食事ができなかった子は大食いになる傾向があると読んだ。


 僕はとても優しいのでそうめんを四束も茹でてやった。これだけあったら流石に足りるはず。そう思ったのだが、


「おいしー」

 このバカ女はチュルチュルと全部平らげやがった。しかも食べる速度がスピード違反だ。おかげで僕がほとんど食べる事なく皿が空になった。


「おかわり」

「あるわけないだろ! ふざけんじゃないよ。食ったら仕事しろ」

「仕事?」


 などと、トボけた顔をしているメイドに「説明だ」と叱りつける。


「ああ、そうだったそうだった。どうしようかな、コップ貸してくれる?」

「説明に使うのか?」

「ジュース飲む用」


 バカにしてるのか、という言葉が喉元まで出かかったが、寸前で「冗談だよ」という言葉を聞き飲み込んだ。


「説明に使うから、できれば形状の違うコップが二つほしい」

 食器棚から普通のガラスコップとマグカップを取り出して渡す。


「ありがとう。前提知識として、《鯨》には限られた期間の過去が内包されてるの。例えば一月一日から十日までって具合にね」


 そう言って、ノルンは皿が片付けられたテーブルの上に、間を空けてコップとマグカップを並べた。そしてコップとマグカップの間に箸を置く。


「ガラスが《今》で、マグカップが《鯨》ね。この箸が過去と《今》を繋いでる設定」

 ノルンは間に置かれた箸を指でトン、と叩いた。


「こうするとわかりやすいでしょ?」

「《鯨》は過去にしか行けない。そういう事か?」

「そうそう。ここまでは君が好きな映画なんかにもよくあるからわかりやすいと思う」

 そう言いながら、ノルンは余っているもう一本の箸をマグカップに入れた。


「小さな歴史改変とかなら、世界の修正力が上回るから大きな問題はないんだけど、問題はこれ、《固定点》」

 箸がノルンに突っつかれてマグカップの中を転がった。


「絶対に変えてはいけないイベントって言ったらわかりやすいかな? 例えば、本能寺の変で信長が死ぬ、だとか。私達はその《固定点》を守るために戦っている」

「その戦うってのは比喩か何かか?」

「ううん、普通に切った張ったの意味だね。私は銃を使うけど」


 僕の中のイメージが、一気にバック・トゥ・ザ・フューチャーからターミネーターに変わった瞬間だった。


「一体誰と戦うっていうんだ」

「いろいろだよ。今説明しちゃうとパンクするでしょ? その時がきたら教えるよ」


「なるほど。じゃあ、質問。《固定点》を守るのに失敗するとどうなるんだ?」

「《固定点》を逸脱すると、君のよく知る『当たり前の変化』、それの最悪が起こるよ」

「スケール感がわからないな」


 ニュースキャスターが突然変わったり、何もなかった場所に一夜にして高層ビルが建っているなんてのは何度も経験したが、それを最悪だとは言わないだろう。


「国がなくなったりするって言ったらわかる?」

「そんなバカな」

「大きな視点で見てみよう。信長が本能寺の変で死ななかったらどうなってたと思う?」


「天下獲ってただろうな」

「うん。その場合、徳川幕府は誕生しなかったかもしれない」

 確かにそうだ。そうなったら、どうなるんだ?


「そうなると、鎖国をしていなかったかもしれない。鎖国してなかったら外国と戦争になっていたかもしれない。戦争していたら植民地になっていたかもしれない」

「つまり、日本がなくなってたと?」

「そういうこと。何がどう影響するかは、実際に《固定点》を逸脱しないとわからない。だけど大体の場合良くないことが起こるだろうと言われてるね」


 これだけスケールの大きな事だ、確かに「過去を守る使命」と言っても差し支えない。

 僕が密かにノルンに対する尊敬度を上げていると、


「ちなみに君が私を救うことも《固定点》だったんだよ」

 ん? 今なんかサラリと聞き捨てならない事を言わなかったか、このメイド様は。


「君、過去を守る使命につくか、普通の学生をやり続けるか選べとか言ってなかった?」

「言ったね?」

「学生やりたいって言ってたら《固定点》逸脱してたんじゃないのか?」

「してたね?」


 僕は頭を抱えた。つい数時間前の決断は僕の人生が決まるだけの選択ではなく、文字通り世界規模の選択だった。あぶねー。いやマジあぶねーじゃ済まないな。


「僕が学生やるって言ってたらどうするつもりだったんだい」

「もちろん、君の選択を尊重するつもりだったよ?」

「職務放棄じゃないか」

 というかだ、

「その場合タイムパラドックスが発生していたんじゃないか?」


 僕が過去に行く選択を取らなければ、幼女ノルンは救われない。そうなれば、《今》僕の前で呑気にお茶を飲んでいるノルンはなかった事になるはずだ。

 そんな僕の疑問に、ノルンはなんでもない事のように「うん」と頷いた。


「どうしてそんな平然としていられる? 僕が過去に行くと言ったからいいものの、君は消えてなくなっていたかもしれないんだぞ?」

 ノルンはふっと儚げな笑みを浮かべて、

「それでも、私は君の選択を尊重する。君が普通の生活を送る選択をするのなら、私はそれを応援する」


「そうなった場合君は消えてしまうんだぞ? それでもいいのか?」

「私はそれでも構わない。元々、私の《今》は君からプレゼントされたものだもの」

「そんな言い方――」


 卑怯だ。だけど、どこまでも澄んだその天色の瞳が嘘じゃないと告げている。

どうしてそこまで献身的になれるんだ。


「私は、それだけのものを君からもらったから」


 ノルンは嬉しそうに僕があげた覚えのない、僕からもらったというものを挙げていった。

 美味しい食事、温かい寝床、誰にも負けない知識、どこにでもいける身分、親から貰えなかった名前。そして何より、優しさをプレゼントされたのだと、そう告げた。


「私だけもらうのは不平等でしょ? だから、私も君に未来をプレゼントしないと」

自分が自分じゃなくなるかもしれないというのに、ノルンはどこまでも澄んだ青空のように無垢な笑みを浮かべていた。

「僕の負けだ……どうやら僕は過去に行く運命にあったらしい」

「言ったでしょ? 君は絶対私を好きになるって」


 何やら勝ち誇った顔をしているノルンに、

「それとこれとは話が別だ」

 恋愛感情よりも重い想いを彼女に抱き始めている。いやいや、その方がヤバいんじゃないのか? 僕は訝しんだ。


「しかし待てよ。僕は幼女ノルンにハンバーガー以外あげた覚えはないぞ?」

「当然だよ。だってこれから定期的に過去に行って私を育てるんだもの」

「おいマジかよ。僕にパパになれってのか」


 思わず口走ってしまった「パパ」という言葉を聞いたノルンは、実に意地の悪いニンマリとした笑みを浮かべて、


「自分好みの幼女育成計画だね」


 犯罪スレスレの単語を口にした。


「いやだああ! パパになりたくないよおおおお!」

「パパ頑張って?」

「ふざけんじゃないよ! 何が悲しくて十八歳でパパにならんといかんのじゃ!」

「でもメリットもあるんだよ?」


 澄まし顔へと戻ったノルンは、どのような世界のためになるメリットを語るのかと思ったら、


「君が和服を好きだと言って育てたら、間違いなく《今》の私は和服を着ている」

「クソくだらないメリットだった……」


 ちくしょう。なんか初対面なのに話が弾むと思ったら、一方的に僕の好きな事が知られているときた。おまけに相手は僕に合わせる気まんまん。そりゃ話も弾むぜ。


「ちなみに《今》の私もお好みに育成できますよ? 名付けてカスタムメイ――」

「やかましいわ! ああ、どんどん僕の性癖が歪んでいく」


 当初、垣間見えた新築ボロアパート概念は間違いじゃなかったんだ。流石僕だ、先見の明がある。有り余ってる。それはそうと、


「これからの動きはどうなるんだ? 僕も《考古学者》だかになるのか?」

「《考古学者》の役職は私が務めてるからね、君は暫く助手かな」


 助手ねえ。パパが娘の助手になるなんて、いよいよおままごとを想起する。

 などとふざけている場合ではない。現実問題、僕はまだ学生なのだ。その辺もどうするかなど相談する必要がある。そう思ったが、


「これからよろしくね、悠くん」

 陽だまりのような笑顔を見ていたら、そんな不安はどこかへ吹き飛んだ。

「まあ、よろしく」

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