《鯨》で過去に潜れる僕は、二人のヒロインの“運命の死”を同時に救いたい

山城京(yamasiro kei)

第1話 プロローグ

「君の目に《鯨》が映り続ける限り、君は絶対私を好きになる」


 今日は七夕。現在時刻は正午だ。茹だるような暑さに耐えかねた僕は、一も二もなくコンビニに赴きどのアイスを買うか悩んでいた。バニラ系にするかフルーツ系にするか。


 結局僕は両方を購入する事にした。品物を持ってレジに行き、ふと気づく。


「誰だこのおっさん」


 千円札に描かれている人物が、いつの間にか見覚えのないおっさんに変わっていたのだ。


 僕の記憶が確かならば、二〇二五年、現在、千円札には北里柴三郎さんが描かれていたはずだ。それが名も知れぬおっさんに変わっていた。


 一体誰だったかと思っていると、店員さんが「どうされました?」と不審な目で見てきたので、僕は「まあ、そういう事もあるか」の精神で知らないおっさんを渡した。


 無事アイスを購入できたので、三階建ての愛すべきボロアパート、その最上階にある家の鍵を開けて中に入ると、玄関に見慣れぬ靴がある事に気づいた。


 まさか泥棒だろうか。そう思ったのもつかの間、僕の目はベッドで寝転び漫画を読んでいる「メイド」の姿を発見した。秋葉原なんかにいるあの「メイド」だ。


 白い肌の少女だった。異国の人なのだろう、肩口までの長さの綺麗な銀髪が日差しを反射してエンジェルリングができているのが印象的だった。いや、そんな事はいい。


「やい泥棒! 僕の家に金目のものなんてないぞ!」

「あ、おかえり。何買ってきたの?」


 仮称泥棒はそんな事を言いながら当たり前のように僕が手に持つ袋の中身を覗き、「アイスだ。美味しそう」なんて言っている。


 あまりに日常的な言葉が返ってきたので、一瞬、僕は相当な金持ちで、子供の頃からずっとお世話してくれている同年代の専属メイドと新築ボロアパートで倒錯プレイをしていたのだと思った。しかしそんなわけもなく、


「美味しそうじゃねえよ。あんた誰だよ」

「世界を守るために戦う組織のエージェント、《鯨》を渡り歩く美少女、過去に君に助けてもらった女の子、ただの美少女メイド。どれがいい?」


「泥棒という選択肢はないのか」

「だって泥棒じゃないもの。まあ、今の君にとってはただの美少女メイドってところかな?」


 自分で美少女なんて言うだけある可愛さではあるが、あまりに図々しくて言葉がない。


「よしんば泥棒じゃないとして不法侵入だぞ。鍵かかってただろ」

「そこはちょちょいとね」


 やっぱり犯罪者じゃないか。警察を呼ぼう、そう思った矢先だった。


「あ、警察だ。スピード違反かな?」


 鴨がねぎを背負って来た。メイドは呑気に窓から外を観察している。これ幸いにと僕も窓に近寄って、


 ――空を《鯨》が泳いでいるのを見てしまった。


 それも一匹や二匹じゃない。入道雲を食べながら空を泳いでるやつ、大口を開けてぷかぷか浮いているやつ、形も動きもバラバラ。空を我が物顔で占拠していた。

 見たくもないものを見てしまった。僕が顔をしかめていると、


「君、《鯨》が見えてるでしょ」


 僕以外、誰も《鯨》は見えていないはずだった。しかし彼女の天色の瞳の先には、明確に《鯨》の姿があった。


「……見えてるのか?」

「見えてるよ。お仲間ってやつだね」


 何度、誰に尋ねても、そんなものは見えないと言われた。なのに彼女は《鯨》を見慣れているかのように言った。にわかに興奮を覚え始めた僕に、彼女はこう続ける。


「どう? 私に興味湧いてきたんじゃない?」

「非常に。お仲間なら、『当たり前』の事が急に変わる経験は?」

「もちろんあるよ。直近だと、千円札が変わったね」


 それは、さっき僕がコンビニで経験した「当たり前の変化」だった。

 どうやら彼女は本当に泥棒やら不法侵入者やらではないらしい。何か目的があって、僕の家を訪れたのだろう。


「本当に仲間のようだね。ついでにもう一つ質問いいかい?」

「なーに?」

「どうしてメイド服なんだ?」


 すると彼女は不安そうな顔をして「もしかして似合ってない?」と問いかけてきた。


「大変似合っているけど、まさかそれ私服?」

「にしようかなって思ってるよ。ゴスロリの方がよかった?」

「メイド服の方がいい」

「やっぱりこの時から変わらずメイドが好きなんだね」


 メモメモと何やら手帳に書き出した彼女に、僕は追加で「着物も好きだ」と伝える。


「そういえば自己紹介がまだだったね。私はノルン、《考古学者》です」

「僕は西園寺さいおんじゆう、学生だ。それで? 考古学者が一体僕になんの用なんだ」


 ノルンは佇まいを直し、まっすぐ僕を見据えてこう言った。


「君を時間旅行に誘いにきたんだ」

「時間旅行? タイムスリップって事か?」


 やっぱりただの不法侵入者だったかもしれない。そうじゃなければ熱中症寸前だ。


「あれ? 露骨に興味なくなった顔をしてるけど」

「どうせならデートのお誘いの方が嬉しかったとは思っているよ」


 こんな無駄話をしていてはせっかく買ったアイスが溶けてしまう。いや、発想の逆転をしよう。せっかく二つ持っているのだから、熱中症寸前の彼女に一つ食べてもらおう。


「ところでアイス食べる?」

「食べる」

「バニラとフルーツどっちがいい?」

「バニラ!」


 僕は何をやっているのだろう。このクソ暑い中ベッドの縁に座ってメイドとアイスを食べているなんて、家を出る時の自分に教えたら鼻で笑われるぞ。


「青春っぽいね?」


 なるほど確かに見ようによっては青春かもしれない。ノルンの年齢は僕と同じに見えるから、恐らく十八歳だ。であれば、男女の学生が仲良くアイスを食べるというのは青春だ。


「青春はいいが、マジでなんの用なんだ?」

「さっきも言ったでしょ? 時間旅行に誘いにきたんだよ」

「アイスじゃ足りなかったか……待ってろ、スポドリと氷を買ってくる」

「別にそんなに暑くないけど」


 重症だ。熱中症が進むと暑さを感じなくなるというが、ノルンがまさにそれだ。

 残ったアイスを大急ぎで食べて立ち上がった僕の袖をノルンが掴み、


「事件はもう始まってるんだよ?」


 まるで探偵のような事を言ってのけた。


「ほう、どんな事件だ?」

「ボーイミーツガール。私は君に会うという『選択』をした。次は君の番だよ。私と一緒に過去に行くかどうか。今君の前には選択肢が出ているの」

「仮に過去に行けたとして、何をするんだ?」


 天色の瞳と目が合った。どこまでも澄んだ青空のように綺麗な目だった。


「私を救うんだよ」


 意味がわからない。世界を救えと言われた方がまだ理解できる。


「けど、ほんとのところは君の好きなようにしてほしいと思ってるんだ」


 ますます意味がわからない。救ってほしいのか、ほしくないのかどっちなんだ。


「結局のところ、どうしたいんだ?」

「君に選んでほしい。世界を守る使命につくか、普通の学生をやり続けるか」


 僕も男の子だ。女の子を救うだの、世界を守るだの言われてワクワクしないわけではない。そもそも普通の学生なんてつまらないからな。しかし、


「イマイチ意味がわからない」


 やはりノルンは夏の暑さに頭をやられているのではないか、そう思った矢先、


「タイムパラドックスだよ。私は未来の君に救われた過去を持っている」


 彼女は打って変わって理知的な話を始めた。


「今、君が選択する内容によって、私が過去に出会った君が存在するかしないかが決まるの。君が普通の学生を望めば、遠からず今の私は消えてなくなる」

「そいつは――」


 ヘビーな選択だな。嘘であってほしい。しかし、ノルンの言う事が嘘だとは思えなかった。彼女の言葉には、表情には、目には、確かな覚悟が見て取れたからだ。


「いきなりすぎる。どうしたらいいのかさっぱりわからない」

「直感で決めていいよ。君にとっては、まだ私は『はじめまして』の関係なわけだし」


 ノルンの言う通り、事件はもう始まっていたようだ。

 むしろ、プロローグであるボーイミーツガールというよりも、重要な選択をしなければならないという点を見れば中盤の展開だ。


「考える時間は?」

「あげたいところだけど、今ここで選択してほしい」


 世界を守る使命というのが具体的に何を指すのかはわからない。が、わからないなりに、何か重大なものなのだろうというのは察しがつく。


 色々な映画を見てきたからわかる。今この場の選択によって、僕の未来は決まる。これはそういう類のシーンだ。


 ノルンがヒロインで、僕が主人公。


 そう考えれば、主人公である僕は人生と引き換えにヒロインを救うべきだ。しかしそれは本当に正しい選択なのか?

 僕にはノルンを救う義理なんてどこにもない。だから、自分の事を一番に考えて――、


「難しく考えないで。私の事を好きか嫌いか。それでいいんだよ」


 彼女の表情に、寂寥が浮かんでいた。その横顔を、その感情を、僕はノルンの事を何も知らないはずなのに、いつか、どこかで同じもの見たような気がしてならなかった。


「過去に行く」


 気がつけば、僕はそう言葉に出していた。

 ノルンは虚を突かれたような顔を見せて、


「ほんとにいいの? 誘っておいてなんだけど、君にとってはきっと辛い選択だよ」

「決心が鈍るような事を言わないでくれ。君が言ったんだろう、好きか嫌いかって」


 そう答えると、ノルンはニンマリという擬音が実に似合う笑みを浮かべてこう言った。


「そんなに私のこと好きなんだ?」

「そうは言っていない。好きになれるかもしれないと思っただけだ」

「ふーん? まあ、今はそういうことにしておいてあげましょう」


 ノルンは「でもね」と言い立ち上がった。そして日の光をバックに、


「君の目に《鯨》が映り続ける限り、君は絶対私を好きになる」


 そう言ってのけた。どんな顔をして言ったのかは、逆光のせいでわからなかった。だけどきっと、自信に満ち溢れた顔をしていたんだろうな、と思う。


「じゃ、早速過去に行こうか」


 そう言ってノルンは玄関から二足分の靴を持ってきて、「はい君の分」と手渡してきた。

 一体なんのつもりかと思っていると、今度は窓を全開にし始めた。


「おい、何をやっているんだ?」


 返事も聞かずにノルンは僕の手を取り「当然のように」窓から飛び降りた。


「は?」


 胃が口から出たんじゃないかという浮遊感。次いで、大地が溶けて暴風が下から吹き上げる。視界の全てが突き抜けるような青に包まれた。


 空だけだった。どこまでも続く青空。その先に見えてくるものがあった。

 青い空に浮かぶ巨獣。空を泳ぐ、あまりに巨大な影。それは一頭の「鯨」だった。


 近くで見る鯨は、永い年月が経過しているのを示すように体表がシワだらけで、ところどころがひび割れていた。そこが落下点だというのを感覚的に理解する。

 とどのつまり僕は――、


 空に落ちたのだ。

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