序章ー第1話 終わりの始まり
子どもを引き取った。
それも契約に基づいた法的後見人としてだ。
しかも、ただの子どもではない。
かつて栄えた帝国で、皇族の右腕を勤めていた一族ジグドラソルの末裔の、だ。末裔と言っても東と西に分かれている内の東側のだが。
同時に一部の人々の間では〈魔王の娘〉と揶揄されている。
(さて、どうしたものか…)
遺言通り、葬式や手続きを終えて死んだように眠っている子どもの頭を撫でる。出会って数日と経っていない。ただ、揶揄とは対極の存在であるのは確実だった。あまりにも存在として儚すぎる。
「疲れただろう、ゆっくり眠ると良い」
〈魔王〉と呼ばれていたのは知っている。
それでも子どもの父親は、俺の恩人のひとりだった。初めて会った日、『義理の兄弟みたいなものですよ』という言葉と共に微笑まれた日がつい、昨日のように感じる。彼曰く、幼い頃に亡くなった父と母にとても世話になったらしい。血の繋がりこそないが実の兄と変わりない存在だった。
そんな人が目の前で、大した理由もなく漫然と殺された。実の子を庇って死んだ。
立て籠った部屋の外では、領主を失った悲しみに暮れる人々と品のない連中の下世話な声とそれに対する怒声が絶え間なく響いている。
世間から見て、今の俺は死んだ主人の立派な忠犬か、遺児の騎士のような存在らしい。
途切れ途切れ聞こえてくる会話では、古くから続く血族を権威を持って守護し忠誠を尽くす騎士として扱われていた。
気味が悪い。
そもそも俺は騎士ではないのだ。ただの偏屈な鍛治師だ。何をとち狂ったのか、子どもは悲劇に巻き込まれつつも将来的に家を継ぐ為に前を向いている素晴らしい存在だと囃し立てられている。
(…反吐がでる)
確かに何も知らない者から見ていればこの子の葬式での立ち振舞いは立派に見えただろう。
悲しみを押し殺し凄惨な死を迎えた父の冥福を祈り振舞う姿に民衆は涙を浮かべていた。
それは美しかっただろう、確かに胸を打っただろう。だが、酷く疲れ切って泣くことも出来ない子どもの何処が"前を向いている"ように見えるのか。心底、理解し難い。
『なぜ〈鍛治師〉が後見人なのだ?我々こそ相応しいだろうに』
『この大陸において〈鍛治師〉は特別だからだろう』
『ただ、一族最後の子どもを預けるに値するかと問われたらそれは違う。断じて違うだろう?』
どうやら、もっと面倒な話まで始まったらしい。
溜息を思わず吐いた。その考え方が後見人という立場から遠ざかった原因だと何故、気付かないのか。死者の判断に意を唱える時点でその資格を放棄したも同然だ。
俺自身、力不足なのは自覚している。
正直、何故あの人が俺に我が子を託したのか理解はしていない。少なくとも父親として彼等よりは俺の方がまともに子育て出来そうだと判断したのではないだろうか?鍛治の祖を模した、狼のような仮面に手を伸ばして被る。これひとつで自分は〈鍛治師〉として彼等の目に映るのだ。
子どもを抱えて立ち上がる。その衝撃で目覚めたのだろう、子どもは僅かに目を開いて俺を見た。
「目覚めたか?」
小さく子どもは頷いた。
民衆の前に立っていた時の輝きはなく、絶望に暮れた虚な目に心を抉られた。一瞬、過去の自分自身を覗き見た気分になって首を振る。だからこそ、俺は子どもに問いかけすることを決めた。過去の俺が〈あの人〉に問われた様に。
「寝起きで疲れ切り怠く頭も回らないだろう。
だが俺は今、敢えて君に問おう。
君はこの家に、この領土に望まれるまま大人になり領主として一生を過ごしたいか?
それを望むのなら構わない。
ただ、これは俺の個人的意見だが今の君にとってその選択は生き地獄だ。仮に耐えられたとして早死にするだろう。
……そこで提案だ。
もし君が一時的にでも逃避を望むのなら、このまま俺に身を委ねて逃げ出すことが出来る。
現状、望まれていた役割を君は既に果たしている。遊学を建前にこの場所から離れればいい。
さぁ、選べ。
俺は君の父君の遺言にある通り、君の選択を尊重しよう」
かなり一方的で強引に迫った選択だ。
酷い話だと我ながら思う。まだ年端もいかない子どもに選択を迫るなんてどうかしている。
どちらをこの子が選ぶかはわからない。
だが、どちらを選んでもこの子を俺が支えることに変わりはない。
問いの答えを静かに待つ。
この時、俺は初めて子どもの顔をしっかりと認識した。母親譲りの柔らかい金色の髪に、父親によく似た整った顔立ちに同じ色の瞳をしている。儚くて今にも消えてしまいそうな子どもだった。
じっと見ている俺と子どもの視線が絡む。
(綺麗だな)
赤い瞳は最初の神様と同じ、神聖な色で幸福をもたらす…そんな迷信めいた話がある。実物を見るとそう言われるのも理解できる気がした。
夕焼けの空を閉じ込めたような瞳は虚であっても息を呑むほど美しい。その上、光の加減で色味が変わるのだ。仕事上、宝石類は見慣れているがそれと比べても遜色がない。柄にもなく見惚れた。
「…………………逃げ、たいです」
しばらくしてキッパリとした口調で子どもは言った。その瞳に輝きはない。だが、強い意志を感じた。
「ほう?何故か聞いても?」
「……今の私では、領主代理としての振る舞うことは難しいです。今の幼い私が求められるのはそれではありません。"誰か"の都合の良い傀儡になる事でしょう?それなら遊学を建前に貴方と逃げた方が余程、良い」
意地の悪い返しに子どもはただ淡々とした口調で問いに答えた。少々、意外だった。
年相応に親の死に絶望して現実から逃避したい訳ではないらしい。
「後見人様、貴方は私の選択を尊重して下さいますか……?」
どこか探るような、警戒を滲ませた声で子どもは俺に問いかける。堂々とした態度と冷静な口調で誤魔化しているが、その手はかすかに震えていた。随分と子どもらしくないと思った。
「勿論だ」
震える手をそっと握る。
この手を俺は生涯、何度も握ろうとするなんて考えてもいなかった。
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