余裕な顔しちゃってさ


「おい、そこの女。鞄を持ってくれよ」

「え……私、が?」

「そう。買い物しすぎちゃったから」

「わ、わかりました」

「はい、持って……あれ? 同じ鞄持ってるじゃん?」

「そ、そそそそうですね」

「中身は?」

「ほぼ空です」

「よし、じゃあまだ買い物行けるな。ついてきて」

「は、はい!!」


 こくこく、と頷いた樋口さんは台本から顔を上げた。


「どうだった? 私の演技は?」

「その前に良い?」

「うん」

「……何これ?」


 読み合わせを終え、流石に尋ねずにいられなかった。


 終わってるだろ、この台本。

 突然男に呼び止められて鞄を持たされ、さらに同じ鞄をもっているからという訳のわからん理由で買い物に荷物持ちとして付き合わされる。

 どこをどう解釈したらラブストーリーになるのだろうか。


「何これって、まあ。女の妄想が詰まってるとは思うけど……」

「こんなんで鞄のCMになるの?」

「突然男性に声をかけられて、デート。しかもこの後は、同じ鞄だったから取り違えて次も会う約束をする。男から見ればそりゃまあ良い気はしないだろうけど、女からすれば、もしも、を考えて買っちゃう人もいるんじゃない?」


 う、うーん。

 まあ男女入れ替えてみれば、ギリギリあり、か?

 男女比が偏っているから、一応の納得ができる。


「読み合わせ、やっぱ苦痛?」

「いや全く。むしろタメになれてるか心配だよ」

「……なってる。本物の男性を前にするだけで、登場人物の女の子の気持ちになり切れる」

「良かった。じゃあ続けよう」


 そう言った時、樋口さんが軽く咳き込んだ。


「大丈夫?」

「大丈夫。昨日夜遅くまで稽古して、今日も朝から始めたから、ちょっとだけ喉が疲れたみたい」

「おっけ。ちょっと休憩しよう、ダイニングテーブルで待ってて」


 俺はキッチンに向かい、はちみつと少しのレモン果汁をマグカップに入れ、お湯に溶かす。きっちりと混ざると、樋口さんの前に置いた。


「はい」

「……ありがとう」


 大事そうに両手で包み、ふーふーと冷ます。

 綺麗な細い唇をつけ、とろっとした蜂蜜ジュースが喉に流れ込み、こくりと鳴った。


「美味しい」

「それは良かった」


 美味しそうにしてくれるのが嬉しくて、ニコニコと眺めてしまう。

 すると樋口さんの頬が染まり、所在なく視線が泳いだ。


「さ、さっきの質問、まだ答え聞いてない」

「ああ。演技がどうだったかって?」

「うん」

「良かったよ」


 台本の内容はともかく、演技自体は良かった。

 ちゃんとドギマギしている感じが出ていたし、表情と声色、仕草なんかもテレビで見てもおかしくないレベルだった。


「……ありがとう。ここの所ずっと自信を失くしてたから嬉しい」

「なんで? すっごく上手だけど?」

「それは多分、及川さんのおかげ」


 俺の? どうして?

 疑問を尋ねる前に、樋口さんは苦笑した。


「私さ、容姿には自信があるから自分の顔は嫌いじゃない。だけど、冷たい感じがするのは男子にとって怖いっぽくて、今まで接点がなかった」


 へえ、意外だ。

 まあでもクール系の美少女である樋口さんは、この世界の男にとっては怖いのかもしれない。


「だから男を相手にした女の演技とか、経験がなくて役に入りきれなかった。それでずっと失敗続きで、自信を喪失してた」

「男を相手にしない役はちゃんとやれたんでしょ?」

「それはそうだけど、でも男と関わらない役なんて端役しかないから一緒。女優として成功するには、絶対に避けられない」

「そんな致命的かな?」

「男が出てこない創作なんて、売れないからほぼないでしょ。茶の間は男を見たいんだから、中心人物に男がいないのはありえない」


 確かに、ヒロインの出てこないラノベ、と考えると、そういうものかもしれない。


「そんなわけで、正直、行き詰まってた。成功する未来が想像できなくて、練習とかも手を抜いてた」

「でも今頑張ってる」

「うん。だから、及川さんには感謝してる」


 真剣な眼差しを向けられて微笑む。


「感謝するのは早いんじゃない?」

「え?」

「まだ始めたばかり。もっとやれば、どんどん上手くなる。でしょ?」


 強く頷いた樋口さんと、休憩後に読み合わせを再開した。


 ***


「きっとまた、会えるんだ」


 樋口さんが、パタン、と台本を閉じると、俺は拍手した。


「凄い! 凄く良い!!」

「そう?」

「うん、最初も良かったけど、比べるのも烏滸がましいくらいに良い!」

「あ、あはは。それはそれで、最初がどれだけ酷かったのって思うけど」

「良かったって言ってるんだから、素直に受け取りなさい」


 そう言うと、気恥ずかしそうに目を逸らして頬を染めた。

 それでも唇はにやけていて、嬉しそうだ。


 樋口さんと過ごしているうちに性格に気づいてきた。

 彼女はどこか皮肉屋の気があって、そこが可愛らしい。


 こうして性格に理解が深まるのは、順調に交流できている証拠だ。

 ご褒美以外の形でもサポートが充実しそう。


「なら、上手になれたから、今日はここまでにする」

「それが良いと思うよ。やりすぎても良くないし」

「うん……頑張ったし?」


 ちらちらと物欲しげな瞳を向けられる。

 頬はさっき揶揄った時と、別種の赤みを帯びてきている。


 ……演技の続きだ。そう。演技の続きと思い込めば良い。


「うん、ご褒美に撫で撫でしてあげるね」


 目の前に立つ樋口さんを、片手で腰をすくいあげるように抱き寄せる。

 とはいえ、体が触れるか触れないかの距離まで。


「!?」


 樋口さんは腰が抜けたように、かくり、と膝を曲げる。

 こけてしまわないように片手で支え続け、腰に力が戻るともう片方の手を伸ばす。

 真っ赤な顔、驚愕に見開いた瞳のその上へ。


「いいこ、いいこ」


 髪をゆっくりと梳く。

 柔らかで触り心地のいい髪は、揺れるたびに女の子のいい香りが弾ける。

 輪郭を確かめるように柔らかく触れ、手のひらで撫でながら、指先を毛先まで滑り落とす。


「……っ、はぁ、んっ」


 弱い刺激が甘いむず痒さを呼び込んだようで、もどかしさに息が漏れ出ていた。


「頑張ったね、よしよし」


 沙耶香は堪えようと目を閉じ、抵抗を続けたけれど、次第に瞼から力が抜けた。

 目薬を挿したみたいに潤んだ瞳は、すっかり蕩けている。


「はぁ、ふっ、は、はぁ、はぁ……」


 彼女の乱れる呼吸は、冬の寒さに凍えるように、短く浅く何度も早いリズムで繰り返すようになった。 

 一つ一つが蜂蜜のように甘く、吐息が首筋に触れるたびに、俺の吐いた息が絡め取られてしまう。

 吐息と吐息が混ざり、絡み合い、溶け合い、甘さはどろりと濃厚さを増す。

 やがて梅雨の閉め切った部屋みたいに、甘美な空気で満たされているような気さえしてきた。


 もっと、と強請る瞳を向けられると、愛しさが湧き出して頬が緩む。


「沙耶香、よく頑張ったね。偉い偉い」


 蕩けた目と合わせると、沙耶香の視線が泳ぎ、羞恥の色が濃くなった。

 沙耶香は逃げ場がないと見たのか、餌を待つ雛のように上げていた顔を俯ける。


 瞬間、ぴた、と固まった。

 視線は俺の胸の位置で固定される。


 荒かった息がさらに荒くなり、ふーふーと唸るネコ科の肉食獣のように変わる。

 ふるふると沙耶香の腕が震え、ゆっくりと上がってきた時、俺は頭を撫でる手を止め、一歩下がった。


「はい。おしまい。次はオーディションが上手くいったら、ご褒美をあげる」


 ただ頭を撫でて褒めるだけ。

 軽いものを選んだつもりだったが、思ったよりも効果があったと見て、切り上げた。


「……?」


 きょとん、と目を丸くした沙耶香は、状況が飲み込めたのか大きく深呼吸をした。


「ありがと、及川さん」

「うん。また頑張ったら、ご褒美をあげるからね」


 沙耶香の瞳は嬉しそうに細められた。

 筋がとおった細く綺麗な鼻も期待にぷくりと膨らんだ。

 しかし、唇は尖り、拗ねたような顔になった。


「……余裕な顔しちゃってさ」


 沙耶香のぼそりとした呟きは、うまく聞き取れなかった。


「沙耶香?」

「!? オーディション、私頑張るから!」


 机の上の台本を乱暴に取り、沙耶香はリビングから出ていってしまった。

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